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チェコ好きの日記

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読書会を終えて『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』

読書

2月15日に、二村ヒトシさん著『すべてはモテるためである』を課題図書にした、Skype読書会に参加しました。

というわけで、今回はその読書会の感想です。二村さんの書籍や「恋愛」「モテ」といった話題に興味がある方、また時間の都合により読書会に参加できなかった方、などなどに読んでいただけると幸いです。

禁猟区問題

読書会では『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』に出てくる劣等感と劣等コンプレックスの話も出たりして、いろいろな方面に話題が飛んでいったのですが、なかでも私にとって興味深かったのは、「禁猟区」に関する話題でした。「禁猟区」とは、各々の会社の職場なんかをイメージしていただくのがいちばんわかりやすいのではないかと思うのですが、「恋愛してはいけない場所、恋愛っぽい雰囲気になりにくい場所」のことです。厳密にいえば「禁猟区」なんてものは世の中に存在しないのですが、「禁猟区」っぽい雰囲気になっている場所、コミュニティというのは確かにたくさんある気がします。

我々はなにゆえこの「禁猟区」を作っているのかというと、まず1つはコミュニティの安定性を保つため、というのがあります。恋愛沙汰というのは感情的な要素や個人的な要素、秘密を多く含むため、それらが万が一コミュニティのなかで明るみに出ると、それまで円滑に行なっていた作業やコミュニケーションに、支障をきたす場合があります。

でも、読書会後に私はちょっと考えたのですが、この「コミュニティの安定性を保つため」っていうのは本当は建前に過ぎなくて、真の理由は「じぶんがめんどくさいから」なのではないかなと思ったのでした。狩りに出るのも、狩られる準備をするのも、なかなか労力がいります。そこで、「ここは禁猟区だから」という言い訳を使うと、いろいろとラクできるんですよね。身だしなみに気を遣い過ぎなくていいとか、体調悪いときは体調悪いときのままでいられるからいいとか。いつでもどこでも準備OKの状態にしておくというのは、なかなか疲れるものがあります。しかし、モテたいのならそこを頑張れという話でもあり、「疲れるけどモテる」を選ぶのか「疲れないけどモテない」を選ぶのかは各々の判断になってくるかと思います。究極的な話、毎朝の通勤電車のなかだって、出会いの場としてまったく機能しないわけではありません。

だれかの恋愛沙汰ごときで壊れるコミュニティは、どっちみちそのうち解体します。だからモテたいという欲がある人は、あまり「禁猟区」という思い込みルールにこだわりすぎず、臆せずガンガン狩ればいいのでは、なんて私は思ったのでした。そして、人間の1対1の関係というのは、もう大人なんだし自己責任です。だからまわりの人間も、だれかの恋愛沙汰ごときで騒いだりせず、悠然と構えて見て見ぬフリをしてあげたほうがいいでしょう。読書会では「恋愛流通の総量を増やそう」という言葉も出ましたが、愛を自分のなかで貯金せずに市場にどんどん流すことで、結果として自分に還ってくる、みたいな考え方には私はわりと同意です。みんなもっと「好き」っていおう。

『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』

今回の課題図書であった『すべてはモテるためである』は男性向けに書かれた恋愛本ですが、同じ二村ヒトシさん著で『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』という、女性向けに書かれた本もあります。

従来の恋愛観では、一般的に男性は「狩る側」、女性は「狩られる側」として想定されることが多かったように思いますが、幸か不幸か、現代においてこの役割はあまり機能しなくなっているような気がします。実際、私は女性ですが、「狩られる」のがちょっと苦手で、「狩る」ほうが得意です。だから何かと非難されることが多い絶食系男子とか、草食系男子とかが、世相に反して個人的にはわりかし好きだったりします。そのせいかどうかわかりませんが、私は実は女性向けの『なぜあなたは〜』にはピンとくる部分があまりなくて、男性向けの『すべモテ』のほうに共感しまくりだったのでした。なので、これと同じような論理で、男性であっても「狩られる」ほうが得意な人、『なぜあたなは〜』のほうが共感できるという人がいるのではないかと思ったのですが、どうでしょう。いずれにしろ少数派なのかもしれませんが、男性・女性という枠が薄くなり、自分の性質に合わせて「狩る」「狩られる」を選択できるように世の中がなっていっているとしたら、それは歓迎すべきことにちがいありません。

また、これも読書会で出た話ですが、この手の話題の問題点として、個人的な要素が強い分、「いい話(成功例)は表に出て来ない」というのもあります。まったく出て来ないわけではありませんが、いい話は秘密裡に進んでいることが多く、目立つのはどうしても失敗例になりがちです。だからなんというか、目に見えていることがすべてじゃないというか、抜け道はいくらでもあるというか……なかなか難しいと思いますが、もう少し「成功者の話」が聞ければいいのかも、なんて思ったりもします。でも成功者っていうのはつまりもうその問題はクリアした人なわけで、クリアしているから語る動機が生まれないっていうことにもなり、やっぱり難しいですかね。

まとめ:各自フィールドワークに励め

「恋愛」「モテ」というのはなかなか精神的にしんどい要素が大きく、常人はできることなら早めに市場から撤退したいところではありますが、そうはいっても人間の本質的な部分に関わる問題でもあり、一時撤退は可能でも、残念ながらこの問題から永久に逃れられるという人はいません。既婚者であっても離婚や死別のリスクはあり、だれかを求めてつがいになりたいという衝動は、80歳をきっとこえてもなくなりません。

そうなると、モテる人もモテない人も、「各自フィールドワークに励め」という結論に、私のなかではなります。モテる人はやはり先天的にモテる要素を持っており、モテない人は「改善」することはできても、もともとモテる人のモテっぷりを超えることは難しいでしょう。「モテ」が先天的な要素である以上、モテる人はモテない人を過度に見下してはいけないし、モテない人はモテる人に過度に嫉妬してはいけないと思うのです。

私の人生観の1つに「配られたカードで頑張るしかない」というのがあるのですが、世の中というのはもともと不平等にできています。だけど全員同じ条件で始まるカードゲームなんてつまらないし、もうなんかそれはしょうがないので、外見のコンプレックスも頭の悪さも年収の低さもほどほどのところで折り合いをつけて、あたえられたカードで勝負していくしかありません。我々は配られたカードを使って、各自フィールドワークに励み、蓄積されてきたところで互いに研究報告をすればよいのです。大切なのは、「この研究成果を報告できるのは自分しかいない」という自覚を持てるかです。事実、それはあなたにしかできない研究報告なのですから。報告というのはもちろんブログやTwitterで文章を書くということだけを意味しているわけではなく、飲み会で話すとか、仕事を頑張るとか、紙の日記を書くとか、そういうのもすべて間接的な研究報告です。


最後に。

『すべてはモテるためである』も『あなたはなぜ「愛してくれない人」を好きになるのか』もとても有名な本ではありますが、それにしたって、この本にアクセスできる人=日本語話者は、世界人口70億人のうち1億人くらいしかいません。さらにそこから、この本の存在を知ることができる人、実際に手にとって読む人、というのは本当に限られてきます。

なんでもそうですが、生きているなかである本にたどりついたこと、ある人に出会えたことというのは、本当に奇跡のような確率です。だからこそ、もうこの本に行き着いちゃったということは、自分が「恋愛」や「モテ」について何かしらを語ること、研究報告することを運命付けられていると仮定しちゃっても、そんなにひどい妄想にはならないと思うんですよね。繰り返しますが、「この研究成果を報告できるのは自分しかいない」わけで、世界はあなたのレポートを心待ちにしています。

というわけで、各自現場にもどって、フィールドワークに励みましょう。続報を期待しています。