チェコ好きの日記

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芸術家は露出狂

映画、美術、文学、演劇、その他何でもいいんですけど、とにかく芸術に関する批評などを書いている人がいた場合。

その人は、たぶん9割くらいの確率で、「本当は自分も創作側の人間になりたかったけど、才能がなくて諦めた人」です。

「才能がなくて諦めた」はちょっと言い過ぎかもしれないけれど、芸術の“批評家”は、少なくとも1度は“創作側”を志した、もしくは経験したことのある人間が多いです。

何らかの理由で途中で創作側になることを諦め、“批評家”に転向したのです。


何を隠そう、私もそんな「才能がなくて諦めた」人間の1人。
詳しくは以前書きましたが、私小学生の頃は、将来マンガ家になる予定でしたので……
まったくどうでもいいことを学んでいた私の大学4年間について - (チェコ好き)の日記


そこで考えてしまうのは、そんな“芸術家(創作側)”と“批評家”を隔てているものって、いったい何なんだろうということです。

もちろん、これには「運」とか「環境」とか、いろいろな要因が絡んでいることは言うまでもありません。

けれどそれ以上に、芸術家に必要な資質って「露出狂」であることなんじゃないかと、私は考えているのです。

★★★

最初にそのことを意識したのは、大学院時代。
古屋誠一という写真家について、レポートを書かされたきでした。

この古屋誠一という人の写真は、なかなかエグイものが多く、私は胃もたれを起こしまくって大変でした。

何がエグイのかというと、この人はずーっと奥さんであるクリスティーネさんの写真を撮り続けているんですよ。
出会ったときから、彼女が精神を病んで自殺するその日まで。

彼の写真を時系列に見ていくと、徐々にクリスティーネさんの様子がおかしくなっていくことがわかります。

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Schattendorf,1981

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Venice,1985

そんな写真を何枚か見たあとで、2人が出会ったばかりの頃の、明るく無邪気に笑うクリスティーネさんの写真を見てしまうと、何とも悲しい気分になるではありませんか。

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Izu,1978

幸か不幸か私には写真の才能はないですが、もし自分が写真家だったとしたら、好きな人の心がおかしくなっていく様子をフィルムに焼き付けることはちょっとできないなぁと。古屋誠一という人の作品を見て、良くも悪くも芸術家ってやっぱ頭おかしいんじゃないかと思ったんです。

ちなみにこの話を、デザイン関係の仕事をしていて自身の個展も開いている私の友人にしたところ、
「そりゃ撮るよ。つらいけど、大切なことなんだから遺しておきたいじゃん」
みたいなことをあっさり言われました。
そ、そういうもん?

やっぱり創作側の考えはちがうなぁ、私は芸術家にはなれないんだなぁと、このとき実感したのです。


★★★


芥川龍之介の、『地獄変』っていう小説ありますよね。

大殿から地獄の屏風絵を描けと命じられた絵師が、自分の娘が火のなかで焼け死んでいく様子を、嘆きも怒りもせずに見事に描き上げたという話です。

私、これはすごくよくできた話だと思っているんですよ。

もちろん現代に生きる芸術家で、自分の肉親が火のなかで苦しみながら死んでいく様子を、表情一つ変えずに絵に描いたり写真に撮ったりできる人はいないでしょう。

でも、芸術家っていう人種は、表現するためには手段を選ばないみたいなところがやっぱりちょっとある気がするんですよね。普通の人ならおそろしくて隠してしまうような部分を、この人たちは覚悟を決めてさっと出してしまいます。そしてその「覚悟」がより強い人が、一流の芸術家と呼ばれる存在になるのでしょう。


個人的な思いや都合よりも、人類共有の財産を遺すほうを、本能的に選択してしまえる人。
天才と凡人、芸術家と批評家を分けているのは、そこの部分なのかなぁと。

自分には絶対にできないことだから、私は芸術家と呼ばれる人たちを、創作側に立って活躍している人を、深く尊敬しています。


★★★


何で今さらこんなことを書いたのかというと、ちょっと話がでかくなりすぎましたが、

ブログを読んでいて「この人は創作サイドの人だな!」「この人は批評家だな!」みたいなことを、ぽわぽわ考えてしまったからです。
そう、実はブログ論だったというオチです。(?)

私はバリバリの批評家タイプなので、これからもひぃひぃ言いながら批評の腕をがんばって磨いていきたいなぁと思います。

おわり。

地獄変 (集英社文庫)

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クリスティーネ・フルヤ=ゲッスラー メモワール 1978‐1985

クリスティーネ・フルヤ=ゲッスラー メモワール 1978‐1985