しっきーさん(id:skky17)の以下のエントリが面白かったので、最近自分がぼんやり考えていたことなどを、メモがてら書いてみようかと思います。
ちなみに私は、しっきーさんのエントリの元になっている岡田斗司夫さんの『超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略』は、話にはよく聞くけれど本を読んではいません。ただ、似たようなことをいっているんじゃないかという佐々木俊尚さんの『自分でつくるセーフティネット』は読んだので、今回はこちらを下敷きにして書いていきます。
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: 大和書房
- 発売日: 2014/07/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- この商品を含むブログ (7件) を見る
「いい人」ばかりの社会は息苦しい?
「いい人」というと、私たちは真っ先に、「いつもニコニコしていて他人の悪口を絶対いわない人」とか、「常に前向き、ネガティブ発言を絶対しない人」とか、「面倒なことでも自ら進んで引き受ける人」とか、そんな人を思い浮かべるのではないでしょうか。そして、TwitterやFacebookなどのSNSが発達した昨今、かつてジョージ・オーウェルが『一九八四年』に描いたような、おそろしい「監視社会」が訪れようとしているのではないかと、そんな予測をする人もいます。ちなみに『一九八四年』では、“顔に(党の勝利が発表されたときに、それを疑うような)不適切な表情を浮かべた”だけで、処罰の対象になります。そんな社会が本当にやってきて、いつも素直にニコニコしてなきゃいけなくなったとしたら、ちょっとやってらんないですね。
- 作者: ジョージ・オーウェル,高橋和久
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2009/07/18
- メディア: 文庫
- 購入: 38人 クリック: 329回
- この商品を含むブログ (317件) を見る
そういえば、Twitterで「火災、マジ勘弁」と呟いた消防士が文書注意処分を受けた、なんてニュースも過去にありましたね。確かに不適切な発言だったとは思いますが、消防士だって人間ですから、明日の朝が早いのに夜中まで仕事をするハメになったら、愚痴の1つや2ついいたくなるのもわからなくはありません。
だけど万人に開かれたSNS上では、そんなちょっとした愚痴ですら、運が悪いと炎上したり実際の業務に影響を及ぼしたりすることがあります。これは確かに息苦しい。私たちは常に、「夜中まで消火活動、頑張った! 被災者の方が無事で良かった!」みたいなことを、本音を隠して呟かなくてはならないのでしょうか。そんな偽善者ばっかりの社会に、インターネットになったら、それはディストピア以外の何者でもないし、ちょっと嫌ですね。
でも私は、基本的には「評価経済社会」とか「いい人戦略」とか、「善い人であることが最強のセーフティネットになる」とか、そういった考え方を肯定しています。それが貨幣経済にとって代わるところまでいくかはわからないけれど、少なくとも「いい人」であることの重要性が、これまでの時代より増していくことは間違いないのではないかと思っています。
ただ、私がこの「いい人戦略」を肯定してきた理由は、「いい人」って、「ネガティブ発言を絶対しない人」みたいな、そういう意味じゃないと勝手に思い込んでいたからなんですよね。著書を読んでいないので、岡田斗司夫さんがどういう人を「いい人」と定義しているのかいまいちよくわかってないんですが、いわゆる「いつもニコニコしていて人柄がいい人」みたいな、そういう「いい人」を戦略として“演じて”いこうっていう話なら、たぶん「評価経済社会」は訪れないんじゃないかなーと思います。
なぜなら、SNSによって総透明化された社会では、「いい人」を“演じて”も、その演技は必ずバレるからです。
じゃあ、私が考えていた「いい人」ってどういう人かというと、それは佐々木俊尚さんの本で定義されている「いい人」に近い。
佐々木俊尚さんは「いい人」を、「寛容である人」であり、「他人に与える人」だと定義しています。私はこちらのほうの「いい人」が評価される「評価経済社会」なら、近い将来やってくるんじゃないかなーと考えているんですよね。
偽善者じゃない「いい人」
たとえば、「いい人」を「いつもニコニコしていて人柄がいい人」と定義して、TwitterやFacebookに、高級レストランで美味しいものを食べてご機嫌だった話とか、ボランティア活動をした話とか、仕事を頑張った話とか、そんな「キレイな話」ばっかり投稿したとしましょう。でも人間なので、実際にはカップラーメンで夕食を済ませたとか、ボランティアでムカついたとか、仕事でミスして怒られたとか、法に触れるところまではいかないけどちょっとモラルに反する行為をしてしまったとか、そういうことって絶対にあるわけです。でも、もし「キレイな話」しかネット上にあげず、「人柄がいい人」を“演じる”ことを「いい人戦略」だとするなら、TwitterやFacebookに実際に表れるのは、私たちが自己ブランディングで作り上げたかった「いい人」なんかではなくて、ただの「どこか嘘っぽい、現実味のないうさん臭い人」にしかならないと思うんですよね。そう、ちょうど女性誌に出てくる「キラキラ女子」みたいな。
幸せそうなキラキラ女子や、主婦雑誌の読者モデルの書くものが一様に面白くないのは、彼女たちの自己ブランディングに「不幸」の文字がないからか。書く人の不幸がにじみ出ているものは、読ませる。「幸せアピール」だけでは、思慮の浅いワナビーしか惹きつけられない。それでいいんだろうけど。
— 北条かや (@kaya8823) 2014, 9月 2
そんな「どこか嘘っぽい、現実味のないうさん臭い人」が戦略になるか、セーフティネットになるかといったら、なるわけないじゃないですか、というのが私の考えです。その人が本当に「いい人」なのか、それとも「“いい人”の仮面をかぶった偽善者」なのか、それくらい過去の投稿を追って見れば丸わかりです。だから私は、「いい人戦略」っていうものがもし有効であるとするなら、それは「本音を隠して偽善者になること、いい人を“演じる”こと」では絶対にないと思うんですよね。私は逆に、本音を隠したらマイナスになって、「いい人」から遠ざかるんじゃないかと思っているくらいです。
じゃあ「いい人戦略」としての「いい人」って何かというと、それはたぶん佐々木俊尚さんがいうような、「寛容である人」「他人に与える人」のほうです。これにさらに私の解釈を加えると、「本音を隠さない人」というのも、「いい人」になります。順に説明していきましょう。
「寛容である人」っていうのは、自分と異なる価値観や世界観を持っている人のことを、許容して認められる人のことです。いや、許容して認めるっていうのはちょと難しいかもしれないけど、せめて「すっごい気に入らないけど見なかったことにしてスルーする」っていうのができる人のことです。いくらこちら側が正しくても、いつもイライラして怒っている人は、私にはちょっと「いい人」に思えません。それを「怒り芸」みたいなものにまで昇華させる実力があるのなら別ですが、そこまでできる人ってあんまりいないはず。怒るのは、自分が本当に許せない、譲れない1点か2点についてだけでいい。
「他人に与えられる人」っていうのは、もうちょっと簡単だしわかりやすいですね。有益な情報を他人に与えられる人のことです。高級レストランで美味しいものを食べた話をただしても自慢にしかならないけど、それを他のレストランと比較して論じたり、そのレストランでした体験を面白おかしく語ってみたりすることができると、それは「有益な情報」になります。有益な情報を、まわりの状況を見ながらバランスよく“与えられる”人、「この人の近くにいると何か得しそう」って思われる人、それが「“損をする”いい人」ではなく、「“評価される”いい人」です。
最後に、私の解釈である「本音を隠さない人」というのも説明しましょう。“本音を隠さず”にTwitterやFacebookでベラベラ愚痴をいったり不満を垂れたりしていたら、それは「いい人戦略」とは真逆じゃないかと思われるかもしれませんが、もちろんそういう意味ではありません。
上の北条かやさんのツイートにある、「書く人の不幸がにじみ出ているものは、読ませる」という部分に私は完全に同意なんですけど、「不幸がにじみ出ている」というのは、何も直接的な不幸自慢とか、自分の周辺環境の不満を口にすることではありません。だれかに対して衝動的に腹が立ったとき、何か許せないことがあったとき、それを直接「◯◯がムカついた」とTwitterやFacabookに書き込んでしまうのは、信用をなくすとか子供っぽいとかそんな問題以前に、私はまず「芸がない」って思っちゃうんですよね。
そうではなくて、その不幸を、不満を、文章を書くのが好きな人は小説にして表現したり、本を読んで【書評として】ブログに書いたりすればいい。絵が得意な人はイラストにしたらいいし、音楽が好きな人はアーティストを紹介するブログを書いたり、自分でバンドを組んで演奏したりすればいい。「ムカついたから」メディアを立ち上げたっていいし、起業してもいいでしょう。本音を隠すのではなくて、本音を、不満をプラスのエネルギーに変えて、自分を動かすガソリンにしていくんです。純粋な善意から発生したエネルギーより、不幸をプラスに転化して動力にしたエネルギーのほうが何十倍も強いし、人を惹き付けると私は思っています。そしてそれができる人を、私は「いい人だなー」と思って心から信頼します。あと、そういう人って上っ面じゃなくて、本当の意味で人に「優しい」んですよね。
★★★
「評価経済社会」的な文脈でいわれる「いい人」って、本を読んでいない私は上記で説明したような人だとなぜか勝手に思いこんでたんですけど、岡田斗司夫さんがいう「いい人」とはちょっとちがうのかな? もし「表層的な偽善者」が「いい人」だと評価されるのが「評価経済社会」だとしたら、そんなうさん臭い未来は心配しなくてもやって来ないので大丈夫です。なぜなら何度もいうように、「いい人」を“演じて”もバレるから。上っ面だけ整えたら、そのまま「上っ面が整った人だな」というのが伝わるだけ、それが真の「総透明化社会」です。
でも、私が勝手に思い込んでいたほうの「いい人」が評価される「評価経済社会」だったら、そっちの未来は近いうちにやってくるんじゃないかなーと個人的には思っています。
みなさんの「いい人」の定義、ぜひぜひ聞かせて欲しいところです。
- 作者: 佐々木俊尚
- 出版社/メーカー: 佐々木俊尚
- 発売日: 2014/07/25
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (2件) を見る