読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

チェコ好きの日記

旅 読書 アート いいものいっぱい 毎日楽しい

はじめての映画体験と、大学進学までの話

思ったこと

ラース・フォン・トリアー」は、私がいちばん最初に覚えた映画監督の名前である。はじめて彼の映画を観たのは中3のときで、その作品は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』であった。

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

ダンサー・イン・ザ・ダーク [DVD]

トリアーは今でも好きな監督のうちの1人ではあるが、正直『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を、今の私はそこまで高く評価していない。しかしこの作品は、以後の私の人生を変えるきっかけとなった映画であり、やはりそれなりの思い入れがある。もちろん、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』でなくても、似たような作品を観て結局はどこかでスイッチが入っていたのかもしれないが、とにかく私にとってその1本は『ダンサー・イン・ザ・ダーク』だった、という話だ。

中3の当時、ビョークのファンだった私は、「ビョークが出てる映画」というだけでこの作品を鑑賞したのだけど、結果として『ダンサー・イン・ザ・ダーク』は、はじめて私に「映画監督」を、作家を意識させた映画となった。

当時私がこの映画を観てかんじたことは、これまでも何度か、このブログ以外の場所で言葉に表そうとしてきたのだけど、いまだにそれは成功していないし、今回もまた成功しないだろう。この映画が私にあたえた衝撃は、いってみれば「フォアグラ」という言葉とモノを知る前にフォアグラを食べてしまったような、「恋」という言葉を知る前に恋をしてしまったような、そんな類のものである。後の人生でもちろん、「フォアグラ」や「恋」に相当する言葉を私は知ることになるのだけど、最初の印象というのはなかなか拭えない。だから私は、いまだにこの映画を観た中3のときの衝撃を言葉にすることはできず、感想文も書けないままでいるのだ。

あえていうなら、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』に映し出されていたのは、たくさんの「謎」だった。そしてその「謎」は、中3のときの私には、どうしたって太刀打ちできないものだった。これは、人生をかけて臨まなければならない「謎」だと、そのとき私は直感で思ったのである。

卒業文集で、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』と、自分の中学時代の思い出を無理矢理組み合わせた黒歴史的な作文を書いた後、私は中学校を卒業することになる。

★★★

高校に進学した私の課題は、「どうしたら『ダンサー・イン・ザ・ダーク』の謎が解けるのか」、それを考えることだった。

とりあえず、バイト代をつぎ込んで映画をたくさん観ることにした。 鑑賞後は、1本1本感想をノートに書くことにした。当時観ていた映画は、今振り返るとお粗末なものが多いのだけど、トリアーの他の作品やミヒャエル・ハネケチャン・イーモウジャック・ドゥミ岩井俊二などは、この時代に観ておいて良かったかもしれない映画だ。並べてみると、なんだかとりとめもない。当時のノートは、今も実家に眠っている。

感想文を書く習慣がつくようになってからは、いくらか「謎」に近付けたような感覚はあったのだけど、根本的にはやはり、高校を卒業してから本格的に映画と向き合う時間を作る必要がある、と思った。

まず考えたのは、自分も映画を作ってみれば良い、ということだ。そこで、映画製作を学べる専門学校や美大の資料を取り寄せ始めたのだけど、私は小学生時代にいだいた「漫画家」という夢を、一度諦めている。自分は「手」を動かして何かを作るよりも、「頭」で考えるほうが向いているーー途中でそのことに気付いた私は、方向転換して、今度は映画史や批評を学べる大学を探し始めた。(このとき気付いたことは、今考えても大当たりである。高校時代の私よ、よくやった、と自分を褒めてやりたい。)


そんなふうにして私は大学に進学するのだけど、意外だったのは、高校を卒業してから数年後に友人と2人で母校を訪れたときの、元担任の言葉だった。

チェコちゃんは、早く高校を卒業したほうがいいって思ってたよ。あなたは、ここみたいな“枠”がない場所にいたほうが、いいんだろうなって」

そういわれたものの、私はその女性の担任・O先生と、高校時代にマトモに話をした記憶がない。O先生にお世話になったのは、出席日数がギリギリで卒業が危うかった、私の友人のほうである。

私はどちらかというと品行方正な生徒だったので、出席日数はもちろん、成績も悪くなかった。派手めな子とも地味めな子とも、男子とも女子とも、みんなと仲良くやっていた。普段の高校生活だって、文化祭だって体育祭だって、修学旅行だって、なんというか、「ちゃんと」楽しんでいた。高校生らしく羽目を外し、高校生らしく夢中になっていた。

先生は、私がそんな普通の高校生活の裏で、大量に映画を観て、その1つ1つをノートに記録していたことなんて、もちろん知らない。「ちゃんと」やっていたはずなのに、どうして私は先生に、そんなふうに見えたんだろう、と思った。

★★★

美大や芸術系の学部出身者にはわかると思うのだけど、ああいうところは、全国から奇人変人を集めた吹き溜まりのようなものである。私も映画史と批評をやるために、その吹き溜まりの一員となったわけだけど、芸術系の人間には、妙な「共犯感覚」があるように思う。今思うとそれはただの勘違いだった可能性もあるのだけど、会話をする上で、2段階か3段階、途中のステップをすっとばしても通じ合えるような、そんな安心感が、芸術系の人間にはある。少なくとも、私は大学の学部や院で出会った友人には、そういう感覚をいだいている。

しかし、何はともあれ入学式である。晴れて大学生となった私は、その入学式を終えた後に学科のオリエンテーションに向かったのだけど、そこには奇人変人のオーラ漂う学生たちよりも、さらに濃い変人オーラを纏った教授陣がいて、初回授業で見せてくれるらしいキモい絵画や映画のことを、嬉々として語っていた。


今でも覚えているのだけど、そのとき教授陣の話を聞きながら私は、「ここでなら、私は息ができる。やっと、呼吸ができる。」と、涙が出そうなくらい、心の底から安堵したのである。


中学も高校も、私はそこそこ楽しい学生生活を送っていたはずだ。くだらないことはたくさんあったけど、息苦しい思いなんてした覚えはない。だけど私は、芸術の現場にやってきたとき、「ここでなら、私は息ができる」と、そう思ったのである。

今考えても、やっぱりおかしな話だ。

★★★

ちなみに、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』やその他の芸術作品から提示された「謎」は、今も解けないままだ。むしろ、その「謎」は年を経るごとに、増えているような気さえする。

それらの解明のために、私は死ぬまで時間を費やすことになると思う。途中で切り上げてもいいのだけど、どうやらそれは無理みたいなので、もう諦めている。