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『ニンフォマニアック』は、“女性のセクシュアリティの物語”ではない。

デンマークの鬼才、ラース・フォン・トリアーの新作映画『ニンフォマニアック』が公開になったので、公開初日にいそいそと観に行ってきました。

本作は全体で4時間という大長編映画ですが、Vol.1とVol.2に分かれており、現段階ではまだVol.1のみの公開となっています。なので私の以下の感想文も、このVol.1のみについて書いたものです。Vol.2を観たら大きく感想が変わる可能性もありますが、そこはまぁ大目に見て下さい。

それでは改めまして以下、『ニンフォマニアック Vol.1』の感想です。ネタバレをふんだんに含みますので、気になる方はご注意下さい。

ジョーはなぜ「色情狂」になったのか?

まず『ニンフォマニアック』の概要を簡単に説明してしまうと、そのタイトルのとおり、この映画は「色情狂」の女性、ジョーが主人公です。物語は、道端で倒れ込んでいるジョーを、初老の男・セリグマンが自宅へ連れて介抱するところから始まります。そこでセリグマンは、「色情狂」として生きたジョーが告白する半生に、耳を傾けることになるのです。

全体としては、ジョーの幼少時代から50歳になるまでの人生が語られますが、Vol.1は彼女が20代後半? になったあたりで、いったん幕を閉じます。


映画『ニンフォマニアック Vol.1 / Vol.2』予告編 ソフトバージョン - YouTube

私は正直、最初この物語のあらすじを聞いたとき、「まさかトリアーが、“女性の性の解放”なんて、そんなベタな映画をやるわけ?」と心配になってしまったんですよね。しかし、そこはやっぱりラース・フォン・トリアーなので、必ず期待を裏切ってくれるだろうという安心感もありました。結果、私が懸念していたような“女性の性の解放”なんていうハッピーなお題目は吹き飛んでしまう相変わらずの不快な映画っぷりだったので、これはとても良い作品だと思いました。

「色情狂」のジョーは、幼い頃から性に目覚め、成人してからは1日に7〜8人(!)の男性と行為を重ねるようになりますが、これが何の感傷もなく、ものすごくドライな描かれ方をしています。私は医学的な知識はないのでよくわかりませんが、『ユリイカ』に寄せられていた精神科医の斎藤環氏の文章によると、現実の「色情狂=セックス依存症」の女性というのは、両親との関係が上手くいかなかったとか、幼い頃に性的な虐待を受けていたとか、過去に何らかのトラウマを抱えていることが多く、彼女たちの行動はしばしば自傷行為と見分けがつかないといいます。

しかし『ニンフォマニアック』のジョーは、そういったトラウマ的体験を何1つしていません。彼女がなぜ「色情狂」となったのか、観客である我々が解釈したくなるところを、きっぱりと拒んでいます。唯一「私が他の人と違うのは、夕日に多くを求めすぎたことかも……」という意味深なセリフをいっていますが、これは何の解釈の手助けにもなりません。

孤独で悲しいからヤる、気持ちいいからヤる、ではなくて、ジョーはまるで食欲のように性欲を満たそうとします。「お腹がすいたから何か食べる」っていう感じです。だから満腹のときは食べなくてもいいし、どうせならカップ麺じゃなくて美味しいものを食べたいよね、バランスのとれた食事がいいよね、っていう全然官能的じゃない雰囲気で、いろいろな男性と関係を持とうとします。それで、ときには若気の至りで、友人とチョコ菓子を賭けて“大食い競争”に挑戦したりもします。

Vol.1の終盤で、ジョーは「主食」として、きちんと愛情のある男性とも関係を持ちます(もちろん、白米ばっかり食べているわけにもいかないので、肉や野菜などのおかずも必要)。しかし予告を見る限りだと、ジョーは残念なことに、こういった白米、肉、野菜といった普通の食事では味覚を感じられなくなってしまうよう。ごはんの味がしなくなったら悲しいですよね。そのためか、Vol.2ではさらにスパイスの効いたハードな行為に挑む展開になっていくようです。

ニンフォマニアック』は、“女性のセクシュアリティの物語”ではない。

本作は予告編で「女性のセクシュアリティに挑む」と謳われているし、様々なメディアでも「女が! 色情狂!」というトーンで語られているので、つい「女性の物語」として考えてしまいそうなのですが、私がVol.1を観た感じでは、これをあまり「女性の物語」として解こうとしないほうがすんなり行くのでは? と直感で思いました。というのも、私が“女性として”、主人公のジョーに何1つ共感できる部分がなかったからです。じゃあ観客が男性だったら共感できるのかといったらそういうわけでもなくて、おそらく世の99%の人間は、ジョーという人物に自分を投影することはできないでしょう。『ニンフォマニアック』は、登場人物に共感して物語に入り込むという、そういう類の作品ではないのです。

では、このジョーという存在はいったい何なのか、『ニンフォマニアック』とはいったい何についての物語なのか。私がVol.1を観た限りでは、これはもっと普遍的な「性欲」、あるいはさらに拡大解釈して「尽きることのない欲望」の物語なのではないか、と思いました。

あるいは、トリアーが『アンチクライスト』でキリスト教に喧嘩を売ったように、『ニンフォマニアック』は「アンチラブ」、「愛」に喧嘩を売った作品だと考えてもいいかもしれません。ジョーがまだ10代(?)くらいのとき、女友達の“B”と、ピアノでドとファ#の「悪魔の音程」を奏でながら「1人の男と2回以上関係を持ってはならない」という、まさしく「アンチラブ」の誓いを立てるシーンがあります。これがたぶんとても重要なシーンで、「女性のセクシュアリティに挑んだ」というよりは「アンチラブに挑んだ」、といわれたほうが私的にはしっくりきます。そういう意味では、キリスト教の信仰とこの作品は深く結びついているので、日本人である私たちにはこの作品の本質は理解できないのではないかとすら思いました。何となく、『悪徳の栄え』を彷彿とさせる物語です。

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

悪徳の栄え〈上〉 (河出文庫)

とりあえず、まだVol.1しか観ていないので何ともいえない段階ではあるのですが、冒頭でドイツのロック・グループ、ラムシュタインの音楽が鳴り響いた時点で、『ニンフォマニアック』はクールで爽快、さらにユーモアもある映画であることを私は確信しました。若き日のジョーを演じるステイシー・マーティンはかわいいし、Vol.1&2のセット券だと2600円でお得ですよ。今からVol.2の公開が楽しみです。