チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

【カンボジア一人旅/7】「マジで?」から始まる美術史/平行線上のルール

ずっと旅行記を書いていますが、これ、9月中には終わる予定です(毎年長引くので毎年断りを入れている)。アンコール・ワットとその周辺の小回りコースの遺跡を見学した、前回のエントリはこちら。
aniram-czech.hatenablog.com

翌日のルートは大回りコース。プリア・カンという遺跡からスタートしました。この遺跡ちょっと珍しくて、2階建なんですよ。仏教の寺院なのに、古代ギリシャの建築みたいです。

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プリア・カンが建てられたのは1191年らしいのですが、同じ頃西洋ではゴシック様式の建築が出現していたはず。イギリスでウェストミンスター寺院とかが建てられていた時期と一致するんじゃないかと思います。この遺跡、2階建の建造物はもちろん、その他の部分も、アジアというよりは西洋っぽいかんじなんですよ。下記はイタリアのフォロ・ロマーノという遺跡ですが、ここと雰囲気めっちゃ似てる、と思いました。大陸を経てここまで伝わったんでしょうね。

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※イタリア/2010年
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カンボジア/2015年

アジアの美術って私にとってはまだ未開拓の分野で(西洋美術ばっかり勉強していたから)、仏教美術とか建築というとどうしても中国とか日本にあるようなものを連想してしまっていたのですが、なるほどここまでくると西洋の要素が入ってくるんですね。勉強してから実際の遺跡を見に行くというのもいいですが、実際に見てみて「え、マジで?」と思ってから勉強し始めるというパターンも私はけっこうあります。

東南アジア美術史

東南アジア美術史

あとここも、思いっきり木が絡みついてました。大丈夫?

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次は、ニャック・ポアンという遺跡。ここ、洪水のせいで一部が崩落してしまったようで、現在は一部しか見られません。ニャック・ポアンは、遺跡そのものよりもそこまで行く道のほうが興味深くて、ちょっとこの世のものとは思えない光景が広がっていました。

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その後に訪れたタ・ソムという遺跡は、「さすがにこれは……」と思うくらい木が絡んでました。熱帯地域のなせる技。しかしこれ、取り除くといってもすごい難しいでしょうね。

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13世紀後半にアユタヤ王朝の手に落ちアンコール王朝が衰退してからは、カンボジアでは首都を転々とする「暗黒時代」が19世紀まで続いたそうです。今はたくさんの観光客で賑わうこのアンコール遺跡も、19世紀にフランス人の博物学者に発見されるまで、一度は忘れられた場所。絡みつく木々を見ているとそんな「暗黒時代」の歴史に思いを馳せてしまうのですが、これからこの遺跡群は、どんな運命をたどっていくんでしょう。

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この日の午前の部・ラストに訪れたのは、東メボン。煉瓦造りの建造物が特徴です。

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なんで旅行が好きなのか

さて、カンボジアの話をちょっと休憩して、突然ですけど私、旅行が好きなんですよ。今は日本にいて、働いて、普通の生活を送っていますが、私のなかでは「次の旅行のための準備をしている」って感覚なんですよね。次の旅先に行くために、資金を作ったり、調べ物をしたり。旅行が「主」で日常生活が「従」です。

なんでそんなに旅行に、それも海外に行きたがるのかが自分でもよくわからなくて、一生懸命考えた末が上のツイートです。もちろんもう少しマトモに考えると、たぶん私が美術が好きだったり、宗教のこと考えるのが好きだったり、文学愛好家だったりすることも関係しているでしょう。あとは学生時代にお世話になった先生が海外旅行大好き人間だったということの影響も大きいと思います。

だけど、140字におさめなくていいならば「旅好き」の理由をもっと長々と説明することもできます。

作家の西加奈子さんが昔テレビで話していたことがあって、私はそれにめちゃくちゃ共感したのですが、西さんはエジプトのカイロで幼少時代を過ごしていたそうなんです。だけど小学校くらいで日本の学校に転校してきて、別にいじめられたりはしなかったんだけど、女子がみんなで連れ立ってトイレに行ったりするのに馴染めなくて、表面上は普通にしていたけど精神的にはけっこうしんどかったらしいです。

でも、そんなときにカイロで過ごした時代を思い出して、「世界はここ(日本の小学校)だけじゃない」と思い直すと、わりと強くメンタルを保つことができたんだとか。この話、めっちゃわかるぞ! と私は思ってしまったんですよね。

たぶんもっと身近な話に落とし込むと、学校でいじめられている子は「家」と「学校」以外の世界を持つとけっこう乗り越えられる的な話題につながっていて、もちろん私は大人なのでいじめられたりはしていないんですが、まったく自分を介さない、自分とは無縁のルールで動いている世界に身をおくと、とても安心します。私には私のルールがあって、外の世界には外の世界のルールがある。その2つはまったく相容れないもので、互いにずっと平行線上にあるものなのかもしれないけど、それでいいんだって思えます。そのことを、私は何度もちがう旅先に出かけて、何度も確認しないといけない。たぶん、これからもずっと。ちょっと病気です。

私が今もっとも行きたい場所はイスラエルなんですが、ここに行きたいのは、おそらく今の私から、精神的にもっとも遠い場所にあるからなのではと思います。私は典型的な「葬式仏教」の日本人で、強く信仰している宗教を持ちません。だからこそ、聖地エルサレムが見たい。ここに集う人々が、どんな姿で、どんな思いで神に祈りを捧げるのか、見てみたい。おそらく理解も共感もできないと思うのだけど、それでいいんだって思いたいんです。

……というわけで話がとびまくったんですが、カンボジア旅行記はまだ続きます。この国、遺跡めっちゃあるぞ。