チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

「面白い人」論。

「面白い人になりたい」「面白い人に会いたい」。

今日も風に吹かれ、どこからともなくそんな声が聞こえてくる。いや、何を隠そう、私自身がそう思っているところがあるのだけど……。


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しかし、「面白い人になりたい」なんてことをあんまり大声で言ってしまうと、「私自身はたいして面白くない人なんです」と街を宣伝カーでまわりながら言いふらすのと同じである。


よって、今回はできるだけひそひそ声でしゃべるつもり*1なのだけど、ご注意いただきたいのは、以下はあくまで「現時点の私の考察断片」であり、まだ考え途中だということだ。なので小穴も中穴も大穴もあり、ツッコミは大歓迎。「面白い人とつながりたい」じゃなくて、自ら「面白い」をクリエイトするんだよ〜〜! などなど、各人の「面白い人論」を私は今後もたくさん聞いていきたいと思っている。


(※ちなみにこういう話を公の場でするとき、「じゃあお前自身はどうなんだ」という罵声が飛んできそうで怖いのだけど、自分自身のことをいちいち神妙な顔して振り返っていたら話が前に進まないので、以下はすべて自分のことは思いっきり棚に上げて考えております。私は透明人間デス。)

〈目次〉
1.「面白い」と「人間的魅力」は別、論。
2.「面白い」はいかにして獲得できるのか、論。
  ①レアな経験を積んでいる
  ②何かに異常に詳しい
3.レアな経験を積んでも何かに異常に詳しくなってもそれだけじゃ面白くなれない、論。
4.まとめ

1.「面白い」と「人間的魅力」は別、論。

まず前提として、今回の考察における「面白い」とは、その人の発言や発信が仲間内だけでなく、わりと広く、見ず知らずの人にまでウケる(現時点ではそれほどウケていなくても、今後ウケる可能性がある)的な意味で使っている。つまり、その人のことを個人的にはまったく知らなくても、その人の話を「なるほど」と思って聞く人が多いかどうか。松本人志村上春樹の言うことは誰が聞いてもそこそこ面白いけれど、とある中学校の人気者・田中くんが行なう「山田先生のモノマネ」は、山田先生を知らない人が見ても何も面白くない。今回の考察における「面白い人」とは、松本人志村上春樹のことであり、田中くんのことではない。


では、とある中学校の人気者・田中くんの面白さは何なのかというと、今回の考察ではそれを「面白い」ではなく「人間的魅力」と表現することにした。田中くんがクラスのみんなを笑わせることができるのは、田中くんのモノマネの技術の高さというよりはむしろ、彼の普段のコミュニケーション能力や、空気を読む巧さや、意外なところで見せる気遣いや、容姿によるもののほうが大きいはずである。このように、今回の考察では、「面白い」と「人間的魅力」は別のジャンルとして扱う。


表にすると、以下の4種類の人間がいるイメージだ。

面白い 面白くない
人間的魅力がある
人間的魅力がない


①の「面白くて、かつ人間的魅力もある人」は言わずもがな、いちばん人気者でいちばん憧れの存在だ。彼/彼女は言ってることもやってることも面白い上、イケメンだったり美人だったりし、さらに仕事きっちり性格も良い*2。ただレアケースではあると思うけど、こういう人に限ってサイコパスが潜んでいたりすることもなくはないらしい。私はよく「みんなに好かれるようなやつは嫌いだよ……!」とか陰で言っていたりするのだけど、「こいつ好かんわ〜」と思ってた人に実際に会ってみると本当にいい人で前言撤回、うっかり好きになってしまったりする。どうしてそんなに人間ができているの?


②の「面白くはないが、人間的魅力はある人」は、あなたの身近にもけっこういるのではないかと思う。家族や恋人や古い友人などのことを頭に思い浮かべてもらうと、彼/彼女は父母兄弟パートナー友人としては素敵な人だしたくさん笑わせてくれるけど、この人の発言や発信が広く注目を集められるかというとそれは違うかなってケースがあるはず。そういう人がこの区画にいるイメージ。特に芸で身を立てる(?)つもりがないのであれば、正直①より②の人のほうが幸せそうでもある。前述の「とある中学校の人気者・田中くん」はここに入っている。


③は、「面白いけど、人間的魅力はない人」。私には「この人の書いている文章は面白いと思うし好きだけど、個人的には一切関わりを持ちたくない」と思っている書き手が何人かいるのだけど(すべて男性の著述家)、そういう人がここに入るイメージ。敵は多そうだが、とにかく面白いのでなんとかなる。個人的な関わりを持たなければ被害はないので、今後も面白い発信を続けてください(私は何様なんだ)。当然、最初は①だと思って親しくしていた人が、関わりが深くなるうちに③に変わり、絶交に至るみたいなケースもあるだろう。


④の「面白くもないし、人間的魅力もない人」。ここで具体的な人物を思い浮かべてしまうとめちゃくちゃ角が立つので、あえて飛ばしましょう。でももちろん、「人間的魅力」は「面白い」以上に多様だから、本当の意味で人間的魅力がない人なんて誰もいないんですけどね。と、いい人ぶったコメントを付け加えておく。


「面白い人に会いたい」とあなたや私が言うとき、④はとりあえず除外するとして、①〜③のどのカテゴリの人のことを言っているのか? ということは少し立ち止まって考えてみてもいいのではないかと思う。まあだいたいは①を指しているんだろうけど、恋人募集中の女の子が「話が面白い人がいいなあ」とか言ってたりするときは②の人のことを指してるんだろうし、逆に「人柄とかはどうでもいいんだよ、とにかく面白いヤツ!!!」などと言う猛者は③の人に会えるといいですね。


あと、②の人の面白さを見出して①の人にプロデュースする、という道もなくはない。もしくは④の人を③になるようプロデュースするとか(こちらはだいぶしんどそうだ)。あと自分が「面白い人になりたい」というときも、④は除外するとして、①〜③のどれのことを指していて、かつその程度はいかほどなのか、念頭に置くべきだろう。


もちろん、上記の分類はあくまで主観的判断に基づくものなので、私にとっては①である人がある人にとっては②だったり、私にとっては③の人がある人にとっては①だったりもする。そして「私」の中でも、①が③になったり②が④になったり、人はこの4つの区画を常に流動的に動いている。「面白い人」を考えることの難しさは、万人にとって面白い人は存在せず、かつ個人にとっての面白い人も変化や入れ替わりをたえず繰り返している点にあるといえるだろう。

2.「面白い」はいかにして獲得できるのか、論。

さてここまでは前哨戦、本題はここからである。先に説明したように、今回の考察における「面白い」とは、仲間内の人間を笑わせることができるという意味ではなく、仲間はもちろん見ず知らずの人にまで広く自分の発信を届けることができる的な意味を念頭に置いている。発信を広く届けるには、その発信の観点が目新しかったり、独自であったり、あるいは痒いところに手が届くような繊細さを持っていたりしなければならない。


で、問題になるのは、いかにしてその「目新しさ」や「独自性」や「繊細さ」は獲得できるのか、という点である。この問題において、私は以下の2つをとりあえずの方法としてあげておく。自分が「面白い人」になりたい場合も、あるいは誰かを「面白い人」に仕立てあげたい場合も、以下の2つを持っているか、今後できるか、掘り出せるかが、さしあたってのポイントになるだろう。

①レアな経験を積んでいる

これは、もっとも早くわかりやすく「面白い人」になるための材料だ。「世界一周をする」「銀座ホステスNo.1になる」「バンジージャンプをやったことがある」みたいな派手でポジティブなものから、「30年間毎日富士山の写真を撮り続けている」みたいなちょっと地味なもの、「借金1000万円を返済したことがある」みたいなネガティブスタートのもの、いろいろあるけれど、とにかく「多くの人がなかなかしていない経験」を1つでも積んでいると「面白い人」になれそう。あとこれの亜種として、「けん玉がめちゃくちゃ上手い」みたいなレアな特技を持っているのもアリだと思う。

性善説ならぬ「性おもしろ説」をとるならば、誰だって1つくらいはレアな経験をしているはずなので、それを掘り起こせ、ということになる。

②何かに異常に詳しい

ウィスキーに異常に詳しい、マンガに異常に詳しい、歌舞伎町の裏事情に異常に詳しい、などなど何かの事柄に関する膨大な知識がある。もしくは、大学の先生のように、何かに関する専門的な知識を持っている。知識を身に付けるにはどんなに頑張ってもそれなりの年月を要するはずなので、「世界一周に行ってきたよ!」で済む①に比べると少々ハードルが高い場合があるが、一度のぼりつめたらそうそう他の人に追い抜かれないというメリットもある。

誰だって1つくらいはレアな経験を積んでいるものだが、誰だって1つくらいは異常に詳しい分野があるか? というとそんなことはないので、こちらを掘り起こすのはちょっと難しそうだ。ただ楽観的に考えると、「異常に詳しい」まで行かなくても「他の人よりちょっとだけ詳しい」くらいで意外となんとかなるような気もする。

3.レアな経験を積んでも何かに異常に詳しくなってもそれだけじゃ面白くなれない、論。

はい、というわけで、「面白い人」になりたい人は、①レアな経験を積むか、②何かに異常に詳しくなりましょうね。頑張ろう解散〜〜!


という話で終わりにしてもいいのだけど、①や②を盛れば盛るほど「面白い人」になれるのかというと、そういうわけでもないな〜って気がする。ものすごいレアな経験を積んでいるのにありきたりな意見しか言えない人もいるし、そんなに珍しい経験をしているわけじゃないのに洞察がめちゃくちゃ鋭い人もいる。それに、もし「面白い」が①や②だけで作れるものなら、理論的には経験や知識を積み重ねた年長者に面白い人が多くなるはずである。が、周知のように、実際はそうではない。経験や知識を積んでいるにも関わらずあまり面白くない人、そんなに珍しい経験をしているわけじゃないのに面白い人。両者の差はいったいどこにあるのだろうか?


実をいうと、この問いに対する答えは私自身がまだ見つけられていない。だからこんな考察をわざわざ書いている、ともいえる。したがって、以下は「レアな経験をたくさんしているはずなのにあんまり面白くない人」と、「そんなに珍しい経験をしているわけじゃないのにすごく面白い人」の差を作り出しているものの、私なりの【仮説】である。

アウトプット量

たとえば、今日あなたが初めて、自分の部屋に飾る用に、近所の花屋でバラを買ってみたとする。「近所の花屋」に行ったのも初めてだし、そもそも誰かへのプレゼントではなく、自分のために花を買うのも初めてだったとする。しかし、あなたにとっては初めてづくしでも、正直「近所の花屋でバラを買う」のはありふれているし、それ自体は珍しい経験ではまったくない。


でも、「面白い人」は、それでもその体験を、文章なり詩なり音楽なり絵なりにして、アウトプットするのだと思う。「近所の花屋」は「エキュート品川の青◯フラワーマーケット*3」とどこがどのように違っていたか。誰かへのプレゼントとして花を買うのと、自分の部屋に飾る用として花を買うのとでは、自分の気持ちはどのように違う動きをするか。


当然ながら、「近所の花屋で初めてバラを買った話」よりも、「人生で初めてメキシコシティに行ってみた話」とかのほうが人目を引くし、自分としても気持ちの動きが大きいはずだから、言いたいことや書きたいことがたくさん出てくるだろう。だからさっきの話で出した「レアな経験を積む」というのも、もちろん意味がないわけではない。


だけど、「メキシコシティグアテマラに行ってみたけど遊んで写真をちょいちょい撮っただけで他は何もしなかった人」と、「近所の花屋で初めてバラを買った」「初めて映画を1日5本ぶっ続けで観た」みたいな体験を毎日細かく細かくアウトプットしている人とだと、おそらく後者のほうがのちのち「面白い人」になる確率が高いのではないかと私は思う。ただ、珍しくもなく特に変化もない日々の出来事から何かをアウトプットし続けるのは凡人にとって至難の技なので、「レアな経験を積んじゃったほうが手っ取り早い」ということは言えそうだ。近所の花屋でバラを買ったくらいじゃあまり気持ちが動かない人はいるだろうが、さすがにメキシコシティグアテマラに行って心が何も動かないという日本人はあまりいないだろう。

4. まとめ

「月に1度、何か新しいことをする機会を持とう」なんて言う人がたまにいるけれど、これはたぶん本当だ。ルーティンに陥りがちな凡人は、月に1度でも何か新しいことをする機会を意識して持たないと、気持ちが動く回路が死んでしまう。いや、気持ちが動く回路というと語弊があるかもしれないので、「差異を見つける回路」と言い直しましょうか……。先月の自分と今月の自分。昨日の世界と今日の世界。それらを構成しているものの、違いは何か。


「新しいこと」は、あくまで「自分にとって新しいこと」であればよい。まあ、それが「多くの人にとって新しいこと」でもあればより手っ取り早いという事情はあるんだけれど、だから「近所の花屋で初めてバラを買う」とかで全然いいのだ。昨日の自分と違うことをする。それによって動く自分の思考や心を観察してアウトプットする。昨日を構成していた世界と、今日を構成している世界に、線を引く。それを積み重ねた人が、「面白い人」になれるのではないかと思う。


ところで、エッセイストの宮田珠己さんは、「何かあったことを書くのは簡単だけど、何もないことをどう書くかということが必要」と以下のインタビューで語っている。そう、「メキシコシティグアテマラに行った話」は誰であってもけっこう面白く書けると思うんだけど、「新幹線で食べた駅弁の卵焼きが美味しかった話」を面白く書くのはかなり難しい。腕が問われるのは後者だ。


www.marunage.co.jp


なので、「特別なことである必要はない。あなたにとっての"新しいこと"を積み重ねて、それを丁寧にアウトプットし続ければいいんだよ」という一見優しめの結論を今回は出したのだけど、自分の感性にあまり自信がない人は、やっぱりメキシコシティグアテマラに行っちゃったほうが早いよな、とは思う。今回は透明人間に徹している私だけど、最後にちょっとだけ顔を出させてもらうと、私自身はすごく普通だし、自分はたいした感性を持っていないと思う。日々を丁寧に紡ぐ……みたいなのはたぶんどちらかというと苦手なほうだ。だから、新幹線で卵焼き食べるよりはメキシコシティに行ったほうがいいかなと思う。でも、メキシコシティより新幹線で卵焼き食べるほうが「気持ちの動き」が大きいって人もいると思うので、ここはやっぱり人それぞれではある。つまり、

「自分の心は何をすることによってより大きく動くのか?」

ということを把握している必要がある。心が動かないとアウトプットはできないし、できても内容が薄いものになってしまう。ある意味、①レアな経験を積む②何かに異常に詳しくなる、なんてことよりも、自分の心の動きを把握するほうが難易度が高い。しかし、それさえわかっていれば、あとはインプットとアウトプットを繰り返すだけだ。


最後に。前半のほうで少し書いてはいるが、私は、「面白い人」よりも、「人間的魅力のある人」のほうが全体的な幸せ度は高いと思っている。面白い人はそれはそれで気苦労が多いのだ。よって、全員が面白くなる必要はまったくない。今回の考察はあくまで「面白い人に会いたい」「(自分が)面白い人になりたい」と思っている人へ向けた文章であることを、もう一度言い添えて筆を置く。

*1:そのわりには字数が多いけどな

*2:ちなみに、容姿があまりにも優れすぎていて身内に好かれる範疇を飛びこえている、という意味で石原さとみなどの芸能人は①に入る

*3:私がよく利用するので

【メモ】大麻・アヘンの歴史

※この記事は私が見聞を集め次第、今後もアップデートを繰り返す予定です。

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大麻の歴史

年代 地域 記録
B.C.13世紀以前 インド バラモン教聖典にて大麻の使用が記述されている。医薬品として、もしくは儀式の際に使われていたもよう。中国で漢方薬として使用されていた記録も残っている。
B.C.9世紀 トルコ アンカラの古墳から大麻が出土している。薬物や繊維として、中東でも大麻が栽培されていたことが確認されている。
A.D.16世紀 イスラム インドからイスラム圏へハシシが広まったもよう。北アフリカでも喫煙習慣があったと伝えられている。
18〜19世紀 ヨーロッパ エジプトからヨーロッパへ大麻喫煙の習慣が伝わったらしい。イギリスでは上流階級も喫煙していたとか。
1873 日本 明治政府が大麻栽培を奨励。
1937 アメリカ マリファナ規制法が成立。
1948 日本 GHQにより大麻取締法が制定される。繊維利用のため栽培している農家も多かったので、国会では賛否両論だったらしい。

アヘンの歴史

年代 地域 記録
B.C.5000年頃 スイス 住居跡にケシの種が大量にあったことが確認されている。ただしドラッグとして利用されていたかはわからず、葉を食用にしていただけの可能性もある。
B.C.1550 エジプト 医薬品としての記述。鎮痛剤、頭痛薬、「子どもの泣きすぎを防ぐ薬」として利用されていた。
B.C.4〜5世紀 ギリシャ 病人治療の「神の薬」として使われていた可能性。
A.D.2世紀 ギリシャ 医学者ガレンの登場。以後、1500年にわたって西洋医学をリードすることになる。「テリアカ」という万病に効く霊薬の主成分として使われていた可能性。
7〜13世紀 アラビア地方 ローマ帝国没落後、「テリアカ」研究がアラビア地方で引き継がれる。医薬品としてだけでなくドラッグとして利用されるようになったのはこの頃からである可能性が高い。アヘンと大麻を加えた「テリアカ」常習者も現れる。
14〜17世紀 中国 唐、元の時代にすでに伝わっていた可能性もあるが、はっきりと文献の記録に現れるのは明の時代。おもな利用目的は下痢止めとしての医薬品。アヘンが医薬品としてではなくドラッグ目的で使用されだしたのは清の時代(17〜20世紀)からだと考えられている。なお、台湾ではマラリアの治療薬として活用されていた可能性も。
1804 ドイツ 薬剤師フリードリヒ・ゼルチュルナーがモルヒネを生成。
1840〜1842 - アヘン戦争。イギリスからの輸入アヘンに対抗するため、19世紀後半から中国の山岳地帯でケシ栽培が始まる。この地域はここから目覚ましい勢いでアヘン生産を拡大していき、やがて「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるまでに発展。
1853 - モルヒネの皮下注射が開発され、合成医薬品として普及する。
1861 アメリカ 南北戦争。負傷兵にモルヒネが投与され、依存症に苦しむ兵士が増える。
1898 ドイツ 1874年に開発されたヘロインを、98年にドイツのバイエル社が発売開始。鎮痛剤として使われる。
1912 - 万国アヘン条約でモルヒネ、コカインなどとともにヘロインも規制対象になる。
1914 アメリカ 第一次世界大戦。同年、アメリカでハリソン法制定。麻薬の購入などが登録制に。
1920 スイス ジュネーブにて国際アヘン会議。大麻も規制対象へ。
1924 アメリカ メモ:禁酒法制定。1933年までアルコールの製造・販売・輸送が禁止される。フィッツジェラルドの時代!

参考文献リスト

※今後追加していきます。

ノイエ・ザハリヒカイト 社会の「不安」が生み出す文化

わくわくする、どきどきする、うきうきする! 


そんな幸せな気分が、いついかなるときも素晴らしいものを生み出すとは限らず、かえってキッチュでくだらないものを生産してしまい、カルチャーの空白地帯になることがある。反対に、倦怠、不安、恐怖、嫉妬、絶望、一般的には好ましくないとされるそれらの感情から素晴らしい文化が生まれることもあり、これは個人であっても社会であっても同じことだ。神様は、つくづくこの世を厄介に設計したものだな、と思う。


「新しい(ノイエ)即物性(ザハリヒカイト)」、もしくは「魔術的リアリズム」。後者はガルシア・マルケスの文学作品を言い表すときに使う言葉でもあるが、前者は意味的には同じでも、1920〜30年代のドイツで生まれた芸術を指すことが多いらしい。そしてその頃のドイツ、あるいは周辺国であるベルギーやオランダをとり囲んでいたのは、「わくわく・どきどき・うきうき」というよりはむしろ、倦怠や不安や絶望のほうだったといえるだろう。いや、より正確には、その両者が複雑に混ざり合ったものだった、といったほうが正しいのかもしれない。


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フランツ・ラジヴィル 『ストライキ』 1931年


「ノイエ・ザハリヒカイト」を生んだ1920〜30年代のドイツはたぶん、真っ暗な闇の中を、わずかな灯りをたよりに手探りで、しかし超高速で進んでいかねばならぬような時代だった。西欧の工業化が進み、産業は発展するも、それらはどこか自分たちの本質を置いてきぼりにしていくような不安をともなうものだった。


不安をかき消すために、人々は歴史の中で初めて手に入れた人工の灯りを街灯にともし、大都会に輝く「夜の街」を作り出した。劇場に映画館、キャバレーにナイトクラブ。イルミネーションが彩る中で、人々は酒を飲み、歌をうたい、踊って、恋をして、時代の不安をかき消した。そしてもちろん、芸術は時代のムードに呼応する。


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A・カレル・ウィリンク 『悪い知らせ』 1932年


オランダ出身のカレル・ウィリンクは、「終末と没落の画家」とよばれる。廃墟、無人の都市、SF的幻想、悪夢、ギャグ、ブラックユーモア。陰鬱なのは絵の雰囲気だけではなく、ウィリンク自身の人生にも多分にそういうところがあったようで、絵のモデルにもしていた三番目の夫人が麻薬絡みの事件に関与し、惨死体で発見されたりしている。


この人の絵を観ているとすごく不安になるし、とてもじゃないが「いい気分」にはなれない。でも、吸い込まれるような魅力があって、ついずっとずっと眺めてしまう。まさしく、不安の時代が生んだ芸術家だ。ウィリンクがこの年代のオランダに生きていなかったらどんな作品を作っていたんだろうという疑問もわいてくるけれど、歴史に「もしも」は不要である。


明るかろうが暗かろうが、幸せだろうが絶望していようが、自由の身であろうが監獄の中であろうが、どんな環境であれ人間はおそろしいほどのクリエイティビティを発揮してしまう。明るくって、幸せなものだけが人を動かすわけではない。ノイエ・ザハリヒカイトやシュルレアリスム魔術的リアリズムの作品群を私が好きなのは、「どんな環境だって面白がってやるよ」という挑発を根底に垣間見るからかもしれない。


ところで、今って、「幸せに向かう明るい時代」なのか、「絶望に向かう不安な時代」なのか、どっちだろうな。前者のような気もするし、後者のような気もする。100年後に、今の時代に登場した作品を批評家たちが分析して、初めて答えがわかるのだろう。リアルタイムではよくわからなかったりする。たぶんそこまで生きられないし、生きたくもないけれど、答えが出るのが今からとっても楽しみだ。

3時33分と4時44分と『偶然性と運命』

少し前、友人たちと、「私たちはSNSがなかったら今頃どこで何をやってたんだろうか……」という話をしていた。私は今の仕事をSNS上のつながりの中で偶然に見つけているし、友人たちも似たようなものである。私においては、暇を見つけてはインターネットとSNSの有害性や空虚性を説いて文句ばっかり垂れているが、それはそれとして、恩恵のほうはがっつりと受けまくっているのであった。自己矛盾が甚だしいが、それはそれ、これはこれ、ということにしておきたい。

回顧的錯覚


「偶然の積み重ねによって、ある方向に導かれていく」という感覚を、体験したことのある人は少なくないだろう。はじめからねらってこの場所に来たわけではない。さまざまな人、ものとの偶然の接触があって、自分はそれらに導かれ、「たまたま」この場所へ来てしまったのだ、という感覚だ。逆に言うと、あのときふとした思いつきでアレをやっていなかったら、あのときSNSであの人のコメントを見逃していたら、あのとき雨宿りに入った本屋であの本に出会わなかったら、今の自分はなかった──という、綱渡りのような経験もあるはずで、そのときのことを振り返っては少しヒヤッとして、やはり不思議な気持ちになる。


この類の、ある種の運命的な「偶然」はなんなのだろう? と疑問に思った人はけっこういたらしい。スピノザやカント、ヘーゲルもこの疑問に言及している。ただし、理性を重視する近代哲学においては、「偶然」なんていう曖昧なもんはいずれにしろ信用ならなかったみたいだ。スピノザもカントもヘーゲルも、みんなそろって、「偶然」や「運命」などの概念に対して「バッカじゃねーの」みたいなコメントを残している*1


個人的には、こういった「あのときのアレがなかったら……」という感覚は、「回顧的錯覚」ってやつなんじゃないかと思っている。「回顧的錯覚」は、現状にそこそこでも満足していると生まれる。今に満足しているから、今が上手く行っているから、今に至るまでの積み重ねの一つ一つを肯定することができる。逆に、私の場合で言えば、もしもインターネットやSNSによって導かれた「今」に満足できていなかったら、ここに至るまでの一つ一つの過程や、偶然の不思議さに思いを馳せることもなかっただろう。「過去は変えることはできないけれど、今と未来は変えることができる」とはよく言うが、なんてことはない、過去だって変えられるのだ。人間は事実なんて見ちゃいない。あるのは解釈だけだ。そういう意味では、アレもコレも全部錯覚なんだから、スピノザやカントやヘーゲルが言う「バッカじゃねーの」も、まあまあ同意できる。


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麻雀をきっかけに生まれた『偶然性と運命』


木田元さんがこの「あのときのアレがなかったら問題」について考察しているのが、『偶然性と運命』という本だ。なんでもこの本、書かれたきっかけは木田さんが熱中していた麻雀だったらしい。親近感のわく動機だ。


偶然性と運命 (岩波新書)

偶然性と運命 (岩波新書)


勝負事をする人間にとっては、〈運〉は非常に重要なファクターである。ツイているときには、統計的には絶対にありえないような牌の組み合わせが、次々に起こるらしい。この〈運〉をコントロールできはしまいかと考えた末に生まれたのが本書だったらしいのだけど、結論から言うと、〈運〉をコントロールすることはできない。木田さんいわく、心身の調子を整えるといいセンは行くらしいが、限界はあって、やっぱりダメなときは何をしてもダメらしい。まあでも、いいセンは行くのだから、調子が悪いときは体に良いものを食べて早く寝るとか、部屋を掃除するとか、いらないものを捨てるとか、そういうのってバカにせずにやったほうがいいんだろう。


この問題をもっと本格的に考えるとしたら、たぶん九鬼周造とか読まなきゃいけないし、『偶然性と運命』自体がふわっとしているわりに難しい本なので、結論めいたことを言うことはできない。ただ、そういう非科学的なものをバカにしそうな経営者とか政治家に意外と占いを信じている人がいたり、神社に熱心にお参りする人がいたりすることの説明は、なんとなくこれでつくのではないかという気がしてきた。


夜中にふと目が覚めて時計を見ると、3時33分だったり4時44分だったりすることが私にはよくある。こういう現象には、呪われている説とラッキーの前触れ説と、両方あるらしい。ただこれも「回顧的錯覚」の一種で、ようするに、ゾロ目で並んだ数字は印象に残りやすいっていうだけの話なんじゃないかと思っている。3時33分にも4時44分にも、それ自体には特に意味はない。あるのは解釈だ。


経営者や政治家で占いに頼る人が少なくないのは、これから起きることの意味付けをしやすくするためだろう。起きたことに対して、「これはあのとき言われたあのことじゃないか」と解釈することで、ただの偶然は運命になる。3時33分は呪いか、あるいはラッキーの前触れになる。神社でお参りをすることで、起きたことに対して感謝の気持ちが起きやすくなり、4時44分もまた、呪いか、あるいはラッキーの前触れになる。


だから、もしも「運を良くする方法」なんてものがあるとしたら、「起きたことをすべてポジティブに解釈する」なんていうのがバカバカしいけどいちばん有効なんじゃないかと思う。ポジティブなことなんて全然起きないよ! という場合でも、この世には「人間万事塞翁が馬」という素敵な言葉があるから大丈夫だ。人の死に関わるようなあまりにも重い不運はさすがに難しいが、骨折したとか財布をなくしたとかいうレベルだったら、いくらでもポジティブに解釈できる。


いちばん抜け出したほうがいいと思われるのは、「良いことも悪いことも何も起きない」という状況だ。解釈するためのネタがあって初めて、呪いもラッキーも生まれる。ネタさえあったら解釈の幅はいくらでも広げられる。


そういう意味では、偶然性も運命もその人の脳内にしかない完全な主観だから、やっぱり幽霊みたいなものなんだろうなと私は思う。

*1:木田元『偶然性と運命』p49

新しいことを始めるのに、恐怖心は捨てなくていい

何かしらのカルチャーにそれなりの造詣がある者にとって、「1968年」という年について語る際、ネタに事欠くことはない。


私にとってはまず、ワルシャワ条約機構軍によるチェコスロバキアへの侵攻である。他にも、全共闘運動が日本の主要大学を活動停止に追い込んだり、アメリカでキング牧師が殺されたり、フランスで五月革命が起こったり、あるいはスタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』を公開したり、フィリップ・K・ディックが『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を発表したり、『ホール・アース・カタログ』が創刊されたり、あとは鈴木清順が日活を解雇されたりと、後の年代に生きる者からすると「そんなにいっぺんにやらなくても」という感じである。

暮らしかたという病。シアーズカタログに見る、暮らしをカタログ化する欲望 | hirakuogura.com
(※『ホール・アース・カタログ』については小倉ヒラクさんのブログを読むと面白いよ!)


それで、これは後から知ったのだけど、1968年といえばカルロス・カスタネダが『呪術師と私』を刊行した年でもある。カスタネダについては実在を疑う声もあるようだが、一応、ブラジルで生まれ、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で学んだ人類学者だということになっているらしい。そのカスタネダが、ヤキ・インディアンの呪術師ドン・ファンの教えのもと、幻覚誘発植物を使って不可思議な世界を旅するというのが、『呪術師と私』の内容である。


呪術師と私―ドン・ファンの教え

呪術師と私―ドン・ファンの教え


この本における「幻覚誘発植物」とは、ペヨーテ、ダツラ、キノコ。この手の植物は出てくる本によって呼び名がちがったりするので、以前読んだ別の本に登場していて「あああ、あれか〜〜!!!」とかなると個人的に大興奮である。

ペヨーテはメスカリト、もしくはウバタマサボテン。ダツラはキチガイナスビ、マンダラゲ、あるいはチョウセンアサガオとも呼ばれる。キノコはよくわからん。ていうか、「キチガイナスビ」って呼び名やばくないです??? ちなみに、『ワセダ三畳青春記』で著者の高野秀行さんが柿の種のごとくボリボリ食べていたのがこのチョウセンアサガオである。


ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)

ワセダ三畳青春記 (集英社文庫)


1968年、時代はヒッピーカルチャーの全盛期だ。そんな中、カスタネダの『呪術師と私』は世界的なヒットをはたし、カウンター・カルチャーに大きな影響をあたえた。幻覚誘発植物を使った訓練をし、知者になることを目指す。日常のリアリティを離れ、もう1つのリアリティ、「セパレート・リアリティ」を手に入れる。んもう怪しさムンムンの桜満開だけど、いいの。面白いから……。


でも、本当のネイティブ・アメリカンからすると、白人たちを中心に広がったペヨーテ(幻覚サボテン)の使用法は間違っているという。ネイティブ・アメリカンにとってペヨーテは「薬(メディスン)」であり、「スピリットを高めるもの」であり、「ドラッグ」ではないのだ。


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で、あれ、何の話をしたかったんだっけ。


とにかく、『呪術師と私』は8割くらい差っぴいて斜め読みするくらいでちょうどいいだろう。カスタネダは、ペヨーテやダツラやキノコの力を使って、セパレート・リアリティに入る。そしてそこで、知者になることを目指すのだ(う、胡散臭え〜〜)。


しかし8割差っぴくとしても、カスタネダが知者への道を歩む過程はけっこう興味深いし、汎用性もあるような気がする。幻覚誘発植物なんて一切関係ない私たちにとっても、だ。


知者の道を歩む者は、

①注意を払わねばならない
②恐怖心を持たねばならない
③しっかり目覚めていなければならない
④自信を持たねばならない


と、カスタネダは語る。新しい道を歩むと決めたとき、恐怖心なんか持つなと言われそうだが、恐怖心は持っていていいのだ。カスタネダドン・ファンに、「恐ろしいか?」とたずねられ「本当に恐ろしい」と答えている*1。恐れていることを意識し、その感覚を正しく評価しろ、とドン・ファンは語る。


私なりに解釈すると、たぶんだけど、恐ろしいと思っているものに対して、一度、一瞬だけでもいいからおっかなびっくりタッチしてみて、でもその後はすぐにダッシュで逃げていい。しかしダッシュで逃げた後、必ずもう一度タッチしにくること。タッチとダッシュを繰り返していたら、いつか恐怖は克服できる。


まあ、カスタネダの本は地下鉄サリン事件に関わったオウム真理教の信者の家にあったとかなかったとかいう話があるので、克服する恐怖の種類によっては良からぬ事態を招く可能性があるが、きっとこのブログを読んでいる人であれば心配はないだろう。とりあえず、今、私が良からぬ事件を起こして逮捕されたら、本棚からカスタネダの本を引っ張り出されて「猟奇的殺人事件で逮捕された噂のブロガー・チェコ好きは精神世界に傾倒していた!」とかNAVERまとめにまとめられかねないので、私は今日も品行方正な社会人として振るまわなければならない。


そんなわけで、あけましておめでとうございます。2018年、何か新しいことを始めたい人のヒントになれば幸いです。

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