チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

ツイキャス後記 〜日本の批評はまだ生きているか〜

23日の夜、くいしんさん(@Quishin)と一緒にツイキャスを行ないました。私自身は初めてやってみたのですが、聴いてくださった方、コメントをくださった方、どうもありがとうございました。アーカイブを残してあるので、リアルタイムで聴けなかったけど興味あるという方はぜひ聴いてもらえればいいなと思います。

私は普段、そんなに積極的に話をするほうではないんですが、なんかやたらいっぱいしゃべっているのは、ひとえにくいしんさんの聞き手力のおかげですね。私自身は聞き手力がゼロに等しいので、聞き手力が高い方は尊敬します……。

以下は、ツイキャスでお話したこと、または話そうと思っていたのに話し忘れたことなどを私なりにまとめたものです。

「批評」とは、出来事に意味と文脈を与える行為。

お話したことで、自分のなかでいちばん「これをいえてよかったな!」と思ったのが、批評とは何か、何のためにあるのか、なぜ必要なのかという部分(前半)です。もちろんあくまで私の批評観なので、批評する人全員かくあるべしと思っているわけではないのですが、私は批評を、〈出来事に意味と文脈を与える行為〉だと思っているんですね。

社会に衝撃をもたらすようなある事件が起きたとき、批評家がいないと、みんながそれぞれ悲しんだり怒ったり、過激な報道に動揺してしまったりするだけで、あとに何も残せないと思うんです。批評家は、事件を遠くから眺めます。その遠くから眺めるというスタンスが「斜に構えてる」といわれてみんなに嫌われてしまう原因にもなるんですけど、悲しんだり怒ったり動揺したりという感情的なことからちょっと距離を置いて、なぜこのようなことが起きたのか? 事件の裏にあるものは何なのか? 悲劇を繰り返さないためには何をどう変えればいいのか? ということを批評家は考えます。そこでは、自分の感情的な部分はとりあえず(かっこ)に入れておきます。自分の感情は、数多ある感情サンプルのなかの1つとしてしか扱いません。

作品批評も同じです。ある映画が製作されたとき、批評家がいないと、それは大量生産された商品の1つとして、観客に「面白い」「泣ける」「感動した」という感情を与えただけで流れてしまいます。批評家は、やっぱり作品を遠くから眺めます。なぜこの時代にこの映画が生まれたのか? なぜ観客はこのシーンで泣くのか? この映画を通じて、観客は何を共有したのか? この映画は、どういった歴史的文脈のなかに位置付けることができるのか? いろいろな言葉で噛み砕きながら、批評家は作品や出来事に、意味と文脈を与えます。そうして、流れていく時間のなかに記憶を保存するんです。

かなり観念的な話になってしまいますが、私は批評ってそういうものだと思っています。そして、その「記憶保存係」という仕事のためならみんなに嫌われたって構わない! と思っている人が批評家かなあと思います。

「批評」再生のポイントは、モテアイテムになること?

で、真面目な話はこの辺までであとは与太話的な話題になってしまうのですが、現代の「批評」というのはもはや瀕死状態というか絶滅寸前です。で、批評を再生するためには、私はもう「モテアイテム」になるしかないんじゃないかみたいなことも考えてしまうわけです。

かつて、難しいフランスの思想書を小脇に抱えて歩くことが「カッコよく」て「モテた」時代があったわけです。人間を駆り立てる原動力というのは、いつの時代であってもだいたい「カッコつけ」と「モテ」です。だからこそ、再生のポイントは今の「ダサくてモテないやつがやってる」という批評のイメージを回復することにある……と、いうのはいいすぎですかね。まあ、ちょっと極論ではあります。

私はモテの話がけっこう好きでこのブログでもたまにしているんですが、モテの話が好きなのは、モテの理論をどこかで批評再生に応用できないかと考えているからです(そうだったのか)。人間はいつだって、美女が好き、イケメンが好き、楽しくて心踊ることが好きです。だったら批評の世界にも、美女とイケメンと楽しいことを呼び込めばいいわけですね。どうやったらそれができるのかというのが次の課題です。

あと、念のためいっておきますが「美女」「イケメン」「楽しい」というのはそれを直接指してもいますが半分はメタファーですよ、メタファー。

ダサい批評家と、イケてる批評家がいる。

そして、これはツイキャスのなかで話しそびれてしまったことなのですが、「批評家」と一言でいっても、ダサい批評家とイケてる批評家というのは確かにいます。私はもちろん、自分はイケてる批評家でありたいと思っています。

ダサい批評家というのは、物陰に隠れて姿を見せないまま石を投げる人です。イケてる批評家というのは、姿を堂々と見せて返り討ちでボコボコに遭う覚悟をしながらそれでも石を投げる人です。私は、自分は後者の批評家でありたいと思っています。こういう話ですかね。

矢面に立つ勇気。 | 隠居系男子

以上、簡単ですがツイキャスのまとめでした。なお、この話のもとになった「ゲンロン」は、もう一度しっかり読み込んでブログに感想を書きたいなあと思っています。おしまい。

ゲンロン1 現代日本の批評

ゲンロン1 現代日本の批評