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チェコ好きの日記

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〈無計画〉のすばらしさと難しさ/『家族無計画』感想文

紫原明子さんが最近上梓された、『家族無計画』という本を読みました。

家族無計画

家族無計画

どんな内容かというと、実業家の家入一真さんと離婚された紫原さんが、その後の家庭生活のことや離婚前のことなどを綴ったエッセイです。cakesでその一部を読むこともできます。

cakes.mu

ご家族についてのエッセイなので、お子さんを持ったファミリー向けなのかと一瞬思うんですけれども、これは子供がいない夫婦や、独身女性、独身男性であっても、どんな人にとっても興味深く読める本になっている気がします。

というわけで今回は、この『家族無計画』についての感想文を書こうと思います。

〈無計画〉のすばらしさ

前述したとおりこの本は、著者の紫原さんがご自身の家庭について書いているものです。だけど、家庭生活について悩んでいる人だけでなく、働き方について考えたい人であったり、恋愛に悩んでいる人であったりが読んでも、示唆に富む内容になっていると思います。それは、紫原さんがキャバクラに潜入するエピソードがあったり、紫原さんご自身の現在の働き方について、言及しているところがあるからかもしれません。

だけど、メインとなっているのはやはり「家族の話」ではあるので、なぜ「家族の話」を書いているのに「家族の話」以外にも考えが及ぶのか、その原理がこの感想文を書いている今でも私はあまり解明できていません。いったいなぜでしょう。もしかしたら、文章の懐が深いので、読み手のほうで自由に各エピソードを解釈でき、書いてあることを「自分の物語」として読み直すことができるからかもしれません。つまり、このエッセイを内容通り「家族についてのエッセイ」だと読む人もいれば、「恋愛やパートナーについてのエッセイ」だと読む人もいるし、「女性のキャリアや働き方についてのエッセイ」だと読む人もいるのではないかということです。ちなみに私はというと、これは「これからの社会のあり方についてのエッセイ」だとして、読んでしまいました。

紫原さんの場合は、元旦那さまの経歴からして少し(だいぶ?)特殊なケースではあるのかもしれませんが、今の社会ではもう、このエッセイに書かれている「離婚」はそれほど珍しい話ではなくなっています。だけど、シングルマザーとして子育てをしていくための制度は未だにあんまり整っていなくて、やっぱりどこかで「お父さんとお母さんと子供」という家族のあり方を無意識のうちに前提としている社会になっているように私には思えます。

だけど、それは「お母さんと子供」という家庭にとって息苦しいだけでなく、子供がいない夫婦にとっても息苦しいし、独身にとっても息苦しい社会です。このエッセイ内で紫原さんは「お母さんと子供」という家庭のあり方を全力で肯定しているように思うのですが、それが遠回しに、子供のいない夫婦や独身として生涯を過ごす人、あるいはそれ以外の少し珍しい形の家族(ゲイのカップルが養子をもらって、パパが2人いる家庭とか)まで、すべてを肯定しているように読めるから不思議です。

家族についてだけではなく、現在の社会はやっぱり「正社員」として働く人を無意識のうちに前提としている社会になっているように思いますが、紫原さんの現在の働き方についての描写を読むと、やはりそこも遠回しに、いろいろなお金の稼ぎ方を肯定しているように読めます。フリーランスでもいいし、働かなくてもいいし、働いたり働かなかったりを交互にやってもいいし、非正規でもプロブロガーでもなんでもいい。「大人になったら正社員になって、お父さんかお母さんになって、子供を育てる」という従来のやり方、計画的な人生の歩み方でなくてもいいんだよーといっているエッセイだと、私は読んでしまったわけです。

〈無計画〉の難しさ

だけど、このように自由な家族のあり方、個人の自由な働き方をもっともっと社会が認めていくべきだと考える一方で、これってなかなか難しい面を孕んでいるようにも私は思うのです。なぜかというと、自分が思っている以上に、「自分で自分の幸せを規定する」ってけっこう頭を使うし、簡単には考えられない問題だからです。

たとえば、直近の話で無理やりつなげると、イギリスがEUから離脱するというニュースが最近話題になっていますよね。しかし、離脱という国民投票の結果を十分に受け入れられず、投票のやり直しを求める署名が350万人を超える勢いで集まっているとか、離脱が決定した直後に「EUって何?」と検索していた人がいっぱいいたとか、離脱に投票したことを後悔している人がいるとか、そんな話も耳にします。これらは決して対岸の火事ではなく、「自分で知識を持って、情報を収集して、自分の理想とする社会を規定して、それに近付くような選択肢を選んで実行する」ということがいかに難しいかを、物語っている出来事のように私は思うのです。人間はどんな人であっても、状況によってはやっぱり雰囲気やまわりのムードに流されてしまうし、知識不足から十分に考えることができなかったりもします。

そういう意味では、お偉いお上が勝手に「残留します」と決めてくれたり、社会が勝手に「これが幸せです。この通りにやっていれば9割方まちがえません」と規定してくれていたほうが、まだラクだなんて考え方もできると思うんですよね。自分で考えることはときにめんどくさいし、何より自分で考えたことには自分で責任を持たないといけません。「みんながやれっていうからやったのに!」「上が勝手に決めた!」と後からブーブー文句垂れてるほうがラクだという人も私はけっこういると思うし、私自身がそうでないともいえません。

しかし、国民投票の話はともかく、時代を逆行することは基本的には不可能です。今はまだ従来の社会の名残があるように思いますが、これからどんどん、自分で考えて、自分で決めて、その決断に責任を持たなくてはいけない社会になっていくでしょう。それは今よりも多くの人にとって幸せな社会であると私は信じているけれど、自由であるが故の困難さというのも、同時に自覚していなければならないように思います。

〈無計画〉であることはとてもすばらしいけれど、同時にちょっと難しい。いろいろなあり方を肯定することは多くの人の幸せにつながるけれど、自分で自分の幸せを規定できない人にとってはちょっとつらい。あちらを立てればこちらが立たずという話なのかもしれませんが、すべてはトレードオフなのです。

なんにせよ、この本の内容が様々な人にとって示唆を与えてくれることは変わりないと思います。今後の社会のあり方を考えていく上で、自分の幸せのあり方を考えていく上で、手にとってみてはどうでしょうか。

家族無計画

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