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チェコ好きの日記

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フィッツジェラルド『ベイビー・パーティー』についてのノート

読書 北米

スコット・フィッツジェラルド著作を着々と開拓している私。とりあえず日本語で読めるものを完全制覇しようと思い、地味にいろいろ買い集めています。

いつか完全制覇をするその日の前に、印象に残った短編小説の感想をメモしておきます。『冬の夢』に収録されている、『ベイビー・パーティー』フィッツジェラルドのなかでは小粒な作品といえるでしょう。

村上春樹翻訳ライブラリー - 冬の夢

村上春樹翻訳ライブラリー - 冬の夢

フィッツジェラルドはこの作品を一晩で書き上げたらしいのですが、これと同時期に書かれた小説って、どうやら彼の著作のなかではあまり出来がよろしくない部類のものらしいです。この頃のフィッツジェラルドは、借金返済のために商業誌にウケるようなテキトーな小説を書き飛ばしていたようなのですが、『ベイビー・パーティー』はそのなかでは例外的に出来が良く、アンソロジーなどでも取り上げられる機会が多いらしいです。

ストーリーはごく簡単なもので、主人公のジョン・アンドロスの妻イーディスが、幼い娘を連れて「ベイビー・パーティー」に行きます。ベイビー・パーティーというのは、近所のママさんたちが3歳以下くらいの子供を連れて行ってみんなで料理を楽しむ、なんてことはない普通のパーティーですね。しかし、つつがなく終了するはずだったそのパーティーで、イーディスの娘がマーキーというママさんの息子を押し倒して、怪我をさせてしまいます。

そこですぐ謝れば良かったものの、イーディスの娘がマーキーの息子を押し倒したときの仕草をちょっと面白おかしく再現したので、イーディスは思わずぷぷっと笑ってしまったんですね。これを見て、マーキーが「息子に怪我させといてあんた何笑ってんのよ!」と怒り狂うわけです。それで、「その根性の悪い娘と一緒に今すぐ出ていきなさい!」的なことをいうもんだから、イーディスも「根性の悪い娘って何よ!?」と逆ギレしてしまい、さあ大変。イーディスを迎えにきた夫のジョン・アンドロス、マーキーの夫まで出てきて、夫婦VS夫婦の大ゲンカに発展。最終的に、夫同士が外で泥だらけ血だらけの殴り合いまでする羽目になります。

訳者の村上春樹がこの小説の出来事を、「しかしこういうのって『ありそうな話』だと思いませんか?」といっているように、これ本当に「ありそうな話」なんですよね。私は未婚子ナシの身ですが、幼稚園で自分の子供が相手の子供に怪我させたとか、その逆とかって、十分ありうる話じゃないですか。多くの場合は、「まあ子供がしたことですから……」ってかんじで謝っておしまいにするのが大人のルールなんでしょうが、すり傷程度ですめばいいものの、タンコブ作ったとかそれ以上だとか、オオゴトになるともうしどろもどろですよね。こちらが100%悪い場合はもうひたすらに平謝り平謝りですが、先にちょっかいを出してきたのは向こうだったとか、そういう話になるともう大変。考えただけで疲れます。この小説の場合だと、マーキーの息子は何もしていないので、イーディスの娘が100%悪いですが。その上、ぷぷって笑っちゃったことも相当マズかったですが、でもそういうことって本当に「ありそうな話」ですよね。

反対に、自分の子供が相手の子供に怪我を”させられた”場合。私は今まで、これについては、たとえそのせいで骨折とかになったとしても、命に別条がないなら「まあ子供同士のケンカだからね」的な態度で大目に見て、あんまり相手を深く追及するのはやめようと思っていたんです。だけど最近、はてなのママさんたちのブログを読んだりツイートを目にしたりしているうちに、「お母さんって子供のことめっちゃ心配してるんだな」という当たり前のことを思い知るようになり、子供が怪我した、タンコブ作ったとかなったらもうハラハラハラハラしてどうしようもないんだな、はたして「まあ子供同士のケンカだからね」で私はすませられるだろうかと、若干自信がなくなってきたのでありました。『ベイビー・パーティー』、子育て中の方が読むとなかなか面白いかもしれません。いやー、でもリアルママさん、パパさんたちはこの「子供のケンカ問題」、どう対処しているんだろう。

しかしそれはそれとして、この『ベイビー・パーティー』を始めこちらの『冬の夢』という短編集に収録されている作品は、フィッツジェラルドが24〜29歳のときに、『グレート・ギャツビー』の前に書き上げたものたちらしく、時を越えて自分と同年代の作家が書いた文章を目にするというのはなかなか不思議な心地がすると思いました。表題作『冬の夢』はフィッツジェラルドの短編のなかでは最高傑作といわれているらしいですが、これまた最後の一文が素晴らしいです。救いがなくて。

「ずっと昔」と彼は言った、「ずっと昔、僕の中には何かがあった。でもそれは消えてしまった。それはどこかに消え去った。どこかに失われてしまった。僕には泣くこともできない。思いを寄せることもできない。それはもう二度と再び戻ってはこないものなのだ」
村上春樹翻訳ライブラリー - 冬の夢』p64

フィッツジェラルドって、こういうテーマをしつこくしつこく書いているんですよね。

寒い冬の間に見る、暖かな春の夢。早く花が咲き誇らないかと、緑が大地に満ちないかと、そういう夢を冬の間にじっと耐えて見ているんです。そしてその夢を、美しく繊細な氷の宮殿*1のなかに閉じ込める。だけど、春になると氷の宮殿は溶けてしまう。咲き誇った花たちは思っていたよりもグロテスクで、たくましい緑は力強く夏に向かっていく。夢は確かに叶ったし、望むものは手に入れた。だけど、もしかしたら今のこの現実よりも、冬の間に見ていた”夢”のほうが、美しかったのかもしれないーーだけど、もう冬には戻れない。夏に向かって、前に進んでいくしかない。それがどうしようもなく苦しい。

作家というのは、手を変え品を変えいろいろな作品を発表しますが、実はずっと同じ1つのテーマを描いているとはよくいわれている話です。フィッツジェラルドが一貫して描いてきたのは上記のような「冬に見る春の夢」であり、「氷の宮殿」だったのだなと、最近ようやく彼の見た世界が理解できてきた気がします。

エッセイの『マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)』も、これまじで何回読んでもいい文章だなと思うんですが、輝かしいニューヨークで作家としての成功を手に入れたフィッツジェラルドが、「もうこれ以上幸せにはなれない」ってタクシーのなかで独白するところがあって、これ本当に泣けるんですよね。

★★★

英語には「ピルグリメイジ(pilgrimage)」という言葉があるそうですが、これは巡礼とか、行脚とか、精神的遍歴とか、そう意味のようです。私は自分の旅行にはこの「ピルグリメイジ」的な側面を持たせたいといつも思っていて、なんかいつも精神的な柱となるような、大きなテーマを作って旅行しています。

いつか旅で訪れてみたいと思っているのが、フィッツジェラルドの故郷であるミネソタ州セントポールにある、ホワイト・ベア湖。これは短編『冬の夢』に出てくる湖のモデルらしいです。あとは、メリーランド州ロックヴィルにある、フィッツジェラルド夫妻のお墓。ここのお墓の前に、『グレート・ギャツビー』の最後の一文が書かれた大理石があるらしいのです。これ見たら私絶対泣く。めっちゃ泣く。

So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past.
(だから我々は、流れに逆らうこの舟を漕ぎ続けるのだ。絶え間なく、過去へと押し戻されながら。)

人生とは結局、ただひたすらに失い続けることなのでしょう。みなさま、儚い束の間のひと時を、GWをお楽しみください。

*1:『氷の宮殿』という短編は、『マイ・ロスト・シティー (村上春樹翻訳ライブラリー)』のなかに入っています