チェコ好きの日記

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砂漠とトルコと東京ジャーミー

1年前くらいからずっと行きたいと思っていた、代々木上原にある日本最大のイスラム教モスク、東京ジャーミーでお昼の礼拝を見学してきました。

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見学に予約は不要で、金額も無料です。お昼の礼拝を見学するためには、土日の14:30にその場にいればOK。館内を軽く案内してもらったあと、アザーンが聞こえたら礼拝を見学しに行きます。注意点としては、露出の多い服装を避けることと、女性はストール持参を推奨。貸し出し用のストールもあるけど、数に限りがあるので自分用のを持っていったほうがいいと思います。

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こちらは、道路側から見た東京ジャーミー。今回は、こちらのモスクの礼拝を見学した感想です。

日章旗とトルコの国旗

14:30に1階のお土産コーナー(?)をうろうろしていると、「見学の人は行きますよー」的な号令をかけてくれるので案内の人についていきます。実際の建物を見ながら、まずはイスラム教の概要とか、モスクの建築について説明してくれてます。内部の写真を載せられないのが残念なのですが、なかはとても荘厳です。私は今年の初めのほうにモロッコとかヨルダンとかの中東地域を旅行してきたのですが、あの地方の空気感がびんびんあって、日本なのに異国感があってとても楽しかったです。下の写真は東京ジャーミーとは関係ないモロッコ・マラケシュのアリー・ブン・ユースフ・マドラサという神学校ですが、なんかこういう、タイル貼りの美しさみたいなのが伝わればいいなあと思い載せました。タイルの装飾とてもきれい。

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説明のなかで面白かったのは、日章旗とトルコの国旗が真逆であるという話。一目瞭然なのですが、「いわれてみりゃそうだな」と思ってハッとしました。

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http://freesozai.jp/sozai/nation_flag/img/ntf_130/1.png

上がご存知の日章旗、下がトルコ国旗なわけですが、日本が太陽を中心に据えているのに対し、トルコは月と星を中心に持ってきています。そして、色が逆。日本は背景が白で、中心に赤い太陽があるのに対し、トルコは背景が赤で、中心に白い月と星があります。

国旗が真逆だからといって単純に「だから日本とトルコは環境が真逆なのだ!」ってわけではないんすが、我々の住むアジアとトルコやヨルダンのある中東は、やはり自然環境が対照的であるというのはよく思います。トルコ国旗の、この月と星っていうのはイスラム教の象徴でもあるらしいんですが、月と星を国旗のモチーフにしている国を調べてみると、トルコ以外だとアゼルバイジャン、イエメン、キプロスパキスタン、マレーシア、アルジェリアチュニジア、モーリタリアなどがありました。

月と星がイスラム教のなかでとても重要な存在であるという話は、実際に中東地域に行ってみるか、または砂漠を舞台にした小説やエッセイを読むとなぜだかわかります。私が最近読んでいたのはサン・テグジュペリの『人間の大地』というエッセイなのですけど、KindleUnlimitedで読めたのに対象から外れちゃったのでチッと思っているんですけど、このエッセイでは、パイロットとなったテグジュペリがモロッコの砂漠の上を飛行機で飛んでいます。

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

人間の大地 (光文社古典新訳文庫)

月は砂漠の方へ傾く。月には月の知恵があって、その知恵に導かれて姿を消すのだ。このキリスト教徒たちはじきに眠りに落ちるだろう。もう数分もすれば、光を放つものは星だけになるだろう。堕落した部族が過去の栄光のうちに甦り、砂漠を輝かせる唯一のもの、即ち、あの追撃戦をふたたび開始するには、このキリスト教徒たちがかすかな悲鳴を上げながら自分たちの眠りの中に溺れていくだけで十分だ……。まだ数秒ある。数秒後には、取り返しのつかない行為から一つの世界が生まれるだろう……。
 こうして眠り込んだ美しい中尉たちは虐殺される。

私は砂漠を舞台にした小説とかエッセイがすごくすごくすごく好きなのですが、まあとにかく太陽と、月と星、ようは空にあるものの存在感がハンパないですよね。砂漠には、ランドマークになるような目印が何もないのです。一面が砂だらけで、看板とか作っても(たぶん)砂に覆われてしまって、結局どこも似たような景色になってしまう。そんなとき唯一の指針になるのが、すべてを焼き尽くす暴君の太陽と、自分たちを砂漠のなかで導いてくれる月と星であると。砂漠の文学って人がやたら死ぬイメージがあるんですが、これはその自然環境があまりにも過酷で、すべてを神に(天に)託すしかないという圧倒的な世界観というか死生観に基づいていると思われます。日本では「いのちの大切さ」みたいなことを学校で教え込みますが、そしてそれは別に間違っているわけではないですが、砂漠の世界観はそれよりももっと強烈です。「一つのいのちなんて神の前では何の力も持たない」。死ぬことによって、神や、もっと大きくて巨大な霊的なものとつながれる。なんか、根本にそういう感覚があるよな〜ってのがよくわかります。イスラム世界で天文学や数学が発達したのもよくわかる。やっぱりイスラム教って砂漠の宗教だよなということを実感しました。

(※この話に興味がある人はこちらもどうぞ)
note.mu

親切なイスラム

そんな説明を受けつつ、いよいよ礼拝を見学しに行ったわけですが、礼拝堂のなかは異教徒の女性でも持参したストールで頭を覆います。それで、ムスリムの男性たちが一列に並んでメッカの方向にお祈りしている様子をしばらく無言で眺めます(女性の信者は2階部分でお祈り)。

よくいわれる話ですが、「イスラム教ってお祈りの回数とか食べちゃいけないものとか細かいルールがたくさんあって厳しいんでしょ?」というイメージを我々は抱きがちです。だけど、実際に信者の人がお祈りしているところを見たら、「ちがうな、ルールがあるから逆に親切なんだ」ということがようやく私のなかで腑に落ちました。

なんというか、「何が正しいか、どうあるべきか、自分で考えなさい」って一見自立・独立しているようでカッコイイんだけど、実際はやっぱりなかなか難しいんですよね。頭のいい人とか、精神的にマッチョな人はいいかもしれないけど、少なくとも庶民的ではない。その点、「毎日こうやってお祈りするんだよ」「こういう心のあり方で人に接するんだよ」と事細かに教えてくれる宗教は、貧乏でも、頭が悪くても、心がグラグラでも、文句なしに救ってくれるので、広まるのはどっちかといったらやはり後者だと思います。実際、2100年にはイスラム教徒の数はキリスト教徒を追い越して世界最大勢力になるだろうという予測があります。2100年だと、私と、あとこのブログを読んでくれている人は年齢的にたぶん生きていないので確かめられなくて残念ですね。

こういう書き方をしてしまうと、「イスラム教やキリスト教は自立を拒んでる、思考停止の宗教だ」みたいなかんじに捉えられかねないので難しいし、事実私もつい最近まで一神教的なものに対してそういう考え方を持っていた気がします。宗教に頼るあいつらは弱いやつだとか、無宗教で自立している我々がエライとか、言葉にすると稚拙だけどそういう感覚、少なくない日本人が持っていると思います。

だけど最近は、「私は自分で考えられる頭脳と精神力がある!」なんて思い上がりもいいとこだったな、とちょっと反省しています。人間は等しくみんな弱いし、自分で考える力なんてほとんどだれも持っていません。持っている人もいるかもしれないけど、それにしたってどんぐりの背比べ程度にしか過ぎない能力だと思います。なんでそう考えるようになったのかは、いろんな宗教の研究をしていたらそう思ったんですけど、詳しい話は長くなるので今回はやめます。

まあしかし、本で何回読んでもいまいち「???」だったことが実際に見てみると「あー、なるほど」とすぐになるのだから、見学は無料だし、東京近郊にお住まいの方は一度行ってみるといいのではないでしょうか。

(※次はこれを読む)

コーランを知っていますか (新潮文庫)

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