チェコ好きの日記

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3Dのルールを破れ ゴダール『さらば、愛の言葉よ』感想文

「想像力を欠く者はリアリティに逃げ込む」とゴダールは言う。
彼自身の想像力は完全無欠だ。
ーーウエスト・フランス

★★★

今となってはすっかりお馴染みとなった映画の3D上映ですが、そういえば私が初めて観た3D映画って、ティム・バートンの『アリス・イン・ワンダーランド』でしたね。最近観たやつだと、『ベイマックス』はもちろん3Dでした。

ところで、2Dと3Dの間には、やはり大きな断絶があるようです。私も撮影方法についてはよくわかっていないことが多いのですが、3Dの効果を最大限に活かすために、ズームをやったらダメとか、被写体との距離を一定に保てとか、手持ちカメラでの撮影はダメとか、そういった「決まりごと」が、いろいろとあるようなんですね。

だけど、そこは映画界の寵児、80歳にして現役のジャン=リュック・ゴダールなわけで、彼はそんな「決まりごと」を次々に破ってしまいます。おかげさまで、エンターテイメント系の映画で使われることの多い「楽しい」3D上映が一転、観る者に多大な「負荷」となって襲いかかってくるーーそれが、ゴダールの最新作『さらば、愛の言葉よ』なのです。原題は『Adieu au langage』、忠実に訳すと「さらば、言葉よ」ですね。


『さらば、愛の言葉よ』日本版予告篇 - YouTube

ゴダールの最新作は3Dらしい」と、そんな噂を耳にしたのはいつのことだったか忘れましたが、これを観ないという選択肢は私のなかではありません、ありえません。というわけで、公開2日目にして長蛇の列に並んで観てきましたので、今回は『さらば、愛の言葉よ』の感想文です。

狂う遠近感、多重露光の3D、そして引用、引用、引用

『さらば、愛の言葉よ』に、明確なストーリーはありません。1回観ただけだと、あらすじを追うのはほぼ不可能でしょう。「人妻と独身男が出逢う ふたりは愛し合い、口論し、叩き合う 一匹の犬が町と田舎を彷徨う 季節はめぐり 男と女は再会する」と一応パンフレットには書いてありますが、ちょっとなんのことだかわかりません。

そしてゴダールの映画としてはお馴染みですが、本作もまた多大な書物・映画からの引用があります。フローベールの『感情教育』に始まり、ドストエフスキーレヴィナスサルトルボルヘスリルケに、ジャック・デリダハワード・ホークスに、フリッツ・ラング。なんのために、なにを伝えるためにそれが引用されているのかーー謎解きは楽しいかもしれませんが、その数はあまりにも膨大です。だから、ちょっと無理。タイトルに「さらば、言葉よ」とある通り、言葉を追うのはこの映画においては無意味のようにかんじました。


ところで、通常の3D映画は、同じ劇場で同時に、2D版も上映している場合がありますよね。もちろん2Dでは3Dにその迫力はかないませんが、「3Dも2Dも同時に上映している」ということはつまり、「3Dである必然性はない」ということです。『アナと雪の女王』を3Dで観ようと2Dで観ようと、『ベイマックス』を3Dで観ようと2Dで観ようと、そこには同じ物語、同じ主題があらわれます。本質的なちがいはありません。

だけど、『さらば、愛の言葉よ』は、2Dで上映すると、おそらく作品の主題が変わってしまいます。ゴダールがしかけたあれやこれが、水泡に帰してしまいます。だからこれ、DVD化とかするときにどうすんの、とかは思いますね。3Dで立体化させたことにより狂う遠近感、粗い画面……そして何よりの見所は、3D映像の多重露光です。これを見たときは、「ゴダールって、この人バカなんじゃないの」って思いました(褒めてる)。ちょっと夢中になって見入ってしまったのですが、あの場面、3Dメガネ外しても見てみたかったです。3Dの技術って、両眼の視差を利用して映像を立体的に見せているわけですが、多重露光ってことは、メガネを取ると……?*1

まあそんなわけで、『さらば、愛の言葉よ』においては、いろいろと「ありえない映像」を見ることができるのです。「ありえない」のだけど、一方で、どこかで見たことがあるような気もして。「どこか」ってどこかというと、とりあえず現実の世界ではないですね。夢の世界か、狂気の世界か、あるいは言葉が存在しない、この世の果てのどこかか。

この映像は、1人でも多くの人に映画館で見てほしいと思います。

前提を疑え

先に書いたように、3Dの技術は、両眼の視差を利用することによって映像を立体的に見せることを可能にします。だから映画館でメガネをとると、映像がぼやけて気持ち悪くなったりもします。そしてこれまでの3D映画は主に、というか完璧に、映像に迫力を持たせるため、より映画の世界に観客を入り込ませるために、この技術を用いてきました。

しかし、『さらば、愛の言葉よ』はそのすべてを覆します。3Dであることを「主題」にしてしまう。歪んだ立体感は迫力を遠ざけ観客を宙吊りにし、「負荷」としての映像は観客が映画のなかに入り込むことを拒否します。曖昧にぼやけた映像を、”メガネ”という道具を通して立体的に見ることーーそれはこの曖昧な世界を、”言語”によって認識し、自らの頭に浮かび上がらせることに似ています。そして、3D技術が時として「ありえない」映像を作り出すように、”言語”もまた、私たちに不完全で歪んだ認識をあたえることがある。私は、なんかそういう映画なんだろうと解釈しましたが、「犬」の意味とか「隠喩」とか「神」とかよくわかんなかったので、まあいつものゴダールだなあってかんじです。


細かいことはいくらでもいえると思いますが、ただ1つ、ゴダールが本作においてやろうとしたことは明確です。それは、「3D映画」という前提を疑うこと、覆すこと。まったく同じ技術を用いて、観客を迎え入れることも、観客を欺くこともできるのです。こんなふうに3D技術を使うことのできる映画監督は、はたしてゴダール以外にいるのでしょうか。

アンナ・カリーナをヒロインに仕立てたヌーヴェル・ヴァーグ時代、ジャン=ピエール・ゴランと組んだジガ・ヴェルトフ集団時代、アンヌ=マリー・ミエヴィルとともに作り上げたソニマージュ時代ーーゴダールは常に先頭を走っています。でもこの人、80歳ですからね。私は、「若さとは、権威への挑戦である」というだれだかがいっていた*2言葉が好きなのですが、この言葉を借りるならゴダールこそが、映画界のなかで最も若い監督であるといえるでしょう。

私もゴダールのように、いつまでも若くありたい。

★★★

シネマ、それは現実の複製ではない、現実の忘却なんだ。
ーーユリイカ 2015年1月号 特集=ゴダール2015 ジャン=リュック・ゴダール インタビューより

参考文献

*1:わかんなくなってきた

*2:岡本太郎だったかも