チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

秘密のイタリア、極私的ディープコレクション11

イタリアを旅行していると、ときどき「人間とは、何と罪深い存在なのか」と目眩がする瞬間がある。


雑事に追われる凡庸な一般人である私たちは、日常において知らず知らずのうちに、己の限界を設定してしまう。よりよく、健全に、罪なき存在として生きようとしてしまう。だけど、この奇想の王国を旅行していると、人間は、もっと自由に、もっと極限まで、もっと大胆に、己の快楽を追求することだってできるのだと、思い知らされる。


それは、神に叛く行為かもしれない。だけど、たとえ罪を背負ってでも追求すべき至高の快楽が、この世にはあるのでは?──イタリアとは、そんな禁断の扉の向こうを見せてくれる国でもあるのだ。


f:id:aniram-czech:20180416232120j:plain


と、いきなり「なんだお前」なテンションで始めてしまったけれど、私は23歳のときに2週間、そして今年31歳のときに2週間、合計すると1ヶ月くらいイタリアを旅行している。もちろん定番の観光地にだって行きまくっているが、今回以下に並べるのは、その中でも少々マニアックな、「禁断の扉の向こう」が見える場所だ。


これからイタリアを旅行する予定がある人は、以下に並べる場所をどうか1箇所でも、ぜひ訪れてみて欲しいと思う。ローマのコロッセオだってカッコイイし、パスタだってピッツァだって美味しいには違いないが、イタリアの魅力をそれだけだと勘違いして欲しくない。「イタリアとはこの世で唯一、神からの寵愛を受けた土地である」と言ったのは村上春樹だ。私は、この言葉ほどイタリアという国を適切に表しているものはないと思う。美しさと快楽と官能と、欲望と怠惰と退廃。それらがギュッと凝縮されてつまっているのがイタリアだ。天国もあるし、地獄もある。輝くオレンジ色の陽射しと、おぞましいほどの深い闇がある。


御託を並べるのはこれくらいにして、まずは今回訪れた南のほうから……なお、一番下にはイタリアのディープスポットをよく知るための参考文献をまとめました!

パレルモ

【1. カプチン修道会の地下墓地】

f:id:aniram-czech:20180417001237j:plain
(※ポストカード)

まず断っておきたいのだけど、ディープスポットはディープであるが故に(?)写真撮影禁止となっている場合が少なくない。なので場の臨場感をありのままにお伝えできないのが非常に残念なのだが、なんでもネットで見ることができるこのご時世、「その場にいかないとわからない」という場所が世界にいくつかあってもいいだろう。パレルモにあるこの「カプチン修道会の地下墓地」も、出口に売っていたポストカードの画像でお茶を濁させて欲しい。


ここには、約8000体(!)ものミイラが一堂に並べられている。階段を降りて足を進めると、地上とは違うひんやりとした空気が肌を刺す。私が訪れたときはちょうど前にイタリア人の団体さんがいたのでそれほど「怖い」という感じはしなかったが、たった一人でここを歩いたらけっこう怖いかもしれない。


並べられているミイラをよくよく観察していると、わずかながら表情のようなものを読み取れることもある。この人は生前ちょっと神経質な男性だったのだろうとか、この人は生前なかなかダンディな女泣かせだったのだろうとか。もちろんそれが正しいかどうか確かめる術はないけれど──彼らがかつて、私たちと同じように生きて、悩み、泣き、迷い、喜び、笑う存在だったであろうことは伝わってくる。生きていたときの、「痕跡」のようなものがちゃんと見える。それは確かにあまりにも生々しく、ショッキングではある。私はキリスト教徒でもないし、カプチン修道会とも宗教的に関係がないので、死んでもミイラになることはない。だけど、死後自分がここに並べられるところを、想像せずにはいられなかった。


私の体からいつか魂が抜けるとき、その亡骸はどんな表情をしているだろう?

【2. ヴィラ・パラゴニア】

f:id:aniram-czech:20180417005622j:plain
f:id:aniram-czech:20180417012308j:plain
f:id:aniram-czech:20180417005125j:plain

パレルモから電車で15分ほど行った先に、バゲリーアという小さな街がある。静かな駅を出ると閑静な住宅街といった風情で、特に面白いものはなさそうだ。しかし、その駅から20分ほど歩いたところに、このヴィラ・パラゴニアが佇んでいる。正門には不気味な笑いを浮かべた怪物が2体、奥へ進むと塀の上一面に小人や半獣半人や畸形者の彫刻が並べられている。かつて文豪のゲーテもここを訪れ、「悪趣味」「パラゴニア式無軌道」と散々disってはその様子を『イタリア紀行(中)』に記した。


澁澤龍彦の『旅のモザイク』によると、かつてこの邸宅を建てた主人は「たいそう醜いせむし男*1」であったという。その主人が、なぜ自分と同じ不自由な体を持つ者の彫刻を、塀の上一面に敷き詰めたのかは誰もわからない。あるいは高度な皮肉だったのか、ユーモアだったのか。この邸宅が現役だった18世紀当時、周辺の住民からはたいそう気味悪がれたようで、妊娠した女性がこの邸宅を見ると怪物を産むという不吉な噂まで流れた。


庭を囲んでぐるりと並ぶ塀の上の彫刻は異様である。かつての主人がなぜこんなものを作ったのか、それは今となっては誰にもわからない。ただこの場所にいると、自分の、想像力の限界の枠が、するすると崩れ落ちていくのがわかる。人間はこんな世界を作れるのだ。私はまだ世界を何も知らない、と思う。

マテーラ

【3. サンタ・マリア・デ・イドリス教会】

【4. サンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会】

f:id:aniram-czech:20180417013153j:plain
f:id:aniram-czech:20180418225352j:plain

マテーラは「サッシ」という洞窟住居で有名な街。このマテーラ、写真だと伝わりにくいのだが、外側が谷のようになっており、崖の上に街が浮かんでいるような具合になっている。なんとも異様な光景で、ちょっと衝撃なので、決して行きやすい場所ではないものの(鉄道の乗り換えが面倒)南イタリアを旅行する機会があったらぜひ訪れてみてほしい。


街の様子だけでも十分「マジかよ」という感じなのだけど、せっかくなのでマテーラに来たら「サンタ・マリア・デ・イドリス教会」と「サンタ・ルチア・アッレ・マルヴェ教会」に入ってみてほしい。イドリス教会のほうは上の写真にある通り、岩に十字架をぶっさしたような異様な外観の教会である。例によって内部は写真撮影禁止だったのが残念だ。


イドリス教会もマルヴェ教会も、内部はとても質素な作りである。言っちゃ悪いが、岩を削って壁に絵を描いただけだ。イタリアには黄金のピカピカモザイクもあるし、何より訪れる人すべての目を眩ますであろうヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂もある。こんな、岩を削って絵を描いただけの教会に何の用があるんだ、と思う人もいるかもしれない。しかし、私はこれらの教会の、特にマルヴェ教会のほうで涙腺が崩壊してぽろぽろ泣いてしまった。私はスピリチュアルなものに対してはどちらかというと疑ってかかるほうだが、マルヴェ教会は聖なるパワーがすごい。きっと迫害を逃れてこの地にたどり着いたギリシャ正教の人々が、必死に祈り、守ってきた教会なのだろう。人の念というのは場所に溜めることができるのだな、と思った。

ナポリ

【5. サン・ジェンナーロのカタコンベ

【6. イル・ソットスオロ・ナポレターノ】

f:id:aniram-czech:20180418234121j:plain
f:id:aniram-czech:20180418235521j:plain

ナポリと言ったら普通はピッツァであり、事実ピッツァは美味しい(あと安い)。しかしそんなナポリにはもう一つの顔があって、ナポリとは実は地下都市の街なのだ。ヴェスヴィオ火山近くのナポリの岩盤は加工しやすいので、地下が発達したらしい。地上は陽気さと喧騒にまみれ、しかしその地下には人知れず冷んやりと、もう一つの秘密の都市が網目のように広がっている。夢があるでしょ〜!


そんな夢の「アンダーグラウンドナポリ」を堪能するために訪れたい場所は二箇所で、一つはサン・ジェンナーロのカタコンベパレルモカタコンベと違って8000体のミイラがあるわけじゃないが、そのぶん広くて、ガイドと一緒だけど地下を探検しているみたいでわりと楽しい。そしてもう一つ、イル・ソットスオロ・ナポレターノはナポリ地下水道を探検できるツアーで、だいぶ観光客向けに作ってはあるが、これもまあまあ楽しい。イル・ソットスオロ・ナポレターノは、真っ暗な中かなり狭い路地をロウソク(の形をしたキャンドル、よく雑貨屋にあるアレ)片手に進むのだけど、狭すぎて途中でだんだん不安になってくる。


この地下都市は戦中防空壕としても使われていたようで、何やら生々しい念のようなものを感じるし、古代ローマの奴隷がこの水路を死にそうになりながら掘っているところを想像すると、今自分がそこを歩いていることをとても不思議に感じた。やはり、人の念は場所に溜まる……。

ローマ

【7. サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会】

f:id:aniram-czech:20180419002425j:plain
(※ポストカード)

ここは今回紹介する中で、好きすぎて、人生で二度行った場所。二度目に訪れてもやっぱり素敵な場所だった。サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会、通称は骸骨寺。ここも例によって撮影禁止なのだが、どういった場所かというと、内部の壁一面が人間の骨で装飾されているという「ギャーッ!」って感じのスポットである。


ただ私、この骸骨寺をホラー好きやゲテモノ好きに訪れてほしいとはあまり思っていなくて、どちらかというと、普通の、ただイタリアに遊びに来たよっていう観光客の人におすすめしたいんだよね。ローマ中心部からも徒歩で行けるし。


この骸骨寺に行くと、軽く死生観がひっくり返る。人間の骨を一面に敷き詰められたら普通は「ギャーッ!」だと思うのだけど、なぜかこの骸骨寺のガイコツは、私だけかもしれないけど、嫌な感じがしない。それが、なぜなのかはよくわからない。骸骨寺のガイコツを見ると、とても神聖な、穏やかな気持ちになる。地域の人に愛されて、大切にされてきた教会なんだなあと、ほっこりしてしまう。ガイコツを見て、ほっこりするのである。すると、「死=嫌なもの、忌避すべきもの、怖いもの」という自分の中の概念が、くるっと音を立ててひっくり返ってしまうのだ。


出口のところに「汝の姿は、われらが過去 汝の未来は、われらが姿」という言葉が刻んであるのも、なかなか心を震わせる。彼らはかつて、私たちのように息をして、心臓を動かしていた。そして私たちもいつか、彼らと同じ、骨だけの存在になるのだ。

【8. ボマルツォの怪物公園】

f:id:aniram-czech:20180419080114j:plain
f:id:aniram-czech:20180419080152j:plain

ここからは前回私が23歳のときに訪れた中部イタリアになるのだけど、まずはボマルツォの怪物公園。澁澤龍彦がエッセイ『ボマルツォの怪物』でこの場所のことを書いていたので、一部の日本人の間で知られるようになった。1552年、オルシニ公というちょっと変わった趣味をお持ちになっていた貴族が、ここを造ったらしい。パレルモのヴィラ・パラゴニアもそうだが、イタリアの貴族ってのは少々イっちゃった趣味をお持ちの方が多かったみたいである。


ボマルツォは美術的にはマニエリスムの時代に区分される公園で、中に入るとちょっと笑っちゃうカワイイ怪物たちがたくさんお出迎えしてくれる。大口を開けた怪物、足を大きく広げたエロい女怪物、傾いた家、などなど。しかしこの公園、長く忘れ去られていた時代があったみたいで、1552年の完成後すぐに放棄され、1920年頃に発見されたのだとか。発見当時は怪物たちに木々が絡まり完全に森と同化してしまっていたというが、森を歩いていて突如こんな怪物が現れたらけっこう怖い気がする。

【9. ランテ荘】

f:id:aniram-czech:20180419082537j:plain
f:id:aniram-czech:20180419082612j:plain
f:id:aniram-czech:20180419082700j:plain


イタリアは実は有名な庭園の宝庫なのだが、日本庭園と大きく異なるのは、やっぱちょっとイっちゃってるというか、デカダンスの香りが色濃く漂っていることである。日本庭園のように心が洗われないというか、どちらかというと汚れた心でニヤニヤしてしまうのがイタリアの庭園だ。無駄にエロい彫刻とか、「これ何の意味があるんだよ?」「バカにしてんのか!?」みたいな仕掛けとかがよくある。


それもこれも、やっぱりイタリアは変態貴族が多かったのだろう。多かったというか、変態を許す土壌があったというか。ボマルツォもそうだけど、「俺の趣味大爆発庭園」みたいなのがよくある。そしてこの「俺の趣味大爆発庭園」を見ていると、私は自分の常識の枠がガラガラと崩れ落ちるのを感じ、とても自由な気分になれる。


ランテ荘もそんな「俺の趣味大爆発庭園」の一つだが、目を引くのは写真にある通りの「ぐるぐる」である。迷路みたいになっている。なぜこんな「ぐるぐる」を造ったのかまったく意味がわからない。「はあ?」という感じである。ここを訪れて視界一面に広がる「ぐるぐる」を見たとき、意味不明すぎて腰の力が抜けた。まじで、「はあ?」しか言葉が出てこない。


なお、同系統(?)の庭園として、ローマ近郊に「エステ荘」というのもあるんだけど、そっちはまだ私行けてないんだよなあ……!

シエナ

【10. ヴァーニョ・ヴィニョーニ温泉】

f:id:aniram-czech:20180419084314j:plain

古代ローマ人は『テルマエ・ロマエ』などで知られているようにお風呂が好きだったようで、ローマにもカラカラ浴場跡などの有名な観光スポットがある。しかしローマの外を出ても、けっこういろいろなところに古代ローマ人が造ったお風呂はあって、とりあえず「こいつらどこにでも風呂造ってたんだな!」というのがよくわかる。私はロンドン郊外のバースという街に行ったことがあるんだけど、このバースも古代ローマ人たちが造ったお風呂の街だ。バースは「Bath」の語源だとも言われている。


ヴァーニョ・ヴィニョーニもそんな感じで古代ローマ人が造った温泉街なのだが、温泉(と、言っても今は入れないんだけど)をぐるりと囲むように家が建っている。特筆しておきたいのは、ここがアンドレイ・タルコフスキーの映画『ノスタルジア』のロケ地であったことだ。私は『ノスタルジア』が大好きすぎるので、それだけでもうヴァーニョ・ヴィニョーニを絶賛したくなってしまう。


刺激的な要素はなく、観光客も街の人も、みんな縁に腰掛けてぼぉぉぉぉっと温泉のゆらゆら揺れる水を見つめている。それで気付くと30分くらい経っている街なのだけど、よく考えるとけっこうやばい。気付くと30分くらいがぼぉぉぉぉぉっと過ぎていく場所です。

フィランツェ

【11. ラ・スペーコラ】

解剖百科 (タッシェン・アイコンシリーズ)

最後に紹介したいのはフィレンツェにあるラ・スペーコラ。こちらも写真撮影禁止のスポットなので画像とともに紹介できないのが残念なのだけど、「ラ スペーコラ」で画像検索すると閲覧注意のグロ画像がたくさん出てくるので興味のある人はググってね。


ラ・スペーコラはどういった場所なのかというと、「イっちゃった博物趣味」の極みみたいなスポットだ。入り口をくぐると、まずは『へんないきもの (新潮文庫)』とかに載ってそうな奇怪な動物・海洋生物などの剥製や標本がずら〜〜〜〜と並んでいて、「何でこんな生き物がいるんだろ? 神様って頭おかしいのかな?」などと頭痛がしてくる。しかしここの本番は何と言っても、狂ったようにずらずらと並べてある人体標本だろう。ちなみに蝋人形製。


私がこの場所を気に入っているのは、言い方がものすごく悪いが、動物と人間をまったく同列に扱っていて、人体をただの博物趣味でしか見ていないところだ。マッドサイエンティスト的というか、サイコパス的である。人体に夢も理想も抱いていない。人間の中身がどうなってんのか知りたかったから開いてみただけだよ! とでも言いたげな、純度の高い狂気と無垢さみたいなのを感じる。あと内臓の中でも特に女性器へのこだわりがすごくて、女性器だけを並べた女性器!女性器!女性器!女性器!女性器! みたいな一角があるのだけど、ここも必見。グロすぎてセックスする気が失せるだろう。こんなに女性器のコーナーが充実しているのは当然研究者が男だったからだろうけど、エロではなく、「俺がどこから出てきたのか、産まれてきたのか、俺のルーツが知りたいんだよう! 俺とはいったい何なのだ!?」的な、フロイトっぽい感じのコーナーである。


ラ・スペーコラ、大好きな場所なのでまた行きたいな。ふざけているわけじゃなくて、私、真面目にこの場所が好きなのだ。どうしてもゲテモノっぽい書き方になってしまうんだけど、「純度の高い好奇心」みたいなものに触れることができる。純度が高いというか、高すぎるが故にマッドサイエンティストな方向に行ってるんだけど、この場所にいるとかつての研究者の好奇心に感染する。

まとめ

以上が、私がオススメしたい11のイタリアのディープ・スポットだ。エロもグロもナンセンスもあり悪趣味だけど、こういうアンダーグラウンドな観光地が充実しているところもまたイタリアの魅力。美術館とパスタとピッツァとリゾートで終わらせるのは本当にもったいない。


かつて、ルヴェルディは恋人のココ・シャネルに言った。「影は、光のもっとも美しい宝石箱である」と。


イタリアの光を見たいのならば、影を見なければならない。人生の光を見たいのならば、影を見なければならない。影こそが光のもっとも美しい宝石箱であり、光は影の中でこそ、真に美しく輝くのだから!


【完】

参考文献

TRANSIT(トランジット)17号  美しきイタリアへ時空旅行 (講談社 Mook(J))

TRANSIT(トランジット)17号 美しきイタリアへ時空旅行 (講談社 Mook(J))

珍世界紀行 ヨーロッパ編―ROADSIDE EUROPE (ちくま文庫)

珍世界紀行 ヨーロッパ編―ROADSIDE EUROPE (ちくま文庫)

イタリア紀行 中 (岩波文庫 赤 406-0)

イタリア紀行 中 (岩波文庫 赤 406-0)

イタリアの魔力―怪奇と幻想の「イタリア紀行」

イタリアの魔力―怪奇と幻想の「イタリア紀行」

滞欧日記 (河出文庫)

滞欧日記 (河出文庫)

ボマルツォの怪物―澁澤龍彦コレクション 河出文庫

ボマルツォの怪物―澁澤龍彦コレクション 河出文庫

イタリア庭園の旅―100の悦楽と不思議 (コロナ・ブックス)

イタリア庭園の旅―100の悦楽と不思議 (コロナ・ブックス)

ノスタルジア [DVD]

ノスタルジア [DVD]

*1:差別用語かもしれませんが、原文ママということで

謎に包まれたイタリアの小さな村「スカンノ」への行き方・帰り方ガイド、そして珍道中

イタリアの山奥にひっそりと佇む、「スカンノ」という小さな村がある。



しかし、山奥だけにあまり知られていないのか、ガイドブックに載ることもほぼなくインターネット上の情報も壊滅状態。つまり、行き方も帰り方もよくわからない謎の地なのである。もちろんまったく情報がないというわけでもないのだが、詳細は不明で頼りないものばかりだ。ここへ個人旅行をする日本人は、どうやらあまりいないらしい。

スカンノとは?


そんなスカンノ、私はどこで知ったのかというと、まずは写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンが好きなので、彼が訪れた地として多少聞き覚えがあった。また、下の号の雑誌「TRANSIT」にも、スカンノのページが少しだけある。とても美しい写真が載っているので、この村に興味を持った人はぜひ「TRANSIT」も見てほしい。私はこのアンリ・カルティエ=ブレッソンと「TRANSIT」のダブルパンチ で、スカンノに行く決心をした。


TRANSIT(トランジット)17号  美しきイタリアへ時空旅行 (講談社 Mook(J))

TRANSIT(トランジット)17号 美しきイタリアへ時空旅行 (講談社 Mook(J))

f:id:aniram-czech:20180412001739j:plain
(※「TRANSIT」p159より引用。かっこいい)


上の写真のように、スカンノでは女性は伝統的な黒い衣服に身を包んでいる......と言いたいところだが、 山奥とはいえさすがに現代化されているので、こういう衣服はごくたまにしか着ないみたいだ。私も、この黒い服の女性が町中を歩いているところを見たいな〜と思っていたのだが、残念ながら叶わなかった......。

行き方!


で、前置きはこれくらいにしてさっそく行き方について解説したいのだが、申し訳ない、よくわからない。というのも、私は行きはナポリからドライバーを雇って車で行っちゃったのである。この方法、金はかかるが確実である。しかも、道中好きなところで車を止めて写真撮影をさせてもらえたりするので、けっこう楽しい。私が雇ったドライバーさんは「俺もスカンノなんて初めて行くよ〜」とか言っていた。



道中、まだ春先だったからか雪が大量に残っていたのだけど、しかしこの時期にこの残り方となると、真冬はどれだけ雪深いのだろう。鉄道駅もなく周囲の村から断絶されているので、スカンノはまさに陸の孤島である。真冬のスカンノも訪れてみたいが、あまりの寒さと孤立と寂寥とした町並みに絶望して鬱になりそうだ。


余談だが、途中ドライバーさんと二人で車の外に出て雪を踏みまくって遊んでいたら、小川? 用水路? みたいなところの雪を踏み抜いてしまい、危うく流されそうになった。ドライバーさんに抱き上げてもらい助かった。はしゃぎすぎは禁物である。

帰り方その1  まずは「スルモナ」 に行こう!

「結局よくわからないのかよ!」と言われてしまいそうだが、帰り方はバッチリなので、つまり行きはこれの逆をやればいいことになる。以下に記すことは旅行前の私が見たらヨダレものの情報である。

まずは、スカンノから各都市へのプルマン(長距離バス)の時刻表がこれ。しかし......。

f:id:aniram-czech:20180412003426j:plain
f:id:aniram-czech:20180412003438j:plain

時刻表通りにプルマンが来ることはあまりないらしい。というかこの時刻表、どこをどう見ればいいのか結局よくわからなかった。とりあえず確かなこととしては、公共交通機関を利用してスカンノへ行くには「ローマ」から「スルモナ」を経由して行くのがベストだ。帰りも同様に、「スルモナ」を経由して「ローマ」にたどり着くことになる。


ただし先に述べたように、その「スルモナ」行きのプルマンがいつ来るのかよくわからない。私は宿のオーナーに「10:10......かな?」と言われたので10時にバス停に行ったのだが、結局来なくて、4時間(!)も待った。途中、周囲にいた人に「あの、スルモナ行きのプルマンは何時に来るんですか?」と聞いてまわったのだが、みなさん答えがバラバラで「どうなってんだ!?」 と思った。この村の人々は英語がほぼ通じない。意思疎通が上手くいかなかったのは私がイタリア語ができなかったからかもしれないけど......。


結局、多数決でいちばん回答者が多かった「14時」だろうという結論に私の中でなり、実際本当に14時にプルマンが来たのでよかったのだが、多数決ってなんだ。とりあえずスカンノを訪れてみたい人に忠告したいのは、「プルマンの時間はよくわからないので村の人に、それもなるべくたくさんの村の人に聞きましょう」である。時間に余裕を持たせて旅の予定を組むことを おすすめする。繰り返すが、私はプルマンを4時間待ったからね!!!


f:id:aniram-czech:20180412004328j:plain


なお、プルマンのバス停はここ。ちょうど村の中心部というか、広場になっているところの坂を少し上がる。広場にはツーリストインフォメーションもあるのでわかりやすいと思う。まあ、ツーリストインフォメーションあんまり開いてないけど。もし開いていたら、ここの人にプルマンの時間を聞くのがいちばん確実だろう。

帰り方その2 スルモナで乗り換え、ローマへ!


村の人に聞きまくってプルマンの時刻のアタリをつけたら、乗り込んでまずはスルモナというこれまた小さな村を目指すことになる。所要時間は1.5時間くらいだ。そしてこちらの、裏にガソリンスタンドみたいなのがあるうっかりすると通り過ぎてしまいそうなバス停で一度降車。ローマ行きのプルマンを待つべし。

f:id:aniram-czech:20180412004621j:plain


私はちょうど「ボクもスカンノからローマに行くヨ〜」という親切なインド人(仕事でイタリアに長く滞在中とのこと) と一緒になったので、彼にくっついて行くことでこの乗換えのバス停がわかったのだ が、一人だったらわからなかったかもしれない。完全に一人の人は、運転手さんに「ローマに乗り換えるバス停で降ろして」とか一言伝えておいたほうがいいかも。ありがとうインド人。「ボク英語とイタリア語しゃべれるけどたまに混ざっちゃっうんだよね、だからイタリングリッシュ〜〜」と自分で爆笑していたインド人本当にありがとう。


ローマ行きと表示が出ているプルマンに無事乗り換えられたら、あとはローマを目指すだけ。所要時間はこれまた1.5 時間くらい。スルモナからのプルマンはローマのTiburtina駅のバスターミナルに到着する。Tiburtina駅はとても大きな駅なので、ここからテルミニ駅に出たり何でもできる。行きは、たぶんTiburtina駅のバスターミナルまで行って「スルモナ経由スカンノ行きのプルマンに乗りたいんですけど!」とか周りの人に聞いたら教えてくれるのではないだろうか(他力本願)。

まとめ

というわけで、実際に行ったし帰ってこられたからいいものの、結局なんだったのかよくわからない。確実なのは「ローマ→スルモナ→スカン ノ」という経路であること、 あとは「時刻は時刻表ではな く周りの人に聞きまくるほうが良い」ということである。 基本的に、まあ日本と比べたらどこでもそうかもしれないが、イタリアの公共交通機関はテキトーだし気分で運行しているのでよくわからない……!

だから「必ず余裕を持った予定を組んでおくこと」。スカンノから帰ってそのままローマの空港から別の都市へ......みたいなスケジュールにすると、たぶん死ぬ。

決して行きやすい場所ではないが、スカンノの美しい町並みとのんびりした人々の様子は苦労して見に行く甲斐があるものだと思った。あ、あと、市長? が「ローマからスカンノへはプルマンで1時間でーす!」とか言ってるサイトが調べたら出てくるんだけど、1時間は絶対に嘘である。スルモナを経由したら3〜4時間はかかるし、Googleマップでも直線距離で2時間かかると出てきた。


スカンノの情報はインターネット上にほとんどないので、おそらくこのエントリはしばらくすると検索1位に表示されるだろう。「スカンノ」で検索する奴なんているのか? という問題は別にしても。

f:id:aniram-czech:20180412005827j:plain
f:id:aniram-czech:20180412005835j:plain
f:id:aniram-czech:20180412005840j:plain
f:id:aniram-czech:20180412011211j:plain

南イタリア旅行で訪れた都市とかツイートのまとめ

3月末〜4月上旬までの2週間、南イタリアマルタ共和国へ旅行に行っていた。


f:id:aniram-czech:20180411195940j:plain


どうでもいいことだけど、私、なんとなく自分のしていることを「旅」と表記するのは小っ恥ずかしい気がしていて、文字数に制限があるTwitterなどではその限りではないが、なるべく「旅行」の表記で統一しようとしている。「そんなに大それたことしちゃいませんよ」という意識が働いているらしい。まあ、私の場合は実際、本当にただ行ってるだけなので間違いではない……。


以下は、今回の旅行で訪れた都市の概要やツイートのまとめである。いつかの誰かの参考になれば幸い。

1. 快楽と欲望の都市 パレルモ

f:id:aniram-czech:20180411210903j:plain
(※パレルモの中心、クアトロ・カンティ)


まずはシチリア島パレルモから。シチリアといえば何よりもまず、マフィアである。村上春樹がここで『ノルウェイの森』を執筆していた頃(1986年頃)は、よく銃声が聞こえたという。しかし、現在は普通にしていれば特に心配するようなことはなく、安全で快適なただの一地方都市だ。と、言いたいところだが、心なしか警察の出動回数が多かったような気はした。でも気のせいかも。あと、人はともかく野犬がウロウロしていているのがけっこう怖かった。





さてパレルモは、どこか"バランスを逸した過剰さ"を感じさせる都市である。不安定で歪んでいる。しかし、その歪みこそがパレルモの魅力なのだ。灼けつくような太陽が照らすのは、黒く煤けた街並み──この都市は、快楽と欲望のために存在している。

2. 深い蒼にはきっと何か裏がある ヴァレッタとゴゾ島(マルタ共和国


もしも私がインスタグラマーだったなら、ここまで来てコミノ島へ行かないというのはちょっとありえない。コミノ島とは、あの「水の透明度が高すぎて船が浮いてるみたいに見える〜!」ことでお馴染みのブルーラグーンがあるところである。私はわりとミーハーなので行きたかったのだが、時間配分をミスって行けなかった。私の計画ではチェルケウア→ゴゾ島→コミノ島と進むはずだったのだけど、ゴゾ島からコミノ島へ行く船がなかった(絶対あると思っていた)。コミノ島へ行きたい人は、ヴァレッタかスリーマかチェルケウアから出発しましょう。


f:id:aniram-czech:20180411213515j:plain
(※ゴゾ島の中心部、ヴィクトリアの街並み)


マルタ共和国の首都ヴァレッタから見る海は、とても深いコバルトブルーをしている。美しい色だが、見る者をそのまま飲み込んでしまいそうな、ちょっと不気味な蒼だ。きっと何か裏がある。決して油断してはいけない。なぜならヴァレッタトマス・ピンチョンの小説『V.』の舞台であり、「V」とはヴァレッタの「V」なのだ。この美しさに気を許したら、きっと何か怖ろしいことが起こる


V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)

V.〈上〉 (Thomas Pynchon Complete Collection)


3. ただの交通拠点 バーリ


バーリは正直どこにも行ってないし何も見てないのだが、南イタリアを観光する上で交通の拠点となる都市なので、訪れざるを得ない。基本的に南イタリアの交通はクソなので、直線距離で結んだら早いものをなんか行ったり戻ったりしないといけないのである。私もマルタ→バーリ→アルベロベッロ→バーリ→マテーラ→バーリ→ナポリと3回も訪れた。3回目ともなると「またお前か……」と思ってしまう。



(※こんなこともありました)

4. この可愛さは税金対策 アルベロベッロ


とんがり屋根のかわいいおうちが並ぶアルベロベッロ。このおうちの名前は「トゥルッリ」という。なお、私が行った日はイースターで祝日だったのでめちゃめちゃ人がいた。日本でいうところの白川郷みたいな扱いらしく、国内観光客が多いのも特徴。



なお、とんがり屋根には石灰で月や太陽やハートなどの謎の記号が書かれているのだが、この記号が何を意味するのかはあまりよくわかっていないらしい。一説には、魔術的な意味があったと言われている。


5. 迫害の歴史が生んだ奇想住宅 マテーラ


洞窟住居(サッシという)で有名なマテーラ。前回の日記で「もうさ、景色とかはすごいの見てもあんま感動しないっていうか、慣れちゃったんだよね」とか言っているのだが、とはいえここはちょっと衝撃だった。


f:id:aniram-czech:20180411215741j:plain
(※え、岩じゃん、みたいな教会)

f:id:aniram-czech:20180411204155j:plain
(※街の外部は深い渓谷。死にそう)


そもそもの始まりは、7世紀頃、迫害から逃れたギリシャ正教の修道士たちがこの地に住み始めたのがきっかけだという。これは個人的な意見だけど、美術的(建築的?)観点からいうと、私、「正教」がキリスト教の中でいちばんヤバイと思っているのね。ちょっと誤解を招く言い方かもしれないけど、いちばん狂ってるというか、カルトっぽさがある。マテーラは街全体が「奇想」の塊だ。こんな場所が現実世界にあるなんて、私はまだ信じられない。


6. ガラは悪いがメシは美味い ナポリ


ナポリと言えばピッツァである。私もソルビッロというけっこうな有名店で定番のマルゲリータを食べてみた。美味しいのは想像通りなのだが、それよりも驚くのは値段。ナポリでは「1ピース」という概念がないらしくピッツァは基本的に1人丸ごと1枚スタイルなのだが、その1枚が2ユーロからとかだったりする。チーズが美味しかった……! また、ナポリは海鮮の街でもあるのでボンゴレも食べた。ガラは悪いがメシは美味い街、それがナポリ


f:id:aniram-czech:20180411220500j:plain
(※ソルビッロのマルゲリータ

f:id:aniram-czech:20180411221200j:plain
(※ボンゴレ。別に有名店ではない)


7.  長い冬を耐え、羊飼いの夫の帰りをじっと待つ スカンノ


ひたすら山の奥へ、奥へと進んで行ってやっと現れるオアシスのような村、スカンノ。決して訪れやすい場所ではないし、ほとんどガイドブック等には載らないマニアックな場所だけど、独特の時間が流れている。





アンリ・カルティエ=ブレッソン:20世紀最大の写真家 (「知の再発見」双書)

アンリ・カルティエ=ブレッソン:20世紀最大の写真家 (「知の再発見」双書)


スカンノは人里離れたところにある上に、誇り高く、外部の文化をそう簡単には受け入れないとても保守的な村だという。冬は長く、とても深く雪が積もる。その閉塞感に息が詰まり、この地を離れる若者もいる。静寂に包まれた美しい村だが、もしもこの地に生まれていたら、私もスカンノを恨んでいたかもしれない。

8. 神に愛された永遠の都 ローマ


そして、私の最愛の都市ローマ。訪れるのは8年ぶり2回目。私のローマ愛をポエミーに綴ったポエミーすぎる恥ずかしいエントリを以前書いたのだけど、愛するローマを再訪できて良かった。生きてて良かった。何年後になるかわからないけど、おそらく3回目があるでしょう。なぜなら私はローマを愛しているので……。でも住みたいとはあんま思わないんだよね、住みたいのはタンジェ(モロッコ)。パックスロマーナ〜〜〜



(※今回訪れた変わり種スポットは、ローマ近郊の都市E.U.R。 最強にクール、最凶に悪夢)




余談 迷っている奴に道を訊かないで


迷っていても歩くときは早く進みたいのでサクサク。浮かれた感じを出さない人間なので、中国系の移民とかに見えたのかもしれない。移民じゃないです……。


愛してるよ、イタリア!!!

世界は狭くないが、そこまで広くもない

そこまで経験豊富なわけじゃないが、どちらかといえば海外によく行っているほうだと思う。もう二十代のときみたいに一年に一回以上のペースでは旅をしないかもしれないけど、たぶんこれは性分のようなものだから、今後も思い立ったときにどこか知らない場所へ、一人でふらりと出かけることがあるはずだ。金のかかる趣味を持つ人間になってしまった。普段は酒も飲まないし家で大人しく読書してるだけの人間だから、神様ゆるして。

 

しかし、二十代の頃に感じていたような「わあ! あれもすごい、これもすごい、全部すごい〜〜〜〜!!!」みたいな、新鮮なわくわくは正直もう感じなくなったな、と思う。私がなぜブログやTwitterで旅行のことを発信するのかというと、当然見た人に「こんな場所があるんだ! いつか行ってみたいなあ!」と思って欲しいからで(※厳密には一人旅なので生存確認の意味もある)、そして実際本当に行ってみて欲しいからで、じゃあそんな夢壊すようなこと言うなよって感じなのだけど。まあ、風景とか建築とかじゃもうそう簡単には心動かないっすね。慣れちゃったから。

 

f:id:aniram-czech:20180405053657j:image

 

二十代の頃は、まだまだ私の知らない世界が、想像もつかないような世界があるんだと思っていた。もちろん、三十代だろうが四十代だろうが知らない世界はあるし、死ぬまでそれはなくならないけど。

 

 

でも、一人旅を繰り返して心底理解したのは、人間の本質ってのはどこの誰であろうとそんなに根本的には変わらないってことだ。本質っていうとちょっと違うかな、人間ってのはどこの誰であろうと、「だらっとした退屈な日常」みたいなものを、みんな抱えてるんだみたいなこと。

 

f:id:aniram-czech:20180331161241j:image

 

こちらは観光客だから、行く先々のものがキラキラして見えるし目新しいんだけど、当然、現地の人には現地の人の生活があって、日常がそんなキラキラしているわけではない。早く仕事終わんねえかなとか、土産買わねえのかよこのクソ観光客とか、どうでもいいから金欲しいなあ〜〜とか、まあ世界中誰でもだいたいそんなことを考えている(と、私は思う)。

 

 

でもそのことに、私はいちいち失望なんかしない。なんていうか、旅行を繰り返してきて、それこそが人間だと思うようになった。多かれ少なかれ、みんな孤独だし、怠惰だし、退屈だし、不安だ。「みんなだいたいそう」ってことに気付いたら、自分の孤独も怠惰も退屈も不安も、許せるようになった。

 

 

二十代の頃の旅行は、どこか桃源郷的なものを夢見て出かけていた気がする。この世には孤独も怠惰も退屈も不安も感じない生き方があって、身に付ければ私もそれを体現できるんじゃないかと。でも残念ながら、そんな生き方は、ない。もちろん個人差はあるし、その割合を減らすくらいはできるかもしれないけど、それらを完全になくす生き方なんてない。これが現時点での私の結論である。

 

 

まあだから、三十代の少しペースを落とすだろう旅は、もう桃源郷を夢見て出かけたりなんかしない。私は誰かの、孤独で怠惰で退屈で不安な日常に、ちょこっとお邪魔させてもらうだけだ。「この素敵な街にもし住むことになったら、最初の二カ月くらいはめっちゃ楽しいけど、すぐ飽きてつまんねーって言うようになるだろうな」なんて苦笑いしながら、カフェで街行く人を観察する。別に、世界中どこの街だろうと、街行く人がとりたてて楽しそうな顔をしているところなんてない。

 

f:id:aniram-czech:20180405054537j:image

 

でも、それでいいんだと思う。つまんなくていいんだ、日常は。不思議なことに、つまんないけど、つまんないが積み重なるとそれはそれでけっこう重みがある。つまんない日常は、別に軽いわけではない。

 

 

今はイタリアのナポリにいて、もう少ししたら日本に帰るんだけど、ナポリの道行く人、別にみんな楽しそうなんかじゃないよ。クスリやってそうな奴ならいるけど、それは楽しそうの意味が違うしな。

 

 

次がいつになるかわかんないけど、私はまた、誰かの退屈な日常をのぞきに行きたいな、行くんだろうなって思う。桃源郷なんてないけど、そんなもんはもう探してないし、なくていいんだ。

アヘンで人は幸福になれるか?

世の人の苦悩は、たいてい「欲望と現実のギャップ」から生まれる。たいていっていうか、100%そうかも。モテたいのにモテないとか、結婚したいけど相手がいないとか、お金がいっぱい欲しいのにお金がないとか、好きなことを仕事にしてガンガン稼いでモテまくって雑誌とかウェブメディアに取材されたいのに上手くいかないとか、フォトジェニックなゴハンを作ってインスタにアップしたいのに料理が下手とか、っていうかこれカメラの性能の問題? とか(私のことじゃないよ! 全部一般論だよ!)


もう一度言う。大なり小なり、人の苦悩は「欲望と現実のギャップ」が生むのだ。



(※こちらは現在、午後の3時。わたくし今、シチリア島パレルモに滞在しております)


そして、世に蔓延るたいていの商品は、「私があなたの現実を、欲望に追いつかせてあげましょう」とアピールする。このカメラを買ったら、もっと素敵な写真が撮れるかも。この化粧品を買ったら、もっと綺麗になれるかも。このコーヒーメーカーを買ったら、もっと優雅な朝が過ごせるかも。このビジネス書を買ったら、もっと上手に仕事が進められるかも。このエッセイを買ったら、今よりもっと世界がキラキラして見えるかも。先行するのはいつだって欲望で、現実はそのあとを追いかけるもの。現実を欲望に近付ける。私たちは、苦悩を解消する方法はそれしかないのだと思い込んでいる。


でも本当は、もう一つ、別の方法が存在するのだ。私たちが、いつもやっていることの逆。そう、欲望を現実に近付けること。欲望をダウンサイズすること。「モテたいのにモテない」から苦しいのであって、そもそもモテたいと思わなければモテなくても苦しくないのだ。これは詭弁なんかじゃない。


欲望のダウンサイズを合法的にやるには精神の鍛錬が必要で、私ぜんっぜん詳しくないんだけど、たぶんガチでやるには仏教の世界とかに行くといいんだと思う。ただ、違法でいいから(良くねえよ)もっと簡単お手軽に欲望のダウンサイズがしたいよ〜! って人におすすめしたいのは、アヘン。真面目な話、アヘンの吸引と仏教の世界って繋がっていると私は思っていて、ていうかドラッグと宗教って全体的に繋がってるよね。

「欲望の器がちっちゃくなる」とは

と、人に勧めておいて私自身はアヘンを吸ったことないんだけど、アヘンを吸ったらどんなカンジになるのかはちょっとだけ知っている。なぜなら本で読んだから。「本かよ!」と笑うなかれ、本はすごい。リスクゼロ、コストはたった1000円、しかも合法で、アヘンを吸引したらどんな世界が見えるのかちょっとだけわかっちゃうのだ! 本はすごい。


アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)


というわけで、その世界を詳しく知りたい人がいたらぜひアヘンを本当に吸引する前に上の本を勧めたいのだが、著者の高野秀行さんによると、アヘンを吸うと「欲望の器がちっちゃくなる」らしいのね。モテなくてもいい。結婚なんてしなくていい。お金もなくていい。好きなことを仕事にしなくたっていい。ガンガン稼いでモテまくって雑誌やウェブメディアに取材なんかされなくてもいい。欲しいものもない。行きたい場所もない。食べたいものもない。ただこうして、横になって、ダラダラしながらアヘンを吸っているだけで、めっちゃ幸せ〜〜〜!


「そんなの、本当の幸せじゃないよ!」って言うことは簡単だ。ここまでプッシュしておきながらあれだけど、私だってアヘン吸って横になってるだけの廃人の日々が幸せだなんて本気で思っているわけじゃない。ただ、「なぜ?」に答えられないだけ。苦悩がないならいいじゃない。幸せだって本人が言うんだったらいいじゃない。どうして先行する欲望を現実が追いかけなきゃいけないの? どうして逆だといけないの? 


一つ問題があるとするならば、いつかお金が尽きるってことだ。アヘンには中毒性がある。ハマればハマるほど、それなしでは苦しくて生きられなくなる。人を殺してでもそれを手に入れたいと思ってしまう。アヘンを買うためのお金がなくなってしまったとき、たぶん私たちは法を犯す。普通の社会生活はもう送れなくなってしまう。

ではもし、アヘンが無限にあったなら

つまり、アヘンで(薬物で)幸せになれない理由があるとしたら、「それを永遠に摂取し続けることはできないから」だと思うんだよね。でも、だったらもう死期が近い老人が使うのはアリ? とか、アヘンや薬物ってのは違法だから高価なのであって、社会全体のインフラ的存在として安価で提供し始めれば問題ないんじゃないかとか、なんだかそんなことをずっと考えていたら春のうららかな一日が潰れた。ひどい過ごし方だ。


現実的に考えると、「アヘン(的なもの)を無限に提供し続けられる社会」を明日からすぐ始めようぜってのは無理だ。私たちはまだ当分、先行する欲望を現実が追いかけるこの地獄を生きなければいけない。


でも、もっともっとずっと先、たとえば百年後とか二百年後だったら、案外「無限アヘン」の社会が実現できるんじゃないかなって思うんだよね。雑用はぜーんぶAIに任せて、私たちはただ脳みそにコードをぶっさしてシアワセ成分を注入されながらゴロゴロするんだ。何もしなくていい。どこにも行かなくていい。誰からも承認されなくていい。生きてるだけで幸せだ。誰も苦しまない。


「そんなのは"生きてる”って言わない、ディストピアだ!」って言うことは簡単だ。私だって本気でそんな社会の到来を願っているわけじゃない。私、案外ふつうの社会生活を送っている人だから、友人と語らうことの楽しさも、恋をすることの美しさも、夢ややりたいことを追いかける充実感も一応人並みには知っている。


ただ、「なぜ?」に答えられないだけ。誰も苦しまない幸せな社会になったらいいなって思うのに、アヘンが無限にある未来社会を否定したくなるのはなぜだろう。もっと仏教とか勉強したらわかるのかな。


でも、好む好まざるに関係なく、人類の未来は案外マジで「無限アヘン」に向かっていくんじゃないかって気もする。だって、この地球上の全員を漏れなく幸福にする方法なんてたぶんそれくらいしかないから。SF小説の読みすぎかもしれないけど。


もうすぐ、私たち全員シアワセになれる。もうすぐ、誰一人例外なく。


f:id:aniram-czech:20180112221534j:plain
(※シチリアはとても快適です。パラダイス)