チェコ好きの日記

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もしヘンリー・ダーガーが、アウトサイダー・アーティストでなかったら……

私の好きなアーティストに、ヘンリー・ダーガーという、シカゴ生まれのちょっと変わった人がいます。いや、“アーティスト”とよぶのは適切ではないかもしれません。なぜなら生前のダーガーは、一度も“アーティスト”として仕事をしたことはなかったからです。

1892年にイリノイ州シカゴ市内にて、ドイツ系移民のもとに生まれたダーガーは、幼くして母を失います。学業に関しては優秀で飛び級を経験するも、「口・鼻・喉を鳴らして奇妙な音を立て、級友たちを楽しませようとした」(自伝より)などの奇癖があり、同級生たちの反感を買ってしまいます。「クレイジー」というあだ名で呼ばれ、いじめられたダーガーは、感情障害の徴候もあったとされ、12歳になると精神薄弱児収容施設に移されます。その施設というのが、これなかなか壮絶なところだったようで、ダーガーの入所中、虐待や陰湿な体罰・放置による入所者のケガや事故、または遺族の許可なく実施した入所者の遺体処理や解剖などで、スキャンダルが発覚しています。

ダーガーはこの施設を脱走し、17歳のとき、シカゴ市内の病院にて清掃作業員の職を得ます。それと同じくして、のちにわれわれがダーガーの死後に初めて目にすることになる物語非現実の王国での執筆を開始。20代〜30代になると物語の挿絵やスケッチも描き始めますが、本業の仕事はというと厨房の皿洗い。しかし55歳になるころには体力の衰えからその皿洗いも難しくなり、厨房での野菜の皮むきなど、軽作業の仕事に従事します。そして、71歳からは社会保障を受けての生活。その後も、一度たりとも“アーティスト”として活動や仕事をすることなく、1973年、81歳のときにダーガーは亡くなります。


貧しい老人の、孤独な死。本来であれば歴史から忘れ去られてしまうであろう彼の名を、今こうして私たちが知ることができているのは、ダーガーの遺した物語非現実の王国でと、その膨大な挿絵やスケッチが現存するからです。ダーガーの知人が彼の部屋を整理しているうちに、これらの作品を発見したんですね。20世紀を代表する作家とされるフランツ・カフカも、生前はほとんど無名の存在で、死後に友人が作品を発表したことからその名を知られるようになりますが、それと近いものがあります。

このヘンリー・ダーガーのように、伝統的な芸術の訓練を受けておらず、既存の芸術の流派や傾向にとらわれない作品を制作してきた人々のことを「アウトサイダー・アーティスト」と呼びます。私はこの分野のことはまだあまりわからなくて勉強中という感じですが、前にラフォーレミュージアム原宿で彼の作品の展示を観たときに、「うわうわうわ〜」と思ってしまったんですね。何というか、人間の妄想の力ってすごい。

ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で
※少女の「股」に注目

たとえば、ダーガーの作品でよく指摘されるのが、女の子の股に、男の子にしかないはずの“アレ”がついていること。ダーガーは女性と接する機会がまったくなく、無知であったため、「女の子に“アレ”はない」ということを生涯知らなかったのではないか……なんていう説も一部あるそうですが、いくら無知とはいえそれはなかろうということで、両性具有の表現だとか何だとか、いろいろな人がいろいろな分析をしているようです。もちろん、真意は亡くなったダーガーにしかわかりません。

Darger: The Henry Darger Collection at the American Folk Art Museum

ダーガーが生涯にわたって制作した物語『非現実の王国で』は、7人姉妹のプリンセス“ヴィヴィアン・ガールズ”が、子供を奴隷として虐待する大人の男たち“グランデリニアン”から子供たちを救うため、キリスト教徒軍とともに戦いを繰り広げる……というもの。物語の構造はよくある、というか、マイルドにすればそのまま現代の日本のアニメとかにしても通用しそうです。ただし、画像は貼りませんが、男たちが少女を虐待するシーンの挿絵はかなり残虐です。少女が磔にされたり、目玉や内蔵がとび出していたりして、原宿で原画を観たときは強く心を惹き付けられたと同時に気が滅入りました。このあたりの描写は、ダーガーが入所していた施設での経験がもとになっているのかなぁなんて思っちゃいますね。

本題:もしヘンリー・ダーガーが、アウトサイダー・アーティストでなかったら……

「前置き長すぎだろ」って感じですが、ここからやっと本題に入ります。最近、作曲家の佐村河内守氏が本当は作曲をしていなくて、実は桐朋学園大学の音楽講師・新垣隆氏が音楽を作っていたというニュースが、話題になりました。作者と作品の関係について、いろいろな考察をする方が現れ、私も難しい問題であるなぁと思っていました。

というのも、私自身もほぼクセというか習慣のようなかたちで、作者と作品を強く結びつけてしまう傾向があるからです。そもそも、作家論が好きなんですよね。卒業論文修士論文も、作家論で書いてしまいました。作者のバックグラウンドや経歴から作品を解釈するというのは、とてもやりやすい。ようは、作家論て簡単なんですよ。あんまりテクニックいらないですし(小声)。

私はヘンリー・ダーガーの作品がとても好きなんですが、ダーガーの作品自体を本当に評価しているのか、それともダーガーの風変わりな経歴が作品を3割増くらいに見せているのか、一瞬「あれ?」と思ってしまったんですね。そして、考えを整理するために、「もしヘンリー・ダーガーが、アウトサイダー・アーティストでなかったら……」と想像してみました。もしダーガーが、大卒で、アーティストとしての権威や経済力を獲得した上でこれらの作品を発表していたとしたら、私はこれらをどう受容していたんだろうと。

佐村河内氏の一件は、やはり障碍者であることを全面に出して、それを商品の一部にしていたという側面があるので、ダーガーとはまた別の話だとは思うんですが、考えるキッカケとしてはとても役に立ってくれました。

もしアウトサイダー・アーティストでなくても、ダーガーは好き

ヘンリー・ダーガー 非現実を生きる (コロナ・ブックス)

想像力をふくらませて考えてみた結果、もしヘンリー・ダーガーが、ピカソやウォ—ホルのように、権威ある立場から作品を発表していたとしても、きっと私は同じようにダーガーの作品を好きになっていただろうなと思いました。“アレ”がついた少女たちや残虐な描写に、同じように心を打たれ、同じように気が滅入っていただろうなと思いました。

ただ、作品の「解釈」は、もしかしたら大いに変わってくるかもしれないとも考えました。私は作品を解釈するときに、どうしても作者を引っ張り出してきてしまうクセがあるんですね。「作家論はやっちゃダメ!」とだれかにいわれてムリヤリ頑張れば、純粋に作品のみで構成した「◯◯論」も書けるとは思いますが、好きに書いていいよ状態だと、んもうこれでもかというくらい作者をもってきちゃいますね。簡単だから(小声)。

ヘンリー・ダーガーを、村上春樹に変えてみたり、ヤン・シュヴァンクマイエルに変えてみたりして様々なバリエーションで想像してみましたが、どれも結果は同じでした。私の場合、「作品を好きになることに関しては作者は介在しないけど、作品を解釈しようとすると(何か文章を書こうとすると)作者のストーリーをもってきてしまう」という傾向があるようです。

作者と作品の関係は、難しい

ヘンリー・ダーガーまで引っ張り出してきて結局当たり障りのない結論で終えるのかい、という感じですが、作者と作品をどこまで関連づけ、またどこまで距離を置いて見るべきかというのは、けっこう難しい問題だなぁと思いました。たぶん、技術的にはできるだけ距離をとったほうがレベルが高くなるんじゃないかという気がするんですが、「技術的にレベルが高い=優れている」という図式になるわけではありません。それがただ単にブログとかに書くレベルの個人の感想なのか、大学の論文なのかによっても話はちがってきます。

えっと、いろんな話がこんがらがってきたのでこのへんで終わりにしますが、私はとにかく作者と作品をすごく結びつける傾向があるので、他の人はどうなのかなと思ったということです。あと、「もし◯◯が今知っている(公表されている)のと異なる経歴をもっていたら……」とか、「もし◯◯を書いているのが本当はゴーストライターだったら……」みたいな思考実験は、なかなか興味深いのでおすすめですよ、ということがいいたかったです。

みなさんは、どうですか?


★今回の参考文献★

美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]

美術手帖 2007年 05月号 [雑誌]

※ダーガーについては、また別の機会にまとまった文章を書きたい。