チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

【カンボジア一人旅/2】ダークツーリズム/ヒア&ゼア 1

カンボジア旅行記の続きです。途中から読んでいただいてもまったく支障はないのですが、一応前回のエントリは以下です。

aniram-czech.hatenablog.com

今回からはプノンペン滞在中に訪れたキリング・フィールドとトゥール・スレン博物館について書くのですが、話の内容的にも写真的にも、読んでいてあまりいい気分にはならないと思います。精神的にがっくり行きたくない方は、この時点での「そっ閉じ」を推奨します。ただ、私が今回カンボジアで最も訪れたいと思っていたのはこの2箇所であり、この後訪れたアンコール遺跡よりも、私にとってはある意味この2箇所のほうが重要でした。

1975年、ポル・ポト政権率いるクメール・ルージュカンボジア共産党)の軍隊が首都プノンペンに突入、以後3年の間に、おそらく戦後最大ともいえる大虐殺がこの地で行われます。その舞台となったのがキリング・フィールドであり、トゥール・スレン博物館(当時は刑務所)です。犠牲になった人の数は100万人とも200万人とも300万人ともいわれているようですが、私が読んだ本のなかでもバラバラであり、正確な数は今でもわかっていないそうです。当時のカンボジアの人口は600万人くらいだったそうで、最悪国民の半数、少なくとも1/6の人が犠牲になったということになります。

f:id:aniram-czech:20150817222900j:plain

こちらはキリング・フィールドに入場すると最初に目にすることになる慰霊塔です。キリング・フィールドはプノンペン中心部からちょっと離れていて、私はその辺を走っていたトゥクトゥクのおじちゃんをつかまえて、ここと、トゥール・スレン博物館をまわってもらうことにしました*1。入場料を払うと漏れなくオーディオガイドを貸してくれるんですが、日本語版もあります。

f:id:aniram-czech:20150817233144j:plain

慰霊塔を通り過ぎると、しばらくはこんなかんじで絵による説明が続きます。これは確か、トゥール・スレン刑務所から人々が運ばれてきた様子を描いたものだった気がします。まああんまり気分のいい絵ではないですね。

f:id:aniram-czech:20150818234848j:plain

さて、キリング・フィールドとはどんな場所だったか。

私の感想を率直にいうならば、おそらく上記のような絵による解説やオーディオガイドや慰霊塔がなかったら、なんというかただの草地なんです。いろいろな国からやって来た観光客がいて、地元の人が出入り口付近でコーラやお土産を売っていて、そこらへんで犬が昼寝しています。鶏がいるせいか若干へんな匂いがするんですけど、それでも吹き抜ける風は気持ちよい。平和そのものです。わずか40年前まで、ここが凄惨な虐殺の現場だったとは、ちょっと思えませんでした。

f:id:aniram-czech:20150817233937j:plain

だけど、何気なくあるこの木。これよくある木みたいで、同じ木が私がシェムリアップで宿泊したホテルの庭にもあったんですけど、これね、黒い部分がギザギザしてるんです。昔はこれで家畜の喉を切って殺していたらしい。で、ポル・ポトの時代には、これで人間の首を切っていたんだとか。

おそるおそる黒い部分に触ってみると、確かにノコギリ状になっていて、「あー、これは切れる、なるほど、切れる」、と思いました。でも同時に、切れるだろうけどあんまりスパッといかないよなあというかんじもして、控えめにいってかなり気分が落ち込みました。


ポル・ポト政権の最大の特徴は、「知識人敵視政策」です。医者や教師など、今の我々の常識からすると国にとって有用な賢い人から順に殺していくという、端的にいって狂ってるとしか思えない政策を実行していきます。当局の基準では文字の読み書きができれば「知識人」、メガネをかけていたら「知識人」、ということだったみたいで、今の日本だと就学前のちっちゃい子を除いたほぼ100%の人が粛清の対象になりますね。文字を読める、書ける、自分の頭で思考することは悪である、反逆である。肉体労働のみが理想の国家をつくるーーという思想です。

5万歩くらい譲って、全員が肉体労働に従事する素朴な農業国家をつくりたい、というところまでは良しとしましょう。だけど農業にだって専門知識が必要なわけで、しかしクメール・ルージュはそんな専門知識をもった人間を「知識人」として殺害していきます。だから、知識を持たない素人が思いつきで用水施設やダムをつくることになる。思いつきの突貫工事でつくられたそれらは農業に役に立たないばかりか、自然破壊になって逆効果だったといいます。そんな状況にも関わらず、当局は相変わらずの高い収穫目標を掲げ、「革命的情熱」があればそれを達成できる、としたそうです。日本の全ブラック企業も真っ青な話ですね。


1978年、プノンペンベトナム軍が侵攻したことによってポル・ポト政権は終わりを迎えたのですが、原始共産制を実施していた当時のカンボジアでは病院、学校のほか貨幣が廃止されていたとのこと、経済がマヒ状態だったそうです。おまけに読み書きができるレベルの大人は殺されているわけですから、国としての機能がほぼ停止していたことになりますね。そんなに考えなくてもこの状態がいかにヤバイかというのはわかるかと思うんですが、あまりもの惨状だったため、「ベトナム軍が嘘ついてんじゃないの」という人も当時はいたんだとか。本当に嘘だったら良かったんですけど、信じがたいのはこれがわずか40年前の出来事だということです。

f:id:aniram-czech:20150818005523j:plain

しばらく歩くと、こんなふうに不自然にボコボコへこんでいるところがあります。ここからは人骨が山のように見つかったとのこと、発見されたばかりの頃はものすごい異臭が漂っていたそうです。というか、今でもまだ骨が出てくることがあるみたいで、雨が降った後なんかはここの管理をしている方が拾っているそうです。人骨のほか、殺された人が着ていた衣服のハギレみたいな布が出てくることもある、っていうか、実際に地面にありまして、オーディオガイドが「係の者が片付けますので踏まないでくださいね」とかいうんですが、「いわれなくても踏みませんよ……」と思いました。なかには、わざと片付けないで地面にそのままにしてある布もあるようですが。

オーディオガイドで聴いたなかでいちばん嫌な気分になったのは、当時のクメール・ルージュの軍隊はお金がなかったそうで、人を殺すのに銃殺ができなかったらしいんです。弾が高くて買えなかったと。だからあのギザギザの葉っぱで首を切ったり、農作業に使う斧とか鉈で殴ったり、あとは食事に農薬を混ぜて弱らせたところで、穴に落として生き埋めにしたりとかしたそうです。このボコボコしてるどれかの穴も、おそらくそんなふうにして使われたものの1つでしょう。


今は写真のとおり、緑いっぱい草が生えていて、ボコボコがちょっと不自然とはいえ、オーディオガイドがなかったらただの草地として素通りしてしまうくらいなんですが。


一周すると、元の慰霊塔のところにもどってきます。慰霊塔のなかに入るときは、靴を脱ぐことになっています。

なかは、人骨が積まれてます。

f:id:aniram-czech:20150818014708j:plain
f:id:aniram-czech:20150819093750j:plain

キリング・フィールドの見学は1時間半くらいで終了し、この後は再びトゥクトゥクに乗って、トゥール・スレン博物館に向かいました。そういえば今回のエントリのタイトルは何なのよ、って思われた方がいるかもしれませんが、そこらへんは次回へ続きます。

ちなみに、ヒア&ゼアはゴダールの映画のタイトルです。

ヒア&ゼア・こことよそ [DVD]

ヒア&ゼア・こことよそ [DVD]

aniram-czech.hatenablog.com

*1:25$で。今思うとちょっと高かったような気がするので、もう少し真面目に値切れば良かったかもしれません。