チェコ好きの日記

だいたい木曜日の22時に更新されるブログ※9月までお休みします※

【感想】『サピエンス全史』×『銃・病原菌・鉄』

1月上旬に『銃・病原菌・鉄(上・下)』を再読して、その上で勢いあまって『サピエンス全史(上・下)』も読み、これらが超〜〜面白かったので以下、要約と私なりの感想を書きます。『サピエンス全史』を中心に、合間に少し『銃・病原菌・鉄』の話をしています。

人種差別のパンドラの箱

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福


『サピエンス全史』は、およそ250万年前、東アフリカでアウストラロピテクス属という猿人が進化し、「人類」が姿を現したところから話が始まっている*1。250万年前の「人類」は、尖った棒などの、いわゆる「道具」をすでに製造・使用していたらしい。


彼らは徐々に東アフリカを離れ、北アフリカ、ヨーロッパ、アジアなどの広い範囲に進出していく。そして進出したアウストラロピテクスはそれぞれの土地の気候に合わせ、ネアンデルタール人ホモ・エレクトス、ホモ・ソロエンシスなどの種に進化していく。ただし、時が進んで100万年前までになっても、人類はせいぜい尖った石器くらいしか製造することができず、植物や昆虫や小さな動物を食料として捕らえ、大型の肉食獣に怯えながら生活をしていた。


人類が「火」を使用できるようになったのは、だいたい30万年前のことらしい。しかしそれから15万年前までになっても、人類はまだまだ取るに足らない生き物で、それぞれの大陸でほそぼそと暮らしていた程度に過ぎなかったという。


話がややこしくなってくるのは、およそ7万年前だ。このとき東アフリカの人類は、アラビア半島ユーラシア大陸に進出するが、進出先にはすでに他の人類が定住していた。そしてこのとき、それぞれの人類に何が起きたかについて、「交雑説」「交代説」の2つの説があり、長い間、論争が続いていたという。


「交雑説」は、東アフリカのサピエンスがユーラシア大陸などに進出したとき、すでにそこに住んでいたネアンデルタール人ホモ・エレクトスなどと交雑し子孫を残したという説である。対する「交代説」は、東アフリカのサピエンスが他の大陸に進出したとき、すでにそこに住んでいた他の人類と交雑せず、皆殺しにし彼らすべてに取って代わったという説である。そして、この「交雑説」と「交代説」、どちらをとるかによっては、人種差別のパンドラの箱を開けることになりかねないと『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリは述べる。


「交代説」が正しければ、今生きている人類はすべて同じサピエンスの子孫であり、無視できる程度にしか遺伝子コードの違いを持っていない。しかし「交雑説」が正しければ、アフリカ人とヨーロッパ人とアジア人の間には、遺伝子的な違いがあることになってしまう。最近までは「交代説」のほうが堅固な考古学的裏付けがあるのでこちらの説がとられることが多かったらしいが(そのほうが穏便だし)、2010年、中東とヨーロッパの現代人の一部にネアンデルタール人のDNAが入っていることが立証されたらしい。とはいえ、「交代説」も間違っていたわけではなく、ネアンデルタール人のDNAが入っているといってもそれはほんのわずかしかゲノムに影響を与えていない……という。しかし、このデータを持って人種差別的な方向に話を持っていくことはいくらでも可能な気がするので、なんというか、おっかない話ではある。

原因不明の認知革命

東アフリカのサピエンスが他の大陸の人類を一掃し始めた頃、約7万年前から3万年前にかけて、彼らは舟、ランプ、弓矢、針などを発明している。およそ250万年前からこの時点までの人類が、尖った石の棒を持ってウホウホしているに過ぎなかったことを考えると、数万年の間にいろいろ発明しすぎだろと思う。約7万年前のサピエンスに何が起きたのか、なぜこの短期間の間に急速な発展を遂げたのかについては、なんと、「まだわかんない」らしい……。とりあえず、この時期のサピエンスが新しい思考と意思疎通の方法を獲得したことを、「認知革命」という。


新しい思考と意思疎通の方法とは、具体的にいうと「言語」の獲得である。ちなみにジャレド・ダイアモンドは『銃・病原菌・鉄』において、なぜこの時期の人類が言語を獲得できたかについて、「人類の喉頭が発話可能な構造になったから……かなぁ?」みたいに書いている。


「認知革命」以前の人類は、簡単な合図を出して意思疎通することはできても、噂話をしたり、虚構を信じたり、物語を語ったりすることはできなかった。しかし革命以後の人類は、宗教とか、貨幣の価値とか、神話とか、そういったものを集団で信じることができるようになった。人類の大躍進を可能にしたのは、このような言語能力を獲得できたことが大きかったらしい。

農業革命の罠 ←個人的にいちばん面白いとこ

『サピエンス全史』によると、人類によって最初に飼いならされた動物は「犬」だという。時期でいうと、1万5000年前には人類が犬を飼育していた証拠が見つかっているらしい。死んだ犬は、人間が死んだときと同じように、丁寧に埋葬された。そして、人類が「農業」を発明したのは、それよりも後のことである。具体的にいうと、紀元前9500〜8500年頃の時期だという。


農業が発明される以前の人類は、基本的には数十平方キロメートルから数百平方キロメートルの生活領域を行ったり来たりしながら、狩猟採集生活を送っていた。日本でいうと、東京23区内から出てない感じ……? と考えると、けっこう広いような狭いような。もちろん、ときおり自然災害や人口の負荷などの原因によって、縄張りの外へ出ていくこともあった。


いちばん驚きなのは、これはすでに他のいろいろな本で言われていることでもあるけれど、「狩猟採集民より農耕民のほうが、豊かで安定した生活を送ることができる」という考えは大きな誤りだということである。現代の私たちの平均的な労働時間が1日8時間×5日で週に40時間だとして、狩猟採集民が狩りや採集などに励むのは、もっとも過酷な地域に住んでいる場合でも週に35〜45時間くらいだったという。つまり、生きる糧を得るために頑張る時間は、なんと狩猟採集民の時代から現代までほとんど変化していない。こ、こんなにテクノロジーを発展させたのに!? ていうか、週40時間労働なんてそこそこホワイトだし、ブラック企業やアジア・アフリカの発展途上の地域で働いている人たちのことを考えると、むしろ、労働時間、増えてる。がーん。壮大なブラック・ジョークみたいだ。


それに、古代の狩猟採集民と農耕民の骨などを調べてみると、農耕民より狩猟採集民のほうがはるかに健康状態がいいらしい。狩猟採集民はたくさんの種類のバラエティに富んだ食物を口にしていたのに対し、近代以前の農耕民は小麦やジャガイモや稲など、ほとんど単一の食物からしか栄養を摂取することができなかった。もちろん狩猟採集民だって、災害などによって一時的に食物を獲得するのが困難になることはあるが、それは農耕民だって飢饉があるから同じだ。さらに、これは『銃・病原菌・鉄』にも書いてあったことだけど、天然痘や麻疹、結核など、多くの感染症は家畜由来であり、飼っていたのがせいぜい犬くらいだった狩猟採集時代は、こうした集団の感染症によって命を落とすことも少なかったという。


こうして考えるとデメリットしかないような気がする農業革命だけど、メリットももちろんある。子供の死亡率が低くなったこと、事故に逢っても医学などによってそう簡単に命を落とすことはなくなったこと、特定の集団で敵意を買い嘲りを受けた人間でも生きのびることが可能になったこと、そして何より、歳をとったり障害を負ったりした人間も生きられるようになったこと。今も狩猟採集民の時代とほとんど変わらない生活をしているアマゾンの先住民族「ヤノマミ」の社会には、障害者がいない。私たちの常識で考えると、これはやっぱり残酷である。


ヤノマミ (新潮文庫)

ヤノマミ (新潮文庫)


ただし当然ながら、最初に小麦やエンドウマメやトウモロコシの野生種を栽培化し始めた人類が、そこまで計算し尽くしていたはずがない。ユヴァル・ノア・ハラリは「私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ」と刺激的な言葉でその様子を語っているけれど、小麦なんかよりそのへんになってる苺とか動物の肉のほうが絶対に美味しいし、確かになんでわざわざ栽培化なんてしたんだろ? と思う。健康に生きのびることができた個人にとっては、狩猟採集生活のままだって十分に豊かで幸せだったのだから。


人類が小麦等を栽培化してしまったのは、言ってみれば「偶然」なのだけど、最後の氷河期が終わって地球が温暖化に向かい始めた頃の気候が、中東の小麦やその他穀類にとって理想的な環境だったことが影響しているらしい。たぶん最初は、「なんかこれ、育てられるっぽい? 便利かも〜〜〜」くらいの軽いノリだったんだと思う*2


農業革命がある意味致命的だったのは、人類を定住によって土地に縛り付けたことで、女性の出産と出産の間の期間を短くすることが可能になったことだ(移動しながらの狩猟採集生活は3〜4年あけないと次の子供が産めない)。女性が毎年のように子供を産めるようになったので、人口は爆発的に増えた。そして、一度増えた人口を養うためには、もっともっと多くの畑で栽培を行わなければならなかった。こうなると、もう後には戻れない。1人1人の栄養状態を見ると狩猟採集時代よりも悪くなっているなんてことに気付く人間は、誰もいなかったのである。


「歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる」とユヴァル・ノア・ハラリは言う。確かに、もう人類はインターネットやスマホがない時代には戻れない。一度前へ進んだら、後ろの扉は閉じてしまって、永遠に開かない鍵がかかっているのだ。

で、人類は幸せになったのか?

この後の『サピエンス全史』は、貨幣や宗教や帝国などの「共同幻想」についてページが割かれている。東京23区内くらいの面積の中で狩猟採集生活をしているぶんにはその土地の素朴な精霊を信仰していればよかったけれど、村を作り、社会を作り、遠く離れた地域の定住者を説得してさらなる拡大を目指すためには、多神教なり一神教なりの、より強い「神」が必要だった。宗教、貨幣、帝国といった共同幻想は、小さな社会と小さな社会を統合し、世界をさらなる統一へ向かわせるという目的のためには、確かになかなかたいした発明だった。紀元前1万年ごろには何千とあったはずの小さな社会は、紀元前2000年には数百程度、そして紀元後になるとさらにその数は減少していく。現代はインターネットなどによって地球の裏側で起きたことであってもリアルタイムで知ることができるし、世界はこのまま統一へ向かうことをやめないだろう。


で、ここで上がってくるのは、「人類は農耕や宗教や貨幣や帝国や科学によって、はたして幸せになったのか?」という問いである。


確かに、狩猟採集時代と、そのすぐ後の農耕社会、はたまた中世などを比べてしまうと、「いや、むしろ不幸になってますけど……?」という気がしてくる。人口が増えても1人1人の健康状態は悪化しているし、労働時間も長くなっているし、奴隷の身分などに生まれてしまったらたまったもんじゃない。しかし、たとえば戦後の社会、狩猟採集時代と「現代」を比べてみると、乳児の死亡率も下がっているし、1人1人に人権があって権利が保障されているし、冬は暖かく夏は涼しい場所で過ごすことができるし、そうそう飢え死になんてしないし、「お、ちょっと幸せになってる!?」って感じがする。しかし、ユヴァル・ノア・ハラリはあくまで、「話はそう単純じゃないっすよ」という姿勢を崩さない。


私たちは、物質的な豊かさが自分たちを幸福にすると信じている。ここ最近は「モノより体験だよね〜〜〜」なんて言説が流行ったりして徐々にその思想も薄れてきている気もするけれど、どっこい、まだまだまだまだ、私たちは物質的な豊かさこそが幸福をもたらすのだと強く強く信じていて、その域から脱出していないと個人的には思う。


ここ数十年、心理学者と生物学者は、「人を真に幸福にするものは何か?」を熱心に研究しているらしい。そして、それについて今のところわかっていることは、人を幸福にするのは「主観的厚生」であるということだ。他と比べて私はお金持ちとか、他と比べて私は頭がいいとか、他と比べて私はモテるとか、そういうことじゃない。ただ自分自身が、「私の人生はなかなか良いもんだ」と思えていればよろしい*3。……主観的厚生とは、どうやらそういうことのようである。


となると、狩猟採集時代と現代の社会に生きる人にそれぞれ、「あなたの人生ってけっこう良いもんだと思いますか?」ってアンケートをとったとして、はたしてYESの回答が多いのはどちらかと考えると、ちょっとわかんないなという気がしてくる。狩猟採集時代の人にアンケートとれないけど。


私たちは、毎日お風呂に入って服を着替えている。それが常識だと思っている。だけど、中世の人はお風呂になんてそうそう入らなかったし、服もあまり着替えなかった。だけど、悪臭なんか気にしなかった。なぜなら、「悪臭」という概念は、近代以降に「発見」されたからである。


だから、毎日お風呂に入って服が着替えられるようになって良かったね! なんて話にはならないのだ。だって昔はそもそもその必要がなかったのだから。


新版 においの歴史―嗅覚と社会的想像力

新版 においの歴史―嗅覚と社会的想像力

※……という話はこの本に書いてある。

まとめ

最終章には、ホモ・サピエンスは今後「超ホモ・サピエンス」になるんだぜ! みたいなことが書いてある。超ホモ・サピエンスとは、遺伝子改良や不死化、AIなどによって、つまりもうSFの世界の住人になっちゃうぜみたいなこと……(たぶん)。そしてその世界では、今価値があるとされているもの──お金や愛、憎しみ、男性と女性といった概念、そのすべてが意味を持たなくなるかもしれない、とユヴァル・ノア・ハラリは語る。


人類は、社会やテクノロジーをたえず進化させてきた。ただ、それは何のためだったのか? ということは、あんまり考えてこなかったのかもしれない。人類は神になれるかもしれないが、自分が何を望んでいるのかわからない神ほど怖ろしいものはない。というコメントで、『サピエンス全史』は終わっている。


以上、素人の要約なので間違っているところがあったらすみません! でも面白かった!

*1:『銃・病原菌・鉄』では人類の誕生は700万年前になっている。たぶん何を「人類」とするかの違い?

*2:宗教的な建造物を作るために定住を選ばざるを得ず、そのために農業が発達した説もあるみたいだけど

*3:となると、SNSなんてやってるとどうしたって人と自分を比べるので、やっぱこのツール全然幸せになれねぇじゃんかと思う