チェコ好きの日記

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過去の呪縛から逃れられない男 『おやすみプンプン』感想文

サブカル界隈で槍玉にあげられることの多い浅野いにおという漫画家がいますが、私も昔、よく読んでいました。映画化した『ソラニン』のほか、『素晴らしい世界』とか『虹ヶ原ホログラフ』とかも持ってましたね。


それで、今回感想文を書く『おやすみプンプン』も読んでいたのですが、私はこちらの作品は6巻あたりで一度離脱してしまいました。6巻を読んでいた24歳? くらいの時点で、この作品の空気が私の価値観に合わなくなってきたというか、もっと端的に申し上げると、この作品の主人公であるプンプンに私は怒り心頭、もうイライライライラしてきちゃったわけですね。

おやすみプンプン 1 (ヤングサンデーコミックス)

おやすみプンプン 1 (ヤングサンデーコミックス)

しかし今回、たまたま最終巻まで読む機会に恵まれたので、せっかくなので感想文を書いておきます。以下、ネタバレを多く含みますので、未読でかつ結末を知りたくない方はご注意ください。

過去の呪縛から逃れられない男

この『おやすみプンプン』という漫画は、鳥みたいな造型をした妙なヤツ、プン山(両親が離婚するため、途中から小野寺)プンプンが主人公です。しかし私は結局、最後までコイツのことが好きになれませんでした。物語は彼が小学生の頃から始まり、20歳になった頃で完結となります。全13巻ですね。

1巻だけでも読んだことのある方はご存知かと思いますが、プンプンというキャラクターの可愛らしい造型とは裏腹に、この作品の物語自体はかなり重いです。第1巻から早々に、プンプンの父がプンプンの母にDVを働きますし、物語のキーとなるヒロイン、田中愛子はカルト宗教にはまっている母親に振り回されています。主人公が中学校を卒業したあたりからは鬱展開がさらに加速していき、私はプンプンの過剰な自意識や性描写などがくどくかんじてしまい、6巻で一度離脱することになったのでした。

プンプンは小学生のときに本気で恋をした女の子、田中愛子と、彼女と交わした「一緒に鹿児島に行く」という約束がずっと忘れられません。中学生になってからはもちろん、高校生になってからも、高校を卒業しても、彼の世界は田中愛子を中心にまわっています。気の許せる男友達や、ちょっといい雰囲気になってる女性が現れても、彼はずっと田中愛子に縛られているわけです。よくいえば「一途」というやつなのかもしれませんが、私はプンプンが田中愛子を本気で愛しているというよりは、彼女を自分が未来へと進めない言い訳のために利用しているようにしか思えなくて、「なんでコイツこんなウジウジしてんの?」とあきれてしまって、6巻で読むのをやめたんですよね。

ただ、この「過去の呪縛から逃れられない男」というキャラクターは、おそらくこれまでも数々の文学、漫画に登場していて、パッと思いつくのが毎度すみません、『グレート・ギャツビー』なんですけど、ほかにも探せばあると思います。「過去の呪縛から逃れられない女」っていうキャラクターはあんまりいない気がするんですけどね、もしあったら教えてください。だから、この作品のプンプンというキャラクターは、造型はともかく物語の構造として見たときに、それほど特異なキャラクターではたぶんないんですよね。

だけど、同じ「過去の呪縛から逃れられない男」の物語でありながら、『グレート・ギャツビー』と『おやすみプンプン』は大きく異なっていて、対比してみるとけっこう面白いのです。そしてこのちがいによって、私が前者の作品をこよなく愛しているのに対し、結局『おやすみプンプン』を最後まで好きになれなかった理由を説明することができるでしょう。

ちがいの1つは、『グレート・ギャツビー』がニック・キャラウェイという別の主人公を語り手・狂言回しとして立てていることで、ジェイ・ギャツビーという男を客観的に見ることができる点です。たぶんあれが、ギャツビー視点で語られている物語だったらめっちゃ重い。めっちゃくどい。おそらく私はプンプンに腹を立てたのと同じように、ギャツビーにも腹を立てていたのではないでしょうか。

そしてもう1つが、ヒロインの扱い方です。ここの構造を比べてみると面白くて、古今東西の「過去の呪縛から逃れられない男」の物語を集めて分析してみたりしたらなかなか興味深い結果が得られるんじゃないかと思うんですが、『グレート・ギャツビー』では、ヒロインのデイジーがギャツビーを捨てて生き残り、ギャツビーが死にます。一方『おやすみプンプン』では、ヒロインの田中愛子が死に、プンプンが生き残るわけです。真逆ですね。

ギャツビーとプンプンの、「未来への意志」も対照的です。ギャツビーは、デイジーと2人で幸せになる未来を夢見て、かつそれが必ず手に入るものだと信じていました。だけどプンプンは、田中愛子との幸せな未来なんて夢見ていません。結末へのカウントダウンが始まった11巻で、この2人は殺人を犯して逃避行するわけですが、逃げ方がむちゃくちゃで、「幸せな未来」なんてとんでもない、ただ破滅に向かっているように見えます。このあたりの、彼の計画性のなさみたいなものが、またしても私を苛立たせるんですよね。あなたが小学生の頃から夢見て、手に入れたかったものっていったいなんだったのよと。

つまり私には、『グレート・ギャツビー』は強い意志で未来をつかもうとするーーおそらくそれはまちがっていたし、結局かなわなかったけどーーポジティブな物語であると思えるのですが、『おやすみプンプン』は結局、自意識過剰な男の話にしか思えなくて、なんというか物語として幼いような気がしてしまったのでした。未来への意志なんてない。好きな女の子は死んだのに、偶然、自分は生き残ってしまった(それも、別の女の助力によって)。田中愛子の死はプンプンが過去の呪縛から解放されたことを意味しますが、それは彼が自分の意志で選び取ったものではない。結局彼の選択は、どこまでも消極的なのです。ヒロインにズブズブに甘やかされている。

「ファッション憂鬱」を語る難しさ

浅野いにお村上春樹について語るときにたまにいわれる言葉として、「ファッション憂鬱」ってのがあると思うんですね。きちんとした定義がない言葉なので扱いは非常に難しいのですが、平たくいうと、「そんなことで悩まなくてよくない?」というか、「憂鬱であるための憂鬱」というか、一部の読者にそんなふうに思わせてしまう憂鬱さ、それが「ファッション憂鬱」なんだと思います。

私も上記のとおり、『おやすみプンプン』のプンプンに対して、「なんでコイツこんなウジウジしてんの?」とか「そんなことで悩まなくてよくない?」という思いが、最後まで拭えませんでした(小学生の頃は可愛かったんだけど)。もちろんプンプンがかなり問題のある家庭で育っており、それが彼の屈折した性格を作り上げてしまったことは理解はできるのですが、「それにしたってさあ……」というかんじです。

ただ、「そんなことで悩まなくてよくない?」というのはとても暴力的な言葉なので、私はちょっと無神経なとこあるのでたまにいっちゃうんですけど、あまり使わないほうがいいよなあとは思います。何を憂鬱と思い、何を憂鬱と思わないかは本当に人それぞれなので、「価値観のちがいだよね……」としかいいようがありません。どのような状態が「ファッション憂鬱」であるか、真の憂鬱とは何かを議論するなんてことは、まじで無意味だと思います。

しかし、浅野いにおであれ村上春樹であれ何であれ、それが<物語>である場合においては、話のなかで提出された「憂鬱」は、必ず話のなかで回収されるべきだと私は思うんですよね。それは必ずしもハッピーエンドになれってことではなくて、後味の悪いバッドエンドでも一向に構わないんですが、とにかく「憂鬱」に何らかの形で決着をつけるべきだ、と私は思います。

そういうことを考えたとき、この作品についての浅野いにおのインタビューを読むと、「プンプンが駅のホームから転落した幸(プンプンといい雰囲気になってる女性)の子供を助けて死ぬ」っていうエンドもあったそうなんですが、こっちのエンドじゃなくて本当によかったな、と私は思いました。

一番みじめでイヤな終わり方を、トゥルーエンドにしたかった。|【完全】さよならプンプン【ネタバレ】浅野いにおインタビュー|浅野いにお|cakes(ケイクス)

プンプンが死ぬ、それも事故で死ぬエンドだと、彼は結局初恋の女の子の呪縛から解放されないまま、未来への意志もないまま、本当に何一つ選択せずに、もうダメダメの状態で物語が終わることになります。私は浅野いにおの物語ってとにかく全体的に「幼い!*1」って印象があるんですが、この終わり方をしていたら、いくらなんでも幼すぎる。私は最後までプンプンというキャラクターのことも、この漫画のことも好きになれなかったのですが、それでも彼が友達や大切な人など、まわりの人に支えられながら生きていく、というエンディングになってよかったな、と思いました。私はプンプンの「憂鬱」には共感できないし、「なんでコイツこんなウジウジしてんの?」と未だに思っていますが、それでも彼は彼なりに自分を縛っていたものに決着をつけたんだな、と考えられる結末だったと思います。


最後まで好きになれなかった、とはいいましたが、それは私の個人的なシュミの問題で、浅野いにおが日本の漫画史に名前を遺すことになるのはほぼ確実だし、そのなかでこの『おやすみプンプン』という作品がとても重要な役割を持つこともまちがいないでしょう。あと10年くらいしたら評価がかたまってきて、わりと硬派な「浅野いにお論」がまとまって出るんじゃないかなー、なんて思います。

その頃にはまた、私もこの作品について、再考することになるかもしれません。

*1:最近の作品は読んでいないのでわかりませんが