チェコ好きの日記

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「お腹いっぱい」食べたいの

今回は、私のブログのなかでたまにある「自分でも何いってるかよくわからない系」の話をします。なので、細かい定義の誤りや論理的な矛盾はどうかお手柔らかにご指摘いただけると嬉しいです。

※こういう系
aniram-czech.hatenablog.com

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すごく感覚的な話になるし、はっきりとした基準があるわけでもないのですが、最近気が付いたのは、「お腹が減るコンテンツ」「お腹がいっぱいになるコンテンツ」があるなあということです。「コンテンツ」というのは、私が書き手でもあるからかインターネット上で見られるテキストを指すと思ってもらってもいいですが、もっと拡大して紙の本のことでもあるし、服や雑貨でもあるし、食べ物のことだと考えてもらってもいいです。

どういうことかというと、「お腹いっぱい」という表現を使ったので食べ物にたとえますが、食べ物は基本的に、食べられる量に限度があります。ギャル曽根みたいなタレントでも、ずっと永久に食べ続けられるわけではないでしょう。

だから、普通は食べたら「お腹いっぱい」になるのだけど、たまに食欲増進に効くといわれる食材もあって、梅干し、ワイン、酢、きゅうり、パイナップル、パセリ、トマトなどがそれに当たるようです。最近、食欲不振気味だと思われる方は覚えておいてもいいのではないでしょうか。

「お腹が減るコンテンツ(梅干し)」と「お腹がいっぱいになるコンテンツ(煮物とか?)」はどちらが良くてどちらが悪いとかではもちろんなくて、体調に合わせてバランス良く食べるのがいちばんだと思います。

ただし何事も偏りがあるのはやっぱりダメで、梅干しはたくさん食べても体にすごく悪いということはなさそうだけど、1日10個とか食べるのを毎日続けていたらさすがに塩分とかがやばい気がします。

で、話が食べ物のことであれば、世の中には「健康診断」というものがあるので、塩分を摂りすぎていて良くないとか、お酒は控えましょうとか、貧血気味ですよとか、お医者さんが数値を持ってきて注意してくれます。そこまで行かなくても、最近すぐに胃もたれするようになってきたから油っこい食事は控えようとか、お腹に肉が付いてきてしまったから生活を見直して運動しようとか、自分で自分の調子の悪さに比較的すぐに気付くことができますよね(そこから改善に向けての行動をとれるかどうかは別として)。

だけど、服や雑貨、紙の本、そしてインターネット上で見られるテキスト、といったように「からだ」から離れたコンテンツになっていけばいくほど、自分が塩分を摂りすぎているとか、貧血気味であるとか、着々とお腹まわりに肉が付いていっているとかっていうことに、気付きにくくなります。理由はもちろん、「からだ」から離れたコンテンツになっていけばいくほど、その実態がないからです。

それでもまだ、服や雑貨や紙の本であれば、モノが増えれば物理的にそれらが部屋のなかを占拠するので、「ああ、今自分はお腹まわりに肉がついててみっともないな。控えよう」とどこかで気が付くはずです。あるいは、自分では気付かなくても同居人がいれば同居人が指摘するでしょう。「からだ」から離れていないものは、「お腹いっぱいサイン」にどこかで気付くことができるんですよ、やっぱり。

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……と、ここまで話したら私が今回話したかったことはだいたいもうわかってもらえたと思うのですが、インターネット上で見られるテキストや電子書籍というのはあまりにも「からだ」から離れているので、なんだかどんどん口に入れてしまうんですよね。ずっと梅干し食べてたり、ずっとパセリをもしゃもしゃしてたり、酢をごくごく飲んでいたりします。だけど、梅干しばっかり食べていたらお腹は膨れず、塩分ばっかり摂取して喉が乾きます。そこでワインなんか飲み出したら、もう地獄です。

おまけに、インターネット上のテキストというのは、いっぱい読んでもらったほうがいいから、どんどん飢餓感を煽るんですよね。梅干し食べさせて、喉が乾いたらワインを飲ませて、酔っ払ったところでまた梅干しを食べさせるという。だけど「からだ」から離れているから、自分が塩分過多で高血圧になっていることや、肥満体型になりつつあることに、全然気が付きません。そこが、ちょっと危ない。

繰り返しますが、食欲を増進させる食材が悪だという話ではありません。梅干しは、1日1個とかだったらたぶんすごく身体にいい。だけど、梅干しやパセリでお腹を満たそうとするのはやっぱり大変なので、他の野菜とか炭水化物とかタンパク質もきちんと摂ったほうがたぶんいいです。少なくとも私はそう思うわけです。


インターネット上のテキストもそうだし、紙の本もそうだし、服や雑貨でもそうだし、あるいはもっと話を発展させて思想や観念や宗教の話までいってもいいと思うのですが、やっぱり世の中には「お腹が減るコンテンツ」と「お腹がいっぱいになるコンテンツ」があるんですよ。それで、「お腹が減るコンテンツ」というのはあくまでスパイスとして用いるものなので、そっちがメインになるとおそらくどこかでバランスを崩します。

何かを読んだとき、何かを買ったとき、何かを食べたとき、「ちゃんとお腹いっぱいになったかな?」という確認を都度都度しないといけないという、けっこうめんどくさい時代に我々は生きている気がします。食べ物を食べたときだったら、確認しないまでもどこかで必ずお腹はいっぱいになるのでラクなんですけど、テキストや物質になるとなかなかそういうわけにもいきません。


まあ、本当に食べ物だけの話をしているのならともかく、他のことにまで話題が及ぶと異論がある方もいるかもしれませんが、少なくとも私は「ちゃんとお腹いっぱいになりたい」と最近思うようになったので、特にテキストを読むときは注意しています。食欲不振のときに食欲を増進させる食材やドリンクを意識して摂るのはいいけれど、それを続けるときっと不摂生になります。

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他にも食べ物にたとえられることはあって、たまに偽装されることもありますが、野菜やお肉には産地が書かれています。国産であるとか、中国産であるとか。あとは、加工食品だったらパッケージに原材料名が書いてあります。添加物が多い食品は見れば一発でわかりますね。だけど、「からだ」から離れたコンテンツになればなるほど、産地も原材料名もやっぱり表記されなくなります。

しかしこれも、しっかりと考えれば産地も原材料名もある程度は割り出すことができるわけです。見ればわかる食品の表示とはちがって、多少の知恵が必要にはなりますが。添加物の多い食品は絶対にダメみたいに考えたり、あまりストイックにやりすぎるのも堅苦しいので私はあまり好きじゃないですが、それでも現代人であればちょっとくらい気を遣ってもいいかなという気がします。

私は正直、食べることがあまり好きではなくて、少食だしお酒も飲めません。その割には食べ物のたとえ話を自分が書く文章のなかでめっちゃ使うのですが、これはやっぱり「わかりやすいから」なんですよ。用いているたとえ話が適切かどうかは自分では判断しかねますが、「からだ」から離れていないものはわかりやすい。「からだ」から離れているものは、わかりにくいです。

だけどこんなことをいっておきながら、私は「からだ礼賛主義」ってかんじの人では全然ありません。むしろ、すぐに身体感覚に頼ろうとする人もどうかと思っています。我々が生きているのは2016年であって原始人じゃないのだから、ちょっと頭を使って「からだ」から離れようよ、と考えるほうの人間です。普段は。

で、その頭でっかちの私が「お腹いっぱい食べたい」とかんじるようになったのだから、まあこれはよっぽど不摂生が続いたのでしょうね。一過性のブームで終わる可能性も私はもちろんあると思っていますが、ここへ来て有料コンテンツ的なものが持て囃されるようになったのは、けっこう必然的なことだったのかなという気がします。胃に優しいからと流動食ばっかり食べてないで、ちゃんと噛まないと顎が弱くなるぞってことでしょう。

私は、「ああ美味しかった、お腹いっぱい」となるのがいちばんの贅沢だし健康的な気がするので、なるべくそういう食生活を送っていきたいなあと最近思いました。

以上で、私の与太話は終わりです。ごきげんよう。

※参考文献

消費社会の神話と構造 普及版

消費社会の神話と構造 普及版

【追記】『簡単、なのに美味い! 家めしこそ、最高のごちそうである。』に、戦後日本の庶民の「食」がどういう変遷をたどってきたのかという歴史がさらっとわかりやすく書いてありますが、「からだ」から離れたコンテンツがこの「食の歴史」と同じ運命をたどったら個人的にはめっちゃ面白いです。