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チェコ好きの日記

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【中東旅行記/最後】オーパーツを見逃したアテネ

南欧

旅行記の続きです。今回分で、一応旅行記が終わりです。前回分はこちら。

aniram-czech.hatenablog.com

といっても、メインのつもりで想定していたイスラエルを出た後に訪れたギリシャアテネは、私のなかでは完全な「おまけ」という位置付け。ギリシャギリシャでずっと行ってみたいと思っていたところだったのですが、まさかこんなテキトウなかんじで準備せずに行くことになるとは思っていませんでした。ギリシャアテネよりもサントリーニ島とかシミ島とかのほうが魅力的な気がするので、もし次回機会があったらそういった「島」を船や飛行機で渡り歩いたあとトルコまで行こうかななどと考えます。

アンティキティラ島の機械を見逃した

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アテネ考古学博物館

というグダグダなかんじで訪れたアテネだったのですが、とりあえず考古学博物館に行こうと思って初日に行きました。しかし、何も本を読んだり調べたりしてこなかったので、昔美術史や世界史でやった古代ギリシャのわずかな知識をもとに頑張って英語のキャプションを読んで理解するという始末。

それで、帰ってきたあとに判明したのですが、なんとこの考古学博物館に世界で唯一の本物のオーパーツといわれる「アンティキティラ島の機械」があったんですね。知らなかった。これ何かというと、古代ギリシャ時代のコンピューターで、紀元前150〜100年に作られたとされています。たくさんの歯車が内蔵された作りらしく、月の運行などを計算するために用いられたとか。

謎なのは、ここまで高度な機械が作られていたのに古代文書にその記述が一切ないこと、そして類似するような他の機械がまったくないということです。発明者はアルキメデスじゃないかといわれているそうですが、古代ギリシャでは、この高度な機械を隠蔽しなければならない理由が何かあったのでしょうか。1900年に漁師たちが海底から偶然発見したそうなんですが、その発見がなかったら今こうした研究もなされていないわけで、つまりまだまだ歴史は覆るし我々が起源だと考えているものは変化するんですね。夢のある話です。


※これも帰ってきたあとのニュース

翌日は、パルテノン神殿を見に行くなどしました。

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そして最終日は、モナスティラキの蚤の市などを見学。ミニマリストが来たら気絶して死ぬんじゃないかと思うくらい、ガラク……用途不明のものがたくさん売っていました。

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おしまい

というわけで旅行記はこれで終わりなのですが、今回はnoteでリアルタイム旅行記を書いてしまったぶん、それをもう1回書き直すというのは正直けっこう微妙でしたね。だけど、帰ってきたあとにいろいろな発見があったのもまた本当です。

旅の製図法|チェコ好き|note


私が今回の旅行でいちばん記憶に残っているのは、イスラエル最終日、テルアビブのベングリオン空港に到着したときのこと。

そのとき、私は疲れていたのか何の変哲もないただの電車に酔ってしまい、ぼったくりみたいな値段のオレンジジュースを飲みながら空港のベンチで息も絶え絶え、休憩していたのです。

するとその隣に、ユダヤ人の女性が4人、わ〜っと集まってきました。年齢はたぶん私と同じ20代後半くらいで、なかにはベビーカーを引いているお母さんも。なぜ彼女たちがユダヤ人とわかったかというと、みんな頭髪を隠す帽子みたいなやつをかぶっていたからです。帽子みたいなやつは、イスラエルのユダヤ人女性に特徴的な格好です。

彼女たちが話す言葉は当然ながらヘブライ語なので、いくら隣にいてももちろんさっぱりわかりません。……はずだったのですが、ヘブライ語を一切理解しない私が、彼女たちの会話がどのような内容であるのか、だいたいわかってしまったのです。

「えー、めっちゃ久しぶりなんだけどー!」「元気〜!?」「これ息子くん?」「かわいい〜!!」
「どこ行く?」「駅出るとー、向こうに知ってるご飯屋さんあってー」「じゃあそこ行こうよ」
「ねえ最近何してるの?」「息子くん嫌いなものある?」

久々に会ったっぽい20代後半らしき女性4人組、そのテンション、声のトーン、などなどから、言葉なんて知らなくてもだいたい何を話しているかわかる。

イスラエルに住んでいて、帽子をかぶっているということは、おそらく彼女たちはそこそこ正統派のユダヤ教徒だと思うのです。そして女性も徴兵されるイスラエルなので、当然彼女たちは、軍人として勤めた経験もあるのだろうと思います。宗教も、育った環境も、見てきた景色も、私と彼女たちはまったくちがうはず。それなのに、友達と再会したときのリアクションはほぼ同じなのです。

わきゃわきゃと騒ぐユダヤ女性4人組の隣で、「まあ、人間なんてどこもそんなもんなんだよな」と、私は疲労で薄れていく意識のなか、思ったのでした。

というわけで、私の「旅行記」はここで終了です。

しかし、私の意識のなかでは、日本に帰ってきたくらいで旅は終わりません。「あのとき見た”アレ”は何だったんだろう?」と、本を読んで映画を観てニュースを見て考える、今度は「そっちの旅」が始まります。国内にいるか国外にいるかというちがいだけで、私のなかではずっとずっと旅行しています。旅行記はここで終わりですが、今後も書評やらなんやらのなかに、旅の話はひょこひょこ入ると思います。

1492年、スペインを追われたユダヤ人「セファルディ」は、もう二度ともどることのない故郷をあとにして、モロッコへ、欧州へ、各地に散りました。あとは、ポール・ボウルズが書いた『シェルタリング・スカイ』の主人公夫婦も、もう二度ともどらないものとしてニューヨークを去り、モロッコにやってきました。

〈故郷を失う〉こと、それは物理的に失う場合もあるし心理的に失う場合もあるのですが、私はもうしばらく、それってどういうことなんだろうなーと考えてみたいと思います。

「あまりにも遠くに行き過ぎたため、もはや帰還が不可能になった旅行者」はボウルズの作品のなかで繰り返し描かれるモチーフですが、私が憧れるのはいつだって、そんなちょっと「人にはいえない」旅行なのです。

★参考文献★

奇界紀行

奇界紀行