チェコ好きの日記

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『笑ゥせぇるすまん』で喪黒福造にドーン!ってやられた人はビフォーとアフターどっちが幸せなのかな

少々思うところがあって、2月に入ってから『笑ゥせぇるすまん』をまとめて読んでいたのですが、実はわたくし、幼稚園時代に夢のなかで喪黒福造に追いかけ回されたことがあり、以来こちらの漫画は若干トラウマになっています。あの夢怖かったなあ。

笑ゥせぇるすまん』はご存知のとおり、藤子不二雄Aのブラックユーモアあふれる漫画です。ストーリーは周知のとおり、「せぇるすまん」である喪黒福造が、現代社会で様々な欲望をもって生きる人々に接近し、その欲望を叶えていきます。そういった意味では「大人のドラえもん」ともいえる喪黒福造なのですが、その欲望を叶えてもらった人々の末路はというと、夢を叶えたことによって社会の規範を大きく逸脱してしまうことになります。「こちら側」の人が「あちら側」の人になり、多くの場合、もう「こちら」にはもどって来られなくなるわけですね。具体的にいうと、犯罪歴ができてしまったり、精神がおかしくなってしまったり、別の人間として生きることになってしまったりします。

しかし、これは作者の藤子不二雄A自身が語っている(らしい)ことですが、「こちら側」にもどって来られなくなった人々は、はたして不幸なのか。喪黒福造に会わずに、それまでの変わらない日々を送っていたほうが良かったのか。……そう問うと、これは甚だ疑問であり、人間の欲望とは何なのかと考えさせられます。

というわけで今回は、『笑ゥせぇるすまん』の感想文を書きます。

現代人の欲望のかたち

まず私は『笑ゥせぇるすまん』のことを書くにあたって、この漫画の物語の主人公たちがもっていた「ココロのスキマ」を、いくつかのパターンに分類してみたんですね。もちろんなかには分類が難しいものもあり、また分類自体が私の独断と偏見に基づくものではありますが、Kindl版の1〜2巻*1に限ってこれをやると、以下のような表ができます。

ココロのスキマ 話数
優柔不断 4
憧れ 14
臆病 3
怠惰 4
欲望の抑圧 4
その他 3

上記を見ていただくとわかるとおり、『笑ゥせぇるすまん』において主人公たちを破滅させていった「ココロのスキマ」として圧倒的に多いのは、「憧れ」です。私がここに分類した物語は、今の自分とはちがう自分への憧れ、一晩のアバンチュールへの憧れなど、現状の日常生活の線上では起こり得ない何かに憧れ、それを喪黒福造の力によって実現させた、という展開になっているものです。

笑ゥせぇるすまん』は1968年に小学館の「ビッグコミック」にて読み切り作品として掲載されたところから始まったようですが、時代は高度経済成長です。この漫画の主人公の多くは会社勤めをしているサラリーマンの男性ですが、彼らは急成長する日本経済を支える会社と、そして妻が強権を振るう居場所がない家庭とを往復し、そのなかで今の自分を逸脱するようなキケンな香りのする何かに憧れ、そしてその欲望のもとに破滅していきます。

このブログをご覧になっている方で、こうした前時代的なサラリーマン生活を送っている方はあんまりいないんじゃないかなーという気がするんですが、それにしても、何かに「憧れ」、そしてその欲望がもとで破滅していくという物語は、2015年の我々にとっても無関係な話ではありません。

退屈なサラリーマン生活から脱出して、好きなことで生きていきたい。少しキケンな香りのする場所で、遊んでみたい。ちょっと手の届かないあの人を、手に入れてみたい。今の自分にはない魅力を、別の自分はもっているはずだーー

そこで「ドーン!」というわけです。今夜、バー「魔の巣」で一緒に飲みましょう。

あなたが私の喪黒福造になって

さて、次に見ていただきたい表が以下です。こちらは『笑ゥせぇるすまん』の結末を、主人公の生活を取り返しのつかないレベルで変えてしまったものと、なんとか日常生活に復帰できるレベルのものとに分類してみました。なお、一部「どっちともいえない」的な話もあり、そういった場合は「判別不能」として分類しています。

結末 話数
取り返しのつかない 20
取り返しのつく 9
判別不能 3

私が「取り返しのつかない」ものとして分類したのは、犯罪歴ができてしまいこれまでの仕事を続けることが困難になってしまったであろうと思われる話や、これまでいた家族が忽然と姿を消してしまった話、後遺症ののこる怪我を負ってしまった話、精神がおかしくなってしまった話などです。喪黒福造、やはりなかなか残酷ですね。

では、これらの物語の主人公は、喪黒福造に会わないほうが良かったのか。これまでの人生を、行動に移すことなく何かに憧れ続け、欲望を抑圧しながら生きていったほうが良かったのか。それは、やっぱりちがうと私は思うんですね。喪黒福造に会う前の主人公たちは、それはそれですごく苦しそうで、そのまま人生を生きるのは少々つらそうです。たとえそれがハタから見て「破滅」だったとしても、破滅しないままの人生よりも、彼らは幸せになれたのではないでしょうか。

ティファニーで朝食を (新潮文庫)』のホリー・ゴライトリーは、「不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだほうがましよ」といいます。ホリーは喪黒福造には会わなそうですね、だって毎日自分で自分に「ドーン!」をやっていますからね。

藤子不二雄A氏は、喪黒福造を「人間ではない存在」だとコメントしているという話をどこかで読んだのですが、彼はつまり現代に生きる妖怪なのでしょう。私たちは妖怪を無視して生きることもできますが、できるのは「無視」だけであって、汚い欲望そのものを消し去ることはできません。そしてその妖怪は、定期的に外へ出して遊んでやらないと、結局なかで悪さをし始めるのだと思います。ホリーはそのことをよくわかっていて、「癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつはあなたを間違いなく殺すのよ」っていうんですね。

だからまあ、「あなたのココロのなかの喪黒福造をちゃんとかまってやってね、飼いならしてね」という結論に今回はなりそうなんですが、しかし幸福になるというのは難しいですね。このへんの話題に関心のある方は、以前書いた『暇と退屈の倫理学』の感想エントリも合わせて読んでいただきたい所存であります。

刺激と不幸を求めてしまうのはなぜ? 國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 - (チェコ好き)の日記

で、「自分のココロのなかの喪黒福造をかまってやる」ことはもちろん大切なことだと私は思うのですが、もう1つ、現代に生きる人間として思うことは、「私はだれかの喪黒福造にならなければならない」ということです。社会というのは自分1人では完結しませんから、みんなが気持ち良く生きていくためには、みんながみんなに「ドーン!」をやらないといけないのではないかと思うのです。そうやって、みんなで協力しながら少しずつ社会のガス抜きをしたり、または意図的に溜めて爆発させて遊んだりしなければならないのではないかと思うのです。喪黒福造は自分の仕事をボランティアだ、慈善事業だといっていますが、これはあながち嘘ではありません。

ただし「ドーン!」をやるというのも、これまたけっこうな課題があって、喪黒福造はホンモノの妖怪なので超能力的なパワーを使えるからいいんですが、普通の人間である私たちは、「ドーン!」をやるためにそれなりの魅力を兼ねそえなければいけないんですね。魅力のない人間に「ドーン!」はできないのです。
笑ゥせぇるすまん ハンドタオル ドーン! SHWS361

というわけで、『笑ゥせぇるすまん』はなかなか奥の深い寓話です。私がだれかの喪黒福造になれるよう、あなたに私の喪黒福造になってもらえるよう、今日も頑張っていきましょう。

*1:3巻以上は疲れたので断念