チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

ジョン・レノンを殺した男

日々生活を送ったり、いろいろな映画や文学作品に触れていると、「あ、私、まあまあ頭やばいな」と思う瞬間がある。この文脈における「やばい」にはポジティブな意味は1ミリも含まれていなくて、ネガティブ100%の、「法に触れる罪を犯しちゃいそう」という意味だ。


この「やばい」瞬間が、今みたいに日々3秒程度におさまっていればいいが、1分、10分、1時間、半日……とかに長引くと、きっと1人や2人、殺しちゃうんだろうな。これはそういう意味の「やばい」である。


キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)


ジョン・レノンを射殺した男、マーク・チャップマンJ・D・サリンジャーの名作『ライ麦畑でつかまえて』の熱狂的な読者であったことは広く知られている。チャップマンはジョン・レノン射殺の裁判で、『ライ麦畑』でもっとも有名なホールデン・コールフィールドのあのセリフ(ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ)を、朗読までしているらしい。


では『ライ麦畑』は、そういった殺人を引き起こしてしまうような「悪書」なのか? というと、チャップマンが物語において行なった解釈は誤っており、あれはそういうことを描いた物語ではない──世界は「無垢VS欺瞞」というような単純な二分構造では捉えられない、と考えるのが一般的みたいである。


一般的、といってしまうのはちょっと漠然としているけれど、少なくともこのテーマは後の『フラニーとズーイー』までサリンジャーの作品において引き継がれている。世界は単純化できない、無垢と欺瞞を両方孕んだ複雑な社会を私たちは生きていかなきゃいけないんだと、そういうふうに解釈したほうが自然である。同じ1人の人間の中にも、無垢な部分と欺瞞に満ちている部分がある。それは、そういうものなのだ。


……と、いうのがいわゆる「お行儀の良い」解釈で、私だって9割はそちらを支持しているんだけど。でも、いつどこで歯車が狂って、残り1割のほうの解釈で動いてしまうか、ちょっとわからないなって思うことはある。ものすごく悲しいことがあったり、やりきれない理不尽なことがあったりしたら、頭の糸がぷっつんと切れちゃうかもしれない。だから、マーク・チャップマンジョン・レノンを殺害したことは間違っているし、そもそも『ライ麦畑』の物語の解釈も間違っているということは前提に置いた上で、それでも「まあ気持ちはわからんでもない」と、そう思っちゃう瞬間が私にはある。1日に3秒くらい。


たぶんもともとの思想がまあまあやばくて、狂信的で先鋭化しやすいところがあるってことを、私は31年間自分という人間と付き合ってきてよくよく知っているわけだ。このあたりは、最近読んだ「連合赤軍もの」でも実感している。「革命だ!闘争だ!」と息巻いて山の中にこもったり、理想を実現するために仲間をリンチで殺したり、私、そういうことをやりかねないと思う。やりかねないと……まじで、思う……少なくとも、まったくの他人事とは思えない。


十六の墓標 上―炎と死の青春

十六の墓標 上―炎と死の青春


1日3秒が、1分に、10分に、1時間に、半日にならないために、私は何をしているか。そのために、他人と一緒にいるんだな、と思う。恋人や友人や同僚といるんだなと思う。


マーク・チャップマンに、友達はいたのかな。改めて、この人について映画とかを観てみようかなという気になった。いたのかもしれないし、いなかったのかもしれないな。いてもああなる可能性があるって話だと、私もちょっと生存戦略を考えなきゃだけど。


サリンジャーの作品は大好きなのですでにたくさん読んでいるんだけど、改めて、この人の作品をもう一度読み込みたいと思った。何度でも、何度でも。

チャプター27 [DVD]

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翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

翻訳夜話2 サリンジャー戦記 (文春新書)

AMの連載でとり上げた本のまとめ(No.1〜10)おすすめ優先度付き!

SOLOの連載がAMに移行してしばらく経つのだけど、月2回くらいのペースで定期的に更新している。こちらの連載、私が好き放題なんか言ってることのほうが多いのだけど、体裁は一応「ブックガイド」だ。なので、今回はそんな連載先で紹介した本を、第1回〜10回までまとめてみた。


ちなみに、一応、とり上げる本は自分なりに方針がある。


まずは「気軽に読めるもの」。AMは恋愛のメディアであって、読書家が集うメディアではない。なので、古典すぎて気が重いものや専門書っぽいものは、避けるようにしている。

もう一つは、「悩んでいるときに読みたいもの」。AMは「恋に迷ったら、アム読む。」というコピーが掲げられているので、自分が恋愛や女性特有の問題に悩んだときどういう本を手にとりたいかな……と考えながら選んでいる。あと、悩んで気分が落ち込んでいるときは蓮實重彦の文章とか絶対に頭に入ってこないので(まああれは私の場合、気分がノッてて元気なときでも頭に入ってこないが)、論旨が明快かつダイレクトに悩みに響くものを選ぶようにしている。

最後に、「でも、内容が薄くないもの」。悩んでいるときに気軽に読めるもの……とそれだけで考えるとコミックエッセイとかになると思うんだけど、まあコミックエッセイはコミックエッセイでいいものもたくさんあるんだけど、一瞬気が紛れるだけで結局同じところをぐるぐるしちゃう場合も少なくない。悩んでいるときに気軽に読めるけど、内容が薄くなくてちゃんと「残る」もの──もちろん努力目標ではあるんだけど、AMの連載ではこの3つを念頭に毎回、テーマを考えて本を選んでいる。

あ、あと最後に蛇足だけどマンガは選ばない。理由は、マンガも候補に入れるとキリがなくなるからである。では、そんな基準で選んだ10冊を以下はご笑覧ください。「悩んでいるとき」「気軽に読めて」「内容が薄くない」を満たす、おすすめ優先度を★〜★★★★★で表しているよ!

第1回 「彼は私のことをどう思ってますか?」なんて占っても意味ないが

タロットの秘密 (講談社現代新書)

タロットの秘密 (講談社現代新書)

おすすめ優先度 ★★☆☆☆

ちょっと前に、私のタロット占いの記念すべき生贄第1号を申し出てくれた方がいて(作家の小野美由紀さんである)、私は初めてタロットで「他人を占う」ということをやった。結果は我ながら「下手くそ!笑」という感じのものであったが、まあよい。精進しよう。ちなみに私も小野さんにタロット占いをやってもらったのだが、カードを読みながら想像力を働かせるのって面白いよなあと改めて。ちなみに、小野さんの占いは私なんかより全然上手かった。

第2回 独身の人生が「ライフイベント低発生系ゲーム」になる問題

大人女子のための さみしさくんのトリセツ

大人女子のための さみしさくんのトリセツ

おすすめ優先度 ★★★☆☆

「結婚したい」「子供が欲しい」という欲望は私はそれほど持っていなくて、人それぞれかなと思うんだけど、"「おめでとう」って言われたい"はちょっとあるな……と思って書いたコラム。「おめでとう」ってきっと、「あなたはこの社会の大切な構成員だよ」って意味なのだ。本当は、「なんでもない日、おめでとう」「今日も生きてる、おめでとう」でいいはずなんだけどさ。

第3回 部屋を片付ければ、恋も仕事も上手くいく! わけではないぞ

自信のない部屋へようこそ

自信のない部屋へようこそ

おすすめ優先度 ★★★★☆

もともと私はそんなに汚い部屋に住んでいたわけでもなかったと思うんだけど、24歳くらいまでは、そんなに綺麗好きというほどでもなかった気がする。しかし、24歳のときにこんまりさんの本を読んで(わりとミーハー)「あ、いらないものって捨てていいんだ!」と開眼した私は、ガンガンものを捨て始め、以来はリバウンドなしのミニマリスト人生を歩んでいる。ものがたくさんあるのが嫌なので、賃貸を選ぶときはあえて収納が少ない部屋をチョイスしているくらいだ。あと、落ち込んだときは無心でトイレ掃除とかをしている。

でもそれくらい部屋を綺麗にしていても、そんなに全部上手くいってねーぞ! テキトーなこというんじゃねえ! と世に蔓延るネットコラムとかに怒りの鉄拳を振るうべく書いた文章。

第4回 好きな人から返事が来ない…不安で「追いLINE」する前にこれ読んで!

待つ力 (扶桑社BOOKS新書)

待つ力 (扶桑社BOOKS新書)

おすすめ優先度 ★★★★★

これはAMで書いた中でたぶんいちばん反応が良かったコラム(PV知らないけど)。「待つ」ということに私はすごく関心があって、前からブログにいろいろ書いているんだけど、それを恋愛の話にぐっと寄せたものがこれである。

第5回 男と女、実は「性欲の強さ」は同じ?私たちの性欲の行方

私という病 (新潮文庫)

私という病 (新潮文庫)

おすすめ優先度 ★★★☆☆

掲題のことを私は考えてたんだけど、キャサリン・ハキム氏の『エロティック・キャピタル』を読んだらこの論に真っ向から反対されていてウケた。なお、『エロティック・キャピタル』について書いたコラムも近日中にAMで公開される予定なので、こちらも読んでもらえると嬉しいです。

第6回 「そのままのあなたでいい」と、それでも私はいい続けたい

BUTTER

BUTTER

おすすめ優先度 ★★★☆☆

「そのままのあなた」の定義が男女で違うんじゃないかという仮説。女性の定義はキツすぎるので、なるべく「そのままのあなたでいいんだよ」って言ってあげたほうがよくて、男性の定義はゆるすぎるので、「そのままでいいなんて思うなよ!」と言ってあげたほうがいい……という話。もちろん男女という区分はかなりざっくりしたものなので、誰もがこの法則に当てはまるわけじゃないんだけど。女性はジャニーズとか観劇とか、「推し」に会いに行くためだけに、メイクとかめっちゃ頑張る人種。

第7回 「最近面白いことありました?」に答えられることも、コミュ力向上につながると思った話

コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)

コミュニケイションのレッスン (だいわ文庫)

おすすめ優先度 ★★★☆☆

このコラムは、もちろんそれを見越して書いたわけだが、文章の中に登場する「最近面白いことありました?」と会うたびに聞いてくる友人に読まれてしまった手前、「いや、最近は特にないっす」などとは絶対に答えられなくなってしまった……。まあでも、友人に何も報告できることがない生活を送りたくはないので、それはそれでよい。

第8回 香水診断をやってきた!結論、女は「新しい自分」に出会いたい

男ともだち (文春文庫)

男ともだち (文春文庫)

おすすめ優先度 ★★★★☆

香水診断、いろんな人が興味を持ってくれたようで嬉しかった(何人かの人には私が行った店のURLを送った)。まあ私は結局香水を自分でつけるのは苦手なんですけどね、香りに酔ってしまう。

第9回 どうしたらいい?30代以降の独身の「趣味ない」問題

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています

その悩み、哲学者がすでに答えを出しています

おすすめ優先度 ★★★☆☆

ここには書かなかったけど、「古典文学が読める」ってわりと人生におけるアドバンテージだなと私は最近思っている。古典文学って年取ってから読んでも飽きないどころか、深みが増すんだよね。ライトノベルとかはそれはそれで素晴らしいし立派なカルチャーだけど、30代後半以降はちょっと読めない(楽しめない)んじゃないかと思ってしまうところもある。もちろん人それぞれだけど。

第10回 恋愛関係は「密室」だから、彼の真意がわかるのはあなただけ

八日目の蝉 (中公文庫)

八日目の蝉 (中公文庫)

おすすめ優先度 ★★★★☆

角田光代さんの『八日目の蝉』をずっと読みたいと思っていて、そのために書いたといっても過言ではないコラム。でも私は、角田さんはやっぱり『対岸の彼女』がいちばん好きかもしれない。


それでは、引き続き連載をよろしくお願いします!

村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』全作品レビュー

短編小説集『回転木馬のデッド・ヒート』は、私が(たぶん)人生で2冊目に手に取った村上春樹の本である。ちなみに最初に手に取ったのは『パン屋再襲撃』。時は(たぶん)2002年、私は高校1年生である。


内容はほとんど忘れていたんだけど、今回実に16年ぶりにこの短編集を再読したので、以下は収録作品すべての感想。

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)

レーダーホーゼン

物事には何においても、前兆というものがある。雨が降る前は雲行きが怪しくなるし、浮気をする恋人はトイレに行くときもスマホを握りしめて離さないだろう。親しい人の死はどんな場合においても受け入れがたいが、それでもせめて、事故や災害で突然目の前から消えていなくなるよりは、永遠の別れをゆっくりと受け入れることができる病死を願うものではないだろうか。


レーダーホーゼン』はある夫婦の別れを描いた短編小説なのだけど、それ自体はどこにでもある話だ。ただこの物語において特異なのは、その別れの決心を、妻のほうが、何の前触れもなく「突然」することである。「レーダーホーゼン」とはドイツ人がよくはいている、上に吊り紐が付いている半ズボンのことだ。妻はドイツで一人旅をしている途中、帰りを待つ夫へのお土産として、そのレーダーホーゼンを一着、仕立て屋に作ってもらう。そして、仕立て屋が同僚と一緒にわいわい冗談を言いながら半ズボンの仕立てをしている間に、妻は唐突に、夫との離婚を決心するのである。


人の気持ちは変わってしまうものだが、それにはせめて論理的に説明できる理由や、「この人の気持ちは変わってしまうんだろう」という前兆がほしい。そしてその変化はできるだけ、ゆっくりと進行してほしい。お土産の半ズボンを仕立ててもらっている間に、突如夫への憎悪がわいてきたなんて、意味がわからないし理由にならないだろう。でも、理由はわからないけど、突然嫌になる。そういうことって確かにある。


思い返してみれば『象の消滅』なんかもそうだけど、村上春樹の短編において「突然消える・突然変わる」ってそこそこよくあるモチーフな気もする。「女心と秋の空」とあるように、村上春樹自身が移り気な女性に振り回された経験が(もしかしたら)生きているのかもしれないが、移り気なのは女心だけではもちろんない。人の心に、天変地異に、降りかかる理不尽に。人はいつだって、振り回されている。

タクシーに乗った男

この短編を再読して、めちゃめちゃめちゃめちゃ時の流れを感じてしまった。この短編の内容が古いというのではなく、単純に私がきっちり16年分、年をとってしまったのである。チェコ、ニューヨーク、ギリシャ。この短編に登場するどの国も、まだ高校1年生だった当時の私は訪れたことがなかった。一方、16年後の私は、この小説に登場するすべての国を訪れている。ああ、年をとったんだな〜!


物語の鍵となる「タクシーに乗った男」が描かれた絵画を、画商の女主人公はチェコ人の男から買い取る。この男は1965年、チェコから亡命し、女主人公の住むニューヨークにやってきたのだ。1960年代、チェコ、亡命──16年前の私は何も知らないのだ、それらの言葉がのちのち自分の人生に重くのしかかってくることを。6年後の自分が大学院で「1960年代・チェコ・亡命」の研究をする羽目になることを、10年後の自分がそのせいで変なハンドルネームを名乗ってインターネットで文章を書く羽目になることを。


この短編は、もしかすると高校生だった私の深層意識に沈み込んで、私のその後の人生を影で操っていたのかもしれない。と、いうのはもちろん冗談で、まあただの偶然なんだけど、読み返したらなんだかその後の自分の人生を予言されていたような気持ちになって、「気持ち悪!」と思った。

プールサイド

この話は最初の数行を読んで、「ああ、私は昔、この話がいちばん好きだったな」と思い出した。他のことはすっかり忘れているのにプールで黙々と泳ぎ続ける男のイメージだけは鮮明に残っていて、私の中では「『回転木馬のデッド・ヒート』=プール」だったのである。ただ、読み進めていくうちに、だんだん私の顔は青ざめていった。


主人公は35歳になった男なんだけど、彼は人生においてまずまずの成功をおさめているといっていい。やりがいのある仕事と幸せな家庭、若い不倫相手、頑丈で健康な体、緑色のスポーツカー、クラシックレコードのコレクション。これ以上欲しいものなんて何もない。これ以上何を求めたらいいのかわからない。彼はふと、そのことに気付いて愕然とし、ソファーで泣く。全部持っているのに、満たされない。


私の人生は成功と呼ぶにはほど遠いが、でも、この男の気持ちが痛いほどよくわかる。生きている限り、人間は満たされないのだ。永遠に何かを求めて彷徨い続け、そして満たされないまま死ぬ。なんて惨めなんだろう。ある種の人間がそのことにようやく気付くのが、ちょうど30代前半くらいなのかもしれない。


それにしても、なぜ私は高校生のくせに、よりによってこんな暗い話がいちばん好きだったのか。アラサー以上の人間が感銘を受けるならわかるけど、高校生のチョイスにしてはちょっと渋すぎないか。


私はこの小説を、ずっと好きだったというわけではない。いちばん好きだったことを再読して「思い出した」のであって、内容はすっかり忘れていたのだ。それなのに、今の自分の虚無的な人生観とリンクしている。そのことに今、わりとビビっている。私、あれから16年も生きたのに、全然変わってないんだな……。

今は亡き王女のための

主人公が仲間たちと雑魚寝しながら、その中のカワイイ女の子とゴニョゴニョしちゃうシーンだけを、なぜかばっちり覚えていた。なんでこのシーンだけ鮮明に覚えてるんだろう。エロかったからか!?

昔も今もあまり感銘を受けなかったので割愛。

嘔吐1979

この話は再読するまですっかり忘れていたので、感覚的には初めて読んだも同然だった。すっかり忘れていたけど、そのわりにはけっこう好きな話。ある男が、原因不明の嘔吐といたずら電話に、40日間悩まされ続けるという話である。


嘔吐の原因はなんだったのか? いたずら電話の犯人は誰だったのか? 明らかにされないまま物語は終わる。嘔吐の原因にしてもいたずら電話の犯人にしても、「仮説でいいんなら、百だって二百だってひっぱり出せるさ」。問題は、起きた出来事の原因として、自分がどの仮説をとり、何を学ぶかということである。


「失敗から教訓を得なさい」とよく人はいう。たしかに、それは正しい考え方だ。だけど、失敗の原因ってどれもいってみれば「仮説」なんだよな。誰かを怒らせたり傷つけてしまった場合だって、相手の体調が悪かったのかもしれないし、たまたま機嫌が悪かったのかもしれない。すべては「仮説」に過ぎないという前提に立った上で、どの「仮説」をとるか、人生はそれの繰り返しな気がする。

雨やどり

これも、あまり記憶に残っていなかった話。記憶に残っていなかったということは、高校生のときは読んでも特に何も感じなかったのだろう。しかし今読むと、ちょっと女性蔑視が入っている気がして、なかなか「好き」とは言い難い。まあ、この短編集自体が古い時代のものだから、ある意味ではしょうがないのかもしれない。今は村上サンの意識も変化しているだろうことを祈る。昔付き合いのあった女性編集者が、大手出版社を退職して無職になり、その期間にお金持ちのおっさんに売春をしたという話である。


今後、こういう類の「当時はすっと受け入れられていたが今となってはポリコレ的にやばすぎる作品どうしようか問題」は各所で噴出するだろうと思う。アラーキーなどの一件もその一つといえば一つである。アラーキーの場合は実際に被害に遭われた女性がいるのでまた難しいが、少なくとも生身の関係者がいない小説などの場合、参考になるのは映画史におけるD・W・グリフィスの『国民の創生』的なポジションかなと(個人的に)思う。


国民の創生』にはKKKが英雄的に登場し、黒人は悪役として描かれる。だから今の倫理観に照らしわせるととんでもねー映画なのだが、それはそれとして、映画史を勉強するときにグリフィスの『国民の創生』は絶対に出てくるし、「当時の」という注釈付きで名作として扱う。倫理的には問題があるけど、それはそれとして映画の歴史を一歩進めた画期的な作品ではあるので、注釈付きで名作扱いする。なかったことにはしない、というやり方である。


「なかったことにはしない」という扱い、個人的にポイントなんじゃないかなと思っている。小説の感想じゃないけど。

野球場

これは、「ああ〜こういう話あった気もする〜〜」という、覚えていたとも覚えていなかったとも言い難い作品だった。ただ、この話から得られた教訓は私は特になし。

ハンティング・ナイフ

これも完全に忘れていた話。やっぱり、ところどころ女性蔑視的な香りが漂っている気がして不快(まあ村上春樹の作品においてそれを言い出すとキリがないのだけど)。教訓はよくわからないが、終わり方が好き。唐突なエンディングって好きなのだ。


いずれにしろ、これは私の価値観だけど、自分の好きな作品を、好きだからといって「問題はない」と擁護するのは悪手だろうと思う。「問題があることは認める。しかしそれでもなお私はこの作品のポジティブな面を評価しているし、好きだ」という態度を私はとっていきたい。

まとめ

回転木馬のデッド・ヒート』の16年ぶりの再読は、なんだかタイムカプセルを開けるような体験だった。当時の私にとって村上春樹とはまだ「大好きな作家」ではなく、『パン屋再襲撃』がけっこう面白かったからもう1冊なんか読んでみようかなくらいの存在だった。チェコのこともフィッツジェラルドのことも、まだ何も知らなかった。あと時代もそうだし、私自身も幼かったので、村上春樹が小説において女性をどう描いているかとか全然気にしなかった。


『タクシーに乗った男』や『プールサイド』のように、この短編集には、その後の私の人生の伏線になるような話がいくつか入っている。そのことが、少し怖いような、ちょっと嬉しいような、不思議な気持ちだ。『回転木馬のデッド・ヒート』は、まだ何も知らないスポンジみたいな脳みそをしていた高校生の私の深層意識の中に、するすると入り込んでしまったらしい。


よく、昔の恋人がつけていた香水のかおりがふと鼻をさすと、当時の記憶が蘇ってくるなんてことを誰かがいう。私はちょっとそういう体験はないのだけど(ロマンチックじゃなくてすいませんね)、何年も前の記憶が、当時の映像や小説や音楽によって、暴力的に引き出されてしまうことならたまにある。忘れていたと思っていた。「なんでこんなこと覚えてるんだろう?」と思う。


人間の脳みそには、開けないままでいる、でも確かに存在している引き出しが、いくつかあるんだろう。ふとした偶然から開けられる引き出しと、おそらく永遠に開けられることのない引き出しと、両方。

他の短編集のレビュー

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忙しいとき暇なとき

去年の今頃、記憶にある限りではずーっと全然なんにも予定がなくて、けっこう暇していた気がするんだけど、今年は良くも悪くも予定がたくさんあって最近ちょっと疲れている。暇なときは暇なときで「私このままで大丈夫か?」という気になってくるし、暇じゃないときは暇じゃないときで「ちゃんと毎日8時間寝たい」と思っている。どっちがいいかというと、別にどっちもよくない。


風姿花伝 (岩波文庫)

風姿花伝 (岩波文庫)


ただ、暇だった去年の今頃、世阿弥の『風姿花伝』を読んでけっこう感銘を受けたことを覚えている。名著すぎて感想を書こうにも手に負えずにいたのだけど、1年越しの今なら少し、手がつけられそうな気がしないでもない。


世阿弥の考え方の中には「男時」と「女時」というのがある。以下はちょっと自己流の解釈が混ざるけど、男時は運気の上昇期で、周囲からの注目度が高まるとき。一方の女時は運気の下降期で、周囲からあまり注目されないとき、物事があまり上手くいかないときである。


私たちはつい、華やかな男時をいいものだと考えてしまう。男時がずっと続くといいなと思ってしまう。だけど、男時と女時は交互にくるので、男時がずっと続くというのは好む好まざるに関係なく、ありえないのだと世阿弥はいう。


続いて世阿弥は、男時ではなく、女時をどう過ごすかが重要なのだと説く。いわく、自分が女時にいるなと思うときは、無理して勝ちに行ってはいけない。無理して予定を詰め込んだり、無理に周囲からの注目をかき集めようとしてはいけない。女時にさしかかっているときは、ただじっと待て、と説く。じっと待っていれば、必ずまた男時はやってくる。そのときにとっておきの演技(能の話なので)を見せてやればいいのだと、世阿弥はそういっている。


とはいえ、女時にさしかかっているときは、もう二度と男時はこないのではないかと焦ってしまう人も少なくないだろう。そういうとき、世阿弥のいっていることはただの精神論のように聞こえる。ただ、この1年で「忙しいとき」と「暇なとき」を両方経験した私としては、世阿弥のいうことはやはり正しかったな、と結論付けざるを得ない。女時で焦ってはいけない。


男時/女時という言葉がしっくりこなかったら、単にアウトプット期/インプット期と考えてみてもいいのだと思う。女時は周囲からあまり注目されないので、ひとりで黙々と勉強したり、インプットをするのに最適な時期だともいえる。そしてそういう時期の「溜め」があるからこそ、男時でより力を発揮できるのではないか。



何よりも、「いいときも悪いときも、超然としていられる」って人としてすごく強いと思う。いいときは時の運、決して驕ってはいけないし、悪いときも時の運、焦らずにじっくりと蓄えを作る。


現代人の悩みの多くは「待てない」ことから発生している──はちょっと言い過ぎだけど、「待てる」って、自分を信じられるってことだ。強くないと、待つことはできない。たぶんだけど、人生において、男時よりも女時のほうが重要だ。試されているのは、女時にさしかかっているときのほうである。


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というわけで、今週はちょっと意識高い話しちゃったな。『風姿花伝』ってそこらの自己啓発書が真っ青になるガチマッチョの自己啓発だと私は思う。なんせ書かれたのは600年前だ、ナポレオン・ヒルなんて目じゃない。私はしゅんとしたとき、『風姿花伝』を心の書として生きていこうと思っている……。


もっと詳しいプロフィール/これまでのお仕事(2018年〜)

2018年以降のお仕事をまとめています。2015年〜2017年のものはこちら。

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