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チェコ好きの日記

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「所詮は言葉遊び」からの脱出方法

久々のブログ更新です。

ついでにいうと、当ブログは管理人の旅行により、明日からまた1週間ほど更新がストップします。もともと更新頻度にこだわらない自由な運営をしてきましたが、最近輪をかけて自由になっております(でもお昼の11時半前後に投稿という時間だけはまもっている)。ただこの後の1週間はTwitterも一切見ない予定なので、私はネット上から姿を消します……。

インターネットは「メガ盛り」状態

ところで先日、発酵デザイナーである小倉ヒラクさんの案内のもと、「隠居系男子」の鳥井弘文さん、「らふらく^^(http://laugh-raku.com/)」のスズキタクさん、灯台もと暮らしインターン生の木村くんと、山梨県塩山を観光……というか、話し合うテーマを決めて合宿してきました。話し合ったテーマは、「ブロガー/ライターの記事単価はどうやったらあげられるのか」。1記事書いて50万円とか、そういう世界ってどうやったら実現するんだろうねという話です。詳しい話の流れは木村くんが書いてくれています。

孤立系ブロガーはウェブの記事に新たな信頼をもたらせるか? ー 「孤立系ブロガーの集い」発 – アナタドウ?

大まかな流れは木村くんの記事を参照していただくとして、私が印象に残ったのは、今のインターネットの世界はまだ「そぎ落とす美学」みたいなものを感知できるアルゴリズムはないって話です。本当に素敵な文章とか多くの人に読んでほしい文章って、キーワードてんこ盛りのメガ盛り巨大かつ丼みたいなやつじゃなくて、瑞々しい桃とかお皿の隅にそっと添えてある山菜やお新香みたいなやつじゃないかなって思うのですが、今は桃や山菜みたいな文章をネット上に書いても、それをGoogleはひろってくれないでしょう。合宿中に巌谷國士さんのエッセイの話が何度も出た(出した)のですが、こういうのをネットで書いても、たぶんだれも反応しないしお金を払いません。私、下のエッセイ本とかめっちゃ好きなんですけどね。

反ユートピアの旅

反ユートピアの旅

ただ、今後上記エッセイみたいな文章が検索で上位にくるようなアルゴリズムが開発されないとも限りません。そうなったとき、私たちはもう一度「良い文章とは何なのか」「広く人に伝わるべき情報とは何なのか」など、哲学的な問題を考えさせられることになるでしょう。かわいい犬猫画像と巌谷國士のエッセイ、今ネットで支持を集めるのは当然ながら前者です。私の個人的な気持ちとしてはそりゃあ巌谷國士みたいな文章が広く支持を集めるようにインターネットの世界が変わったら嬉しいですけど、でもそれが本当に人々の望むところなのか、それがより多くの人を幸せにすることができるのかって考えると、まだ他人を納得させられるようなロジックを私は持っていません。「みんな犬猫が見たいつってんだからお前は黙ってろ」といわれたら、私はまだ反論できないということです。

これからの「縦」の話をしよう

お昼から集合して翌日解散とはいえ、まだまだ話足りなかったなーという贅沢な余韻が残った合宿だったのですが、私がもう少しみんな(合宿のメンバーだけでなく、これを読んでいるみなさんにも)に聞いてみたかったなと次の日に思ったのは、「もし自分が<良い文章>が検索上位にくるようなアルゴリズムを開発しなければならなくなったとしたら、どんな基準で<良い文章>を定義するか」ということです。<良い文章>というか、<良い情報>でもいいんですけど。

私はインターネットの突っ込んだ知識とかSEO的なことはチンプンカンプンなのですが、GoogleがAuthorRankを導入するかも的な話を聞いたことがあって、まだ実現はしていないみたいですけど、なんか近いうちにそれらしきものはやっぱりできるんじゃないかなって思います。

それで、そのAuthorRankの基準ってつまり、「素人より専門家」ってことですよね。と、ここで「専門家」とは何かってなったときに、それってようは「縦の系譜を継いでいるか」というのがポイントになってくるんじゃないかなと思いました。

たとえばの話、「地震の専門家」がなぜ地震の専門家たりえているのかというと、それは過去に研究されてきた地震のデータをたくさん知っていたり、そのデータの扱い方を知っているからですよね。つまり「縦の系譜」、なんらかの「蓄積されているもの」があるってことだと思うんです。「専門家」をただ大学の先生とか、「エライ人」として定義してしまうと、素人でも評価される可能性があるインターネットの良い面を失ってしまう。ただ素人でも、「なんの蓄積もない素人」と「蓄積はあるけどまだ世に出ていない素人」というのがいると思うので、私は本物のいわゆる専門家に加えて、後者の素人が評価されるような世界にインターネットが変わったら、もっと面白いことになるだろうなって思います。

あと上の話からはそれますが個人的なシュミの話をすると、私はその人の縦の部分というか、思考のルーツがわかる瞬間ってとても好きです。その人が出した結論そのものよりも、「なぜその結論に至ったのか」という過程に惹かれるし、思考のルーツがわかった瞬間ってその人がたまらなくセクシーに見えます。ただチラリズムの原理みたいなものが働いているのか、大っぴらに「私は○○の後を継いでおります」と宣言してしまうと「ふーん」ってかんじになっちゃうんですが、やっぱりルーツって「過程」から見えてくるものなので、一緒にある程度の時間を共有しないとわかんないものだなあとも思いました。

私のシュミの話は置いておくとしても、今後何らかのかたちでネットの世界に「縦」「系譜」「ルーツ」という概念が導入されることはあながち間違ってない予測な気がするんですがいかがでしょう。ちなみにコンテンツを作る人に必要な三要素「縦」「横」「パフォーマンス」の話は以前もちょっとしています。

文章を書く人に必要な3つの能力 - (チェコ好き)の日記

「所詮は言葉遊び」からの脱出方法

そして、話をしているなかで個人的にいちばんグサッと来たのが、「縦」の系譜をある程度継いである程度成功をおさめているメディアやコミュニティってまったくないわけじゃないんですけど、それがいまいち行きわたってないんじゃないか、所詮は言葉遊びだよねって話題でした。

私は批評とか考察とか、「言葉遊び」が大好きなんですけど、でも「所詮は言葉遊び」っていうもどかしさも同時にかんじています。「行きわたってない」っていうのは商業的な成功をおさめていないというわけじゃなくて、なんというか「ブーム」になっていない、潜在的なニーズを掘り起こしていない、関係ない人を巻き込めていないっていう意味です。ようはなんにせよ「うまいこといえちゃったぜ」という話にしかならなくて、「だから何なの」ということになりやすい。私のブログなんてまさしく「だから何なの」のカタマリです。

「言葉遊び」を愛する者として、「言葉遊び」で終わらせちゃダメだというのは最近本当に強くかんじていることです。ではどうすればいいかというと、たぶん「外から見てるかんじ」「内に入っていかないかんじ」がダメなんだろうなーと思って、でも批評家根性が骨の髄までしみついている私にとってそれを脱するのってけっこう難しいんですよね。まあしかし、やるしかないということだけはわかったので、何とかします。

みなさん、よい夏を。

私にとっては「まだ旅行で消耗してるの?」ってかんじの8月になりそうですが、これは良い消耗です。

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キーワードは”豪族2.0″! これからは一旗あげるために地方へ行く。発酵デザイナー・小倉ヒラクさんが考える、今とこれからの日本のカタチ | greenz.jp

※ヒラクさんのご自宅は超素敵でした……