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ハッピーエンドか、地獄の始まりか『ザ・ゲーム』感想文

どうしてお前がそれを読むんだ、という前提については省きますが、『ザ・ゲーム 退屈な人生を変える究極のナンパバイブル』という本を読みました。アメリカのPUA(ピックアップアーティスト、ナンパを常習的に行なっている人たちのこと)たちのコミュニティの誕生から、その行く末までを描いたノンフィクションです。というわけで、今回はこちらの本の感想文を書きます。

ザ・ゲーム フェニックスシリーズ

ザ・ゲーム フェニックスシリーズ

これってハッピーエンド、なの?

まず本書についての書評をネット上で探すと、女性を口説くための、そのテクニックについて解説しているものが目立ちます。本書は確かにテクニック的な部分についての記述も前半に多くあるのですが、そういったテクニック部分は細部にとどまっており、全体としてはあくまでストーリーを楽しむための構成になっていると思います。テクニックの部分についてさらに詳細に解説している続編の書籍もあるようですが、私はそちらは未読です。

ザ・ゲーム 【30デイズ】 ――極上女を狙い撃つ (フェニックスシリーズ)

ザ・ゲーム 【30デイズ】 ――極上女を狙い撃つ (フェニックスシリーズ)

さて、本書のおおまかなあらすじをたどってみましょう。主人公は、著者のニール・ストラウス。PUAのコミュニティはインターネット、SNSなどとの結びつきが強いせいか互いをニックネームで呼び合う慣習があるようで、彼は自分のことを「スタイル」と自称します。ニール・ストラウス、もといスタイルの職業は物書きですが、彼は自分のなかに決して見過ごせないコンプレックスを抱えています。そしてそれを、女性をナンパすることによっていくらか緩和しようと思い立ち、PUAのなかでも腕が立つと有名な「ミステリー」という男のもとをたずねます。そして、同じくミステリーのもとに集まった男性たちとともに、同じ家で生活をしながら(女性の出入りもいっぱい)、PUAの一大コミュニティを作り上げていきます。

しかし、そのコミュニティがやがて困難を迎えることは、本書の冒頭で明示されています。ストーリーは、コミュニティの男性たちが集う荒れ放題の家と、その家のなかで、心を病み震えながらすすり泣いているミステリーを描写するところから始まるんですね。冒頭でその困難を示した上で、次章においてスタイルがミステリーのもとを訪ねる回想シーンから、話が展開していくわけです。

さて、コミュニティの中心人物であったミステリーは、なぜ心を病んでしまったのか。通常とはいい難い行為を過剰に繰り返していればそうなるのも当然、と考えるのは簡単かもしれませんが、そのはっきりした理由を本書から読み取ることはできません(私が見逃した可能性もありますが)。そして、中心人物を欠いたコミュニティはバランスを失い、崩壊の一途をたどっていくわけです。

そんななかで、スタイルは途中、リサというなかなか手に入らない1人の女性に対して、本気になってしまいます。しかし、PUAのコミュニティでは「オンリーワン中毒」という言葉があり、これはまだ一夜を共にしていない女性に執着し入れ込んでしまうことを指します。「中毒」という単語が当てられていることからわかるように、この状態はコミュニティにおいて、歓迎されるべきことではありません。「他にも女はいくらでもいる」と思うことで自信を保ち、またそういった素振りを見せることで女性を惹きつけておくことがPUAのメソッドの中心にある概念だからです。

そのためスタイルは、リサとの関係を構築するのに相当な苦労をします。しかし最終的にスタイルは己に打ち勝ち、リサと1対1で向き合い、PUAのコミュニティを去ることに成功します。「ゲームに勝つとは、ゲームを去ること」。ーーハッピーエンド、というわけです。めでたしめでたし。


しかし、本書ではストーリーの途中で、ミステリーの口からある不穏な寓話が語られます。で、ここからは単なる深読みなのですが、私はどうにもこの寓話が引っかかってしまって、なんだかあまりハッピーエンドには見えないなあ、と思ってしまったのでした。

サソリはなぜカエルを刺したのか

その寓話は、本書の終盤に登場します。スタイルがリサとの関係を築くために他の女性との関わりを絶とうとしているところに、ミステリーは忠告のようなかたちでこの寓話を語り、スタイルを自分たちのコミュニティに引き戻そうとするわけですね。

「ある日、川岸にいたサソリが、カエルに向こう岸まで運んでくれないかと聞いた。するとカエルは尋ねた。『ぼくを刺さないって証明できる?』 サソリはこう答えた。『だって君を刺したらぼくは溺れてしまうだろ』 カエルはよく考えて、サソリが正しいことに気づいた。だからサソリを背に乗せ、向こう岸へ渡り始めた。しかし川の中ごろにきて、サソリはカエルの背中に針を突き立てた。両者ともども溺れながら、カエルはかろうじて『どうして?』と尋ねた。サソリは『本能だから』って答えたんだ」
ミステリーは得意げにスクリュードライバーをすすってみせ、ぷかぷか浮いている俺をじっと見つめた。
(中略)
「これはお前の本能だ」彼は続けた。「もはやお前はナンパアーティストなんだ。スタイルだ。知識のりんごを口にしてしまったんだ。昔みたいには戻れない」

さて、ナンパに関わらず、これはなかなか悩ましい物事の本質を突いている寓話です。一度、本能のごとく身に付いてしまった習慣や考え方を変えるのはとても難しく、自分が溺れ死ぬことがわかっていてもそれをやってしまう。本書のなかで一応スタイルは「コミュニティを去った」ことになっていますが、その後も本当に、リサへの一途さを継続できているのか。知識のりんごを完全に封印することはできたのか。その答えはニール・ストラウス氏のみぞ知る、ということになります。もし、身に付けた武器によって自らを殺してしまうようなことがあるのだとしたら、何だか地獄の始まりのような話だなあ、と思います。

ではどうすればよかったのか、「スタイル」になんてならずに、コミュニティに最初から参加しなければよかったのか。しかしニール・ストラウス氏は、このコミュニティの活動によって自身のコンプレックスの一部を克服したわけで、しかもこの活動を通さなければそもそもリサという女性とも出会えなかったわけで、そこに確かに意味はあったのだろうと思うのです。


ハッピーエンドは新たな地獄の始まりである、これは何もこの界隈に関わらず、就職、結婚、会社での出世、だれの人生のどの節目に関してもいえることです。ゲームに勝ちゲームを去ったら、また新たな次のゲームが始まるだけ。

ハッピーエンドの物語は、しばしそのことを忘れさせてくれます。だけど本当のエンディングは、自分が死ぬまで訪れません。……と、たぶん本書はここまで深読みするべき本ではないと思うのですが、なんとなくそういうことを考えさせられました。

著者は、今はどのようなゲームを戦っているのでしょう。