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チェコ好きの日記

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あけましておめでとう。2014年は、良き批評家であるために。

あけましておめでとうございます。

お酒が飲めず、人ごみも苦手な私がする新年の行事といえば、「ほぼ日手帳に新しい年の目標を書く」です。2013年の反省から2014年の展望まで、超事細かに書いていくので、何気に1日がかりの作業だったりします。1日の朝10時くらいから始めて、途中でごはん休憩をとったり読書タイムをはさんだりしながら、先ほどようやく終わりました。

昨年はそんな自分の目標をブログで公開したりしてみましたが、今年はちょっと個人的な目標が多いので、公開せずにこっそりと達成を目指します。公開答え合わせができないのがちょっと残念ですが、また達成率50%になるんじゃないかと思います。いや、最初からそんなことをいっていてはいけませんね。

ほぼ日手帳でわかった 私は50%の人間です - (チェコ好き)の日記

というわけで具体的な目標はブログには書きませんが、抽象的な目標というか、「2014年はこういうふうになるといいな」と私がぼんやりと考えてみたことについて、ちょっと語ってみようかと思います。

良き批評家であるために

昨年書いた以下の話題と少しつながっているのですが、世の中には「芸術家」と「批評家」がいます。

芸術家は露出狂 - (チェコ好き)の日記

本当はそんなにきれいに分かれるものではなく、時と場合によって変わったり、どちらでもある人がいたり、どちらでもない人がいたりするのだと思います。が、私は、自分は多くの場合において「批評家」であると思っています。

「批評家」というと、「批判をする人」とか「叩く人」とか「口だけの人」みたいな、マイナスなイメージがつきまとうことが多いですよね。それでなくとも、批評家は自分で何かを生み出すことはできず、あくまで芸術家たちが創作したものに寄生することしかできないので、何というか存在として「二流」なのかなぁと思ったりもします。二流とかいうと、一流の批評家先生たちに怒られそうですが。

けれど、世の中に「批評家」は不必要か、というとそんなこともないと考えていています。世の中はバランスなので、沸々たるエネルギーを大爆発させて周囲をぐいぐい巻き込んでいく芸術家のそばで、「どうどう」とか「まぁまぁ」とかいいながら、冷静にその落としどころを決める、という人も必要なんじゃないかなーと思っています。目立たないし、あまりかっこいい役割ではないですけどね。

昔は、というか主に学生の頃は、「一流」になれない自分にフラストレーションを感じていたような時期もあったのですが、ここ最近は二流である自分、批評家である自分がけっこう気に入ってきたりしています。「批評家」の役割みたいなものを正しく認識できるようになったからでしょうか。ただ単に年をとったからでしょうか。

私が考える「批評」というのは、作品であったり物事であったりの、新たな価値を見いだすことです。「この作品はAの部分が面白いといわれているけれど、実はBっていう面白さもあるよね」とか、「この出来事はAという観点から語られることが多いけれど、実はBっていう側面も持っているし、そちらのほうが真実味があるんじゃないかね」とか。私はそういう考え方をするのが好きだし、文章にしていて楽しいんです。

あと、ブログで文章を書くようになって、それが(私にとっては)少なくない人に読んでもらえるようになって、なかには「面白い」といってくれる人もいて、とても嬉しいわけですが、私は「野生の知性」みたいなものとは無縁の人間です。私のなかにある知性(といってもカケラ程度ですが)は、自分で勉強したり本を読んだりすることで得た、人工の知性です。昔はやっぱりワイルドな「野生」に憧れていたんだと思いますが、最近は「人工」の知性も悪くないよ、と思っています。人工の知性って、ダサいけど磨きがいがあるんですよ。

2014年は、いろいろなものの新たな価値を見いだせる「良き批評家」でありたいし、そのための「人工の知性」をせっせと磨いていく年にしたいな、と思いました。気分は職人です。

では、食べ過ぎで若干胃がもたれているので、本日はこのへんで。

1発目でこれ引きました!
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