チェコ好きの日記

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世界の果てには何があると思う?

Netflixでやっている『ビハインド・ザ・カーブ』を、見よう見ようと思っているうちに出発の日となってしまい、結局この番組を、旅行中にちまちまと見ている。『ビハインド・ザ・カーブ』は、「地球は実は球体ではなく、平面なのではないか?」と考える人たちのコミュニティを追った、ドキュメンタリー番組だ。

 

ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説- | Netflix (ネットフリックス)

 

地球平面説──個人的にはなかなか面白い説だと思うけど、もしもこの地球が本当に球体ではなく平面だったとしたら、世界の端の端まで行くと、「ごつん」と何かにぶつかったりするんだろうか?

 

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平面である地球も球体である地球も、私はきちんと見たことがない。また、天体を見て計算とかもできないので、とりあえず今は、私は学校で教わった「地球は球体である」とする従来の説を信じることにしている。しかしだとすると、「世界の果て」などというものは、実質的には存在しないことになる。なんといっても地球は球体なのだから、すべての場所は世界の中心であり、同時に世界の果てなのだ。

 


だけど、神に始まり、人間は「実質的には存在しないもの」を頭の中に作り出すことを得意とする生き物である。だから、たとえ地球が球体であっても、「世界の果て」はちゃんと存在させられている。

 


アルゼンチンにある世界最南端の都市、ウシュアイア。人々が普通に暮らす都市としては世界でもっとも南にあるらしいこの町は、南極ツアーの拠点になっていたりもする。まあ、町を上げて「世界の果て」をアピールしているわりには、実際にはビミョーに、より南に、人々が普通に暮らしている場所があるんだけど。ちなみにそれは、チリにあるプエルト・ウィリアムズである。人口的な意味で、「都市」として最南端なのはウシュアイアなのだけど、「町」という単位まで含めて最南端を考えると、プエルト・ウィリアムズになるらしい。まあ、「世界の果て」って、アピールしたもん勝ち、言ったもん勝ちだもんね。ゲンキンだなあ。

 

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fin del mundo、スペイン語で「世界の果て、世界の終わり」。ウシュアイアからプエルト・ウィリアムズに行くツアーもあります。まあ、目と鼻の先ではある。

 

さて、とはいえ「世界の果て」とは、なんだかロマンチックな響きを持つではないか。人々が普通に暮らしている場所としての、最果て。そこには何があって、何がないのか? 「世界の果て」を見てみたいという思いに駆られてこの場所を訪れる私のような旅行者は、だから後を絶たないわけだ。

 


ウシュアイアという都市に、私は3泊ほど滞在した。あるときはバックパックを担いで歩き回り、あるときはタクシーに乗り、あるときは傘を差してやっぱり歩き回った。そうして、世界の果ての風景を、頭の中に刻み込んだ。

 


世界の果てには何があったか? レストランがあり、ホテルがあり、本屋があり、観光案内所があり、スーパーマーケットがあり、博物館があり、カフェではWi-Fiが飛んでいた。つまり、それは来る前からわかっていたことだけど、単純に、人々が普通に暮らしているただの一地方都市だった。村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』みたいに、町が壁に囲まれていて、一角獣がいて、自分の影とお別れしなくてはいけない……なんてことはなかった。まあ、当たり前である。

 

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ウシュアイアが位置するフエゴ島は、ティエラ・デル・フエゴと呼ばれる島々の中のひとつだ。この島を発見したのはかのフェルディナンド・マゼランで、先住民があちこちで焚き火をしていたのを、大地から火が噴き出ていると勘違いした。だから、ティエラ・デル・フエゴ──火の大地、と名付けられたのだという。

 


吹きすさぶ強風と、年中雪に覆われた荒廃した大地。焚き火をしていた先住民は歴史の知る通り、西洋人が持ち込んだ病原菌に感染してもういなくなってしまったけれど、真っ白な大地の中でいくつも燃え上がる炎は、さぞかし怖ろしくて、美しかっただろう。マゼランの見た光景を想像する。

 


透き通るような海が美しいリゾートも、南国の風も、輝くような陽射しも、笑顔を振りまく人々も、私は決して嫌いなわけではないのだ。ただ、私はこの最果ての荒廃した景色のほうに、なぜだかより親しみを感じる。悲しい歴史と、宿命と、身も凍るような寒さと、真っ白な雪の中に灯るオレンジ色の明かり。日の出は遅く、日の入りは早い。太陽の光に恵まれないこの地に、私はなんとも言えない懐かしさを覚える。

 


ウシュアイアはそういうわけで、ただの一地方都市だ。だけど、船で少し海を進むと、この町には灯台がある。世界の果てであることをしめし、人間の住む場所としての終わりを告げるような灯台が。ウォン・カーウァイの映画『ブエノスアイレス』にも登場するこのエクレルール灯台は、ウシュアイアの象徴的な存在でもある。そして、灯台の先にあるのは南極だ。

 

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灯台を見て、私は少し絶望する。こんなに大変な思いをして(って、飛行機とバスに乗ってただけだが)地の果てまで来たというのに、世界にはまだ続きがあるらしい。はるばるウシュアイアまで来ても、その先には南極が続いていて、この世はまだ終わってくれないのだ。どんなにつらいことがあっても、まだ続きがある、明日がある。それはやっぱり、希望というよりは絶望だろう。だけど、厳然たる事実でもある。

 


世界の果ての向こうにあるらしい南極にも、いつか行くことがあるだろうか。行かずに死ぬことになるだろうか。それはまだわからない。果てまで来てもまだ終わらないこの世界に絶望して、私はまた東京にもどり、今日の続きを見なければならない。