チェコ好きの日記

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SOLOでの連載が始まりました|「おひとりさまのゲームの規則」タイトルにこめた裏話

ウェブメディア「SOLO」で、「おひとりさまのゲームの規則というタイトルで連載を始めました。

SOLOは家入明子さんや蛭子能収さん、まんしゅうきつこさんなどなど、濃厚なライターさんの記事や話題の方のインタビューが読めるおひとりさま女性のためのメディアです。でも私は、男の人にも読んでほしい。おひとりさまじゃない女性にも読んでほしい。つまりだれでも読んでほしい。初回掲載分は以下です。ひとつよろしくお願いいたします。sololife.jp

心変わりは罪ですか? 恋には翼があるものを

勘のいい方はすでにお気付きかもしれませんが、「おひとりさまのゲームの規則」という連載のタイトル、これはもちろんジャン・ルノワールの1939年の映画『ゲームの規則』から拝借しております。ジャン・ルノワール印象派の画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールの次男にあたります。二世芸術家ってたいていコケてるイメージがあると思うんですが、この次男坊のジャン・ルノワールヌーヴェル・ヴァーグの父ともいわれ、映画監督としてめっちゃ評価が高いです。

ゲームの規則 [DVD]

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「心変わりは罪ですか? 恋には翼があるものを」は、『ゲームの規則』の冒頭で引用される、オペラ『フィガロの結婚』の一節です。そしてこの映画は、冒頭の一節がしめすように、さまざまな恋愛と人間模様が入り乱れながら展開していく群像劇です。

「ゲーム」というのは机上のボードゲームのことではなく、もちろん実際の人間が動く「人生ゲーム」、「恋愛ゲーム」のこと。そして、ドタバタ劇が展開されるこの映画において一見ふさわしくない「規則」という堅苦しい単語は、監督のルノワールいわく“ひとが社会生活のなかで、おしつぶされまいとするかぎり、守らなければならない規則”とのこと。楽しいドタバタ劇であっても、一定の「規則」を守らない者には悲劇が訪れるーーとでもいうように、ラストは悲劇的な終わり方をするんですね。

この映画が製作されたのは1939年、第二次世界大戦が幕を明けようとしているまさにそのタイミングであり、これは映画内でも言及されています。大戦を前にして、規則なんておかまいなしに大騒ぎするフランスの上流階級、彼らのことを風刺的に描いた作品でもあるわけです。

私がこの『ゲームの規則』という映画を連載のタイトルとして拝借した理由は2つあって、1つが単純にゲームっていう単語が好きなんです。浅くて薄っぺらくて。アラサ―の女性の悩みってどうしても重くなりがちな気がするのですが、死んだらお陀仏は皆一緒、いいじゃん、所詮はゲームじゃん、楽しくやろうよ、っていうのをこのへんで表したかったんですね。

そしてもう1つの理由が、上記に書いたようにこの映画が風刺映画である、ということです。ゲームなんだから、飲んで騒いで翼の生えるままに恋をして楽しめばいいよ、と思う一方で、「規則」をまもらない者には悲劇が訪れる。その「規則」とはなんなのか、というのはいろいろな解釈ができるかと思うんですが、私は大戦を前にしても浮かれ騒いでいただけだったという、それが「規則違反」に当たったのかな、とこれを観たとき思ったんですよね。そして映画のなかで風刺されたフランス上流階級の彼らは、私たちの今の状況に少し似ているような気もします。ルノワールの映画から時を越え、戦後70年をむかえていますが、我々は今、乗り越えるべき課題がとても多い。だけどどこかで、「まだ大丈夫」「そんなこと起こるわけがない」って、油断しているところがあるように思います。でも危機というのはおそらく、ある日突然ではなく、少しずつ、少しずつやってくるものです。

……まあそこまで大げさに考えなくても、自分を皮肉る視線というか、ちょっと冷めた目で見てみる余裕もあったほうがいいかもね的な、そんな意味を込めたつもりです。もちろんそのあたりは読む人に委ねたいところでもあって、もしおひとりさまの女性が悲劇をむかえずに生きていくためのたった1つの「規則」があるとしたら、それはなんだと思いますか? っていうのを読者のみなさんに考えてもらってもいいと思います。

若干こじつけ感はありますが、というか半分くらいこじつけなんですが(こじつけなのかよ)、「けっこう頑張ってタイトル考えたんだなコイツ」というのが伝わればいいです。「ゲームの規則」って、語感がかっこいいから使いたかったんですもん……。あと『フィガロの結婚』からの引用、「心変わりは罪ですか? 恋には翼があるものを」っていうのもかっこいいですよね。かっこいいものが好きなんだ、私は。

すいません、やっぱりタイトルの理由は「かっこいいからつけた」です。

どんなことを書いていくのか(予定)

もう3年以上も前の話になりますが、私がこのブログを始めたきっかけの1つとして、「面白い話ができる人になりたかった」というのがあったような、なかったような、いやあったような気がするんですよね。あんまり覚えてないですけど。

私は『千夜一夜物語』の話が大好きなんですけど、これはですね、ある国に1人の暴君が君臨しているんです。その暴君は毎晩寝る女を替えて、用がすんだら女を殺してしまうというヒドイ奴なんですけど、1人だけ殺さなかった女がいるんですよね。彼女が殺されなかった理由は、ルックスが王様の好みだったからでも床上手だったからでも心優しかったからでもなく、「話がめっちゃ面白かったから」。コトが済んでさあ殺すぞというタイミングになると、女は決まって話を始めて、「続きはまた明日」となってしまうんです。王は、話の続きが気になるから女を殺せない。それを毎夜毎夜くり返して、ついには王を改心させた、という話です。

完訳 千一夜物語〈1〉 (岩波文庫)

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この物語から私が得た1つの教訓は、「話がめっちゃ面白い」は特殊技能であり生存戦略になりうる、ということです。私は自分の話をまだまだまだまだ面白いなんて思っちゃいませんが、「面白い話ができる人になりたい」とはずっと思い続けています。おひとりさまの女性が悲劇をむかえずに生きていくためのたった1つの「規則」があるとしたら、上記に書いたように「浮かれ騒ぐ一方で冷めた視点を持つこと」と、この「面白い話ができるようになること」だと私は思います(1つじゃなくなっちゃった)。というか、おひとりさま女性に限らず、私のなかでは「面白い話ができる人」は本当に強い、どこに行っても強い。

なので、楽しく生きていくための1つの戦略として、「面白い話ができる人になる」方法を、読者のみなさんと一緒に考えてみたいなと。そんな内容を次回分から具体的に書いていこうかと思っています。

はたしてこの思いに共感してくれる人はいるのだろうか……。そもそも前提がズレているのでは!? という若干の不安もありますが、楽しく書いていきたいと思っておりますので、お時間のある方はぜひ今後の連載も追って読んでもらえると嬉しいです。

以上、告知でした。次回からは、また旅行記の続きを更新します。