チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

11/20(水)B&B 三宅香帆×チェコ好き 「私たちが抱える“問い”の答えは全部本にある」イベントのお知らせと、雑記

タイトルのとおりですが、11/20(水)20時より、下北沢の本屋B&Bにて書評家の三宅香帆さんと本についておしゃべりします! 仕事終わりにふらっと寄ってもらえると嬉しいです。詳しくはB&Bさんのページにて……。


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三宅香帆×チェコ好き「私たちが抱える“問い”の答えは全部本にある」『副作用あります!? 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)刊行記念 | 本屋 B&B


三宅さんはデビュー作からヒットを飛ばしているミラクルすごい書評家さんなのだけど、本の読み方、本に求めるものなどが私たちは似ているなあと思うことがしばしばあります。こんなことをいうと三宅さんファンに怒られるかもしれないが、ちょっと皮肉っぽい、ひねたことを考えるところも……(笑)


だからじっくりお話できるのが本当に楽しみです。

以下、雑記


ところで、これはイベントと関係あるようなないような話なのですが、最近「世の中変わったなあ」と思うことが本当に多いです。詳しくはnoteにも書いたのだけど、

note.mu


5年前くらいだったら、私がここに書いていることって「はあ???」って感じだったんじゃないかと思うんです。いや、今でも十分「はあ???」と思われているかもしれないが、もっともっと「はあ???」だったというか……。


何が言いたいのかというと、5年前は、もっと自分を責める風潮が強かった気がするんだよね。私が悪い。私が変わらなきゃ。世のせい、人のせいにするのはダメな人間のやること。そういった風潮が、今よりももっと強かったと記憶している。


風向きが変わったのは、はっきりと言えるわけではないけれど私の肌感だと2018年の明けくらいかなあ。そのあたりから、「いや、これって本当に私が悪いのか?」「私だけが変わったって意味なくないか?」「おかしいのは私ではなくて社会構造のほうなのでは?」というような議論が、けっこう一般的になってきたように思う。


一方、私のほうはもう5年前から、いや高校生くらいから、ずーっと「私じゃなくて社会が悪いでしょ」というスタンスを貫いてきた。なので、今の世の中の様子を見て「ほら! やっぱりそうだったじゃん!」と思っている……とか言ったら、これはマウンティングになりますか?


冗談はさておき。とはいえ、会社のせい、上司のせい、社会のせいにして、文句ばかり言っていて自分は何もしない人──私は、そういう人になろうと言っているわけではもちろんない。正確に言うと、「文句ばっかり言う」まではOK。文句ばっかり言いながら、行動しよう、と思っている。行動とはもちろん、社会を変革する行動だ。


私は悪くない。だから、おかしいと思ったことは上司に言う、会社に訴える、社会を変える。当然ながら、明日からすぐに何か大きく変わるわけではない。少しずつ少しずつ、行動を積み重ねることによって、10年20年という年月をかけて社会を変えていく。私は、そういう「文句ばっかり言う人」になりたいな、と思う。


am-our.com

ところで『ブスの自信の持ち方』というタイトルから真っ先に連想されるのは、容姿についてコンプレックスを抱きがちな人は、メイクやおしゃれを頑張って自信をつけよう! みたいな内容ではないだろうか。もちろん、そういった行動が無駄なわけではない。だけど「ブス」と悪口を言われてしまう人がメイクやおしゃれを頑張る──〈自分を変える〉ことは、社会の中にある容姿差別を温存したまま、無抵抗に従うということでもある。本来変わらなくてはいけないのは〈私〉ではなく、誰かの容姿に対して何のためらいもなく「ブス」という言葉をぶつけてもいいと思っている、〈社会〉のほうではないだろうか。


上はAMの連載で書いたことなのだけど、もう本当に、年寄りかと思うほど同じ話をしているな私は……。容姿の話は一例だけど、自分があまり綺麗ではないことに悩んだら、メイクやおしゃれを無理して頑張るのではなく、綺麗ではない人でも堂々と生きられるように社会を変えるほうがいいと思いませんか? メイクやおしゃれが好きならやってもいいけど。


ここまで読んで、「社会なんてそうそう変わらないよ」と思う人がもしいたら、「いや変わるよ、事実ここまで変わった」と私はいろいろな例を持ち出して力説する。でも今の日本に生きている人で、それを言い出す人はあまりいないんじゃないかな。本にも書いたけど、政治家にならなくても、インフルエンサーにならなくても、1人1人の意識と行動で社会は変えられますからね。


そして、どういう社会に変えたいか? 変えるために何をすればいいのか? 
そのアイディアとヒントをくれるのは、私の場合はいつだって本なのです。



三宅さんの著書一覧

人生を狂わす名著50(ライツ社)

人生を狂わす名著50(ライツ社)

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

文芸オタクの私が教える バズる文章教室

副作用あります!? 人生おたすけ処方本

副作用あります!? 人生おたすけ処方本

本が出ました/寄稿のお知らせ/目標から逆算する生き方が苦手(雑記)

お知らせしていたとおり、本が出ました〜。Twitterを見てくれている人にはとっくにお知らせ済ですが、そういえばブログは「ゲラの下読みをしてください」と言ったきりだった。


イトイ圭さんのかわいいイラストが目印です。黄色×ピンクなので、あらやだちょっと派手じゃないかしらと思っていたけど、本屋さんで陳列されているところを見てみたらわりと馴染んでいて、別にそんなことはなかった。素敵な装丁にしていただいてありがたい限りです。



それと同時に、DIGITALISTの連載も最終回が公開されている。間がめちゃくちゃ空いてしまったので、第1回と第2回のリンクも貼っておきます……。


project.nikkeibp.co.jp

第1回:「旅」とはいったい何なのか?──「世界の七不思議」から聖地巡礼まで - DIGITALIST|デジタリスト
第2回:
旅で教養は身につきますか?──哲学者たちが旅した18世紀のヨーロッパ - DIGITALIST|デジタリスト


あとSmartNewsのオウンドメディア「スマQ」でも、インタビューした記事が公開されている。マクルーハンの関連書籍について聞いてきました。私もこれを機に『メディア論』などを読んでみたりした。


q.smartnews.com

メディア論―人間の拡張の諸相

メディア論―人間の拡張の諸相


目標から逆算する生き方が苦手

お知らせもそこそこに、ここからは雑記である。


私は以前、アフリカの少数民族とかの写真を撮っているヨシダナギさんのトークイベントに行ったことがある。そのとき会場から、「ヨシダさんは、結婚やキャリアについて、どのように考えていますか?」という質問が出た(録音していたわけではないので正確ではない)。


ヨシダさんのその質問への回答が、なんと「考えたことありません。心がアフリカ人なので、良くも悪くも明日より先のことは考えられなくて」だったんですよね。もしかしたら質問した当の女性は拍子抜けしてしまっていたかもしれないが、私はヨシダさんの回答を聞いて「いや、そうだよな、それでいいよな」と思ったのでした。


これは今を生きる女性全員に推奨できる思想なんかでは全然ないのだけど、目標から逆算して生きなくても別にいいよなと、私はその場で思ったのです。「何歳までにこれをやる、結婚する、子供を産む」とかってやってると、それを達成できなかったときにしんどくなってしまうから。今日したいこと、明日したいこと、あとはせめて1ヶ月先にしたいことくらいまでを考えて、あとは行き当たりばったりでいいじゃねえかと。まあ、私も32歳とはいえまだまだ若い部類に入るのでこんな呑気なことを言っていられるのかもしれないが、私も「この先のキャリアプラン」などを聞かれた際には、堂々と「わかんないです」と言おうと思った。これから先もずっと、本を読んで、映画を観て、旅をして、文章を書いているとは思うけど、それ以外のことはわかんないです。


だけど、この考え方が向かない人がいることも当然、知っている。人は1人では生きることができなくて、精神的にも物理的にも何かしら外部に依存しているものだけど、私は幸か不幸か依存先を「生きている人間以外」にすることができたほうの人間だ。誰にも認めてもらえなくても、誰にも愛されなくても、読書や映画鑑賞をすれば登場人物と心を通わせられるし、南米に行ってイグアスの滝でも見ればその水しぶきやひらひら舞う蝶によって孤独を癒すことができる。こう書くとなんだかポエミーだけど、ようは「オタク気質」なのである。生きている人間、隣にいてくれる誰かと心を通わせられなくても、コンテンツがあれば生きられる。そして、「とにかく生きている人間と心を通わせたい、認められたい、愛されたい」と思っている人には信じ難いだろうが、私みたいなタイプの人間は決してマイノリティではなく、探せばけっこうそのへんにゴロゴロいる。さらにいうと、この性質はおそらく人生のかなり早い段階で決まってしまう先天的なもので、オタク気質の人間がそれを脱することはできないし、その逆もまた然りだ。


私は、やっぱり自分と同じタイプ、「依存先を人間以外にすることも可」な人への情報発信がいちばんやりやすい。「先のことなんか考えなくてもいいじゃん」と言えるのは、単純にバカだからってのもあるが、先のことなど考えなくても(金がかかるので旅はともかく)読書ができなくなったり文章を書けなくなったりすることはまあ確かにそんなにないからだ。本なんて図書館に行けばタダだし、青空文庫ダウンロードすればいいし、ブログやnoteは無料で書ける。極論、恋人にも友達にも全員去られて生活保護になっても、たぶんいちばん大切な心の潤いは失わずに済むと思う(それなりに絶望はするだろうが)。だから先のこと、本当にあんまり考えなくても大丈夫だと思っている。


でも、生きている人間に認められたい、愛されたいと思う人は、確かにそんなわけにはいかないよな。仕事で認められたいだろうし、結婚しないと不安だろうし、子供も欲しいだろうなと思う。そうすると、やっぱり目標から逆算する生き方をしたほうがいいんだろう。それが悪いとは全然思わない。こういうの、まじで、持って生まれた性質だから。あと、私みたいなタイプは有事の際(天変地異で大切な人がごっそり死んだとか、それこそ強制収容所にブッ込まれたとか)にめちゃくちゃ強いが、平常時はただのフラフラしてるアホなので、普通は生きている人間に依存するタイプの人のほうが強いのは言うまでもない。


自分と同じタイプへの情報発信だけしててもいいのかもしれないけど、なんとなく、自分と違うタイプの人がラクになる文章も書けるようになったらいいなと思っている。今はまだ、全然できてないけど。

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イグアスの滝

9月発売『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか』ゲラを読んでくださる書店員さんを募集中です!

ブログをお休みしていましたが、暑いので引き続きもう少しお休みしますが、お知らせです!

aniram-czech.hatenablog.com


9月に、大和出版さんより『寂しくもないし、孤独でもないけれど、じゃあこの心のモヤモヤは何だと言うのか』という本を出します。AMの書評連載を書籍化したものですが、書き下ろし部分が大幅にあります。書影はまだだけど、Amzonページもできております〜!


(これは自前の表紙イメージ↓)

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これまでは「チェコ好き」というハンドルネームで活動していましたが、身近なところではすでに「チェコさん」と呼ぶ人と「まりなさん」と呼ぶ人が混在しており、ややこしくてすまねえという気持ちになってきたのでこれを機に(?)本名での活動に徐々に切り替えていこうかと思います。しばらくは慣れないと思うので併記しますが。本当は、いつミステリー作家に転向してもいいように「清涼院流水」みたいなかっこいい名前にしようかなと思ったけど、思いつかなかったので諦めました。「清涼院さん」と呼ばれたかった。


そして発売にあたり、すでに数件お問い合わせをいただいているのですが、ゲラの先読みにご協力いただける書店員さんを募集しております。


その際、ご連絡は担当編集の北川さん(kitagawa@daiwashuppan.com)へメールか、もしくは大和出版アカウント(@daiwashuppan)までDMしていただけると助かります!



発売後にまたイベントの告知などもしていきたいと思っているので、ぜひぜひお会いしましょう。


最後に。このブログは2012年からやっていますが、7年も経つと私自身にも世の中にもいろいろな変化があり、良い意味でも悪い意味でも、なんだか複雑な、不思議な気分です。


一時期は、アフィリエイト系の人と混同されるのが嫌で、「ブロガー」と名乗ることを恥ずかしく思っていたこともありました。さらに、今はnoteの勢いがすごいので(悪口ではなく私も使っています)、やっぱり、「ブロガー」と名乗るのはどうなんだろうと思うこともないわけではありません。


だけど、私はもともと出版やウェブメディアの業界の近くにいた人間ってわけでもなく、あくまで「ただブログを書いていただけの人間」だということを、忘れないでいたいなあとは思うのです。今ではライターの友人も、編集者の友人も、小説家の友人もたくさんいるけれど、彼らに会えたのは、このブログがあったからだということを忘れないでいたいなあと思うのです。だから今後も、プロフィールや名刺には堂々と「ブロガー」って記載していこうと思っています。あ、記載はいつかなくなるかもしれないけど(なくなるのかよ)私の心はいつまでだってブロガーというか……。


まあ細かい話はいいや。「9月に地球に隕石が落ちてきて書籍どころの話じゃなくなったらどうしよう」と私はいまだに(真剣に)心配しているので、無事に出たらいいなと思っています。繰り返しますが、ゲラの先読みをしていただける書店員さん募集中です!

しばらく、ブログ更新お休みします。

毎週木曜日の22時に更新するというスタイルでここ1年半くらいこのブログをやってきたのですが、しばらくブログ更新をお休みします。再開は9月頃の予定。「書く意欲がない」とかではなく、まとまった執筆時間をとるためです。2012年からずっとブログをやってきて、初めての長いお休みです。


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(※これはアルゼンチン・ウシュアイアのオタリアちゃん)


なお、今週末の読書サミットにはもちろん予定通り登壇します。まだ席があるはずなので、この時間が空いている人はぜひ! ご参加ください。


Facebookページ
www.facebook.com

Peatixページ
tokyo-book-summit.peatix.com

私が好きな女の子

日記

「年齢による体の変化」みたいなものを、幸か不幸かあまり感じていない。腰痛気味なのだけど肩こりは小学生のときからあったし、肌の調子は曲がり角どころか今が人生でいちばんいい。食べる量も食べ物の好みも変化なし。高カロリーなものは昔からずっと苦手だったし、少食なので「給食でのお残し禁止」だった90年代の学校文化には恨みさえ抱いている。だからなんとなくこの感じのまま歳をとり続けるのだろうと錯覚しているところがあるが、もちろんそんなわけにはいかないのだろう。


ソースを完全に忘れたので引用はできないのだけど、多くの人は「ポックリ」死ぬことを望んでいるらしい。そりゃ、気持ちはわかる。誰も、弱っていく自分、体の自由が利かなくなる自分、寝たきりになってしまう自分なんて見たくないだろう。亡くなる前日までハキハキ動いて意識もしっかり、そしてある日突然ポックリ逝く。だけど現実は理想のとおりになんていくはずはなく、ガタがきている体を修復し修復し、徐々に徐々に悪くなっていくのを体感しながら死ぬのだろうな。なんとなく今週はずっとそんなことを考えていたのだけれど、別に気分がふさぎこんでいるわけではなく、これが私の通常運転だ。

今週読んだ本

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

杳子・妻隠(つまごみ) (新潮文庫)

古井由吉は実は初めて読んだ。

虞美人草

虞美人草

そして夏目漱石の『虞美人草』は何回目かの再読である。私は夏目漱石の中ではこれがいちばん好き。というか海外文学ばかり読む人間なので、素直に心の底から「好き」と言える日本の小説はこれが唯一かもしれない(村上春樹などは好きだけどいろいろ複雑な感情を孕んでいるので……)。『虞美人草』はまず文章が極限まで洗練されていてとても美しいのだけど、なんといっても、この小説のヒロインである藤尾という女性が魅力的なのだ。


3月に少人数で行なったイベントで、それぞれが「魅力的だと思う女の子」について話したのだけど、私はそこで山崎ナオコーラの『人のセックスを笑うな』に登場した「ユリ」をあげた。映画だと松山ケンイチと不倫する永作博美である。あともう一人、語らせてもらえればよかったなあと読んでいて思い出したのが、この『虞美人草』の藤尾である。


人のセックスを笑うな

人のセックスを笑うな



主人公の小野さんは、恩師の娘でもある小夜子という許嫁がいる。だけど真面目で地味な小夜子よりも、インテリで頭の回転が早く会話も面白い・おまけに美人である藤尾にどうしようもなく惹かれ……というのが『虞美人草』のすごい大まかなあらすじなのだけど、夏目漱石の筆が凄まじいので、藤尾の匂い立つような色気と魅力が行間から溢れ出ている。


「ユリ」と「藤尾」の共通点を無理やりあげると、まずは2人とも、決して若くはない。ユリは39歳だし、藤尾は24歳だけど明治時代で考えると「いきおくれ」に該当する年齢である。ユリも藤尾も周囲の男を翻弄するのでまあモテるのだけど、いわゆる(?)女子力やゆるふわ力でモテているのではなく、知性や自立心に裏付けられた芯の強さでモテている。そして、型にとらわれず自由だ。まあ、遠回りな言い方になったけど、ようは2人とも私の憧れの女性なのである。私はこんないい女にはなれないけどな……! 『虞美人草』についても、どこかでちゃんと書く機会があればいいのだけど。


ところで、来月上旬の読書イベントでお話しする予定の本はもう決まっています。まだ申し込み受付中のはずなので、お時間のある方はぜひ遊びにきてください。

aniram-czech.hatenablog.com