チェコ好きの日記

だいたい木曜日の22時に更新されるブログ※9月までお休みします※

「わたしのネット」に寄稿しました/現代における皮肉と冷笑について

「わたしのネット」さんに寄稿した記事が公開されました。最近SNSでよく見る写真の傾向が変わってきたな……というようなことを書いていて、以前このブログで公開した「新海誠化していくこの世界 - チェコ好きの日記」の続編だと思ってもらえると幸いです。記事内でも書いているんだけど、こういうのって定点観測してると絶対に面白いよね。


flets.hikakunet.jp


ちなみに2月に寄稿した記事についてはこちら。この記事で書いた考えは今なお強まってきていて、昨今のネット炎上などを見るに、「共感・賛同はしなくてもいい。でも、冷笑したり揶揄したりしちゃ絶対にダメ」というのが今の私のスタンスです。私自身がすごく皮肉屋だし、人をおちょくるのが大好きというクソみたいな性格の持ち主なのだけど、昨今の状況を見る限り、そんなことも言ってられないなあと。


aniram-czech.hatenablog.com


私は大学院で「(チェコ映画の)ブラックユーモア」について研究していたので、皮肉・冷笑については一家言あります。学生時代に考えたことは、皮肉と冷笑の方向について。あれは、社会的にマイノリティである・被支配層である人々が、マジョリティや支配層に対して使うときに有効な手です。チェコでは、スターリンによる社会主義体制が敷かれていた頃、亡命せずに自国に留まった作家やアニメーターが皮肉や冷笑によって権力を批判していた。私はそういう、ブラックな笑いの持つ強さや負けん気に、すごく勇気付けられたんです。だからこの時代のチェコ映画のことが本当に大好き。「俺たちは支配されているが魂まで売ったわけじゃない」みたいな、そういうのを笑いで表現することは、知性がなければできないことだとも思う。


でも、たとえばシャルリー・エブドなんかのように、皮肉や冷笑といった手段をマイノリティや社会的弱者に対して使うとどうなるか? それはただのいじめというか嫌がらせなので、私の考える「ユーモア」は損なわれてしまいます。方向性を間違えると一気に「それ、面白くねえから」ってことになってしまう。


ところが今難しいのは、「誰もが自分をマイノリティ・社会的弱者だと思っている」という点でしょうか。私自身も、女性だわ社会的地位はないわで、自分のことをどちらかというと「弱者」だと思っている。でも、では過酷な労働を強いられている男性は、身体・精神障害者は、家事と仕事の両立で悩むワーキングマザーは、家庭でモラハラっぽいことをされている専業主婦は……と考えていくと、みんなそれぞれ苦しかったり悲しかったりで、他の人のことがずるく見えてしまうんだよね。強者と弱者が入り乱れているというか、SNSの影響力も相まって、「誰がマジョリティで、誰がマイノリティなのか?」というのを簡単には決められない時代になっていると感じます。私も、マイノリティであり、でもどこかでマジョリティであるという自覚を持たなければならない。私はブラックユーモアの持つある種の負けん気のようなパワーを信じているのだけど、こういう時代において、はたしてブラックユーモアの力を有効に使えるだろうか? というとなかなか難しい局面にあると思います。


そんなことを考えつつ、このあたりのことはまたもう少し考えを発展させてブログに書くかも。

あ、来週は
「あの頃は本当に楽しかった」と語るパタゴニア原住民のこと(前編) - チェコ好きの日記」の後編を書く予定です。


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