チェコ好きの日記

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アラサー♀が『おひとりさまの老後』を読んで考えてみた。

現在26歳の私ですが、上野千鶴子さんの『おひとりさまの老後』という本を読んでみました。

おひとりさまの老後 (文春文庫)

おひとりさまの老後 (文春文庫)

なぜこの本を手に取ったのかというと、「働き方」とかについて考えすぎるあまり、先行して話が「老後」と「死」にまでいってしまったとでもいいましょうか、「終わり」から「今」を考えてみるのはどうだろうと思ったとでもいいましょうか……。

数年前に発売され、ベストセラーになった本書。
発売当初から大学の先生に読むように勧められていたのですが(勧める先生もどうかと思うが)、当時私は学生だったため、目先の就活に必死で社会人になった後のことまで考えられなかったんですね。数年間社会人をしてみて、ようやく「そういえば、この先どうなるんだっけ?」というところまで考えが及んだ、というか及んでしまった、というわけです。

最後はみんな「おひとりさま」?

著者の上野千鶴子さんが、フェミニズムの研究者であることは有名ですよね。
なので当然、というべきか、本書のメインのターゲットは、「生涯未婚で過ごしてきてしまった女性(団塊世代)」です。

しかし、本書の冒頭で上野さんが「なあーんだ、みんな最後はひとりじゃないの」といっているとおり、「未婚女性」以外の人は「おひとりさまの老後」とは無縁なのかというと、そんなことはありません。

2010年時点の日本人の平均寿命は、女性が86.4歳、男性が79.6歳。同い年の男女が結婚して、それぞれが平均寿命まで生きたとすると、多くの場合女性のほうが長生きします。つまり、女性は老後の何年かを、未婚・既婚に関わらず高確率で「おひとりさま」として過ごす運命にある、というわけです。

もちろん、では男性は「おひとりさまの老後」とは無縁なのかというと、そんなことはないです。未婚男性の場合は言うまでもないですが、既婚男性だって、奥さんに先立たれる可能性や、将来離婚する可能性が、なくはありません。女性より「おひとりさま」になる確率は低いかも、というだけで、当たり前ですが可能性はゼロではないんです。むしろ、万が一運悪く「おひとりさま」になってしまった男性は、女性より心構えや準備が足りなかった分、精神的にがくっと来てコロッと逝ってしまう……なんてことがありそうです。
奥さんが亡くなった後、旦那さんも後を追うように……とかって、よく聞く話ですよね。


いやいや、既婚の男女なら多くの場合、子供がいるから「おひとりさま」じゃないよ! という話になりそうですが、「子供との同居率」は時代を経るごとに下がっているというデータがあるそうです。65歳以上の高齢者と子供の同居率は、1980年代には70%でしたが、2008年には44%。この「同居率」が、今後再び増加していく可能性は低そうです。また、子供たちの独立に伴っていったんは「別居」を選び、老後に再び「同居」をすることになった中途同居の人は、最初から同居していた場合やひとり暮らしの人よりも、幸福度が低いというデータもあるらしいです。子供がいても、独立した子供は1人の立派な「おとな」なので、「おとな」と「おとな」が暮らすには、やはりお互いに気を遣ったり神経をすり減らしたりしなくてはならないことが、あるのかもしれません。それでもあなたは子供と同居を選びますか? という話です。


とにかく、超高齢化社会ニッポン! なわけですから、「おひとりさまの老後」を考えなくてもいい人はいない、といっても過言ではないでしょう。「おひとりさま」にならずにすむ人ももちろんいるでしょうが、誰が・いつ・どんなふうに亡くなるかなんてわからないし、こればっかりは、統計も確率もアテにならないですよね。心構えくらいしておいても、損はありません。
備えあれば憂いなし、というわけです。

お金はどうなるの!?

先日、ブロガーのちきりんさん主催で行われたソーシャルブックリーディングで、当のちきりんさんのこんな発言が、いろいろと波紋をよびました。

比較対象が極端すぎるためか、ちょっと見ると、批判的なコメントもいくつかついています。ここではこの発言に対する細かい検証は避けますが、私はちきりんさんのこの言葉を、要は「ただお金を貯めるだけが老後の準備じゃない」ってことね、と解釈しました。

上野さんは、本書で「おひとりさまの老後」には「友だち」の存在が不可欠でる、ということをものすごく強調しています。配偶者はいつか死んでしまうかもしれないし、子供たちには子供たちの人生があるし、仕事仲間は多くの場合、退職してしまえば付き合いは終わり。でも、「友だち」だったら老後も、ずっと仲良く付き合えるよ、ということのようです。

正確にいうと、その「友だち」も、当たり前ですが高齢者なので、年を経るごとにだんだん減って(亡くなって)いくと思うのですが、ここで登場するのが、「ストックよりフロー」という考え方です。人をモノみたいに言うな! って話ですが、わかりやすい言い方なのでこのまま使わせてもらいます。

今後大切になるのは、「頼りになる家族が(地球上のどこかに)いる」というストック型の人的ネットワークではなく、高齢になってからでも近隣や趣味の仲間、もしくはネット上で知り合った人たちと新たな関係性を作っていくというフローの人的ネットワークの形成能力です。過去に築いた人的遺産の質と量ではなく、何歳になっても新たな人間関係を構築していく能力が問われる時代となるのです。

この文章は『おひとりさまの老後』ではなく、ちきりんさんの『未来の働き方を考えよう』からの引用なのですが、きっとお二方は同じことをいっているのだな、と私は思いました。「友だち」だって年をとれば減っていきますが、「友だち」は家族とちがい、新たに構築することがいくらでも可能なのです。自分が、新たに「友だち」を作るだけの人的ネットワークや、「付き合いやすさ」を持っている人間であれば。

私の場合、これはちょっと耳の痛い話です。
私はあまりコミュ力がないので、友だちを作るのは下手なほうだと自覚しています。旧友とはずっと仲がいいんですが、新たに友だちを作るって、学生という身分を卒業してしまうと、けっこう難しくないですか?

老後の備えとして、「貯金」はやっぱりある程度、必要でしょう。不必要だとは思いません。
だけど、それに加えて「友だちを作る能力」を磨いておく、できるだけ健康な体を保っておく、とかも大事な「老後の準備」なのではないでしょうか。今は友だち作りがあまり上手くはない私ですが、65歳になるまではあと40年近くあるので、その間にせいぜいコミュ力でも磨いておこうかな、と思いました。

ちなみに、インターネットを使いこなしている私たちの世代は、団塊の世代の方より、「友だち作り」に関しては有利な立場にいる、ということがいえそうです。全国各地から、趣味や性格の合う「友だち」を見つけて、スカイプでおしゃべりする……くらいのことなら今でも可能ですが、そのうちリアルに会っているのと見分けがつかないくらい精密な3D映像を投影できる機械が開発されて、まるで本当に会ってお互いが隣にいるみたいに話ができる! なんてことがあっても不思議ではないよなー、と思います。

最後のほうはちょっとSFですが、「お金」に関しては本書に老人ホームの話なんかも載っているので、参考になります。

死んだらどうする? お葬式とお墓

「おひとりさまの老後」というと、すぐに連想してしまうのは「孤独死」ですよね。上野さんは本書で『遺品整理屋は見た!』という本を取り上げています(私は未読)。死後数週間、数ヶ月経ってから遺体が発見され、部屋には異臭が漂い、腐敗がすすみ……なんていう話を聞くと、確かにぞっとすることろはあります。

遺品整理屋は見た! (扶桑社文庫)

遺品整理屋は見た! (扶桑社文庫)

でもこれに関しては、逆にいえば「死んでしまった場合、少なくとも24時間以内くらいに、誰かに発見される」仕組みを、自分できちんと用意していればいいんですよね。そして、この点においても、私たちは有利な時代に生きている! といえるでしょう。

現代だとまだ、「近隣の人やヘルパーさんとネットワークを構築しておく」とかのアナログな方法でしか対処ができなさそうですが、そこは超高齢化社会ニッポンなので、そのうち「今日はお薬を飲みましたか?」「夕飯は美味しかったですか?」とかを聞いて生存確認するロボット、みたいなものが開発されそうです。万が一反応がなくなった場合、すぐに救急車が駆けつける! みたいな。死んだら24時間以内に遺体が発見されるように準備をすることは、私たちの老後では、それほど難しいことではなくなっているはずです。そうすれば、「後片付け」をする人にそこまで迷惑をかけなくてすみそうですね。


「孤独死」の根本的な問題はそれよりも「死ぬ間際」、死んでいくその瞬間に看取ってくれる人がいない、ということに不安を感じている方が多いように思うのですが、こればっかりは、私その気持ちがよくわからないんですよね……。上野さんの本を読んだからではなく、これは高校生くらいからずっと思っていたことなんですが、私は1人で死ぬの、全然OK派。みなさん、何がそんなに怖いのですか? という感じです。

私は、人生が終わるその時には、(苦しくてそれどころじゃないかもしれないけど)1人でゆっくり、これまでの人生に「楽しかった! ありがとう!」って言いたいんです。家族や友人や医者や看護婦に囲まれてザワザワされたら、そっちが気になってゆっくりお別れなんていえない。むしろ積極的に1人で死にたい、と思っています。後片付けをしてくれる人に最大限の配慮さえすれば、私の場合「孤独死」は問題ないです。


そして、死んだらお葬式をあげるわけですが、これは現代でもけっこうバラエティに富んだものがあるようで、「面白い」と言ったら不謹慎なんでしょうがやっぱり「面白い」。お経の代わりに好きな音楽を流してもらったり、死に装束を生前に自分でデザインしておいたり、骨壺を自分で焼いたり。言ってみればお葬式は「人生の卒業式」ですから、こだわりたい人は思う存分やったらいいと思います。

ただ私はというと、死後のためにお金を使うくらいなら、生きているうちに少しでも美味しいもの食べたい派。私のお葬式をあげたい家族や友人がいる場合は、「特に要望はないので、好きにやってくれ」という感じです。
身寄りがほとんどいない場合は、火葬した後に遺灰を海にでもバラまいてくれないかな、と思います。お葬式も、お墓もいらないです。海にバラまいてくれたら、どこにだって旅行に行けますからね(ロマンチック)! お墓でじっとしているほうが、私は嫌です。


……最後はだいぶ妄想が入りましたが、本書の「おひとりさまの死に方5か条」は必読だと思われます。

まとめ

この本のなかで、「ひとは生きてきたように死ぬ」という言葉があるのですが、私はそれが一番刺さりました。

この言葉の解釈は人ぞれぞれだと思いますが、死は生と切り離されているわけではなく、生と連続しているものなんですよね。だから、「死に方」を考えることはすなわち「生き方」を考えることにつながるような気がします。みなさんも、自分の死に方や、お葬式、お墓のことを一度考えてみてはいかがでしょうか。もちろん、理想通りに行くとは限りませんけどね。

上野千鶴子さんやちきりんさんなど、一部の特殊なエリート女性のいうことなんてアテにならないよ、という考え方もあるでしょう。でもまぁ、話半分に聞いとくくらいなら損はしないんじゃないかと私は思います。

私の感想は結局「精神論」な部分で終わってしまいましたが、老人ホームや介護のことなど、実用的なこともたくさん載っている本書なので、興味のある方はぜひ。

しかし、「老後」を考えるって難しいですねぇ。やっぱり、SFの世界です。

おまけ


こちらは男性向け。せっかくなので、私も読もうと思っています。

『おひとりさまの老後』は、やはり団塊世代向けなので、私のような若者はこちらのほうが現実的かも。社会学者の古市憲寿さんと上野さんの対談本です。けっこう前に読みました。
未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

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未来の老後を考えよう!