チェコ好きの日記

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スクールカースト撲滅は、日本を救う!?の巻

いきなりですが、「日本を救う」は盛りすぎだったかもしれないことを、最初にお詫びしておきます。

(え…………)


ところでみなさんは、「スクールカースト」という言葉を、ご存知でしょうか?

教室内(スクール)カースト (光文社新書)

教室内(スクール)カースト (光文社新書)

ご自分の中学校時代や、高校時代を、よーく思い返してみてください。

おそらく、あなたの学校には、クラスには、目には見えない、けれどだれが見ても明確な――奇妙な「序列」があったはずです。

それが、「スクールカースト」とよばれるものです。

カースト上位の子と、下位の子は、服装、髪型、容姿などの外見的要素のほか、異性との交流頻度、行事への積極度など、さまざまな局面において、明確な差が現れます。


たとえばカースト上位の子は、概して服装が派手です。今の中高生はもう履かないのかもしれませんが、その昔「ルーズソックス」という靴下が流行っていたころ、私の中学校では「ルーズソックスを履いてもいい上位階層の女子」と、「履いてはいけない下位階層の女子」という、2種類が存在しました。もちろん、だれがどの階層に属するのかが、明文化されていたわけではありません。生徒間での、暗黙の了解です。


ルーズソックス以外にも、上位層の女子はピアスの穴を開けてもいい、ブランド物の服を着てもいいなど、幅広いおしゃれの選択肢がありました。これに対し、下位層の女子には、そのほとんどが許されておらず、彼女たちはなるべく目立たない、地味な服装で学校に来なければなりませんでした。


外見的要素以外にも、この“暗黙のルール”は存在します。たとえば、上位層の子は、異性間の交流が活発なのに対し、下位層の子は、あまり目立った交流はできないような環境になっています。そのため、いわゆる「お付き合い」をしている率は、上位層の子の方が圧倒的に高いです。また、修学旅行や文化祭、体育祭などのイベント時の「発言権」や「周囲への影響力」も、上位層の子のほうが圧倒的な力をもっています。


おそらく、「スクールカースト」は、普通の日本人の学校に通っていた人ならだれもが身に覚えのあるはずのことなので、いちいち説明する間でもないとは思うのですが……念のため。


◆「スクールカースト」はなぜ“学校”にしか存在しないのか?

そんな「スクールカースト」についての本格的な研究がまとめられたのが、上記にリンクを貼った鈴木翔さんの『教室内(スクール)カースト』という本です。

こちらの本では、「スクールカースト」が時代的にいつ発生したのか、また学年でいうと何年生のあたりからそれが発生するのか、発生する要因は何なのかなど、さまざまな角度から、この奇妙な序列についての考察がされています。しかし、先行研究がほとんどないためか、本書ではどのデータも荒削りとしかいいようがありません。(しかし、「スクールカースト」を研究対象として学問の場に引っ張り出した功績は大きいと思います。鈴木さんの今後の研究に期待。)

スクールカースト」についてもっと知りたい! という方は本書を読んでいただくとして、私が「あれ?」と思ったのは、この「スクールカースト」、大人になったら、いつの間にかなくなっていたんですよね。


「スクール」という名がしめすとおり、この序列は、主に学校内で生じるものです。思春期をむかえる小学校高学年のあたりから徐々にその姿を現しはじめ、中学校でピークに達し、高校に入るとだんだん終息にむかっていく。大学では、わずかに残っているともいえなくはないけれど、ほとんど意識されない。そして、社会人になり「スクール」を卒業すると、この奇妙な序列は、完全に過去のものになる。
もちろん、個人によって感じ方に差はあるでしょうが、私のなかでは「スクールカースト」はだいたいこんなイメージです。


さて、この序列、なぜ「スクール」において発生し、そうでない場においては、発生しないのでしょうか。


実はそこには、日本の教育の問題点が、少しばかり見え隠れしています。
(海外の教育の問題については、この場では少しおいておきます)



◆リーダーシップを発揮する場で、「カースト」は発生しない

スクールカースト」が主に“学校”でその効力を発揮し、会社で働くようになるとほとんど意識されなくなる理由。

それを紐解くカギは、意外かもしれませんが、「リーダーシップ」にあるように私は思います。

以前、伊賀泰代さんの『採用基準』という本についてのエントリを書きました。
リーダーシップの重要性 マッキンゼーの『採用基準』 - (チェコ好き)の日記

『採用基準』で伊賀さんは、私たちがついつい想定してしまう、みんなをパワーでグイグイ引っ張る“1人”のリーダー像を否定し、

“メンバー全員”が、組織の成果達成のために最善を尽くす――それが本来の「リーダーシップ」である、と説いています。


思えば、会社に勤めていようと、独立してフリーで働いていようと、仕事というのは常に何人かで「目標」や「ノルマ」などの成果を求めて動いているわけです。たとえコンビニのアルバイトでも、工場のライン作業でも、それは同じです。


そしてその「何人か」というのは、多くの場合、あまり大きな数字ではありません。社員が1万人以上いるような大企業に勤めている人でも、日常的に一緒に仕事をするのは、多くて10人、だいたいは一桁程度の人数なのではないでしょうか。


何かデータがあるわけではなく、あくまで私の感覚値ですが、10人以下の組織で何か共通の成果を求める場合、そこではメンバー全員が何かしらの役割を持ち、責任を負い、さまざまな場面で各々が適確な判断を下さないと、まわりません。肩書上の1人の「リーダー」はいるかもしれませんが、その1人のリーダーがチームの全権を担い、すべてに判断を下すのは不可能です。チームの1人1人が、それぞれの持ち場で最善を尽くさないと、「成果」は出せないのです。


思うに、こういった組織では「スクールカースト」なんて発生しません。というか、発生する余地がありません。肩書上の1人の「リーダー」がいたとしても、各自が何かしらの役割を持ち、責任を負い、チームで共通した成果を達成しようとする上では、全員が「対等」だからです。だから、マトモな大人の世界では、学生時代のような、あの奇妙な序列は発生しないんです。


しかし、現代の日本の多くの小学校・中学校・高校では、「スクールカースト」が発生しています。これはつまり、言い換えれば「リーダーシップを発揮するような場が、子供たちにあたえられていない」ということです。


◆「リーダー」が育たない日本に、未来はない

学生時代の、文化祭や体育祭のことを思い出してみてください。楽しい思い出がある人も、苦い思い出がある人もいるかもしれませんが、思い出してほしいのはそこではなくて、その行事、「全員が参加」していましたか?


私自身の記憶をたどると、中心になって動いている子と、あまり積極的には動かず、上位層の子の指示を待っている子と、残念ながら2種類に分かれていたような気がします。「カースト」をこえた、活発な意見交換などは行なわれていませんでした。


もしかすると、このシステムは、これまでの日本社会のシステムにはうまく合致していたのかもしれません。一部の上位層が重要な判断を下し、それ以外の人間は、(言い方は非常に悪いですが)コマとして動く。それでうまくまわっていたのかもしれません。


でも、もうこの世界で、そんな組織が通用しないのは目に見えています。チームのメンバー全員が、各自でチームの最適を考え、最善を尽くせる組織。そんな組織を作れるような1人1人でないと、ダメなんじゃないでしょうか。そしてそのためには、就活の面接で「ゼミ長を務めました!」なんて声高にいっている場合ではなくて、それこそ小学生のうちから、「チームで動く、役割を持つ、責任を負う」というスタイルの教育をしていかないと、イカンのではないでしょうか。


いやいや、そんな教育どうやってやるんだ、という話ですが。
少人数で何かをやらせればいいのではないでしょうか。


たくさんの人数で何かをやろうとすると、私の学生時代の文化祭や体育祭のように、どうしても「中心になる人」と「指示を待つ人」ができてしまいます。メンバー全員がリーダーシップを発揮できるような組織の人数は、必ず10人以下。いや、小学生くらいだと、9人は少し多いかも。5人とか4人がいいかもしれません。


くじ引きなんかでランダムに4~5人の「チーム」を作り、3か月くらいを1つの目途に、何かのプロジェクトに取り組ませる。プロジェクト終了後はみんなの前で、「成果」を発表する。発表後はチームをシャッフルし、また別の4~5人でチームを作り……の繰り返し。3か月単位でやれば、1年で4つのチームを経験できます。


始めは、「できる子」が自分ですべてをやろうとして、他の子が指示待ちになってしまうかもしれません。でも、そういったチームは必ず失敗します。全員がリーダーシップを発揮し、最善を尽くすような組織じゃないと勝てないと、子供たちは徐々に学んでいくはずです。


ポイントは、「プロジェクト」に本気で取り組ませること。国語、算数、理科、社会他、すべての科目の知識や技能を使わないと成功できないような課題を出すこと。……などでしょうか。


実は、これまで日本でそういった授業がまったく行われてこなかったというと、そうではないんです。みなさんも、小学校や中学校のことを、よーく思い出してください。たとえば、私は小学生時代に、4~5人でチームを組み、「植物に関することわざを調べて、スライドにしてみんなの前で発表しよう」という、国語の課題を出された記憶があります。


チームは先生によってランダムに決められたので、どうなるか不安でしたが、4~5人で男女も入り混じると、「カースト」を超えた意見交換ができます。それで、その授業がすっごく楽しかったのも、覚えています。みなさんも、記憶をたどると、1度や2度、そんな授業をやったことがあるはずです。


この「少人数で、それぞれがリーダーシップを発揮し、プロジェクトに取り組む」という経験を子供たちにたくさん積ませることは、私はいじめや不登校の撲滅にもつながると考えています。なぜかというと、1年間で4つものプロジェクトに関わっていれば、だれもが必ず「自分の努力や能力が、チームの役に立った」という経験を積めるからです。その経験から得られる自己肯定感はハンパないですし、周りの友達からの承認も得られます。


あとは単純に、4~5人で「植物のことわざ」を調べてスライドにしたり、「たまねぎの生産地」を調べて地図にしたりするの、楽しそうじゃないですか? 座学で勉強するより絶対に楽しい。勉強が嫌いな子だって、絵を描いたり、農家のおばさんに話しかけるのが得意だったりすれば、それだけでチームに貢献できるんですよ。作業自体が楽しいし、きちんと成果が出てチームが認められれば、もっと楽しい。


これまで、そういったタイプの授業は「特別枠」でしかなかったけれど、これを「中心」に据えて、座学の勉強はそのプロジェクトを成功させるための講義である、みたいなスタイルにする。


私は、もし今自分が小学生だったら、そんな教育が受けてみたいです。

★★★

思いついたことを、思いついたまま書いてみました。

スクールカースト」に関しても、私が提案した教育方法に関しても、ご意見募集中です!

伊賀さんは、著書で「リーダーシップは訓練によって鍛えられる」といっています。
だから、若い頃からの訓練が必要なんじゃないかと思いました。

採用基準

採用基準

こちらは未読なんですが、「スクールカースト」についての小説のようです。

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)

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