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チェコ好きの日記

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不健全な精神は健全な身体に 『家めしとは、最高のごちそうである。』とか、ポテトサラダとか

ライフスタイル 思ったこと

作家の村上春樹がせっせかせっせかとマラソンで努力されている話は、けっこう有名だと思います。彼は、個人・村上春樹の健康のために走っているというよりは、小説家・村上春樹として、より良い小説を創り出すために走っている、という部分が強い印象を受けます。

なぜ走ることと小説を書くことがつながるのか? という話の詳細を知りたい方は『走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)』とかを読んでもらうとして、その理由を私流に解釈して簡潔にのべると、「不健全な精神は健全な身体に宿さなければならないから」というようなことがいえそうです。

小説を書いている人や絵を描いている人、もしくは私のようにそれなりの量の芸術作品に触れている人には身に覚えがあるのではないかと思うのですが、自分や他人が創り出したものは、ときに強力な負のパワーを帯びることがあります。そして、油断しているとその負のパワーに、ずるずると引きずり込まれてしまうことがあるんですよね。

作家にも批評家にもいろいろなタイプがいて、その負のパワーに引きずり込まれることによってさらに強力なパワーを生み出し、ダークサイドすらその魅力にしてしまうような人もいます。作家でいうと、太宰治なんかはそういうタイプかもしれません。彼のように精神と一緒に身体も地の底まで行ってしまう芸術家は、たいてい短命です。でも、村上春樹や私は(同列に語るなってかんじですが)そういうタイプではなくて、身体だけはこっちの世界に置いておきたいっていうタイプなんですよね。そして、長生き志向です。

健康であること

簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。

簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。

前置きが長くなりましたが、佐々木俊尚さんの『家めしこそ、最高のごちそうである。』を読みました。高級店で外食を楽しむのでもなく、家でレトルトカレーやインスタントラーメンを作るのでもなく、「家で料理する」ということにもう一度焦点を当て、その方法を見直そうという内容の本でした。旬の素材を使うこと、難しくない方法でその味を活かすこと、化学調味料に頼らないこと、あとは断食の話なんかも書いてあります。私がいちばん好きなのは、本の真ん中あたりにある佐々木さんの食卓写真なんですけど。食卓にいろいろな色があるっていうのはいいもんだなぁと思います。

私はもともと廃人気質なところがあるので、1週間ずっとコンビニ弁当とかカップラーメンでもたぶん全然平気なんです。ちょっとくらい身体の調子が悪くても気にしない。でも、大学在学中に、そういうことをやっていると映画や文学や美術のもつ「負のパワー」に身体が引きずられてしまうことに気付いたんですね。なので、人並みに健康には気を遣っているわけですが、この「芸術鑑賞に耐えるため」という目的がなかったら、私はとっくの昔に成人病になっていたんじゃないかという気がします。「負のパワー」は人生をマイナス方向に引き込む作用があるため取り扱い注意なんですが、それでもやっぱりこの「負のパワー」を存分に楽しめないことには、芸術鑑賞の真髄にはたどりつきません。「負のパワー」を存分に堪能するためには、身体だけでも健康である必要があるのです。不健全な精神は健全な身体に宿さなければならない。これが、私が学生時代に学んだことでした。

ポテトサラダは芸術品か?

あと、私はもともとは料理の味とか全然気にしないんです。「食えりゃいいじゃん」みたいな考え方を、20歳くらいまではしていたと思います。でも、その考え方に変化の兆しが見えたのはやはり大学時代で、ある教授の影響が強かったことを、ここに書いておきたいと思います。

その教授は、いったいどういう意図があったのか知りませんが、何かの折に授業中に食べ物の話を延々とし始めるんですね。私が特によく覚えているのはポテトサラダの話で、場所は忘れましたがヨーロッパかアメリカのどこかの店で出しているポテトサラダがとても美味しくて、あれは芸術品だというような内容でした。30年作り続けたらポテトサラダってのは芸術品になるんだぞ、というようなことをいっていました。

仮にも芸術学科の教授をしている人間に「芸術品」とまでいわしめるポテトサラダはどんなもんなんだろうと思って、私はその話を聞いた日から約1週間、なぜかやたらめったらポテトサラダを作って食べるという奇行に走ってしまったわけですが、今でも時折ひじょ〜にポテトサラダが食べたくなってしまうのは、あの教授の話がきっかけです。ちなみに、私が入学(入院)した大学院の入試では「美味しいビフテキ*1の作り方を英語で記述しろ」という問題が出たのですが、あれは確実にあの教授が作った問題だと思います。

もともとは料理の味にほとんど興味のない私が『家めしとは、最高のごちそうである。』という健全な本にたどりついた理由は、美味しいポテトサラダを出す店を見つけ出す嗅覚や、美味しいビフテキの作り方が分からないことには、芸術批評はできないんだ! という間違った考え方を、学生時代に植え付けられたためです。今では料理は私の娯楽の1つになっていますが、それは美味しいものを食べることそのものが目的というよりは、美味しいものがわかるように・作れるようになることで、理解できる芸術作品の幅を広げるためである、といったほうが良さそうです。

★★★

「健康であること」「美味しくごはんを食べること」そのものが目的なんだ、という人もいると思いますが、なかには私のように、そのものが目的ではなく、狙っているのはその副次的な効果だ、という人もいるでしょう。特に前者のほうは、「何のために健康でありたいのか」ということを考えてみると、人によって意見が分かれて面白そうだなぁと思います。

『家めし』本の書評を書こうと思ったのに何だかまったく別の話になってしまいましたが、「食」と「健康」について、みなさんも一度考えてみてはいかがでしょうか。

*1:私は、ビフテキって何だっけ? というところからスタートしました。