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【NYひとり旅/ラスト】マイ・ロスト・シティー

長々長々と書いてきたこの旅行記、今回で終わる予定です。

※だいぶ昔に書いた1記事目

※前記事

ニューヨークでの食事やグラフィティアートの記事をはさみましたが、時系列的には、MoMAに行ったあとGrandCentral駅で生牡蠣を食べ、そのあとはTHE定番観光スポット、エンパイア・ステート・ビルにのぼって夜景を見ることにしたのです。

行くはずじゃなかったエンパイア・ステート・ビル

私は夜景というやつがそれほど好きなわけでもないので、当初はエンパイア・ステート・ビルの展望台などに行く予定はなかったんですよね。が、日本出発の前日にスコット・フィッツジェラルドのエッセイである『マイ・ロスト・シティー』を読んでしまいまして、そのラストにこのエンパイア・ステート・ビルが出てきたのですわ。

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)

フィッツジェラルド1920年に『楽園のこちら側』という小説で華々しく作家デビューするのですが、それと同時に妻・ゼルダとの結婚、舞い込んできた莫大な収入、好景気にわくアメリカと、一度にいろいろなものを経験し、手に入れ“すぎ”てしまいます。そして、手にした成功に身体も心もついていけなくなり、スコットとゼルダフィッツジェラルド夫妻の生活は、どんどん破滅へと向かっていってしまうんですね。

退屈は人を殺す『グレート・ギャツビー』と『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』 - チェコ好きの日記

エッセイ『マイ・ロスト・シティー』は、ちょうどその頃の様子を内省的に描いたもので、まぁ何というか、胸が苦しくなる文章です。

もうひとつだけこの時代ではっきり覚えていることがある。私はタクシーに乗っていた。車はちょうど藤色とバラ色に染まった夕空の下、そびえ立つビルの谷間を進んでいた。私は声にならぬ声で叫び始めていた。そうだ、私にはわかっていたのだ。自分が望むもの全てを手に入れてしまった人間であり、もうこの先これ以上幸せにはなれっこないんだということが。
マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー) p248

もうこの先、これ以上幸せになれっこない。ジャズ・エイジと呼ばれた1920年代の華やかなニューヨークで、人が羨む成功と収入を手に入れたっていうのに、タクシーの中で1人、声にならない叫び声を上げるんですよ、この絶望ですよ……。涙ちょちょぎれるじゃないですか。

私の今回の旅行のテーマは、美術館に行くとかギャラリーをめぐるとかブルックリンで遊ぶとかいろいろあったけれど、何といってもいちばんは、「ニューヨークという都市に、スコット・フィッツジェラルドが描いた世界が存在するかどうか、確かめてくる」ことでした。2014年のニューヨークと、フィッツジェラルドが過ごした1920年代のニューヨークとでは、まったく別モノかもしれません。でも都市は生き物のようなものだから、行けばきっと、その残滓だけでも見つけられるんじゃないかと思ったのです。だから、フィッツジェラルドがエッセイに登場させたエンパイア・ステート・ビルに行ってみたい、フィッツジェラルドが見た景色と同じ景色をこの目で見てみたい、ということになったのでした。

『マイ・ロスト・シティー』のなかで、フィッツジェラルドエンパイア・ステート・ビルとそこから見える眺望を、こんなふうに描写しています。

ニューヨークは何処までも果てしなく続くビルの谷間ではなかったのだ。そこには限りがあった。その最も高いビルディングの頂上で人がはじめて見出すのは、四方の先端を大地の中にすっぽりと吸い込まれた限りある都市の姿である。果てることなくどこまでも続いているのは街ではなく、青や緑の大地なのだ。ニューヨークは結局のところただの街でしかなかった、宇宙なんかじゃないんだ、そんな思いが人を愕然とさせる。彼が想像の世界に営々と築き上げてきた光輝く宮殿は、もろくも地上に崩れ落ちる。エンパイア・ステート・ビルこそはかのアルフレッド・E・スミスがニューヨーク市民に贈った迂闊なプレゼントということになるだろう。
そして今、この失われた私の街に別れを告げよう。
マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー) p256

フィッツジェラルドの代表作『グレート・ギャツビー』では、主人公のニック・キャラウェイがニューヨークという都市のことを、「そこに世界のすべてがある。そこに行けば、どんなことだって起こり得る」みたいにいっているところがあるんですが、フィッツジェラルドも、当時のニューヨークの人々も、ニューヨークという都市を本当に魔法のような何かだと思ってたんですかね。

でも、エンパイア・ステート・ビルにのぼってみたら、そこにあるのはただの街だった。果てしなく続く宇宙なんかじゃなく、限りがある、ただの人工の街だった。彼がニューヨークに見ていた夢と魔法が、そして作家としての成功やゼルダとの結婚に見ていた夢と魔法が、一瞬で溶けてなくなってしまった……。

この部分は、そんなことを思わせる、とてもとても美しく悲しい描写であり、私はもう大好きなんですね。

で、肝心のエンパイア・ステート・ビルからの眺望なんですが。

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まず、来る時間を間違えました。「エンパイア・ステート・ビルっつったら夜景でしょうよ」という妙な思い込みのもと、21時くらいに展望台に行ってしまったのですが、よく読んでみたら「青や緑の大地」っていってるんだから、昼間に来ないとダメじゃないか。

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しかも展望台に来るまでに、すごく並びました(1時間以上)。夜景なんてそんな面白くもないのに、みんなよく並ぶな。

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混みすぎてて情緒がない。あと、2014年のニューヨークは果てなくどこまでも続いているように見えるー。限りがなくないー。

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……と、心の中で文句垂れまくっていましたが、やっぱり夜景は普通に綺麗でした。ここに世界のすべてがある。ここに行けば、どんなことだって起こり得る。そんなことを油断するとつい信じてしまうくらいには、この都市はやっぱりある種の魔力を持っていると思いました。

★★★

翌日はもう日本へ帰るスケジュールだったため、朝5時くらいに起きて、アッパー・イースト・サイドの家を出て、タクシーをひろって、ニューアーク・リバティ空港へ向かったんですけど、マンハッタンを出てハドソン川をわたっている途中、ちょうど日の出の時間に当たったようで、マンハッタンのビル街を背景に、まわりがぼわ〜っと明るくなっていく様子を見ることができました。

それが何だか夢みたいに綺麗だったので(単に眠かったのかもしれない)、ニューヨークってやつは本当に罪な野郎だな、いつか絶対また来るよ、今度はロウアー・マンハッタンとか(ワールドトレードセンターのほうも行きたかった)、ソーホーとかノリータとかリトルイタリーとかハーレムとか行くからひとつ頼むよと、まぁそんなことを考えていたのでした。旅行をすると、地球上に愛する場所がまた1つ増える。


というわけで以上で旅行記は終わりなのですが、最後に、私が読むと必ず泣く『グレート・ギャツビー』のラストの文章を、引用してもいいでしょうか。

ギャッツビーは緑の灯を信じた。悦楽の未来を信じた。それが年々遠ざかる。するりと逃げるものだった。いや、だからと言って何なのか。あすはもっと速く走ればよい、もっと腕を伸ばせばよい……そのうちに、ある晴れた朝が来てーー
 だから夢中で漕いでいる。流れに逆らう舟である。そして、いつでも過去へと戻される。
グレート・ギャッツビー (光文社古典新訳文庫) p295

グレート・ギャツビー』っていうのはですね、作中でニックが30歳の誕生日を迎えることからもわかるように、アラサーのための小説ですよみなさん。

★おわり★