チェコ好きの日記

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著者と読者の関係は、フラットになりつつある。

読者には誤読する権利がある」みたいな言葉を聞いたことがあって、私も基本的にはその考え方に賛成しています。ブログに書いた内容にコメントをもらったりするとき、それが賞賛であろうと批判であろうと、「あれ、私そうは書いてないんだけどなー」って思ってしまうことってけっこうよくあるんですが、やっぱりそういうときは私の文章の書き方に問題があったのだろうと、まずは考えます。

ただ、この「誤読の権利」という考え方は、もちろん今も有効ではあるんですが、もしかしたら一昔前の「書き手と読み手の関係」を表しているような気も、またするんですよね。今回は、そのあたりの所感についてちょっと書きます。

かつて、著者は圧倒的に強かった

「かつて」っていうのは私のなかでは今から10年前くらいまでを想定しているんですけど、当時はもちろんガラケーしかなくて、メールのやりとり以外でインターネットなんてやっているのは、ごく少数に限られていた気がします*1。10年前というと私は高校生だったんですが、高校3年間のなかでパソコンに触ったのなんて、計3回くらいだったんじゃないかと思います。1日で3回じゃないですよ、3年間で3回です。私は今も相変わらず情弱ですが、さすがに3年間で3回ってどうやって生活していたんだろうと思います。

で、その頃に「著者」ってだれかというと、それはイコール「本を書いている人」だったんですよね。「本を書いている人」は、出版関係のお仕事をしている人ならいざ知らず、大半の人にとっては言葉を交わすことができない存在です。本を読んでいて「あれっ?」と思うことがあっても、それを知人にしゃべるくらいしか、吐き出す場所はありません。

そしてそんな環境のなかでは、「著者」が圧倒的に強いです。読者のほうで「あれっ?」と思っても、その声はまず著者に届くことはありません。声が届かないことを“弱い”と表現するのはちょっと適切じゃないような気はしますけど、「読者には誤読する権利がある」っていう言葉は、とにかく弱い立場にあった読者を守るために存在していたのではないかと思います。

誤読しない方法・させない方法

翻って現代はどうかというと、この私のように、「著者」は必ずしも「本を書いている人」ではありません。そして、「あれっ?」と思って疑問点を口にすると(ネット上に書き込むと)、その声は簡単に著者に届きます。それは私のような無名の泡沫ブロガーでも、本を何冊も出している著名人でも、同じです。つまり、かつて圧倒的に強い立場にあった「著者」と弱い立場にあった「読者」の関係は、どんどんフラットになってきているんですよね。また、10年前は「著者」と「読者」はそれぞれ固定化された存在だったけれど、今はそれが交互に入れ替わるような環境にもなっています。そしてこういった環境は、著者にとっても読者にとっても、一昔前に比べて間違いなくプラスであると私は考えています。

文章にしろ絵にしろ、創作して発表したものは基本的に、発表した時点で作者の手元を離れます。著作権があるので不必要に引用したり改変したりするのはダメですが、発表した時点で、解釈はその情報の受け手に委ねられます。そういった意味で、「読者には誤読する権利がある」というのは今でも有効な言葉ではあるのですが、「読者」とは、かつてほど守られるべき存在ではなくなってきているような気もします。

そんな現代において、読者の立場から「誤読しない方法」を、著者の立場から「誤読させない方法」を考えてみたんですけど、まず「誤読しない方法」は、「あれっ?」と思う文章を含む記事に出会ったら、その人が書いている他の文章もいくつか読んでみることです。書く人にとって1つ1つの記事は完全に独立しているわけではなく、実は見えない底辺で他の記事とつながっていることがあります。その記事だけ読むと「A」に見えることでも、他の記事も読んでみたら実は「A'」だったとか、「A」というよりは「あ」だった、みたいなことって私はよくあります。

そして次に著者の立場になって「誤読させない方法」を考えてみたんですけど、上記のことを期待して「他の記事で書いてるよ」なんて思うのは、もちろんあまりにも傲慢です。「読者は他の記事なんて読んでくれない、読んでいる時間はない」と考えるほうが正しいし、健全でしょう。なので基本的には、きちんとした引用元を明示したり、言葉の表現に気を遣うしか方法はありません。でも、1つの記事ですべての誤解を解くような書き方なんて、絶対にできないんですよね。

ではどうすればいいのかというと、「読者の時間を頂戴して、他の記事も読ませる」という方法しか、私には思い付きません。読者は他の記事なんて読んでいる時間はない—けど、他の記事も読ませる。この矛盾を成立させるためには、とにかく中身のある、濃くて面白いことを書くしかありません。ブロガーっぽくいうと「直帰率を下げる」なんて表現をするのかもしれませんが、1つ読んだら、「ついでにちょっと他のも読んでやるか」という気になってもらうこと。もっといえば、該当する記事に出会った1日だけでは終わらない、継続的な読者になってもらうこと。そして、1つの記事には書かれていない(書けなかった)「見えない文脈」を読んでもらうこと。それが、著者がとれる最も有効な「誤読させない方法」なんではないかな、と私は考えました。


ちょっと上手く言葉にできない部分もあるのですが、要するに「面白いことを書くことが、著者にとっても読者にとっても有効だ」ってことです。「面白い」は、正義。

今回は、そんなところでしょうか。

*1:そんなに年は離れていないはずなのに「平成生まれの僕が見てきたインターネットの世界 - ぐるりみち。」みたいな人もいると知って、驚く元ボンクラ高校生の私。この辺りはやっぱり個人差が激しいですね。