チェコ好きの日記

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ユダヤ人の定義不可能性/四方田犬彦『見ることの塩』ほか

もしバスに乗るならば、なるべく後部座席に坐ること。ガラスの近くには身を置かないこと。爆弾犯人は大概、バスに乗車しようとした時点で誰何され、次の瞬間に起爆装置のボタンを押すから、前方の乗車口付近に坐っていると、死亡したり怪我をする確率が高い。街歩きの初心者が教えられたのは、そうした経験に基づく原則だった。わたしも日常的にバスを用いた。幸いなことに、わたしが滞在していた四ヶ月の間、テルアヴィヴでは一度も爆弾騒ぎは生じなかった。


四方田犬彦見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行』p52

テルアビブという街を歩く上で、初心者に教えられる「街歩き」のちょっとした豆知識。この本の著者がテルアビブに滞在していたのは2004年のことらしいですが、つい最近もテルアビブで銃乱射事件があったりしたので、10年以上経った今もこの街の状況はそう変わっていないのかなと推察します。なお、銃乱射事件の犯人は先日、治安当局によって射殺されたとのことです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160102-35075659-cnn-intheadlines.yahoo.co.jp

というわけで、相変わらずなんだか不穏な空気が漂うイスラエルという国ですが、この国でのいざこざの元となっているユダヤ人とアラブ人は、兄弟に等しい存在であるともいいます。ヘブライ語アラビア語の構造は、とても似ているらしい。それがなぜこんなややこしい事態に発展しているのかというと、それは歴史が語るとおりなのですが、私は長らく「ユダヤ人」という存在について、それがいかに多様なものであるかあんまり考えて来ませんでした。今回はこの「ユダヤ人とは誰か」という問題について少し考えてみたいのですが、これは私にとってもあなたにとっても、決して他人事ではありません。「ユダヤ人とは誰か」を考えることは、すなわち、「わたしにとっての他者とは誰か」を考えることにつながります。たぶん。

イエスを殺したのはだれか?

ユダヤ人がヨーロッパ社会において迫害されてきた歴史は事実としてあるわけですが、その要因となっているものはいったい何だったのかというと、一般的にはイエスの磔刑にユダヤ人が関わっていたから、ということになっています。ユダヤ人は「神殺し」をした民族であるから、キリスト教社会において迫害されてきた。これは、事の善悪はともかく納得はできる理由です。

しかし、『私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)』を読んでいるなかで「ん? 確かに?」と思ったのですが、当時パレスチナを支配下に置いていたのはローマ帝国であり、統治していたのは総督ピラトです。当時のユダヤの律法では死刑は石打ちによって行われ、磔刑はローマの風習であったとのこと。ユダヤの指導者たちがイエスを死刑に「追い込んだ」ことは事実なのかもしれませんが、その最終的な判決はローマ人に委ねています。となると、実際に「神殺し」を行なったのはだれなのか。ユダヤ人だといえるのか。だけど今日、それをローマ人、イタリア人であるとする人はほとんどいません。

イエスの受難を主題とした映画『パッション』で、とてつもなく劇的に描かれているのがローマ兵によるイエスの鞭打ちのシーンですが、そう、これをやっているのも確かにローマ兵。だけど、イエスに死刑を宣告した総督ピラトとその妻クラウディアは、死刑宣告を最後まで躊躇っためちゃくちゃな善人として登場します。だけどピラトやクラウディアが本当に善人であり、ユダヤの指導者たちが本当に悪人だったのか? その現場は、現代に生きる我々はもちろん近世、中世の人々でさえ目にすることはできなかったわけで、本当に「神殺し」に関わった民族はどちらなのか、という問題はいわれてみればかなりグレーな気もします。

The Passion of the Christ (2004) Trailer

「神殺し」の憎悪がローマ人に向かわなかった理由は、彼らが時の権力者であったから……と考えることもできなくはありません。しかしそうなると、そもそもこの「ユダヤ人がヨーロッパ社会において迫害されてきた理由」が、曖昧になってしまいます。キリスト教社会は、なぜユダヤ人という民族に「神殺し」の罪を負わせたのか? ユダヤ人がヨーロッパ社会において、「造られた他者」であったとしたら? 2000年以上の歴史のなかで、人類が行なってきたことはいったい何だったのでしょう。

これは遠く離れた国の話ではなくて、たぶんすぐそこに、日常のなかに、よくある出来事です。我々は、集団の同一性を保つために、必要に応じて意図的に「他者」を造り出してしまうことがあります。自分たちが何かを批判するとき、もしくは自分たちが何かを批判されたとき、このことをちょっとだけ覚えておくといいかもしれません。

ニュンベルク法

さて、話を現代に移します。現在、イスラエルの人口は約825万2500人(2014年の数値)。そのうち、ユダヤ教徒が75.4%、イスラム教徒が17.3%、キリスト教
徒が2.0%、ドルーズ派が1.7%、ということになっているそうです。

イスラエルは移民の国です。同じユダヤ教徒、ユダヤ人であっても出自がバラバラ。ドイツ、ポーランド、ロシアといった西欧地域に出自を持つアシュケナジームと、地中海沿岸諸国からやって来たスファラディーム、そしてアラブ社会からやって来たミズラヒーム。同じ宗教を信仰しているとはいえ、世界各国に出自を持つユダヤ人は、生活習慣、食べ物、言語、あらゆるものが当然ながら異なっているらしい。そしてそこには階級のようなものが存在し、現在、政治経済や文化の規範を制定しているのはヨーロッパ社会に出自を持つアシュケナジームです。そして、刑務所に入獄中のユダヤ人の8割はアラブ系のミズラヒームであり、さらにその6割を占めているのが最下層であるモロッコ系だともいわれています。生活におけるあらゆるものが異なっている人たちを、同じ民族と見なし、しかも実際はそこに階級社会がある。事態はなかなか複雑です。「ユダヤ人」とは、いったい誰のことなんでしょう?

さらに私の頭を混乱させたのが、ナチスドイツのニュンベルク法です。これはユダヤ人という人種の定義を定めた法律ですが、「非アーリア人」を、3種のカテゴリーに分けていたらしい。それによると、「祖父母の代に3人以上のユダヤ教徒を含む者(当人の信仰に関わらず)」が「ユダヤ人」であり、「祖父母の代の2人がユダヤ教徒」が「第1種混血者」、「祖父母の代の1人がユダヤ教徒」が「第2種混血者」である、とのことです。

当人の信仰に関係なく、祖父母の代にユダヤ教徒が何人いたかで定義されるこの法律によって、自身は「キリスト教徒のドイツ人」というアイデンティティを持っているにも関わらず、ホロコーストの被害者になった人々もいたらしい。そうなるとますます、「ユダヤ人」とは、いったい誰のことなんでしょう。これを定義することが、相当な困難を伴っていることに気が付きます。


そもそものきっかけとなった歴史的事実も、迫害されてきた理由としてはグレー。人種的にもよくわからない。生活習慣は、食べ物は、言語は? 唯一の拠り所(?)であった宗教でさえも、ニュンベルク法によって曖昧になってしまっています。

この問題について、ジャン=ポール・サルトルは、「ユダヤ人」を創造したのはキリスト教徒であり、「ユダヤ人」とは他の人々が「ユダヤ人」だと思っている人々のことである、と語っているらしい*1。人種、性差、民族などなど、我々が自然的な現実だと思っているものの多くは、イデオロギー的に構築されたものである、とも。

だけど、歴史は複雑に入り組んでしまっていて、たとえそれが集団が創造した「他者」であったとしても、現実に戦争があり、テロがあり、差別があり、至る所で爆弾が仕掛けられています。そしてもちろんそこには、親しい者が殺されることによって生じる、現実の「憎悪」があります。

「ユダヤ人」とは、いったい誰のことなんでしょう。そして、私やあなたが「他者」だと思っているものの、根拠は何なのでしょう。さらに、それをいくら考えたところで解決なんてしやしない、この現実の「憎悪」とは、何なのでしょう。

イスラエルの良くないニュースを聞くたびに、私はそれを自分の問題として考えてしまいます。

きっとあなたにとっても、無関係な話ではありません。

※参考文献

見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行

見ることの塩 パレスチナ・セルビア紀行

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)

パッション [DVD]

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