チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

新宿よりパレスチナのほうが近い イベント後記

8月6日(土)、お知らせしていたとおり、株式会社Waseiのくいしんさん、鳥井さんと一緒にトークイベントを行ないました。当日は8月らしくわかりやすい猛暑日で、こんな日に遠いところご足労いただいたみなさんには本当に感謝です。

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もちろん反省点なども多々あったのですが(百点満点のイベントを開催できたことはない)、それはそれとして、イベントが終わったあとにいろいろと1人で考えたことなどを書いてみようかと思います。

新宿よりパレスチナのほうが近い

まず、これはイベント当日ではなく、その前にWaseiの2人と行なったツイキャスが終わったあとに、1人でぼんやりと考えていたことです。

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なんか、私はやたらと海外に旅行に行きたがる性分で、あと関係ないかもしれないけど、小説も日本文学が苦手で海外の翻訳小説のほうが好きだったりします。それに対して、これは2人に限らずなんですが、「日本国内にも面白いもの、今までの常識や世界観を変えてしまうもの、ヤバイものはたくさんある。それなのになぜあなたは海外にばかり目が行くのか」ということをよく聞かれます。つまり、お前には「灯台もと暗し*1」の精神が全然ないじゃないか、どうなってんだ、ということですね。

これ実は、本当に自分でもなんでだかよくわからなくて、2年前くらいから断続的にずっと考えていました。おっしゃる通り、「世界観を変える」とか「面白いものを見つける」ためには、海外に行かないといけないわけでは全然ありません。というか、海外にさえ行けば見つかると思っているほうがアホです。屋久島とか沖縄とか九州とかの日本国内にもあるし、そんな遠いところ行かなくたって、首都圏在住の人であれば東京でも千葉でも神奈川でも、むしろ自宅の近くでだって見つけられると思います。

だけど最近考えるようになったのは、実はここで私たちが話題にしている、〈物理的な距離〉って、けっこうどうでもいいもんなのではないか、ということです。

たとえば、私は首都圏に住んでいるので、新宿にはまあまあすぐ行けます。一方で、中東にあるイスラエル占領下の地域、パレスチナは遠いです。距離もあるし、直行便もないから、ヨーロッパや近隣の国を経由して行かなければなりません。20時間とかかかります。交通費だって、当たり前だけど後者のほうは桁がちがいます。普通に考えたら、新宿とパレスチナのどちらが近いかと聞かれて、パレスチナと答えたらアホでしかありません。


でも、上手く伝わるかどうかわかりませんが、それでも私にとってはパレスチナのほうが「近い」んです。なぜかというと、新宿にあるお店、新宿にあるカルチャー、新宿の持つ雰囲気、そういうものが私をほとんど絡めとらないからです。縁がない、という言い方でもいいかもしれません。もちろん、詳しい人に案内してもらえば面白い体験はできるし、刺激的な一夜を過ごすこともできるでしょう。だけど、それって「1回」で終わってしまう気がします。どんなに面白くても、その夜が終われば明日からまた元どおり。それ以上のものって、少なくとも今の私は、新宿という街からは得ることができないと思っています。

しかし、エルサレムパレスチナ自治区といった地域で見たもの、聞いたもの、またそこで考えたことは、私にとって「1回」で終わるものではありませんでした。実際に行ったのは「1回」なんだけど、心理的には毎日のように通っているんです。エルサレムパレスチナが抱えている問題、またはあの場所のカルチャー、成り立ち、雰囲気、そういうものが私を絡めとるからです。私はイスラエルと縁がある。少なくも、新宿という街よりはずっとずっと強い縁を、私はエルサレムパレスチナといった場所からかんじます。


これは書籍でも書いたことなのですが、人間は、自分に関係のないメッセージは受け取れません。たとえそれがどんなに強く刺激的なものだったとしても、「これは自分と関係のないことだ」と思ってしまうと、たとえ運良く受け取ることができても十分に咀嚼しきれずに、1回で終わってしまいます。私は、新宿とは関係がない。だけど、イスラエルとは関係がある。物理的な距離はここではあまり意味をなさなくて、「関係がある」と思えるかどうか。だから、「そんなのってアリ?」と思われるかもしれないけど、実は私がモロッコやヨルダンイスラエルに行くことって、俄然「灯台もと暗し」だったのではないかと思うのです。自分の足元にあるもの、自分に関係があるもの、自分が今まで見落としてきたもの、それを改めて見つめ直すために、私は中東までわざわざ行かなくてはなりませんでした。


実際、「新宿の◯◯って店」などといわれると私、「わー、どこかわかんないし、遠いなあ」という印象をまじで抱きます。一方で、モロッコとかイタリアとかベトナムとかの海外の都市名や観光地をいわれると、「あー、あそこね。近い近い。今度行こ」って思います。だからホントの話、私にとっては新宿よりパレスチナのほうが近いんです。

なんだそれ、ってかんじでしょうが、「1回」で終わってしまう場所と、「1回」では終わらない場所の選別、これは考えてみるとけっこう面白いと思いませんか? もしあなたが、「私にとってはこんなに面白くて素敵な場所(モノ)なのに、他の人はそうでもないようだ。なぜ?」と思ったら、それは対象のものが、あなたには関係のあるもので、他の人には関係のないものだからです。

写真が撮れたらよかったのに

あとこれはイベントのなかでお話したことですが、最近「写真家になれてたら良かったのになあ」と思うことが度々あります。なぜかというと、文章って、何かを主張したり伝えたりせざるを得ないからです。だけど、写真って(報道写真とか、メッセージ性の強いものはもちろんあるけど)、基本的に何もいわないですよね。主張を込めることはできるけど、受け手次第によるところが大きくなるというか、表現で遊んでいられる。

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写真みたいな文章が書きたい、と思うことがあります。何も主張しない、何もいってない。……はずなのだけど、受け手を大きく動かす力がある。そういうのが書けたら最高だなーと夢見ています。

まとめ

「これからのインターネットとの付き合いを考えよう」というイベントだったのですが、今回のエントリはここまででインターネットという単語の登場回数がゼロなので、「いったいこいつは何をやったんだ」とご来場いただけなかった人は不審に思ったかもしれません。が、インターネットの話はもちろんしました。来ていただいた方に、何か1つでも考えるヒントをお持ち帰りしてもらえていたら、嬉しいです。ここに書いたこと以外にも、「世界の麻薬・準麻薬分布地図を作っている」という話や、ネットストーキングの技術などについて(これはくいしんさんが)お話しました。

あと三次会くらいで、「チェコ好きさんがいってるのって、『世界観が変わる』じゃなくて『世界観が増える』だよね」といってくれた人がいて、あーそうそうそれ、と思いました。

AとBがたとえ相反するものだったとしても、Bを覚えたらAを捨てなきゃいけないかというとそうじゃなくて、Aを抱えたままBを受け入れることって私はできると思います。AとBが相反するものだったとしても、です。

それから、お土産にお菓子をくれた方もありがとうございました。チェコ好きが美味しくいただきました。

最後に、今回のイベントを企画してくれたくいしんさん、鳥井さんに改めてお礼をいいます。ありがとうございました。

*1:Waseiさんのウェブメディアは「灯台もと暮らし」です http://motokurashi.com/

わたしは高城剛になれない/ツイキャス後記

2日の夜、今週末のイベントに向けてくいしんさん、鳥井さんと一緒にツイキャスをしました。アーカイブは当日参加してくれる人にのみ公開していて、全体公開はしないのですが、ツイキャスの内容を踏まえて考えたことなどを少しメモしておこうかなと思います。

なお、イベントは増席しまして残り2席となっています。実はまだ検討している、という方がいればぜひ。

peatix.com

ポケモンGOはパンツの色

まず冒頭で、今話題のポケモンGOの話をしたのですが、ポケモンGOをやってるかやっていないか、やっているとしたらレベルいくつか、というのを人に聞くのが私はけっこう好きだったりします。なぜかというと、純粋にポケモンの話をしたいわけではなくて、「今日のパンツ、何色?」って聞いてる気分になれて楽しいからです。

えー、思いっきり語弊のある言い方をしていますが、やってそうな人がやってなかったり、やってなさそうな人がやっていたり、意外な人がやり込んでいたり、やり込んでそうな人がほどほど程度だったりと、あんまり予測が当たらず、その人の隠れた性癖を知ってしまったような気分になれてお得感があります。変態色を出さずして変態的なことを聞けるということで、世の中にはいいゲームが登場したなあと思います。ちなみに2日の時点では、くいしんさんはやっておらず、私はレベル10、そしてなんと鳥井さんはレベル21ということでした。

ポケモンGOはイベント内容とあまり関係がないので当日の話題にするかどうかはわかりませんが、もしかしたら来てくれる方々に、ダウンロードの有無とレベルくらいはおたずねするかもしれません。

「遠くのファンタジーと、近くのドキュメンタリー。」

これは前に鳥井さんが書いていたことで、さらにそれも古賀史健さんがnoteに書いていたことが元だったりするのですが、なんか今、わりと多くの人がインターネット、というか「内輪で同じことをこねこね捏ねくりまわしてるかんじ」から抜け出したいのかなー、と思いました。

note.mu
inkyodanshi21.com

私は今「遠くのファンタジー」を求める気持ちがかなり強くて、自分から離れていれば離れているものほど面白いとかんじる脳みそになっている気がします。自分に近いもの、たとえばアラサー女子がうんたらとか、働き方がうんたらとか、ライターとしての心構えうんたらとか、そういうのはちょっともうお腹いっぱいだなーってかんじです。今私が面白いものは、アフリカの葉っぱとかイスラエル及び中東問題とかメキシコのマフィアとかです。しかし、私はもとからそういう傾向が強いというのもあります。

で、これは私だけの話なのかなーと思っていたら、私ほどではないにしろ、くいしんさんにも鳥井さんにもわりと共感してもらえたようだったので、今こういう思いを抱えている人はわりと多いのかもしれません。

この話は当日、個人的にはいちばんたくさん時間を割きたい話題です。みんなは今、何を面白いと思ってんだろうなー? と。

わたしは高城剛になれない

最後に、これは2時間のツイキャスを終えたあとに未配信でしゃべった内容なのですが、「ぶっちゃけ、最終的に何になりたいですか?」ってことをお二人と話していたんですよね。これがですね〜、ぜんぜんかっこいい話はできなくて、私を含めてみんな俗物の塊だなというかんじの結論になってしまったのですが、私、最終的に高城剛になりたいのかもしれないと思いました。

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高城剛の何がいいかっていうと、まずはインターネットあんまりやっていないところがいいなあと思います。私の「理想の暮らし」では、ネットに触れる時間は1日5分です*1。それも、知人との純粋な連絡手段としてとか、時事的なニュースを読むときにのみ使いたいと思ってしまいます。それで、普段は何やってるのかよくわかんなくて、山奥とかにいて、たまに人里に下りてきて畑を荒らしてまた山に帰っていくという、そういう人生に憧れます(っていう言い方でこれは伝わるのでしょうか)。

だけど、私たぶん高城剛にはなれないと思うんですよね。……などというと、「できないと思っているからできないんだ!」などという人がいるかもしれませんが、やっぱり事実に基づいて普通に考えたらなれないと思います。高城剛になりたいけど、死ぬまでそれが叶わなかった人生、それがたぶん私の人生になると思います。

私自身もインタビューをしていただいたことがあるのでわかるのですが、だれかを取材した記事があるとき、あるいはだれかに何かを「教える」という立場にまわるとき、そこで語られるのは多くの場合「完成された」言葉です。その人はもう目標や夢を達成していて、「あっち側」にいる人で、悩み事なんかなくて、完成された世界を生きている。だけど本当は全然そんなことはなくて、目標や夢を達成しているように見える人でも、いつでも人はどこかの道へ行く「途中」だし、まったく完成されてなんかいないのです。ちゃんと話を聞いてみると、なんだ、全然「こっち側」の人だ、と思うことがあります。

私自身も、もしかしたらだれかの目には「あっち側」にいるように映っているかもしれなくて、実際、実は私今の生活にけっこう満足していてあまり不満がありません。だけど自分が完成された世界を生きているなんてことはちっとも思っていなくて、まだまだ自分は「途中」にいる、という感覚です。そして、ゴールにたどりつくことなく、つまり高城剛になれないまま、私は死ぬと思います。

せっかく「遠くのファンタジー」に対する「近くのドキュメンタリー」をやるなら、私が今見たいドキュメンタリーって、フライデーみたいな赤裸々体験記とか今月の売り上げ大公開とかじゃなくて、まだこの人も「完成された世界」には行ってないんだ、ってところかもしれません。それともどうなの、私以外の人は「完成された世界」にいるの? 私の世界は、まだ全然完成されていません。

まとめ

というわけで、なんだかよくわからない再告知になってしまったのですが、ぜひお気軽にお越しください。あと私の電子書籍ですが、つい先日なんと紙版が登場しました。Amazonのページで「ペーパーバック」を選択すると行けます。お値段は1700円と電子版に比べるとだいぶお高めなのですが、もし電子書籍なことで敬遠していた人がいたら、この機会に手にとってもらえたら大変嬉しく思います。

旅と日常へつなげる ?インターネットで、もう疲れない。?

旅と日常へつなげる ?インターネットで、もう疲れない。?

そういう需要があるかどうかはちょっとわからないのですが、イベントに来てくれた方とはぜひ、お互いの「完成してない世界」を共有できたらいいなと思っています。

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*1:その場では5分といったのですが、よくよく考えてみるとやっぱり15分くらいあってもいいかもしれません

世界観なんて何度でも変わればいい

「ちょっと海外に行っただけで簡単に変わるくらい薄っぺらいのか、お前の世界観は」という言葉に、長らく有効な返しを思い付かないでいた。ブログには、反論を試みたもののどうも微妙なカンジで終わってしまっている屍が、いくつか横たわっている。

屍No.1「旅で世界観が変わりました」は軽薄か? 東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』
屍No.2旅好きか否かって、血液型の話みたいなものでしょう

今回は、これらの屍を乗り越えて、上記の突っ込みに対してもうちょっとマシな返しを思い付いたので書く。「この人この話何回やってんだ」と思ってもらってかまわない。私はしつこいのである。

1.

最近気が付いたのだけど、私は自分のなかに軸というものがほとんどない人間のようだ。上記のように、「あなたは不幸ね」といわれたら*1「確かに、あなたの定義に照らし合わせてみると私は不幸ということになりますね」と答える。「あなたは薄っぺらいね」といわれたら「確かに、あなたの定義に照らし合わせてみると私は薄っぺらいということになりますね」と答える。私には、それ以上のことはいえない。

注意したいのは、こういう話をもちかけられたとき*2、「しかし私自身の定義で照らし合わせてみたとき、私は不幸ではない」という反論をしないことだ。なぜならそこで反論してしまうと、「あなたの定義」と「私の定義」のどちらが正しいのかという、結局は優劣争いの話にしかならないからである。優劣争いの話をしてやってもいい、というかあえてすることもあるのだけど、そういうのは私の場合、だいたいその場の見せかけである。「私の定義によると、あなたは不幸だ」という言い方をされたとき、私はその場では、あくまで相手の定義を受け入れる。しかしもちろん、相手の定義がこちらに侵食してくることはない。そしてこちらの定義は、教えてやんない。なぜなら、「私にはあなたに見えていないものが見える」という話を、あくまで「私に見えているもの」についての話をしようとしている人にいっても、それは無駄だからだ。

2.

……という話を挟んで冒頭の話題なのだけど、私は何も、「薄っぺらい」といわれたことをずっとずっと根に持って怒っているわけではない。前述したように、私の性質に関しては「それはまあ、そうなんでしょうね」としかいいようがないからだ。では私がこの話題にしつこくこだわる理由は何かというと、怒りではなくて、「上手くいえない」ことへのフラストレーションである。ボクシングの試合にたとえるなら、試合に負けた(あるいは勝った)こと自体はもうとっくにどうでもよくなっているのだけど、ただあのときのあそこのパンチが上手く決まらなかった、ということにのみぐじぐじこだわっているのである。つまりこの文章は、だれかを殴るために書かれているのではなく、パンチを美しく決めるためだけに書かれたシャドウ・ボクシングである。相手はいない。

3.

さてようやく本題なのだけど、私はコロコロと容易に世界観が変わる人間だ。何しろ、自分のなかの軸というものをほとんど持たない人間なのだから当然である。どれくらい容易に変わるかというと、だいたい本を1冊読むとくるっと変わる。アマゾン川について書かれた本を1冊読んだら、もうアマゾン川についての知識を持たなかった自分にはもどれない。そして、アマゾン川についてほとんど何も知らない私が見る世界と、アマゾン川について多少でも知識を持っている私とが見る世界は、「ちがう」。それはもう、悲しいくらい明確に「ちがう」のだ。ただしもちろんこれは私の場合についてのみで、「アマゾン川について知らない世界」と、「アマゾン川について多少でも知識を持っている世界」とを、「同じ」と見る人がいることも知っている。そしてもちろん、どちらの見方が正しいかという話ではない。

私はだいたい月に10〜20冊くらい本を読んでいるので、毎月10冊〜20冊分くらい世界観がくるっくる変わっている。それをもう10年ほど繰り返しているから、私の世界観はまわりまわって360°を70周くらい回転しているのではないかと思う。そして今後も、回転は続く。ちなみに海外旅行では、だいたい1週間行くと本を30冊読んだことに相当するくらい世界観が変わる。30冊を多いと考えるか、少ないと考えるかは、あなた次第だ。

4.

もちろん、ここでいう「回転」というのはあくまでたとえ話ではあるのだけど、ロジェ・カイヨワが『遊びと人間』という本に書いていることは少し面白い。カイヨワは、人間が行なう〈遊び〉を4種類に分けているのだ。その4種類とは、「模擬」「眩暈」「競争」「偶然」である。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

「模擬」は、小さい子がやっている「◯◯ごっこ」を想像してみるとわかりやすい。だけどすべてを子供の遊びに限定して考える必要はなくて、たとえば、大人になって思いっきり仕事を楽しんでいるような人たちは、おそらく「競争」と「偶然」の〈遊び〉をやっているのだろうな、と思う。ちなみに私がこの4つのなかでいちばん面白いと(個人的に)思う〈遊び〉は、「眩暈」だ。

原始的な感覚でいえば、それはジェットコースターに乗って遊園地内をものすごいスピードで回転することを、あるいはコーヒーカップでハンドルをくるくるまわして遊ぶようなことを指す。だけどもう少し抽象的に考えていいのなら、それは私が上で書いたような、「世界観がめまぐるしく回転し、眩暈がする」という感覚を〈遊び〉とすることもできる。私は、回転を楽しんでいる。眩暈を楽しんでいる。そこに何か意味を見出しているのではなく、回転自体を、眩暈自体を楽しんでいるのである。だから私は、旅と読書が好きだ。何回やっても飽きないので、もう一度、もう一度、とコーヒーカップをくるくるし続けている。それははたから見たらただのマヌケだが、実際もその通りのただのマヌケである。

あなたの好きなものは何だろうか。そして、それは上記4つのなかのどの〈遊び〉だろうか。これは単なる思考実験ではあるのだけど、考えてみると面白いかもしれない。

5.

というわけで、もし「何か1つ、変わらない強固な世界観があったほうがよい」と考えている人がいたら、その人のなかで私は死滅してしまうのだが、まあそれはそれでいいと思う。私には軸がない。1つ1つが吹き飛ぶくらいに薄っぺらい。だけど、だからこそ「眩暈」という〈遊び〉が楽しめるのだ*3

それで、「あったほうがよい」「あるべきだ」と考えている人はそれはそれで真実なのでいいのだけど、「あったほうがいいのかな……?」程度に考えている人がもしいたら、一緒にくるくるの〈遊び〉をしてみませんか、と提案してみる。もしくは、私が1人で勝手にくるくるするので、その様子を近くで眺めて笑ってくれていてもいい。余談だが、最近の私は後者のスタイルのほうが好きだ。

くるくるは、楽しい。

*1:幸い、そんなことをいってくる人はいないけど

*2:幸い、そんなことをもちかけてくる人もいないけど

*3:しかしこのたとえを使うと、「軸がないと回転できない」みたいな話も可能になり、そしてそれはまた真実であるような気もするので、なんつーか、なんつーかだな。それはまた、別の機会に気が向いたら書こう。

2016年上半期に読んで面白かった本ベスト10

私は毎年年末になると「今年読んで面白かった本のまとめ」みたいなエントリを書いているのですが、今年は読んでいる本が昨年の倍くらいあるので、上半期で一度ベスト10をまとめておこうと思いました。ちなみにこれはあくまで「私が2016年上半期に読んだ本」なので、本の発売時期が2016年上半期という意味ではありません。

※2015年のまとめはこちら
aniram-czech.hatenablog.com

10 買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて/山内マリコ

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

『ここは退屈迎えに来て』の山内マリコさんのお買い物エッセイです。この手のエッセイってブランド物がずら〜っと並んでいるイメージがあって苦手だったのですが、こちらのなかには「冷え知らずさんのカレー」とか「ます寿司のピアス」とか庶民派チョイス・謎チョイスがあって面白かったです。そして読んでいて何品か「これいいな!」と思って自分で実際に買ったやつもあります。買って使ってみたら本当に良かったです。あと靴好きの女性に殺される覚悟でいうのですが、「クリスチャン・ルブタンはヤンキー」という文章にめちゃくちゃ共感しました。

9 TRANSIT 佐藤健寿特別編集号 美しき不思議な世界

「雑誌か」という突っ込みはごもっともなのですが、文章量の多い雑誌なので本としてカウントさせてほしい。TRANSITは大好きな雑誌なのですが、こちらの号はとりわけ面白かったです。写真家の佐藤健寿さんの旅を特集しているのですが、私も真似して踏破してみたいルートがいくつか。アイランドホッパーと呼ばれるユナイテッド航空の便を使って、グアムからチューク諸島、ポンペイ、そしてハワイ島へ行くやつをやってみたいです。あとはギリシャサントリーニ島からアモルゴス島、ロードス島、シミ島を通ってトルコのエフェソスに行くというルートも憧れます。

8 叫びと祈り/梓崎 優

叫びと祈り (創元推理文庫)

叫びと祈り (創元推理文庫)

これは、人に勧めてもらったミステリー小説です。海外の様々な土地を舞台に事件が起こるというオムニバス形式の短編集。私は1話目の、砂漠を行くキャラバンの話がすごい好きでした。「初めて足を踏み入れる人に見抜かれるほど、砂漠は甘くないよ」というセリフにときめきをかんじました。サハラ砂漠行きたい。ラクダに塩を運ばせたいです。砂漠に関する小説は、このあともう1冊出てきます。

7 最初に父が殺された/ルオン・ウン

最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて

最初に父が殺された―飢餓と虐殺の恐怖を越えて

昨年買って積ん読になっていた本を消化しました。カンボジアの、ポル・ポト政権を生き延びた女性の手記です。まだ幼かった著者は当時プノンペンに住んでいたのですが、ある日突然プノンペンにはいられないことになって、家族とともに農村に逃げていきます。そのとき、お母さんが著者に「これで手を拭きなさい」といってお札を差し出す場面があって、「これ、お金でしょ!」と著者は拒否するのですが、「いいのよ。もう価値なんてないんだから」とお母さんが諦めたようにいうところが衝撃的でした。そういうことがあるって頭では理解できるけど、エピソードとして読むとうわっと思います。あとは飢えすぎて頭がおかしくなる人の話とか、ブログに書くと【閲覧注意】になってしまう話がたくさんありました。

この本の著者は、ポル・ポト政権を生き延びた後アメリカに渡って、本を書いたり地雷撤去の運動を推進したりしているので、大変気概のある女性です。一方、同じく過酷な環境を生き延びた著者の姉は、あまり自分の意思がなく、弱気で臆病な女性として描かれています。姉は、ポル・ポト政権が滅びた後はカンボジア内で結婚し、ごく普通の母としての人生を歩みます。そんな姉を、著者は本のなかで「どうして姉のような人物があの過酷な環境を生き延びられたのかわからない」と評しているのですが、私はそここそにある真実味をかんじてしまいました。それは、「この世は所詮弱肉強食なんだけど、何が〈弱〉であり何が〈強〉であるかは日々変化するし、わからない」みたいなことです。

6 門/夏目漱石

門

今年は夏目漱石をたくさん読んでいて、下半期にもまた何冊か読むと思います。『門』の主人公・宗助と妻のお米は仲睦まじい夫婦なのですが、2人は一般の社会から少し距離を置いており、2人で孤独に生活しています。物語は特に大きな事件もなく進んでいくのですが、最後のほうで宗助が寺に禅修行に出向くところがあって、そこで「門」という小説のタイトルの意味がわかると、少し物悲しい気分になります。

5 思索紀行/立花隆

思索紀行 ――ぼくはこんな旅をしてきた

思索紀行 ――ぼくはこんな旅をしてきた

立花隆さんの紀行文。訪れているところは、無人島からアメリカから、イスラエル/パレスチナまで。興味深かったのはもちろんイスラエル/パレスチナのところで、なぜこの国の問題が一向に解決しないままなのか、それが〈わかりにくく〉書いてありました。わかりやすくではなく、〈わかりにくく〉、です。

物事を整理してわかりやすく書くのはそれはそれで必要なことだし、歓迎されるべきことです。だけど、イスラエルパレスチナの問題は、「わかりやすく」書いてしまうと、本質から目を逸らすことにもなってしまいます。一度は「わかりやすい」方法で理解するべきですが、そこをクリアしたら次は複雑なことを複雑なまま、〈わかりにくい〉状態で理解しなければならない。そういう手法で書かれた本です。

「この点だけは間違えないでくれ。我々は決してユダヤ人を憎んでいない。パレスチナ人の誰一人としてユダヤ人を殺しつくそうとか、海に追い落そうなどとは考えていない。我々は何百年もの間、ユダヤ人と仲良くやってきた。我々の闘っている相手は、ユダヤ人ではなくシオニストなのだ」(p308)

4 虞美人草/夏目漱石

虞美人草

虞美人草

物語としては、世話になった人の娘と婚約しているもののその娘がどうもつまらない女なので、世話人には悪いけど進歩的な別の女と結婚してーなー、と思った主人公の話です。なのですが、途中途中の文章がぞっとするくらい美しい。こんな美しい文章あるんだ、と思いました。いちばん好きなところを引用してみます。

凝る雲の底を抜いて、小一日空を傾けた雨は、大地の髄に浸み込むまで降って歇んだ。春はここに尽きる。梅に、桜に、桃に、李に、かつ散り、かつ散って、残る紅もまた夢のように散ってしまった。春に誇るものはことごとく亡ぶ。我の女は虚栄の毒を仰いで斃れた。花に相手を失った風は、いたずらに亡き人の部屋に薫り初める。

私は日本文学がちょっと苦手なのですが、例外的に漱石だけはすごく好きみたいです。

3 優雅な獲物/ポール・ボウルズ

優雅な獲物

優雅な獲物

詳しい感想は「美しい歌声をもつ者は、やがて惨たらしい死を遂げる/ポール・ボウルズ『優雅な獲物』 - チェコ好きの日記」で書いているので割愛しますが、先にあげた梓崎優さんの『叫びと祈り』と合わせて読むと面白いモロッコ砂漠文学。砂漠は美であり、孤独であり、誘惑です。モロッコ最高。

2 パレスチナ・ナウ/四方田犬彦

パレスチナ・ナウ―戦争・映画・人間

パレスチナ・ナウ―戦争・映画・人間

ハニ・アブ・アサドの『パラダイス・ナウ』からインスパイアされたタイトルだったのですねこれ(最近気が付いた)。著者のテルアビブ滞在の日々や、イスラエル/パレスチナを舞台にした映画の評論などが載っています。だけどいちばん興味深かったのは、テルアビブのロッド空港(現ベングリオン空港)で銃乱射事件を起こし逮捕された元日本赤軍のテロリスト、岡本公三レバノンまで行って訪ね、インタビューを行なっているところです。

ロッド空港乱射事件では、26人が死亡しています。

1 謎の独立国家ソマリランド/高野秀行

謎の独立国家ソマリランド

謎の独立国家ソマリランド

数年前に各所で「面白い!」と絶賛されていた本書、今更ですが読んだら本当に面白かった。そして見事高野秀行さんの魅力にハマってしまい、今はローラー作戦で片っ端から高野さんの著書を読んでいます。だから下半期は高野さん本がランキングを占拠するかもしれません……。ちなみに下半期の暫定1位は『アヘン王国潜入記』です。

ソマリランド』は、アフリカの海賊国家ソマリアをわかりやすく分析していて、ソマリランド、プントランド、南部ソマリアの3つの地域を高野さんが訪問していきます。途中、海賊を雇う見積もりを作ったりしてみているところも面白い。海賊って雇えるんだ。知りませんでした。

下半期もたくさん面白い本が読めるといいなと思います。

映画編はこちら

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くいしんのオフラインサロン「チェコ好きさんに聞くこれからのインターネットとの付き合い方」を8月6日(土)にやります

Twitterなどを通じてすでに公開しているのですが(そしてありがたいことにすでに半数くらいの席が埋まっているのですが)、8月6日(土)に『くいしんのオフラインサロン「チェコ好きさんに聞くこれからのインターネットとの付き合い方」』というイベントを開催します。申し込みはPeatixからできます。
peatix.com

「くいしんさんて……?」と思った方は、以下のエントリをよければご覧ください。くいしん(@Quishin)さんは株式会社Waseiのメンバーで、「灯台もと暮らし」編集部の方です。以前一緒に、やたらマジなツイキャスをやりました。
aniram-czech.hatenablog.com

あとは、1年前に「退屈消費と、恋愛と。〜あのブロガーたちのアタマのなか〜」でご一緒した、同じく「灯台もと暮らし」編集部の鳥井弘文(@hirofumi21)さんが今回も一緒です。少人数制なので、8月6日(土)が空いている方は、ぜひお早めにご検討ください!

みんなでしゃべるイベントです

ところで、今回やるのは「オフラインサロン」です。「オンラインサロン」は昨今よく耳にしますが、ようは何がいいたいかというと、いわゆる「サロン」のように、登壇者が一方的にしゃべるのではなくご来場いただいたみなさんにも発言してもらいますということです。「私コミュ障なんだけど……?」という方でもたぶん大丈夫。なぜなら、おそらく会場でいちばんコミュ障なのは私だからです。

何についてしゃべるのかというと、テーマは私が出した電子書籍に絡む「これからのインターネットとの付き合い方」なのですが、みんなでしゃべるイベントなので話がどこに飛んでいくかは私もさっぱり予測できません。最終的に「とりあえず、我々はディズニーシーに行ったほうがいい」みたいなどこでどうなってそうなったかよくわからない結論になったりするかもしれません。ちなみに私がディズニーシーに行ったのは約15年前です。

旅と日常へつなげる ?インターネットで、もう疲れない。?

旅と日常へつなげる ?インターネットで、もう疲れない。?

※事前に読んでいただいてもいいですが、読まなくても大丈夫です

事前に行なった打ち合わせでは、私と鳥井さんはインターネットやSNSに対してわりと距離を取りたがるほうで、くいしんさんはその逆、別に距離なんか取らなくても平気なんだそうです。くいしんさんは1985年生まれ、私は1987年生まれ、鳥井さんは1988年生まれなので、これは世代とか年代の差ではなく完全に個人の趣向なのだと思われます。

加えて、私や鳥井さんはTwitterとかの「今、◯◯で××さんたちと飲んでる!」みたいな情報をあまり欲しがらないタイプで、くいしんさんはそういう情報をも楽しめるタイプだそうです。そのため、私や鳥井さんサイドからの一方的な「SNS良くない話」にはたぶんならないと思うので、ぜひ「自分はどちらのタイプか?」というのを考えてからご来場いただくといいのではないかと思います。くいしんさんタイプの方ももちろん大歓迎です。もしいれば「チェコ好きでも鳥井さんでもくいしんさんタイプでもない」という新種の方も、同じく大歓迎です。

[トーク・ディスカッションテーマ]
・インターネットとの付き合い方(距離の取り方)
・インターネット疲れは、コミュニケーション疲れ?
・インターネットをどう捉えているのか問題
 コミュニケーションツール? 情報ツール?
・ぼくらはインターネットにもっと近づくべきなのか遠ざかるべきなのか
・有名人の雑談ツイートを読みたいか問題
・そもそもデジタルデトックスって必要なんですか?
・「インターネット(テクノロジー)と近づけ!」と叫ぶ起業家と
「インターネット(テクノロジー)と遠ざかれ!」叫ぶ作家
・「インターネットが嫌い」と書くチェコ好きさん
・「SNSへの過剰接続が息苦しい」という感覚がそもそもない byくいしん
・最強のコンテンツは好きな人からのLINEである
・他人とのズレを許容しよう
チェコさんって何に対してフルコミットする人なんですか? byくいしん

※最後の問いに対する回答はまだ考えていません!

みんなに、「面白いもの」を持ってきてほしい!

あと、これはくいしんさんと鳥井さんの確認をとらずにいうのでもしボツになったらごめんなさいなのですが、私は当日、ご来場いただくみなさんに何か1つ、「面白いもの」を持ってきてほしいと勝手に考えています。

提案者である私は何を持ってくるつもりかというと、ビンロウを持っていきたいと思っています……というのは嘘で、ビンロウは日本では厳しい輸入制限がかけられているらしく、基本的に国内では入手できません。だから実物は持っていけないのですが、「今、私がいかにビンロウを口に入れてみたいか」みたいな話はできます。ビンロウは日本以外のアジアの広い地域で親しまれている、覚醒作用のあるヤシの実の一種です。噛むと楽しい気分になれるかもしれないので噛んでみたいのです(ネットで調べると、全然楽しくないわボケという意見もあります)。発がん性があるとのことなので他人におすすめはしません。

参考:【日記/38】赤い実ちゃん|チェコ好き|note

私がなぜビンロウに興味を持ったのかというと、完全に個人ルートです。私のなか以外のどこでも流行っていません。ブルックリンにもポートランドにもありません。あるのは台湾とかの田舎です。トラック運転手のおじちゃんたちが眠気覚ましに噛んでいるようなやつなので、全然おしゃれじゃありません。

だけど私は、おしゃれなものとかはもうお腹いっぱいなんです。センスのいいものもお腹いっぱい。面白いって他人がいうもの、流行っているもの、これからブームが来るもの、そういうのは全部お腹いっぱい。ださいもの、センスの悪いもの、自分以外は面白いと思ってないもの、流行ってないもの、これからもおそらくブームは訪れないであろうもの。だけど、自分だけがめっちゃ注目していて面白いと思っているもの。ビンロウというのはあくまで例えですが、私はみんなでそういうもの(話)を持ち込んだらけっこう楽しいんじゃないかなと思いました。

※ここでされている話とも似ているかも

繰り返しますが、これはくいしんさんと鳥井さんの確認をとらずにいってます……というか、当日はお二方にもそういう意味での「面白いもの」をぜひ持ってきてほしいなと思っています。どうでしょうか(私信)。

どうなるかは当日のお楽しみ

それでは、興味を持ってくださった方はぜひご検討ください。当日お会いできるのを楽しみにしています!