チェコ好きの日記

だいたい木曜日の22時に更新されるブログ

渋谷のこと

渋谷にまつわる私のもっとも古い記憶は、高校二年生のときのもの。平日に学校をさぼって、友達と映画を観に行った。


私は神奈川県の片田舎の出身なので、渋谷までは、電車に乗って一時間くらいだった。近くもなく遠くもなく、学校をさぼって出かける距離としては、ちょうどよかったように思う。

観た映画は、友達が魚喃キリコのファンだったのでたぶん『blue』だったと思うんだけど、学校をさぼって女友達と『blue』を渋谷に観に行くって、シチュエーションだけ聞くと百合っぽくてヤバイな。登場人物の片方が私じゃなければ、けっこうドキドキできるところである。市川実日子が、庭にあるホースの水を、自分で頭からじゃぶじゃぶかけていたシーンをよく覚えている。逆にいうと、それ以外のシーンや、そのとき歩いたはずの渋谷の風景はほとんど記憶にないのだけど、学校をさぼって渋谷に行くのは、なんだかふわふわしていてすごく楽しかった気がする。何はともあれ、このときのことを思い出すと、自分にとっての渋谷はやっぱり、「映画の街」として始まったんだなと思う。


blue [DVD]

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渋谷が本格的に「映画の街」になったのは大学生になってからで、自分で観に行ったり、芸術学科だったから学校の課題で観に行かされたり、招待券も学校で先生や知り合いに分けてもらっていた。ユーロスペースシネマヴェーラアップリンクイメージフォーラム、今は亡きシネマライズに、シアターN渋谷。映画館に行けばたいてい知り合いが受付でバイトしていて、よくタダで中に入れてもらっていた。それで、シネマヴェーラなんかは入れ替えがなかったりするから、3本とか4本とか連続で、お尻が痛くなるのを我慢して同じ席に座ったまま、一日中ずーっと映画を観ていた。

もっとも、私はそんなに真面目な観客ではなかったので、午前10時の回に入ったのに途中から爆睡していて目が覚めたら夕方を過ぎてたみたいなこともしょっちゅうあったんだけど、それでも今振り返ると、あんなに長時間よく映画館にいたよな、と思う。


今もたいして世の中のことをわかってないけれど、あのときは今以上に、本当に何もわかっていなかった。なので、なんとなく、これがずーっと続くんだ、と思っていた。自分は、良くも悪くも、ずーっと渋谷の映画館で映画を観る人生なんだ、と思っていた。



大学を卒業してからも、しばらくは変わらずに渋谷の映画館に通い続けた。私を筆頭に、勘違いしたお花畑頭が多い学科だったので、みんな就職が決まらなくて、映画館のバイトをダラダラと続けてくれていたのである。ただしそれも時間の問題で、季節を経るごとに、一人また一人と、受付から知り合いの姿は消えていった。


就職決まって良かったねって話なんだけど、やっぱりあのときの渋谷は、ちょっとさみしかったような気がする。今も、渋谷の映画館で正規料金を払うとき、実はちょっとだけさみしい。昔は受付に知り合いがいて、挨拶したり、論文進まないんだよって話したり、あれ観た? って話したりしてたのに、今では受付に誰か知っている人がいることはない。それだけが理由ってわけじゃないけど、私も大学院を卒業して就職してからは、渋谷から一度、足が遠のいてしまった。忙しくて映画を観る暇もなかったし、何より、渋谷からほとんど誰もいなくなってしまったから。


それがちょうど、2012年とか2013年の話だ。このときになって初めて、「これがずーっと続くんだ」という学生時代の感覚は、見当外れの思い込みであったことを知った。代わりに、もう以前のように渋谷に通うことは、永遠にないのだろうと思うようになった。


ところが、結論から先にいうとこれもまた見当外れの思い込みで、2012年に始めたブログで「チェコ好き」を名乗るようになってから、少しずつ縁ができて、また渋谷に足を運ぶ機会が増えていった。もちろん、狙ったわけではない。


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ただし。2014年頃を境に、ふたたび訪れるようになった渋谷は、「映画の街」から、「インターネットの街」に姿を変えていた。


これはもちろん私の感覚上の話で、正確にはいつから渋谷に錚々たるIT企業が進出しだしたのか、よくわかってないんだけど*1。しかし、ヒカリエができたのが2012年で、同じ年にシアターN渋谷が閉館になったことを照らし合わせると、私の感覚もあながちズレてないかな〜という気がする。まあ、本格的な都市論として考えるとこの二つを並べるのはたぶん変なんだけど、これはあくまで私の個人的な話だ。ちなみに、シネマライズが閉館になったのは2016年だから、けっこう最近である。


「映画の街」として私の中にあった渋谷は、気が付いたらすっかり「インターネットの街」に姿を変えていて、私がこの場所で会う人たちも、「映画の人」ではなく、「インターネットの人」ばかりになっていった。私が「チェコ好き」であることを知っていることが「インターネットの人」である証で、まあだからどうということはないんだけど、以前親しんだ場所で、新しい人に出会い、新しい思い出を作っていくのは妙な気分だし、今でも正直、ずっと「なんか変だな」と思い続けている。


「あの場所にもう一度行けば思い出せたはずの何か」みたいなのがあったはずなんだけど、「あの場所」自体がもうないし、「思い出せたはずの何か」が何であるのかも、もう忘れてしまった。とても大切なことだったような気もするし、どうでもいい瑣末なことだったような気もする。


だから、私にとって渋谷は、奇妙で、歪で、矛盾を抱えた街だ。「映画の街」として始まって、それが一度終わった街。そして、一度終わったにも関わらず、「インターネットの街」としてまた始まった街。昨日見たはずのものが消えていて、今日見るものは明日には姿を変えている。唯一無二のようでいて、実体のない、不思議な街だ。


かつて、記号学者のロラン・バルトが著書『表徴の帝国』において、東京を「中心を欠いた都市」と表現したことがある。

東京の真ん中には皇居という「空洞」があるだけ──というのがその理由らしいんだけど、異論がありそうだとはいえ、私としてはこの感覚はとてもしっくりくる。中心を欠いた空虚な都市。確たるものがあるようでなく、実体がつかめないまま、目まぐるしく姿を変えていく街。

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)


こんなことを書いているくらいだから、これでも一応、渋谷は私にとって東京の中でいちばん思い入れのある街である。だけど、思い入れはあるくせに、好きでも嫌いでもない。好きになろうとしても、その好きな部分は気が付いたときには姿を消しているし、同様に嫌いになろうとしても、何がそんなに気に入らなかったのか、すぐに忘れてしまう。


今の私にとって渋谷は「インターネットの街」で、最近は性懲りもなく、これがこのままずーっと続くんだと、また思い始めている。でも、これまでの経験から考えると、おそらく今回もまた、見当外れの思い込みなんだろう。


目まぐるしく姿を変えるくせに、変わらない何かを何度も夢に見る。やっぱり渋谷って、私にとっては、めちゃくちゃ矛盾している。好きにも嫌いにもさせてもらえず、空虚な中心点のまわりを、ずっとぐるぐる歩かされている。