チェコ好きの日記

だいたい木曜日の22時に更新されるブログ

寄稿しました/私を変えようとはしなかった母

Dybe!さんで、「孤独とコミュニケーション」について書いたコラムを公開してもらいました。


ten-navi.com


ここでは、小学校5年生のとき新しいクラスで友達ができなくて、私自身はぜんぜん気にしていなかったんだけど、担任が家庭訪問でそれをうちの母親にチクりやがったため、母親に泣かれた……という思い出話をしているのだけど。


当時も母に対しては「んなことで泣かないでくれよん」と思ったのだけど、私が小学生だったときといえば、今から20年も前のこと。


そのときは今のように「多様性」なんてものに目は向けられていなかったし、「泣かないでくれよん」と言いつつ、母が思い詰めてしまったのも無理はなかったのかなーという気はする。親になったことがないからわからないけど、子供の個性を尊重するというのはなかなか難しくて、なんだかんだ「普通に」成長してほしいと願ってしまうのだろうな。


ただ、思い出話を少し追加すると、確かに母親には泣かれたのだが、母はシクシクと泣きつつも「でもあなたは一人が好きな子なんだからしょうがないね」と言っていたのだよね。「友達作らないとダメなんだ!」と勝手に忖度して行動に移したのは私のほうで、母はあくまで私を変えようとはしなかったのだ。


それは、今振り返るとけっこうありがたいことだったのかなと思う。私は頑固だったので、「子供の個性を尊重してくれた」というよりは、「こいつにはもう何を言っても無駄だから諦めよう」的な雰囲気だった気がするけれど。


そんな母が一度だけ私に「命令」をしたことがあって、それは高校生のとき、進路を決めなければいけないタイミングだった。


うちの母は看護師なのだけど、「あなたは地に足のついた現実的なことを考えるのは苦手だから、医療系には絶対に進むな。患者が不幸になる」と、言われたのであった。


高校生のときの私は、「映画製作の専門学校に進むか、映画批評が学べる大学に進むか」なんてことで悩んでいたので(ご存知かもしれないが結局選択したのは後者だ)、医療系に進むつもりはハナからなく、母の「命令」も「あ、そう」と流してしまっていたんだけど。


ついでに、「あなたは芸術とか哲学とか文学とか、あんまり地に足のついてないことを考えるのが得意だから、そういうのはたいしたお金にならなくて苦労するだろうけど、霞を食ってなんとか生き延びろ」とも言われてしまい、ひどい親だと思ったが、図星だったので、言い返さなかった。


今、だいたい母親が言った通りの人生になっていて、もしかしたらこれだってある種の「親からの呪い」なのかもしれないけれど、なんとなく、私はこの母に育てられて良かったなあと思っているのだった。彼女とは趣味も人間性もおよそ共通点というものがないので特に仲は良くないのだが、「思想が異なる人間とも適度な距離を保てば共生できる」というわりと大切なことを、親子という、もっとも身近な人間関係によって学べた気がする。


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そんなわで、改めて上記の寄稿を読んでいただけると幸いです。


※ちなみに父親は、「俺はお前より俺の人生のほうが大事!」と子供の前で堂々と言い放つような人だったので、私を支配したり変えたりしようなんてことはそもそも頭にない人であった。それを言われた小学生当時は「パパひどい」と傷付いたが、今振り返ると当たり前というか、そう言ってくれてむしろ良かったなあと思っている。