チェコ好きの日記

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老いと成功|finalvent氏『考える生き方』を読んで

アルファブロガーとして有名な、
極東ブログfinalvent氏の著書『考える生き方』を読んでみました。

考える生き方

考える生き方

一部の評価では、「finalvent氏のファンなら楽しめる本」
みたいになっているようですが、
私は、極東ブログのファンでも、
finalvent氏のファンでもありません。

ではなぜこの本を買って読んだのかというと、
finalvent氏がご自身のブログでいっていた、
『失敗した人生』という言葉が、とても気になったからです。

失敗した人生というか、いろいろ自分なりに頑張ってみたけど、たいしたことなかったなあ、という人生は、ごく普通の人生ではないか、そういう意味で、普通の人生をそれなりに55歳まで過ごした人の思いの、ごく一例みたいな本があってもよいんじゃないかと思いました。 

本屋さんに行くと、ギラギラしたオーラを放っているビジネス書や自己啓発書が、たくさんおいてあります。

でも、そういった本に書かれている世間一般的な
「成功」を手に入れられる人はごくわずかで、
どんなにスマホでタスク管理をしようと、
どれだけ高額なセミナーに投資しても、
やっぱり大半の人の人生は「失敗」でおわってしまう。

では、その「失敗した人生」を歩んできてしまった人は、
どうすればいいのか。
自分の人生を、どのように考えればいいのか。


そもそも、「成功」と「失敗」って何なのか。

そんなことを考えてみたくて、
私はこの本を手に取ってみました。

本書の目次は以下のようになっています。

第1章 社会に出て考えたこと
第2章 家族をもって考えたこと
第3章 沖縄で考えたこと
第4章 病気になって考えたこと
第5章 勉強して考えたこと
第6章 年をとって考えたこと

★★★

人生と「老い」
だれにでも共感してもらえる話なんじゃないかという気がするのですが、
実感が年齢に追いつかなくなる、というタイミングがあります。

私の場合、それは24歳くらいから始まりました。

8歳とか10歳とか14歳とかの頃は、
毎年誕生日がやってきて1つ年をとると、
「1つ年をとったんだなあ」という実感が、ちゃんとあります。
実際の年齢に、感覚がきちんと追いついている。

でも、いつしか、
毎年誕生日がやってきて1つ年をとっても、
「ん? 何で私が○○歳なんだ?」というように、
実際の年齢に、感覚が追いつかなくなってきました。

この、「年齢に対する違和感」のようなものは
いつなくなるんだろうとそわそわしていたのですが、
finalvent氏の著書を読んで、どうやらこれは、
もう一生なくならないらしい、ということがわかりました。

自分は本当は10代なのに悪い夢を見ているんじゃないかといったこともふと思う。「ほらほら目覚めないと中学校に遅刻するよ」なんて夢オチ。まさかね。
でも老人になっていく自分は、夢ではなくて、現実。

私も、まだ25歳だけれど、今ですら、
「悪い夢なんじゃないか」という気は、すごくします。

鏡に映った自分の姿が、老人になっていく。
夏目漱石や、三島由紀夫の年齢を追いこして、
いつの間にやら名だたる文豪が「年下」になっていく。

これらは、だれにでも平等に起こる、
生きていれば当たり前の現象です。
でも、ある意味でそれは、
目まいを起こすような絶望です。

30歳になったとき、40歳になったとき、50歳になったとき、
自分は何を考えているか。

この本は、実業家でもない、モデルでもない、小説家でもない、
「普通の人が、老いていく」とはどういうことか、
その過程をじっくり見せてくれる本だと思いました。

実際には私はまだ25歳で、
50歳や60歳になったことはないのであくまで想像ですが、
finalvent氏の考えのあとをたどっていくと、

きっと自分も、
こんな風に感じながら年をとっていくんだろう、と、
1本の道のようなものが見えました。

私の年代だと、まだ「老い」や「死」について
真剣に考えている人は少数なので、
きっと私が変わり者なのでしょうが、

私は自分がどのように老いていくのかがこの本によって想像できて、
何だか安心しました。

本書にも書いてあったけれど、
絶望予防の「心のワクチン」という感じです。まさに。


人生と「成功」
冒頭でも紹介したように、finalvent氏はご自身のことを「失敗した人生」といいます。

でも傍目から見れば、アルファブロガーとしてこうして著書を出版されており、
奥さんもお子さんも(しかも4人)いらっしゃるので、
十分「成功した人生」といえるのでは、という気もします。

それでも、finalvent氏がご自身の人生を「失敗」というのは、
おそらく「若い日の希望を基準に測っているから」です。

「若い日の希望を基準に」考えると、大半の人の人生は「失敗」になります。

なので、人生の後半にさしかかって「人生、失敗だった」と思いたくなければ、
「若い日の希望の基準」のハードルを下げておく、というのが
賢明な判断なのかもしれません。

何のハードルをどの程度まで下げるのかは、
もちろん人それぞれ自分で考えるしかありません。

でも、本書を読んで1つ思ったことは、
タイトルにもなっている、
考える生き方」ができるような年の取り方をすれば、
人生だいたいOKなんじゃないかということです。

「考える生き方」ができるようになるためには、
教養、リベラル・アーツが必要です。
人文学、社会科学、自然科学。

恋愛などをうたいあげる文学はえてして若い人のもののように思われているが、文学が本当の意味をもつのは、むしろ仕事に脂がのる30代、40代からだ。仕事もできて世の中のお金も動かせるようになり、性的にも成熟したとき、若い日とは違う恋愛に出会うこともある。きれい事ばかりではすまない人生のなかで、ふと悪に手を染めることもある。友だちを裏切り、死に追い詰めることすらあるかもしれない。人間が生きているかぎり、どうしようもない問題と、その背後に潜む妖しいほどの美がある。それに真正面からぶつかっていくには、文学を深く理解する力が必要になる。安っぽい道徳や単純に信仰を強いるような宗教では乗り越えられはしない人生に残るのは、人間の学たる人文学である。

私はお世辞にも「教養のある人間」とはいえないので、
あと30年くらいかけて、
どうにか「教養のある人間」になりたいです。

それが、ギリギリまでハードルを下げた、
私の唯一絶対の「成功した人生」なのかも。

共感してくれる人はとても共感してくれるし、
共感してくれない人には「何いってんのこの人?」
という目で見られるのでしょうが、
やっぱり人間「教養」だよなあ、と思わせてくれる本でした。

★★★

とりあえずまとめると、
「成功」とか「失敗」とか、

そういう枠組みを超えて自分の人生を考えたいときに、
何かのヒントになる本なのではないかと思います。

「十分成功してるじゃないですか!」
というツッコミはおいといて、
著者のいうとおりこれがやはり「失敗した人生」なのだとしたら、

おそらく「失敗」するであろう大半の人は、
世にあふれる「成功本」より、
この「失敗本」からのほうが、
何かを吸収できる気がします。

おすすめです。