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二村ヒトシ『すべてはモテるためである』を読んでみた感想

すでにあちこちで評判になっている本だと思うのですが、AV監督である二村ヒトシさんの『すべてはモテるためである』を読んでみました。二村さんが「モテない男性」のために書いた、恋愛マニュアル本です。

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

すべてはモテるためである (文庫ぎんが堂)

私がなぜこの本に興味をもったのかというと、上野千鶴子氏が『おひとりさまの老後 (文春文庫)』にて、この本に出てくる以下の文章について言及していたからです。

【あなたの居場所】というのは、チンケな同類がうじゃうじゃ群れてるところじゃなくて【あなたが一人っきりでいても淋しくない場所】っていうことです。


『すべてはモテるためである』P94

上野さんは、この一文を読むためだけであってもこの本を手にとる価値はある、といっています。私も、この「一人っきりでいても淋しくない場所」というフレーズにぐぐぐと来るものがあり、どんなことが書いてあるのか気になって仕方がなくなってしまったため、読んでみたというわけです。

『自分のアタマで考えよう』だった

上野千鶴子氏が推薦している(解説も書いている)時点で「フツウの恋愛本ではない」ということにだいたい勘付けると思うのですが、広く長く読まれているだけあって、この本は恋愛を題材にして「人と人とのコミュニケーション」について考えている、非常に難しい本でした。

たとえば、「モテたい」という願望ひとつとっても、「なぜモテたいの? どういうふうに、だれに、どれくらいモテたいの?」ということを徹底的に考えてからでないと、先に進ませてくれません。

▼モテない人生よりも、モテてる人生のほうが、なんとなく楽しそうだからか?
▼実際に誰か知りあいで「よくモテている男」がいて、そいつが、いつも、いかにも楽しそうに幸せそうにしているからか?
▼その「モテている男」は、モテていても別に楽しそうではないけれど、それでも「あなたの、モテてない人生」よりは、なんとなくマシなように(あなたには)思えるからか?
▼あなたにはプライドがあり誇りがあり、ちゃんとした(または、人なみ以上の、または、偉大なる)人間である自分が「あまりモテていない」現状は「なにかまちがっている」と思うからか?

第1章では上のような問いかけが、延々、延々と続きます。6ページ以上にわたって長々と「あなたの欲望は何なの?」ということを聞かれ、こちらも聞かれているからには(頭のなかで)それに答えなければならないため、読んでいてとても疲れます。

二村さんは本のなかで、しつこいくらい「自分のアタマで考えてみて」的なことをおっしゃいます。それがフツウの恋愛本(と、いうのがどういうものかよくわかりませんが)とは大きく異なるところだと思うのですが、なぜこんなに自分のアタマを使わせるのか、読んでいくうちにだんだん二村さんの意図がつかめてきます。

おそらくこの本は、恋愛とは「(一般的な)男と(一般的な)女」がするものではなくて、「(他のだれでもない)あなたと(他のだれでもない)わたし」がするものなんだよ、っていうことがいいたいのだろうと私は解釈しました。*1だから、「わたしの欲望」をはっきりさせようとしたり、「わたしの居場所」についての話が出てきたりするのです。「わたし」のことが自分できちんとわかっていないと、話が前に進まないのです。

【わたしの居場所】というのは、チンケな同類がうじゃうじゃ群れてるところじゃなくて 、【わたしが一人っきりでいても淋しくない場所】。

そういう心の「ホーム」があると余裕をもって人と接することができるし、ついエラぶってしまったり失礼な態度をとらずにすむよ、ということでした。

「一人っきりでいても淋しくない場所がある=きちんと好きなものがある、ハマれるものがある」っていうことは、もちろんモテに限らず、人生全般、コミュニケーション全般において、割と大切なことだと私も思っています。大切というか、「そのほうが生きるのがラクだよ」って感じでしょうか。だから上野さんは『おひとりさまの老後』で、この本に言及したのでしょう。しかし、【わたしの居場所】をちゃんと確保できないと生きていくのが苦しい世の中になってしまった、ということが、良かったのか悪かったのかはちょっとわかりません。明治とか大正とかの時代に生きていた人は、【わたしの居場所】なんてなかったし、そんなものなくても苦しくなかったと思うんですよね。

すべての人間は本質的にはモテない

ここからは本の内容からはやや脱線するのですが、私はこの本を読んで、「すべての人間は、本質的には“モテない”んじゃないか?」と思いました。

もちろん、実際には「モテる人」と「モテない人」がいます。そして、「モテる人」でも「1年間に3人に告白されちゃいました!」なんていう可愛らしい人から、「今年で100人斬り達成!」なんていう強者まで、様々なモテ方やモテの強度(?)が、幾重にもなってグラデーションのごとく重なり合っています。「モテない人」も同様で、いろんな「モテなさ」や、モテの弱度があるはずです。

でも私は、すべての人間は「モテない」ところに出発点があって、「モテる人」はそこから脱皮するのが早かっただけなんじゃないかと思ったんです。幼稚園児の頃とかに野生の勘で早々に脱皮してしまえる人もいれば、老いて死ぬまで脱皮できない人もいる、それだけのちがいなんじゃないかと。(そのちがいがデカいんだよ、という話でもありますが)

以前、『喪男哲学史』という本を読んだことがあるのですが、この本はデカルトハイデガーキルケゴールなど、哲学史に名を残した思想家はすべて喪男、つまりモテない男であったという主旨の内容が書かれているんですね。多少ムリヤリなところはあるのですが、すべての哲学的な問いは「どうして俺はモテないんだろう?」っていうところから始まっているんじゃないかと著者はいい、「非モテ」という観点から哲学史を学んでみようという、とても親しみやすくて面白い本です。

喪男の哲学史 (現代新書ピース)

喪男の哲学史 (現代新書ピース)

「モテる」「モテない」というのは、究極的にいえばコミュニケーションの問題なんだと思うのです。恋愛の世界ではモテモテの人でも、親との関係がうまくいっていなかったり、上司や同僚や友人とうまくやることができなかったり、っていう「コミュニケーション不全」の状態は、軽いものから深刻なものまで様々ありますが、生きていれば絶対に味わったことがあるはずです。それで、その「コミュニケーション不全」、つまり「どうして俺はモテないんだろう?」という問いが、すべての学問や思想、芸術、経済、戦争まで、いろいろなものの根源を創り出している。こういう考え方は、私はわりと納得してしまいます。

だから二村さんの本のタイトル『すべてはモテるためである』は、軽薄なタイトルなんかでは全然なくて、むしろとても哲学的なタイトルに私には思えます。深読みしすぎですかね。

できるだけこじらせないほうが良い

『すべてはモテるためである』の文庫本版には、巻末に哲学者の國分功一郎さんと二村さんの対談がついています。その対談のなかで、私は以下の引用部分がすごく印象に残ったんです。

國分 二村さんが前著で「感情は、考えないで感じきる」と書いておられますが、これは大切ですね。自分の感情を感じきることで、「実はモテたい…」という気持ちを曖昧にしなくてすむ。「非モテ」とか「非リア」とかいった言葉はまさにそういう感情をストップさせてしまう言葉で、感情を停止してしまうがゆえに自分のなかの「モテない」という恨みを熟成させる装置になっている気がします。


二村 「モテたい!」という感情を素直に感じきって、キャバクラに行って女性と話す練習をしてきたほうがいいんですけどね。

性格とか価値観とか話し方とか文章の書き方なんかは、いくらでもこじらせていていいし、そのほうが人間らしくて面白いと考えている私ですが、ことが「自分の欲望」という話になると、対談のなかにあるように、できるだけストップさせないほうがいいし、こじらせないほうがいいと思うんですよ。

私はこの本で一番大切な部分は、第3章以降のキャバクラや風俗で試す「実践編」ではなくて、やっぱり自分の欲望と徹底的に向き合う第1〜2章にあると思っています。同じ「モテたい」でも、「自分が好きなあの子に好意をもってほしい」のか、「100人斬りを達成したい」のかでは、方向性が全然ちがってきますよね。女性の場合も同様で、「なぜモテたいの? どういうふうに、だれに、どれくらいモテたいの?」をよく考えずに実践に走ること、あるいは考えずに「非モテだからいい」と自分の欲望にフタをしてしまうことは、きっと、話を余計ややこしくします。

軽薄な「モテたい」は男女ともにどうかと思いますが、きちんと考えた上で「やっぱりモテたいな!」と心の底から思うのであれば、それ、すごくいいじゃないですか。他人に公言する必要なんかないので、自分の欲望をきちんと素直に受け止めるのっていうのは本当に大切だと、私は常々思っているんです。「モテたい」だけじゃなくて、いろいろな「好き」「嫌い」や、「これをやってみたい」とか「羨ましい」とか「働きたくない」まで、実現可能生や論理的思考はひとまず置いて、「感情は、考えないで感じきる」。考えるのは、その後です。


二村さん自身も対談のなかでいっているんですが、「考えろ」っていったり「考えるな、感じるんだ!」っていったりで、「どっちだよ!」って混乱する人もいるかもしれません。でも、「自分でアタマで考える」と「考えるな、感じるんだ!」は実は全然矛盾していなくて、たぶんイコールなんです。このあたり、もう少しうまく説明できるようになりたいんですが、難しいなぁ。

★★★

「モテない男性」がメインのターゲットである本書ですが、「すでにモテている、あるいはモテなんてどうでもいい、“冷やかしの読者”も歓迎です」と、文中で二村さんもおっしゃっています。「モテる男性」も「モテる女性」も「モテない女性」も、未婚も既婚も関係なく、どんな人でもそれなりに興味深く読める本なのではないかと思います。

この本を読んで心の底から「モテたい!」と思った人は、まずはその欲望を素直に受け止めて、「だれに、どういうふうにモテたいのか」をしっかり考えてはっきりさせてから、各種ナンパ本や、モテ本を読むといいのかもしれないですね。

自分のアタマで考えよう

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*1:私も、こういう恋愛観は全面的に同意です。