チェコ好きの日記

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綱島温泉と『つげ義春の温泉』ほか

先日、ちょっと時間が空いていたので*1綱島温泉で開催されていたイベントに行ってきました。

綱島に温泉があるなんて知らなかったです。リンク先などを読むと、どうやらサブカル好きにはたまらないディープスポットらしい。何より、下記の記事で会田誠がいっている「人生の終着駅」という表現に、私は心を打たれてしまったのでした……。

しかし僕が綱島温泉を推す最大の理由は別にある。もっと人生論的な意味で重要な示唆に富んでいるというか……。つまり一言で言えば、ここはほとんど「老人ホーム」であり、人生の終着駅をあらかじめ一日体験できる希有な施設なのである。REALTOKYO | Column | 昭和40年会の東京案内 | 第15回:綱島温泉・東京園

そんなことをいわれたら私も見てみたい、「人生の終着駅」を!

お昼ごはんはラーメン

ほぼ13時ぴったりに着いた私はとりあえずお腹がすいていたので、1人でラーメン(400円)を食べていたのですが、よくある薄い味でこれがなんとも私好みでありました*2。ランチ中の私を、主催者のはせさんが見つけてくれました。

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初めてお会いする方が多かったのですが、楽しい時間を過ごすことができましたよー。私も何か差し入れを持って行けばよかったです。

人生は日々予習

会田誠は、綱島温泉の最大のウリは入浴後にあると書いていて、宴会場で音程はずれまくりのカラオケを楽しむじいさんばあさんの姿を眺めることで、それを堪能できるといいます。が、私は温泉そのものを意外と楽しんでしまったので、「人生の終着駅」は風呂のなかでも見られるぞ、ということを言い添えておきたいと思います。

というのも、温泉の内部が、言いにくいんですけど、端的にいって圧巻なわけですね。70歳とか80歳のおばあちゃんの裸が、たくさん見れる。たくさんたくさん見れる。実家が温泉宿とかの人じゃない限り、一度に人の裸をたくさん見られる機会なんてなかなかないと思うのですが、普通の温泉だと、もっとこう、年齢層にバラつきがある。おばあちゃんもいるけど、おばさんもいるし、若い人もいる。でもここ綱島温泉は、おばあちゃんの比率が圧倒的に高いわけです。おばあちゃんたちの、たくさんのしわしわの肌と、たくさんの垂れた乳を見ていると、なんかこう、「人生とは何か」みたいな哲学的な思索に耽ってしまうのです。

でも不思議と、その光景はなんだか既視感のあるものだったので、私はこんな場面を以前にいったいどこで見たんだろうとしばらくぐるぐる考えていたのですが、思い出しました。高野文子の『絶対安全剃刀』でした。

絶対安全剃刀―高野文子作品集

絶対安全剃刀―高野文子作品集

この短編漫画集のなかに、『はい―背筋を伸してワタシノバンデス』という作品があるのですが、それが銭湯にいく話だったんですよね。私はあれはめちゃくちゃ怖い話だと思ってるんですけど、風呂に入った主人公が、老女の身体をずっと見つめている場面がありまして、それとリンクしたんだなあということに後から気が付きました。詳しくは漫画を読んでみてほしいのですが、老女に背中越しに「(子供を産むのは)ツギハ アナタノバンデスヨ」なんていわれた日には、私はちょっと死にますね。

お風呂のなかに「ケロリン」の洗面器があったことにも感動しました。現実の世界に「ケロリン」てあるんだ。漫画の世界の話かと思ってた。黄色が素敵でした。

ケロリン湯桶 関東向A 深型

ケロリン湯桶 関東向A 深型

綱島温泉のお湯は「ブラックコーヒーのような黒さ」で有名らしいのですが、その通り、紛うことなき黒。私は底が見えないので手探り(足探り?)でよちよち歩いてたんですが、おばあちゃんたちは常連さんで慣れているのか、堂々と闊歩し水風呂とこちらを往復するのです。電気風呂で身体にビリビリの刺激をあたえるのです。ちなみに私は水風呂も電気風呂もちょっと無理でした、あの水風呂に肩まで浸かったら発作起こすんじゃないかと思いまして……。なんでおばあちゃんたち、あんなに心臓が丈夫なんだろう。


それで、何がいいたいのかというと、人生は日々予習であるということですね。私たちは事前に、「人生の終着駅」を見学しておくことができるのです。綱島温泉はもうすぐなくなってしまうらしいのですが、それでもどこかに、こういった場所は必ずあるはずです。いや、ないかな。見つけるのちょっと難しそう。


私が『絶対安全剃刀』を読んでいたように、「予習の予習」をしておくこともできます。人生はトライ&エラー、座学とフィールドワーク、予習と復習で成り立っています。えーと、ちょっと教訓めいたことをいってみたかっただけです。

最後に、あまり適切ではないかもしれませんが、なんとなく思い出した『つげ義春の温泉 (ちくま文庫)』の一節も引用しておきます。

 古い湯治場はたいてい貧乏臭く老朽化している。ときには乞食小屋と見まごうボロ宿もある。浴客もみすぼらしく老朽化した老人ばかりで、見た目の印象では”姥捨て”が想像され、その侘しい雰囲気が癒しになるのだった。
 姥捨ては、老いて機能しなくなった役立たずの捨て場である。社会との関係からはずれた境遇は、関係に規定されている「自己」から解放され、意味も根拠もなくなるのではないかと思える。意味も根拠もない存在とは「存在しながら存在しない」非存在といえる。

つげ義春の温泉 (ちくま文庫)

つげ義春の温泉 (ちくま文庫)

誤解なきよういっておくと、綱島温泉は乞食小屋というかんじでは決してないし、おばあちゃんたちも超元気なので”姥捨て”という印象はまったくないのですが、温泉とか銭湯というのは不思議な場所で、その人の一切合財を剥ぎ取ってしまうんですね。社会的な関係からはずれ、意味も根拠もないなんとも頼りない存在に、個人をしてしまうのです。ずっと四六時中「意味も根拠のない存在」でいるのは辛いけれど、でも人は皆、どこかで社会的な関係に疲れ、一時的な解放を求めている。だから人々は、温泉に癒されにやってくるのだろうと、私はそんなことを考えたのでした。

まあね、最後はみんな等しくじいさんとばあさんなんだからね、若いうちは好きなことをやっときゃいんじゃないかなと、そういったことも考えました。

改めて、主催者のはせさん、在華坊さん、素敵なところを教えていただいてありがとうございました。

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*1:基本的に時間はいつでも空いている

*2:ぶっ叩かれる覚悟で書きますが、私はこの世でいちばんおいしいラーメンはバーミヤンラーメンだと思っています