チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

【メモ】大麻・アヘンの歴史

※この記事は私が見聞を集め次第、今後もアップデートを繰り返す予定です。

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大麻の歴史

年代 地域 記録
B.C.13世紀以前 インド バラモン教聖典にて大麻の使用が記述されている。医薬品として、もしくは儀式の際に使われていたもよう。中国で漢方薬として使用されていた記録も残っている。
B.C.9世紀 トルコ アンカラの古墳から大麻が出土している。薬物や繊維として、中東でも大麻が栽培されていたことが確認されている。
A.D.16世紀 イスラム インドからイスラム圏へハシシが広まったもよう。北アフリカでも喫煙習慣があったと伝えられている。
18〜19世紀 ヨーロッパ エジプトからヨーロッパへ大麻喫煙の習慣が伝わったらしい。イギリスでは上流階級も喫煙していたとか。
1873 日本 明治政府が大麻栽培を奨励。
1937 アメリカ マリファナ規制法が成立。
1948 日本 GHQにより大麻取締法が制定される。繊維利用のため栽培している農家も多かったので、国会では賛否両論だったらしい。

アヘンの歴史

年代 地域 記録
B.C.5000年頃 スイス 住居跡にケシの種が大量にあったことが確認されている。ただしドラッグとして利用されていたかはわからず、葉を食用にしていただけの可能性もある。
B.C.1550 エジプト 医薬品としての記述。鎮痛剤、頭痛薬、「子どもの泣きすぎを防ぐ薬」として利用されていた。
B.C.4〜5世紀 ギリシャ 病人治療の「神の薬」として使われていた可能性。
A.D.2世紀 ギリシャ 医学者ガレンの登場。以後、1500年にわたって西洋医学をリードすることになる。「テリアカ」という万病に効く霊薬の主成分として使われていた可能性。
7〜13世紀 アラビア地方 ローマ帝国没落後、「テリアカ」研究がアラビア地方で引き継がれる。医薬品としてだけでなくドラッグとして利用されるようになったのはこの頃からである可能性が高い。アヘンと大麻を加えた「テリアカ」常習者も現れる。
14〜17世紀 中国 唐、元の時代にすでに伝わっていた可能性もあるが、はっきりと文献の記録に現れるのは明の時代。おもな利用目的は下痢止めとしての医薬品。アヘンが医薬品としてではなくドラッグ目的で使用されだしたのは清の時代(17〜20世紀)からだと考えられている。なお、台湾ではマラリアの治療薬として活用されていた可能性も。
1804 ドイツ 薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーがモルヒネを生成。
1840〜1842 - アヘン戦争。イギリスからの輸入アヘンに対抗するため、19世紀後半から中国の山岳地帯でケシ栽培が始まる。この地域はここから目覚ましい勢いでアヘン生産を拡大していき、やがて「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるまでに発展。
1853 - モルヒネの皮下注射が開発され、合成医薬品として普及する。
1861 アメリカ 南北戦争。負傷兵にモルヒネが投与され、依存症に苦しむ兵士が増える。
1898 ドイツ 1874年に開発されたヘロインを、98年にドイツのバイエル社が発売開始。鎮痛剤として使われる。
1912 - 万国アヘン条約でモルヒネ、コカインなどとともにヘロインも規制対象になる。
1914 アメリカ 第一次世界大戦。同年、アメリカでハリソン法制定。麻薬の購入などが登録制に。
1920 スイス ジュネーブにて国際アヘン会議。大麻も規制対象へ。
1924 アメリカ メモ:禁酒法制定。1933年までアルコールの製造・販売・輸送が禁止される。フィッツジェラルドの時代!

参考文献リスト

※今後追加していきます。

ノイエ・ザハリヒカイト 社会の「不安」が生み出す文化

わくわくする、どきどきする、うきうきする! 


そんな幸せな気分が、いついかなるときも素晴らしいものを生み出すとは限らず、かえってキッチュでくだらないものを生産してしまい、カルチャーの空白地帯になることがある。反対に、倦怠、不安、恐怖、嫉妬、絶望、一般的には好ましくないとされるそれらの感情から素晴らしい文化が生まれることもあり、これは個人であっても社会であっても同じことだ。神様は、つくづくこの世を厄介に設計したものだな、と思う。


「新しい(ノイエ)即物性(ザハリヒカイト)」、もしくは「魔術的リアリズム」。後者はガルシア・マルケスの文学作品を言い表すときに使う言葉でもあるが、前者は意味的には同じでも、1920〜30年代のドイツで生まれた芸術を指すことが多いらしい。そしてその頃のドイツ、あるいは周辺国であるベルギーやオランダをとり囲んでいたのは、「わくわく・どきどき・うきうき」というよりはむしろ、倦怠や不安や絶望のほうだったといえるだろう。いや、より正確には、その両者が複雑に混ざり合ったものだった、といったほうが正しいのかもしれない。


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フランツ・ラジヴィル 『ストライキ』 1931年


「ノイエ・ザハリヒカイト」を生んだ1920〜30年代のドイツはたぶん、真っ暗な闇の中を、わずかな灯りをたよりに手探りで、しかし超高速で進んでいかねばならぬような時代だった。西欧の工業化が進み、産業は発展するも、それらはどこか自分たちの本質を置いてきぼりにしていくような不安をともなうものだった。


不安をかき消すために、人々は歴史の中で初めて手に入れた人工の灯りを街灯にともし、大都会に輝く「夜の街」を作り出した。劇場に映画館、キャバレーにナイトクラブ。イルミネーションが彩る中で、人々は酒を飲み、歌をうたい、踊って、恋をして、時代の不安をかき消した。そしてもちろん、芸術は時代のムードに呼応する。


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A・カレル・ウィリンク 『悪い知らせ』 1932年


オランダ出身のカレル・ウィリンクは、「終末と没落の画家」とよばれる。廃墟、無人の都市、SF的幻想、悪夢、ギャグ、ブラックユーモア。陰鬱なのは絵の雰囲気だけではなく、ウィリンク自身の人生にも多分にそういうところがあったようで、絵のモデルにもしていた三番目の夫人が麻薬絡みの事件に関与し、惨死体で発見されたりしている。


この人の絵を観ているとすごく不安になるし、とてもじゃないが「いい気分」にはなれない。でも、吸い込まれるような魅力があって、ついずっとずっと眺めてしまう。まさしく、不安の時代が生んだ芸術家だ。ウィリンクがこの年代のオランダに生きていなかったらどんな作品を作っていたんだろうという疑問もわいてくるけれど、歴史に「もしも」は不要である。


明るかろうが暗かろうが、幸せだろうが絶望していようが、自由の身であろうが監獄の中であろうが、どんな環境であれ人間はおそろしいほどのクリエイティビティを発揮してしまう。明るくって、幸せなものだけが人を動かすわけではない。ノイエ・ザハリヒカイトやシュルレアリスム魔術的リアリズムの作品群を私が好きなのは、「どんな環境だって面白がってやるよ」という挑発を根底に垣間見るからかもしれない。


ところで、今って、「幸せに向かう明るい時代」なのか、「絶望に向かう不安な時代」なのか、どっちだろうな。前者のような気もするし、後者のような気もする。100年後に、今の時代に登場した作品を批評家たちが分析して、初めて答えがわかるのだろう。リアルタイムではよくわからなかったりする。たぶんそこまで生きられないし、生きたくもないけれど、答えが出るのが今からとっても楽しみだ。

3時33分と4時44分と『偶然性と運命』

少し前、友人たちと、「私たちはSNSがなかったら今頃どこで何をやってたんだろうか……」という話をしていた。私は今の仕事をSNS上のつながりの中で偶然に見つけているし、友人たちも似たようなものである。私においては、暇を見つけてはインターネットとSNSの有害性や空虚性を説いて文句ばっかり垂れているが、それはそれとして、恩恵のほうはがっつりと受けまくっているのであった。自己矛盾が甚だしいが、それはそれ、これはこれ、ということにしておきたい。

回顧的錯覚


「偶然の積み重ねによって、ある方向に導かれていく」という感覚を、体験したことのある人は少なくないだろう。はじめからねらってこの場所に来たわけではない。さまざまな人、ものとの偶然の接触があって、自分はそれらに導かれ、「たまたま」この場所へ来てしまったのだ、という感覚だ。逆に言うと、あのときふとした思いつきでアレをやっていなかったら、あのときSNSであの人のコメントを見逃していたら、あのとき雨宿りに入った本屋であの本に出会わなかったら、今の自分はなかった──という、綱渡りのような経験もあるはずで、そのときのことを振り返っては少しヒヤッとして、やはり不思議な気持ちになる。


この類の、ある種の運命的な「偶然」はなんなのだろう? と疑問に思った人はけっこういたらしい。スピノザやカント、ヘーゲルもこの疑問に言及している。ただし、理性を重視する近代哲学においては、「偶然」なんていう曖昧なもんはいずれにしろ信用ならなかったみたいだ。スピノザもカントもヘーゲルも、みんなそろって、「偶然」や「運命」などの概念に対して「バッカじゃねーの」みたいなコメントを残している*1


個人的には、こういった「あのときのアレがなかったら……」という感覚は、「回顧的錯覚」ってやつなんじゃないかと思っている。「回顧的錯覚」は、現状にそこそこでも満足していると生まれる。今に満足しているから、今が上手く行っているから、今に至るまでの積み重ねの一つ一つを肯定することができる。逆に、私の場合で言えば、もしもインターネットやSNSによって導かれた「今」に満足できていなかったら、ここに至るまでの一つ一つの過程や、偶然の不思議さに思いを馳せることもなかっただろう。「過去は変えることはできないけれど、今と未来は変えることができる」とはよく言うが、なんてことはない、過去だって変えられるのだ。人間は事実なんて見ちゃいない。あるのは解釈だけだ。そういう意味では、アレもコレも全部錯覚なんだから、スピノザやカントやヘーゲルが言う「バッカじゃねーの」も、まあまあ同意できる。


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麻雀をきっかけに生まれた『偶然性と運命』


木田元さんがこの「あのときのアレがなかったら問題」について考察しているのが、『偶然性と運命』という本だ。なんでもこの本、書かれたきっかけは木田さんが熱中していた麻雀だったらしい。親近感のわく動機だ。


偶然性と運命 (岩波新書)

偶然性と運命 (岩波新書)


勝負事をする人間にとっては、〈運〉は非常に重要なファクターである。ツイているときには、統計的には絶対にありえないような牌の組み合わせが、次々に起こるらしい。この〈運〉をコントロールできはしまいかと考えた末に生まれたのが本書だったらしいのだけど、結論から言うと、〈運〉をコントロールすることはできない。木田さんいわく、心身の調子を整えるといいセンは行くらしいが、限界はあって、やっぱりダメなときは何をしてもダメらしい。まあでも、いいセンは行くのだから、調子が悪いときは体に良いものを食べて早く寝るとか、部屋を掃除するとか、いらないものを捨てるとか、そういうのってバカにせずにやったほうがいいんだろう。


この問題をもっと本格的に考えるとしたら、たぶん九鬼周造とか読まなきゃいけないし、『偶然性と運命』自体がふわっとしているわりに難しい本なので、結論めいたことを言うことはできない。ただ、そういう非科学的なものをバカにしそうな経営者とか政治家に意外と占いを信じている人がいたり、神社に熱心にお参りする人がいたりすることの説明は、なんとなくこれでつくのではないかという気がしてきた。


夜中にふと目が覚めて時計を見ると、3時33分だったり4時44分だったりすることが私にはよくある。こういう現象には、呪われている説とラッキーの前触れ説と、両方あるらしい。ただこれも「回顧的錯覚」の一種で、ようするに、ゾロ目で並んだ数字は印象に残りやすいっていうだけの話なんじゃないかと思っている。3時33分にも4時44分にも、それ自体には特に意味はない。あるのは解釈だ。


経営者や政治家で占いに頼る人が少なくないのは、これから起きることの意味付けをしやすくするためだろう。起きたことに対して、「これはあのとき言われたあのことじゃないか」と解釈することで、ただの偶然は運命になる。3時33分は呪いか、あるいはラッキーの前触れになる。神社でお参りをすることで、起きたことに対して感謝の気持ちが起きやすくなり、4時44分もまた、呪いか、あるいはラッキーの前触れになる。


だから、もしも「運を良くする方法」なんてものがあるとしたら、「起きたことをすべてポジティブに解釈する」なんていうのがバカバカしいけどいちばん有効なんじゃないかと思う。ポジティブなことなんて全然起きないよ! という場合でも、この世には「人間万事塞翁が馬」という素敵な言葉があるから大丈夫だ。人の死に関わるようなあまりにも重い不運はさすがに難しいが、骨折したとか財布をなくしたとかいうレベルだったら、いくらでもポジティブに解釈できる。


いちばん抜け出したほうがいいと思われるのは、「良いことも悪いことも何も起きない」という状況だ。解釈するためのネタがあって初めて、呪いもラッキーも生まれる。ネタさえあったら解釈の幅はいくらでも広げられる。


そういう意味では、偶然性も運命もその人の脳内にしかない完全な主観だから、やっぱり幽霊みたいなものなんだろうなと私は思う。

*1:木田元『偶然性と運命』p49

新しいことを始めるのに、恐怖心は捨てなくていい

何かしらのカルチャーにそれなりの造詣がある者にとって、「1968年」という年について語る際、ネタに事欠くことはない。


私にとってはまず、ワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキアへの侵攻である。他にも、全共闘運動が日本の主要大学を活動停止に追い込んだり、アメリカでキング牧師が殺されたり、フランスで五月革命が起こったり、あるいはスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』を公開したり、フィリップ・K・ディックが『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を発表したり、『ホール・アース・カタログ』が創刊されたり、あとは鈴木清順が日活を解雇されたりと、後の年代に生きる者からすると「そんなにいっぺんにやらなくても」という感じである。

暮らしかたという病。シアーズカタログに見る、暮らしをカタログ化する欲望 | hirakuogura.com
(※『ホール・アース・カタログ』については小倉ヒラクさんのブログを読むと面白いよ!)


それで、これは後から知ったのだけど、1968年といえばカルロス・カスタネダが『呪術師と私』を刊行した年でもある。カスタネダについては実在を疑う声もあるようだが、一応、ブラジルで生まれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学んだ人類学者だということになっているらしい。そのカスタネダが、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンの教えのもと、幻覚誘発植物を使って不可思議な世界を旅するというのが、『呪術師と私』の内容である。


呪術師と私―ドン・ファンの教え

呪術師と私―ドン・ファンの教え


この本における「幻覚誘発植物」とは、ペヨーテ、ダツラ、キノコ。この手の植物は出てくる本によって呼び名がちがったりするので、以前読んだ別の本に登場していて「あああ、あれか〜〜!!!」とかなると個人的に大興奮である。

ペヨーテはメスカリト、もしくはウバタマサボテン。ダツラはキチガイナスビ、マンダラゲ、あるいはチョウセンアサガオとも呼ばれる。キノコはよくわからん。ていうか、「キチガイナスビ」って呼び名やばくないです??? ちなみに、『ワセダ三畳青春記』で著者の高野秀行さんが柿の種のごとくボリボリ食べていたのがこのチョウセンアサガオである。


ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)

ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)


1968年、時代はヒッピーカルチャーの全盛期だ。そんな中、カスタネダの『呪術師と私』は世界的なヒットをはたし、カウンター・カルチャーに大きな影響をあたえた。幻覚誘発植物を使った訓練をし、知者になることを目指す。日常のリアリティを離れ、もう1つのリアリティ、「セパレート・リアリティ」を手に入れる。んもう怪しさムンムンの桜満開だけど、いいの。面白いから……。


でも、本当のネイティブ・アメリカンからすると、白人たちを中心に広がったペヨーテ(幻覚サボテン)の使用法は間違っているという。ネイティブ・アメリカンにとってペヨーテは「薬(メディスン)」であり、「スピリットを高めるもの」であり、「ドラッグ」ではないのだ。


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で、あれ、何の話をしたかったんだっけ。


とにかく、『呪術師と私』は8割くらい差っぴいて斜め読みするくらいでちょうどいいだろう。カスタネダは、ペヨーテやダツラやキノコの力を使って、セパレート・リアリティに入る。そしてそこで、知者になることを目指すのだ(う、胡散臭え〜〜)。


しかし8割差っぴくとしても、カスタネダが知者への道を歩む過程はけっこう興味深いし、汎用性もあるような気がする。幻覚誘発植物なんて一切関係ない私たちにとっても、だ。


知者の道を歩む者は、

①注意を払わねばならない
②恐怖心を持たねばならない
③しっかり目覚めていなければならない
④自信を持たねばならない


と、カスタネダは語る。新しい道を歩むと決めたとき、恐怖心なんか持つなと言われそうだが、恐怖心は持っていていいのだ。カスタネダドン・ファンに、「恐ろしいか?」とたずねられ「本当に恐ろしい」と答えている*1。恐れていることを意識し、その感覚を正しく評価しろ、とドン・ファンは語る。


私なりに解釈すると、たぶんだけど、恐ろしいと思っているものに対して、一度、一瞬だけでもいいからおっかなびっくりタッチしてみて、でもその後はすぐにダッシュで逃げていい。しかしダッシュで逃げた後、必ずもう一度タッチしにくること。タッチとダッシュを繰り返していたら、いつか恐怖は克服できる。


まあ、カスタネダの本は地下鉄サリン事件に関わったオウム真理教の信者の家にあったとかなかったとかいう話があるので、克服する恐怖の種類によっては良からぬ事態を招く可能性があるが、きっとこのブログを読んでいる人であれば心配はないだろう。とりあえず、今、私が良からぬ事件を起こして逮捕されたら、本棚からカスタネダの本を引っ張り出されて「猟奇的殺人事件で逮捕された噂のブロガー・チェコ好きは精神世界に傾倒していた!」とかNAVERまとめにまとめられかねないので、私は今日も品行方正な社会人として振るまわなければならない。


そんなわけで、あけましておめでとうございます。2018年、何か新しいことを始めたい人のヒントになれば幸いです。

*1:p72

お金と時間。私らしくないことを、する。

1.お金と時間。

今年に入ってからというもの、私は、「ああ〜お金と時間が自由だなあ」と感じることが多々あり、すごく解放感を覚えていた。


というと、私のおおよその収入や勤務形態を把握できそうな近しい間柄の人たちに「いや、アンタそんなに稼いでないでしょうよ! 時間だってけっこう縛られてるでしょうよ!」とツッコミを入れられそうだけど、もちろん、これはあくまで主観の話である。


ただ、私はよく「もし、今4億円手に入ったらどうする?」というアホな妄想をするのだけど、たぶん4億円が手に入っても、私は今と変わらない生活を送ると思う。い、家だけ、もうちょっと都心に引っ越そうかな。でも今の家は今の家で気に入っているし、ほんと、それくらいだ。お仕事は今、複数かけ持ちしているけど、ぜんぶ面白いからやってる or お仕事を通して会いたい人がいるからやってるのであって、4億円手に入ったところでそれらを手放す理由はないのだった。4億円手に入っても今とそんなに生活変えない=(持ってないけど)4億円持ってるのと同じ=自由! というロジックである。


しかし、だからといって私が今の生活に満足しているかというと、全然満足できていない。よく自己啓発界隈の怪しいセミナーで「好きなことを仕事に! お金と時間の自由をあなたに!」みたいなやつがあるけど、好きなことを仕事にできても、(主観とはいえ)お金と時間の自由が手に入っても、所詮こんなもんだ。お金と時間の自由は、私の理想の生活において、必要条件ではあるけど十分条件ではないのだった。あんまり「圧倒的成長!」みたいなことを言うと気持ち悪いけど、もっともっと自分自身のレベルを上げていかないと、お金がいくらあったって時間がいくらあったって全然楽しくないのだった。


「お前ごときが、ふてぶてしい……!」と思われるかもしれないけど、今年はずっとそんなことを考えていた。まあ、こういうことを感じるのは、元来私に物欲というものが著しく欠如していることもおおいに関係はしていると思う。相変わらず、本と旅行以外に使い道が思い浮かばない。服や化粧品もそれなりに好きだけど、私は「家に使っていないものがある」とか「まだ使えるのに捨てる」とかがものすごく嫌なので、こっちもそんなに過剰に増やせない。あと、これは人としてダメだと思うのでむしろ改善しようとしているのだけど、美味しい食べ物に興味がない。興味は、持とう!


あと、ガチなお金の話をすると、みんな、歯医者に行ったほうがいいよ! 歯は、虫歯が進行すればするほど健康を害すしお金がかかりまくるので、予防したり初期段階で治したりしたほうが絶対にいいよ! 私は、危うくめちゃめちゃお金がかかるところだったのを滑り込みセーフで治したので、「危機一髪!」と思いました。予防歯科の重要性を説くブロガーに転向しようかな?

2.私らしくないことを、する。

誰かが昔*1「いつものその人らしくないことをしているとき、その人のセクシーさがにじみ出る」ということを言っていた。

セクシー路線を歩みたいグラビアアイドルの卵である私は「なるほど」と思い、2017年はそんなわけで、「私らしくないこと」をけっこうたくさん頑張った1年になったかなと今振り返っている。たとえば、これは始めたの自体は2016年だったけど、格闘技はその一例といえるかもしれない。


aniram-czech.hatenablog.com

身辺雑記的なことを書くと、2016年、私は1月に前の会社を退職し、2月から3月にかけて中東へ旅行し、その旅行中にTwitter上のご縁から次の職場のアテを見つけ、5月からそちらの職場でお世話になり始め、11月にバリ島へ旅行し、12月に引っ越し……となんかわたわたしていたのだけど、2017年は私の脳が「じっとしてたい〜〜〜!」と申していたので、けっこうじっとしていた。2016年ははるばるイスラエルまで行ったのに、2017年は、なんと、関東地方から出なかった……! いちばんの遠出で静岡とかな気がする。静岡県、地味に好きなんですよね*2。あと職場や居住地をコロコロ変えるのも実のところそんなに好きではないので(前の職場5年勤めたしな)、今年はもちろん転職・引っ越し等もしておりません。


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ただ、あくまで旅行に関していうのであれば、半年前くらいに「飽きた」と書いたのだけど、やっぱり私は定期的に外国に行かないと、どうも脳細胞が死ぬらしい。多動症だとか、いてもたってもいられなくなる! という感じでは全然ないのだけど、むしろ根本は「え〜外行くのめんどくさ〜い」みたいなタイプだから半径1キロ内で生活しろとか言われても全然余裕なんだけど、それが快適であるだけに、たまには嫌がる体を無理に引きずってでも遠方に行かないと、静かに、でも確実に、脳細胞がプチプチ死んでいくようである。カラーだった日常の光景が、徐々に色あせてセピアになり、気がつくとモノクロになっているような。おそろしいのは、本人はモノクロになっていることに気づかず、まるで世界が最初からそうで今後も永遠にそうなのではないかと錯覚してしまうことである。……みたいな危機を感じたので、来年は、またどこかに出かけると思う。


下のヤマザキマリさん『世界の果てまで漫画描き*3』のエピソード、すごく共感してしまった。 わ、わかる〜! 旅行前の私は30%のワクワクと、70%の「めんどくせえ」でできているのだ。


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そんな感じで、来年もよろしくお願いします! みんな、歯医者に行こう。

*1:本当に誰だったか忘れた。身近な人なのか著名人だったのかも忘れた。すみません

*2:静岡県は関東地方じゃないが、近場という意味で。

*3:1巻が今、無料だった! 世界の果てでも漫画描き【期間限定無料】 1 キューバ編 (マーガレットコミックスDIGITAL)