チェコ好きの日記

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村上隆『芸術闘争論』から転じて、文章の”圧力”の話。

先日、現代美術家村上隆の『芸術闘争論』という本を読んだらとても面白かったよーという内容の話を先走って書いてしまったのですが、今回はこの本の感想を、もう少しがっつり書いてみようかと思います。

個人的には、現代アートに興味のない人でも、私がタイトルにあげた”圧力”という言葉にピンときた方にはぜひ読んでほしいなぁという本です。

「ウケる」ための作品作りはダメなのか?

まず村上隆というアーティストに対する私の勝手なイメージは、「美術界での嫌われ者」でした。美大生なんかにアンケートをとると、「嫌いなアーティスト」として名前が上がることが多いみたいな、そんな印象です。

参考:好きなアーティスト、嫌いなアーティスト2 - Ohnoblog 2

私自身は、彼の作品自体は正直見ても何とも思わないというか、「好きなわけでも嫌いなわけでもない」といったかんじ。でも、なぜ彼の作品がこんなふうに嫌われてしまうのかという理由は何となくわかっていて、それはおそらく彼自身の内的な動機からというよりは、徹底して「ウケる」ための作品作りをしているからだと思います。

ではなぜ、彼は「ウケる」ための作品作りをしているのか。名誉のためなのか、お金儲けのためなのか。この理由が、本書『芸術闘争論』で語られています。結論からいうと私は、彼の作品自体に強い魅力をかんじることはなくても、彼のやろうとしていることには、非常に心を動かされる部分がありました。

「美術」という概念はそもそも西欧から輸入されたものなので、だから今もやっぱり、アートの中心はどこにあるか、といわれたら西欧にあります。もし美術界で名を上げたいと願うなら、西欧にウケるものを作れば良い。アジア発のアートだったら、それこそオリエンタリズムみたいなところを突けばいいということになるのでしょう。繰り返しますが、村上隆はこれをわかった上で、作品作りをしています。

「西欧式ARTヒストリーへの深い介入可能な作品制作と活動」、と本書では書かれていますが、なぜ彼がそんなことをやろうとしているのかというと、西欧式のアートのルールを書き換えるためだ、といっています。外側から、中心を羨望の眼差しで見ていても何も変わらない。だったら、徹底的に介入して内側からルールを書き換えてやろうじゃないかと、そういうことのようです。

私自身としては、はたして内側からの介入によってルールの書き換えが可能なのかと聞かれると疑問が残るし、何度もいいますが彼の作品自体に強い魅力はかんじません。でも、彼のやろうとしていることには何かある、意味がある。そのことは間違いないのではないかと思うし、今度は真っ向から村上隆を否定している人の文章を読んだりして、ちょっとここらへんについては突っ込んで考えてみたいなーと思います。

文章の”圧力”の話。

上記のようなことをぐるぐる書いていると、自分でも「またその話かい」というかんじになるんですけど、「作品自体」が重要でコンテクストは不要なんだ、というのが誠実な態度なのか、あるいは「作品自体」が重要でないわけではない、でもコンテクストありきで重要度がわかるのだ、という態度が誠実なのか、やっぱりよくわからなくなってきますね。みなさんはこのあたりどうお考えでしょうか。

以前のエントリでも書いたのですが、村上隆は「鑑賞の四要素」として、以下の4つをあげています。これらの四要素から考えると、現代アートは解釈可能だ、という話ですね。

1 構図
2 圧力
3 コンテクスト
4 個性

前回は3・コンテクストの話をしたので、今回は2・圧力の話をしてみたいと思うのですが、村上隆は本書でこの”圧力”を、「芸術を作るときの一枚に対する執着力、もしくは芸術の歴史そのものを作ろうとする執着力、そういう執念みたいなものが画面を通じて、もしくは作家の人生を通じて出てくる」といって説明しています。圧力は、執着や熱量といった言葉にしてもいいかもしれません。

今こうしてこの文章を書いている私も、そしてこの文章を読んでくれているあなたも、資本主義社会に生きている人間なわけですから、お金が欲しくないという人はいないでしょう。名誉が欲しくないという人も、まぁあんまりいないんじゃないかなと思います。

でも、お金が欲しい、名誉が欲しい、そんな当たり前の理由で心を動かせられる人はだれもいない、ということをこの『芸術闘争論』を読んでいて思いましたね。村上隆が嫌われるのは、嫌われつつも存在感があるのは、西欧式のアートのルールを書き換えるということに、自分の人生をかけて執着しているからでしょう。そうでなかったら、おそらく美術界でここまで言及されることなく黙殺されていたのではないかと思います。

私は芸術作品でも、ブログでも何でも、”圧力”があるもの、エネルギー値の高いものに魅かれる傾向があるようです。そのエネルギーが、正の方向でも負の方向でも構いません。圧力と執着、とにかく人生がかかっているものが好きです。じゃあクリスチャン・ラッセンはどうなるのとか、軽いものを重ねると重くなることがあるとか、重いものを重ねると軽くなることがあるとか、細かくいうといろいろな逆転現象も起こるんですけど、まぁやっぱり、命かかってるものは面白いですね。

たかがブログ、たかが趣味といってしまえばそれまでですけど、私はやっぱり「やるなら命をかけてやれ」、と本書にいわれた気がしましたので、今日も命をかけて元気に生きようと思います。終わり。

芸術闘争論

芸術闘争論