チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

週休3日で働く/文化系トークラジオLifeに出演しました

だいぶ事後報告ですが、6月の「文化系トークラジオLife」に出演していました。以下のリンクから聴くことができます。テーマは「3日目の休日、何をしようか?」。

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ちょくちょく申し上げているように、私は2016年からずっと週休3日制の働き方をしております。会社で週4働き、1日を文筆業の仕事のために使っているので、実質週5で働いているってことでは? って気もするのですが、6年続けているだけあって、この働き方は私自身にとても合っているようです。


学生時代、私は「働きたくなかったから」を動機に文系大学院に進学(入院)するという世の中をナメきったアホだったわけですが、なぜ働きたくなかったのかというと、当時の私は「働く=週5で会社に行く」ことだと思っていたからだな、と今ならわかります。


まさか世界がコロナウィルスによって一変するなんて思わなかったし、「週5で会社に行く」以外の選択肢を与えてくれる企業と出会えるとも思っていなかった。でも、もしも週4や週3でいいなら、あるいは電車に乗って会社に出勤しなくてもいいなら、私はむしろ「企業(組織)に所属して一定の収入を確保しつつ働く」のが性に合ってる人間なのだと、35歳になった現在ではわかるようになりました。なぜならコミュ障だからです。フリーランスとして、自分で人脈を開拓しつつ、毎月新しい人と顔を合わせるような生活は私には無理。さらに言えば、毎月収入に大きな変動があるとか、いつ収入が断たれるともわからない状況で働くのも無理。でもコラムやブログの文章を書く仕事は好きだし、会社以外の場での(広義の)仕事仲間もちょっとは欲しい。ということで、わりとわがまま放題を言っているなと思うのですが、地頭が悪い上にたいした才覚はなくとも、地道に探っていればこんな世界線にたどり着けるという一例だと考えてもらえればいいなと思ったりしています。


というか、週4〜3でいいなら、私はむしろどこかの組織に所属していたい(=適度に距離が保たれた人間関係を継続的に持っていたい)人間なので、今の働き方をあと20年くらい続けて、50代後半くらいからは週2で会社勤務とかにして、書き物の仕事も細々とずっと続けて、そのまま75歳くらいまでずっと働きたい、とか思っています。もちろん何が起きるかわからないのが人生なので今はあくまでそう「思っている」だけですが、こうして考えると私はけっこう「会社組織で働く」のが好きなようです。学生時代の自分が聞いたらびっくりするだろうな。でも付き合い方の濃度を変えるだけで「絶対やだ、大嫌い」と思っていたものが「むしろけっこう好き」になるのだから、本当に、選択肢は多様であるべきだと思います。すべての人にとって。


「働く=週5で会社に行く」だと思っていて、それを苦痛に感じている人も、「働く=週4決まった時間に自宅PCの前に座る」だったりとか、「働く=週32時間好きなように時間を使って作業する」になったら、それほど苦痛ではなくなったりするかもしれない。むしろ、働くことが楽しくなったり、人生が充実し始めるかもしれない。私はたいしたことはしゃべっていませんが、このラジオを聴いてくださった方が、そんなことを考えてくれたらいいなと思います。


AMの連載でとり上げた本のまとめ(No.51〜60)おすすめ優先度付き

AMの連載で公開したものが溜まってきたので、まとめです。時期としては2020年7月〜11月に書いたやつでした。

以下は過去のぶん。
aniram-czech.hatenablog.com

第51回 「なんとしてでもお金を手に入れて欲しい」と100年前にヴァージニア・ウルフは熱っぽく語った

おすすめ優先度 ★★★★☆

生々しい話になるけれど、実は私が結婚願望を完全に手放せたのは、「とりあえず何があっても自分のスキルと人脈で一生食うには困らない(はず)」と自分の経済力をほぼほぼ確信できた2018年頃だった。まあ経済力といってもたいしたことはない、私はたまの海外旅行以外はほとんどお金を使わない人間なので……。「私はお金のために夫と結婚した」なんて堂々と言う人はなかなかいないだろうし、それがいちばんの理由なんかではないことが大半だろうけど、では今の世で「もし離婚したとしても経済的にはまったく困らない」と言える女性がどれくらいいるだろうか? とはたまに考える。結婚とお金、火を吹きそうなテーマなのであまり言及したくないけど、もう少し突っ込んでみたいところではある。

第52回 外に出られないので「食」と「住」に凝る!さらに歴史も楽しめるおすすめ本5冊

おすすめ優先度 ★★★☆☆

他、
『流れがわかる! デンマーク家具のデザイン史(多田羅景太・誠文堂新光社)』
『世界史を大きく動かした植物(稲垣栄洋・PHP研究所)』
『くさいはうまい(小泉武夫角川ソフィア文庫)』
『ひと皿の記憶(四方田犬彦ちくま文庫)』

これはメインで紹介した澁澤龍彦の本以外に、北欧家具の本、植物の本、発酵の本、食べ物の本をまとめて取り上げた回。まだまだ続くコロナ禍のなかで「衣」の重要度は私の中で落ちる一方だけど、相変わらず「食」と「住」は関心を持ち続けている。でも「食」は、料理が好きじゃないので、自分の手をどうこう動かすよりは「いい醤油を使う」「いい味噌を使う」「いい味醂を使う」などの発酵テクノロジーに完全に依存している。

第53回 他者の目なんて気にする必要ないけれど、他者の目を通すとちょっとだけ新鮮。ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』

おすすめ優先度 ★★★☆☆

AMのほうには書かなかったけど、『あなたを選んでくれるもの』で一個だけどうしても受け入れられなかった記述があって、このミランダ・ジュライという人は子供を持つことにこだわりを持ちすぎているんだよな……もちろん他人にそれを押し付けるのではなく個人でこだわるぶんには第三者は文句を言えないんだけど、ミランダ・ジュライは映画監督であり作家なのだから、ラストでどうにかそれを昇華して欲しかったなあと、個人的には思いました。そこがいいっていう人もいるんだろうけどね。

第54回 常に体調が悪い、やる気はない、他人に邪魔をされて頭はぼんやり…クリエイティブな女性著名人たちもみんな同じだった

おすすめ優先度 ★★★★★

これはAMですごくたくさん読んでもらえたらしい回。体調が良くてやる気が漲っている日のほうが珍しいのはまあみんなそうだと思うので、なんとかしたいですよね。村上春樹の文章は気に入らなくても、村上春樹の執筆スタイル(早起き+ジョギング+ボウルいっぱいのサラダを食べる+たっぷり執筆+夜更かしせずに早く寝るetc)は「すげえ」と認めざるを得ないって人はけっこういるのではないか。ちなみに私は湿度が高いとすべてのやる気を失う人間なので、今年、除湿機を買って本当に良かったな〜と思っている。

第55回 「こんなこと思ったらダメなんじゃ」と本音をごまかす。フェルナンド・ペソアの詩を読もう

おすすめ優先度 ★★★★☆

ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアは、今だったらTwitterで裏垢を作りまくって「なりきりポエム」を書きまくっていたんじゃないか……なんて話があるけど、「なりきりポエム」ってなかなか大変なんだよね。自分以外の誰かの生活や心情を想像するってけっこう難しいのですごい。一昔前に流行っていた「キラキラアカウント」の中の人も、イケてるレストランやらナイトプールやらを調べたり、またはお値段が高そうに見えるよう工夫して写真を撮ったり、真面目にやったらあれは大変ですよ。でも、そういう「自分ではない誰か」だからこそ言える本音もあるんだろうな。ちなみに今の私には同人オタク用の裏垢があり正直「チェコ好き」よりアクティブにツイートしているけど、これは「なりきり」じゃないからね〜。

第56回 3人の子供を立派に育てたマダムの本当の姿が暴かれる。「守るべき人」を持つ人に贈るホラー小説

おすすめ優先度 ★★★★★

これもAMでたくさん読んでもらえたらしい回。けっこう意地悪な話だけど、この小説は私も大好きだ。

嬉しかったのは、子育てがほぼほぼ終了したアラフィフくらいの方から「わかる!」とか「読んでみたい!」などの感想をいただいたこと。自分自身の属性ゆえ私が書く内容はどうしてもアラサーからアラフォーの独身女性向けの内容になってしまいがちだけど、この年になってくると独身の女性もなかなかいないので、読んでくれる層をもっと広げられたらいいな〜と常に思っているのだ。特定の属性の人に刺さるものではなくて、性別も年齢も属性も超えて届く、普遍性のあるものを今まで以上に書けるようになりたいな。

第57回 2020年、パッとしなかった…閉塞感に苛まれたときに読みたい『蜘蛛女のキス』

おすすめ優先度 ★★★★☆

『蜘蛛女のキス』はほぼ全編がセリフで書かれている(地の文がない)変わった小説。セリフだけな上、舞台が監獄の中からほとんど移らないし、登場人物2人の会話だけで進んでいく。だけど物語はとてもダイナミックで、これだけ制約だらけなのによくこんな物語が紡げるなと思う。こじつけかもしれないけど、今の生活から広がりを感じられない人、窮屈な思いをしている人が読んだら救われるのではないか(私は救われた)。

第58回 元カノのSNSをチェックして嫉妬する自分が嫌…でも巨匠・ゴダールの妻も同じだった

おすすめ優先度 ★★★★☆

アンナ・カリーナアンヌ・ヴィアゼムスキー、アンヌ=マリー・ミエヴィル、ゴダールの奥さんはいつだって誰だってなんか鮮烈である。『女は女である』のアンナ・カリーナは眩しすぎるけど、その後妻となったアンヌ・ヴィアゼムスキーははたしてどんな日々をゴダールと過ごしたのか、それが彼女のこの手記でわかる。由緒正しい貴族のお嬢様が世紀の映画監督と恋愛したらどんなロマンチックな物語になるのかと思いきや、この手記に書かれているのは陳腐でありふれた物語だったから、余計にぐっときてしまった。個人的には『中国女』のヴィアゼムスキーがすごく好き。

第59回 「めちゃくちゃに犯されたい」淫らな欲望を“ポリコレ違反”で切り捨てていいのか

おすすめ優先度 ★★★☆☆

この本は、女子学生向けに「みなさんわかりましたか? 男はこうやって誘うんですよ」って感じで書かれているので、ひと昔前ならユーモアとして受け止められただろうけど、今の世だと「何が『みなさんわかりましたか?』だコラ」と各所から怒られそうである。私もそういう書きっぷりはあまり好きじゃないが、とはいえ内容は面白い。別に無理やり実生活に生かさなくても、「世の中にはいろいろな変態がいていろいろな性癖を持っていていろいろな文学が生まれているんだな〜」となるだけでいいので、読んでみてほしい。

第60回 なぜ「婚姻届」を提出するのか?「なんかそういうことになっている」を考えさせた出来事

おすすめ優先度 ★★★★☆

多和田葉子さんのこの本、去年金沢21世紀博物館に行って、例のプールを見るために行列に並びながら読んだな……捉えどころがなく、ふわふわしている小説。しかし、ふわふわしているのに重量がある。私たちは「これ」が普通だと思っているけど、普通と異常は簡単にひっくり返るし、実は境界線は曖昧だということを教えてくれる。

最後にわたしの本も宣伝

出版してから実はもう2年が経ってしまいました。コロナ的な意味で世の中の状況はこの本を出した頃と比べると様変わりしてしまったし、私自身もいろいろと考えていることや実践していることがあるので、そろそろ「本のまとめ」以外のブログを書きたいですね。

2021年上半期に読んで面白かった本ベスト10

すごく遅くなりましたが恒例のやつです。今年の上半期に私が読んだ本の中で、面白かった本10冊のまとめ。まじで、だいぶ遅くなってしまった……「今年の上半期に出た本」ではなく、あくまで「私が読んだ本」の中で順位を決めています。

ちなみに2020年末のやつはこちら
aniram-czech.hatenablog.com

10位『八月の光ウィリアム・フォークナー

フォークナー、今の時代にすごく必要なメッセージが書かれているような気がするのでちょくちょく読んでいるんだけど、読みやすい小説ではないのでそんなにハマりきれていない自分がいる。今まで手にとった中でいちばん読みやすかったのはフォークナー本人が「金のために書いた」と言っている『サンクチュアリ』かな。笑 

八月の光』の主人公は、白人と黒人の混血児であるジョー・クリスマスである。自分は白人なのか、黒人なのか、どちらにも属せないでいる主人公の苦悩と悲劇。個人的には、ラストがリーナ・グローブの旅で終わるところが好きだ。

9位『最後の瞬間のすごく大きな変化』グレイス・ペイリー

グレイス・ペイリーの小説は初めて読んだ。翻訳は村上春樹。これまた読みやすくはない小説で、「これは皮肉のつもりで言ってるの? どういう意味なの?」みたいなセリフがけっこうあるので考えながら、ページを進める必要がある。

短編集『最後の瞬間のすごく大きな変化』で私がいちばん好きな話は、連載しているAMでも書いたけど『ノースイースト・プレイグラウンド』。11人のシングルマザーが登場する話だ。シングルマザー同士の対立や、「あなたたちの支援がしたい」と言いながらトンチンカンな提案をしてくる部外者など、本当に皮肉の塊のような意地悪な小説で、読後にほっこりしてしまう。

8位『マイトレイ/軽蔑』ミルチャ・エリアーデ,アルべルト・モラヴィア

個人的に、好きだったのはモラヴィアの『軽蔑』のほう。だいぶ前にゴダールがこれを映画化したやつを観ているはずなんだけど、全然内容を覚えていない!

私はたぶん「正しい選択なんてわからない、第三者が後付けであれこれ言うことはいくらでもできるが、そのとき自分が持っている情報のなかでより最適そうな回答を導き出すこと以外にできることはない」みたいな話がすごく好きなんだと思う。ラストシーンのおぞましいほどの美しさは、今回の10冊のなかでトップだと思っている。

7位『打ちのめされるようなすごい本』米原万里

これを読むと読みたい本リストが延々と増えていく感じの読書本なのかな〜と思い軽い気持ちで読み始めてみたら、確かに読書本の側面はあれど、晩年の米原万里がいかに癌と闘ったかという闘病記だった。そのため、文学やノンフィクション以外に、いかがわしいものも含めた癌関係の本がけっこう紹介されている。

米原万里といえど、自分の命が危うくなれば疑似科学に救いを求めてしまう。その様子にはとてもリアリティがある。しかし最後の最後で、自分の体を差し出してまで救いを求めた先の疑似科学に目が覚め、「間違っている」と告げるのは、やはり米原万里という人の強さなんだろうなと。高いお金を払って時間も自分の命も投資した疑似科学を最後の最後まで信じてしまう人はたくさんいるだろうし、私自身も病に侵されたら、そうならないとは限らない。

6位『雪を待つ』ラシャムジャ

チベットが舞台の小説。詳しい感想はnoteに書いた。個人的には「古き良き共同体を懐古する」みたいな感覚をほとんど持たない人間なんだけど、それはそれとして、主人公が山頂から自分たちの住んでいた村を眺める少年時代のラストシーンは素晴らしい。

マイ・ロスト・シティー』でスコット・フィッツジェラルドエンパイアステートビルにのぼってニューヨークの街を見下ろすシーンが好きなんだけど、「自分の住んでいた世界は、こんなちっぽけなものだったんだ」ってなる展開がたぶんツボなんだろうな。

5位『信号手』チャールズ・ディケンズ

こちらは青空文庫で読んだ短編。これが面白かったので、「世界怪談名作集」にあるものを以来、ちまちまと読んでいる。

「お〜い、下にいる人!」と列車の信号手に声をかけるところから始まって、あれ、なんかおかしいな……? と気づくホラー短編なんだけど、「ギャー!」って感じのホラーではなくて、じわじわ薄気味悪くて最高。加えて、ディケンズの命日に関するエピソードを合わせて読むと薄気味悪さ5割増しでなおいい感じです。

4位『パチンコ』ミン・ジン・リー

AMでも感想を書いたやつ。勢いのある娯楽小説(と私は思う)で、ほとんど寝ずに読んだのですぐに読み終わってしまった。在日韓国人の問題、女性差別の問題、障害者差別の問題など様々な視点から考えることができるけど、私が好きだったのは上巻p64にあった、以下のセリフ。弱さや邪悪さというのは、強者になったときに現れてくるものだ。

「本物の悪人がどういうやつか知りたいか。平凡な男をつかまえて、本人も夢見たことがないほどの成功を与えてやるだけでいい。どんなことでもできる立場になったとき、その人間の本性が現れる」

3位『ダークツーリズム入門 日本と世界の「負の遺産」を巡礼する旅』

全然旅行に行ける気配がないので、こういう本を読んで気を紛らわせている。もう少し落ち着いたら国内旅行には行ってみようかなあ。ベタに軍艦島は行ってみたいと思っている。いつか行きたいのは、ブルガリア共産党ホール!

知っているところから知らないところも、「早くここに行きたい」が無限に溜まっていく旅行ガイド。

2位『完全版 池澤夏樹の世界文学リミックス』

池澤夏樹の世界文学全集を毎年1〜2冊くらいのペースで読み進めていて、まあ毎年1〜2冊なのでいつになったら完全制覇できるんだ!? という感じではあるのだけど、いつかは完全制覇するつもりで読んでいる。これは一足先に、その文学全集の全体像をつかもうと読んでみたやつ。知っている小説もほとんど知らなかった小説もあり、読みたい本リストに本が溜まっていくし、あと私は池澤夏樹の書評がやっぱり好きなんだなと気付かされる。

実際にこの中から手にとって読んでみたのはジョン・アップダイクの『走れウサギ (上) (白水Uブックス (64))』とか。女性的な観点で考えるとひどい小説なんだけど、私はアメリカ文学における「逃亡」ってどうしても魅力的に思ってしまうんだよな。

1位『失われた宗教を生きる人々』ジェラード・ラッセ

ずっと読みたい本リストの中に入れっぱなしだったのを、やっと今期になって読んだ本。失われゆく中東の宗教について取材した一冊なんですが、本当に失われつつある宗教っぽいので、10年後に信者の方が生きているのか不明です。

今もアフガニスタンが不穏な中等だけど、まずは、「中東=イスラム教」という認識を覆してくれる。レタスを食べるのをなぜか禁じているヤズィード教徒とか、イスラム教の宗派のひとつ? なのに輪廻転生を信じているドゥルーズ派とか、ゾロアスター教とか。それらはイスラム教よりキリスト教よりずっと歴史が古くて、特に「握手」の習慣はこれらの失われゆく宗教がキリスト教に与えた影響ではないか、みたいな仮説は面白かった。

そして、政情的に不安定な地域に住んでいるこれらの宗教の信者の方はしばしば他国に亡命するわけだけど、他国では自国での宗教を信じ続けることが難しかったり。特に結婚相手に制約がある宗教だと、亡命した途端に未婚のまま詰んでしまったり。やっぱり「宗教」と「土地」ってすごく密接な関係にあるんじゃないかと思わせてくれる本で、2021年上半期に読んでいちばん興味深かった一冊として、私はこれを推したい。

流水りんこさんのマンガを(ほぼ)全作読んだので推しの5作品を決める

相変わらず旅行に行けない日々である。いや、旅行に行けないのは百歩譲って我慢するけど、最近の私のいちばんの落ち込みはセルゲイ・ポルーニンの公演チケットとっていたのに中止になったこと。セルゲイくんの生跳躍見たかったな〜。

まだコロナとどう付き合っていけばいいのかわからなかった1年前は、「旅行のエッセイやマンガを読むと行けないことが悲しくなるから」という理由で、旅行関係の本は一切開かず、発酵食品の本とか北欧家具の本とかをちまちま読んでいた。それはそれで楽しかったのだけど、最近は悲しいのをどうにか乗り越え、またエッセイやマンガで旅行成分を摂取できるまで、メンタルが回復してきた。


そしてその回復を手伝ってくれたのが、私の場合は、練馬区在住・旦那さんがインド人のカレー屋であるという流水りんこさんの作品だった。疲れているときってあんまりカロリーを消費するマンガを読めなかったりすると思うんだけど、流水りんこさんの作品はいい意味で体力使わずに読める、つまりマンガ界のおかゆなのである。松坂牛ステーキ的大作もいいけど、体力ないときはおかゆに限るでしょう。というわけで、昨年末から今年初めくらいにかけて、けっこうメンタル疲れていたらしい私は流水りんこさんの作品をほぼ全作読んでしまったのであった。

人におすすめのマンガを聞くとたいてい大作を答えられてしまうというか、答えるほうとしてもついサービス精神で、読み応えのあるものを! っていうセレクトになっちゃうと思うんだよね。でも、体力ないときに大作を勧められても読めないわけ。今年完結した『大奥』とか『進撃の巨人』とか、ああいうのばっかりが読みたいんじゃないわけ(好きだけど)。


そして、「おかゆ」的マンガは世の中にたくさんあるはずなのに、情報としてはほとんどまとまっていない。それがサービス精神ゆえなのか、見栄なのかはわからない。しかし、人は、いついかなるときも松坂牛を求めているわけではないの。求む、おかゆ。求む、おかゆ情報! というわけで以下は、そんな私が厳選した流水りんこさんの推し5作品である。

推し5位『流水りんこアーユルヴェーダはすごいぞ〜!』

私が初めて読んだ流水りんこさんのマンガ。なぜ手にとったかというと、そのとき眼精疲労がひどかったので、頭に油垂らせば治るかもしれないと思ったから……つまり、シロダーラというのがやってみたかったんである。

ただいろいろ調べた結果、日本で頭に油垂らしてもあんまり意味がなさそうという結論に達した。でも、いつか観光も兼ねてスリランカかインドに行き、現地のやり方で頭に油を垂らすのは楽しそう。そういうわけで、スリランカかインドでアーユルヴェーダ治療を受けた人の体験記みたいなのを読もうと思ったのだった*1

このマンガでは流水さんが、旦那さんの実家がある南インド方面の治療病院に行き滞在、そこでどんな治療を受けたかが描かれている。これ1冊でアーユルヴェーダの体系的な知識が得られるとかではもちろんないんだけど、植物園に行きボケ〜と植物見ているときのような面白さがある。まあ、なんといっても「おかゆ」なので!

推し4位『恐怖体験〜霊能者は語る〜』

エッセイマンガを描いている人として認識されることが多いであろう流水りんこさんであるが、もとはホラーマンガ家であり、著作には心霊・オカルト・都市伝説などに関わるものも少なくない。というか、流水さんの作品の魅力は、インド・旅行・オカルト・心霊・育児・家族といった雑多なジャンルが混交し、相乗効果でそれぞれに厚みが出ているところだと思っている。

こちらは流水"凜子"名義の初期の作品集で、タイトルのとおりホラー系の話題を集めたマンガ。ただ、むやみやたらに怖がらせるって感じではなく、日常の隅に潜んでいる影の存在にそっと気づかせてくれるような……というほど柔でもないんだけど、ようは、あまり後味の悪くない怪談である。 収録されているのは「桜の木の下で」「夢を告げる者」「真夜中の訪問者」「恐怖夜話」「母達の恐怖体験」の5つの話。私がいちばん好きなのは流水さん自身の体験が描かれている「夢を告げる者」で、夢のお告げによりインド旅行が妨げられたというエピソードが描かれている。

あとは旅行好きで海外に知人がたくさんいる流水さんなので、チベット人のおばあちゃんに聞いた恐怖体験とかもあるんだけどこれもすごくいい。インドへ亡命したときの難民キャンプで遭遇した亡霊(?)の話なんだけど、「世界難民キャンプ怪談集」とかあったら私はソッコーで買うだろう。

推し3位『オカルト万華鏡』(全5巻)

流水さんが「その道」の専門家にインタビューを繰り返し、「その道」についての考察を繰り返すエッセイ集。「その道」とは、パワーストーン、予知夢、生まれかわり、生霊、チャクラ、インド占星術、オーラ、コックリさん、UMA、タロット、などなどなど多岐にわたりまくる。

流水さんのスタンスとしては、それらをがっつり信じているわけでは毛頭なく、批判的な目線も同時に持っているし、一種の「ギャグ」として楽しんでいるようなところもある。ただもちろん全否定はしない。まあ、雑誌「ムー」が好きな人はこのエッセイも楽しめるはず、という感じ。

第1巻1話目のパワーストーンにまつわる話がなかでも私は好きで、実は流水さんは石マニアなのである。パワーストーンのご利益が好きなのではなくて、純粋に綺麗な石が好きな鉱物マニア。で、石マニアだからこそ出てくるこういう「鉄由来と銅由来の鉱物の効能が一緒なのが納得いかない」みたいなツッコミが私は好き。笑 


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推し2位『インド夫婦茶碗』(全24巻〜続)

ランキングという形式にしてしまったゆえに紹介が遅れてしまったが、推しも推されぬ流水りんこさんの代表作である。インド人のサッシーさんとの結婚から、長男・長女の出産、そしてその育児体験を綴ったエッセイマンガだ。

世に育児エッセイは星の数ほどあるけれど、『インド夫婦茶碗』がすごいのはまず、その長さだと思う。結婚・出産から子供が小学校に上がる前後くらいまでが描かれたエッセイはたくさんあるが、長男が大学院生・長女がイギリスに留学しているところまで、というかその後もまだ続いている育児(もう「児」じゃないが)エッセイってあまりないのでは? 

「エッセイ」は、諸刃の剣だ。誰かのあけっぴろげな話を聞くことは面白いし、いつの時代でも一定の需要がある。だけどエッセイは、書き手と、またエッセイの中で描かれる、家族や恋人や友人を傷つけかねない凶器となることもある。『インド夫婦茶碗』で私がいちばん感動したのは、長男長女が中学生になったくらいで、流水りんこさんが「もうあなたたちのことを描くのはやめるよ」と宣言するところ(18巻)。まあなんだかんだその後も子供たちは登場はするんだけど、19巻以降は「夫婦」と「自分の老い」がメインテーマになっていく。私は長男長女が小さかった頃のドタバタも楽しんで読んだんだけど、やっぱりこの「子育てのその後編」が描かれている19巻以降、そして休筆期間を経て復活した『インド夫婦茶碗 おかわり!』が好き。『おかわり!』は、流水りんこさんがイギリスのロックスターに会いに行く旅について描かれており、もはやインドも夫婦も子育ても関係ない。でもそれがいい! 

で、『インド夫婦茶碗』がいかに名作かということについてあと1万字かけて語れますけど……って感じなんだけど、私、独身34歳なんだよね。他の夫婦・育児エッセイだと、フツーに疎外感を覚えてしまうので、こんなに楽しくは読めないわけ。それを読ませてしまうのは、ひとつは流水さんの人柄にあるんだろう。流水さんはおそらく、妻となって母となったあとも、マンガ家でありバックパッカーであり石マニアである自分を、すごく大切にしている。だから独身の私も、疎外感なく読ませられてしまう。ギャグマンガだし、ドタバタエッセイの体をとっているけれど、私はこの作品を「人間はいかに年齢を重ねるべきか」という問いに対する、真摯な考察だと思うのだ(てなことを、あと1万字は書ける)。

推し1位『インドな日々』(全4巻)

そして、『インド夫婦茶碗』を凌ぐ個人的トップが『インドな日々』である。

冒頭で触れたように、流水りんこさんの作品は本当に、いつもいつも読み口が軽い。疲れているときでも、元気がないときでも、あんまり頭使いたくないときでも読める。でも、1話1話はそうでも、重なると実はとてもハードな問いに挑んでいる。そしてこの『インドな日々』はその極地というか、「軽い読み口」と「ハードな問い」が並存している、すごく不思議なエッセイマンガだ。

語られるのは、主にインドでバックパッカーをしていた頃の流水さんの体験である。あくまで軽いギャグマンガのテイストなので、熱が37〜38度あって何もしたくないけど寝れないので脳が暇! みたいな人にも躊躇なく勧められる。読んでるうちにふわ〜としてきて寝れるかも。でも、翌朝起きて元気になったときに、ふと「あ、昨日読んだのすごいマンガだったんだ」と初めて気付く、みたいな。

好きなエピソードはありすぎて選べない。インドの自然、文化、政治、ヒンドゥー教、動物……まるで本当に旅をしているときのように、それらにそっと触れることができる。ひとり旅の楽しさも、自由も、孤独も、不安も、その麻薬的な魅力も描かれている。決して清潔とはいえないインドの安宿になぜわざわざ大変な思いをしてまで泊まりに行くのか!?ーー自由が欲しいからだ、という。

でも、こんな深淵なテーマに迫っているのに、体裁は軽いギャグマンガなんだから本当に不思議だ。笑っているのに、いつの間にか泣いてもいる。これを読んで私も、いつかインドに行きたいと強く思った。しかし、今は行けないので、仕方なくスパイスを集めてカレーを作っている! 

まとめ ランキング外

というわけで1〜5位について語ってきたが、ここからは「すごく好きだけど『インド夫婦茶碗』とキャラ被るからやめよう」みたいな感じで入れなかったやつ。

ひとつは、『働く!! インド人』。流水りんこさんの夫・サッシーさんが自分のカレー屋を持つまでのエピソードが綴られている。面白いのは、インド人の就職事情(?)。サッシーさんのキャリアのスタートは、サウジアラビアでの縫製の仕事である。サウジアラビアで縫製の仕事をしていたのが、日本でカレー屋をやることになるんだから、キャリアって不思議だよな……。

流水さんは動物好きで、庭いじり好きである。『インド夫婦茶碗』に出てくるカメの兄弟たちのエピソードも好きなんだけど、これはコキボウシインコのスノークくんについて描かれたエッセイ。スノークくんは今は亡くなってしまったそうですが、鳥と仲良くしている感じを読むのが好き。

もしこの先の人生で入院とかすることがあったら、ずっと流水さんのマンガを読んでいようと思います。以上、おわり。

*1:医療機関で行わない「治療」を私はあまり信用していないんだけど、インドではアーユルヴェーダ医師の資格は国家資格らしいので、いわゆる民間療法などとは違うと考えている。というか、インドでは西洋医学アーユルヴェーダがどう併存? しているのかが気になる

ダサいことでも、続けるとスタイルになる

週刊はてなブログに「ブログを書き続けるコツ」について書いたものを寄稿しましたというお知らせです。プロブロガーブームあったよね〜! という思い出話とか。昔あのあたりの界隈にいた方々、今はみんなYouTubeやってるのかなー。


blog.hatenablog.com


あんまり年寄りくさいことを言うのもアレなのでほどほどにしておくけど、ブログ開設当時25歳だった私は、もう34歳になってしまいました。この9年間で世の中も自分自身も、本当に変わったよなあと思います。


いや、私自身はそんなに変わってないんだけどやっぱり世の中が変わったかな。私はかなり図々しい上にお調子者なので「あーら! やっと世の中が私に追いついたのね、おほほほほ」と思うシーンが年々増えているんだけど、これは単に私が年食って鈍感になっただけかもしれないので、なんか変なこと言ってるなと思ったらいつでも容赦なく燃やしてくださいませ。でもまあ、これは愚痴だけど、25〜27歳のときはちょっとフェミニズムっぽいことを言うと「僻んでる」とか「だからお前はモテないんだ」とかネットでもリアルでもたくさん言われたもんだけど(お前が私の何を知ってんだよ)、今はぜんぜんそういうこと言われないのでやっぱり比較的ラクになったなとは感じます。比較的、だけど。「既婚=成熟、未婚=未熟って考え方は違うと思う。結婚していることと本人の資質はあまり関係ないと思う」みたいなこと27歳(2014年)くらいのときに言ったらポカーンとされたり冷笑されたりしたけど、今はふつうに受け入れてもらえるもんな。「やったー、よかったよかった」と思う気持ちと、「だから言ったじゃん」という気持ちと、「あのとき冷笑したやつの顔を私は忘れてないからな」という気持ちとがある。

もちろんいいことばかりではなく、今の世には今の世なりの問題があり、それについて考え悩む機会は昔よりもだいぶ増えました。25〜27歳くらいのときは、なんだかんだで自分の半径3mくらいのことしか見えてなかったなーと思う。今だって別にそんなに誇れるほど視野が広いわけではないんだけど、少なくとも昔の自分よりは、「社会」や「世界」や「未来」を見ている気がします。まあ年食ったんだから当然だけど。

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ボツになった本棚写真 

ダサいことでも、続けるとスタイルになる

「最初の動機はダサくてもいいんじゃないか」と寄稿した本文でも書いているんですが、ダサいっていうか、意味のない逆張りはしないほうがいいけど、本当に強い自分の主張がそこにあるのなら、逆風が吹いてもバカにされてもやっぱり書いておいたほうがいいんだなと34歳になって改めて思います。というか、「強い自分の主張がある」って、そんなに誰にでも訪れる状況ではないみたい。「まわりにバカにされてでも言いたいことがある、やりたいことがある」って、考えようによってはとてもとても幸福なことなのだろうと思います。まあ世の中の大半の人にとってはノーセンキューな幸福だろうけど、私はそういう意味ではすごく幸せ者だ。


しかし世の中がこうなってくると、欲が出てきて「お前は間違ってないからもっとドーンと行け! オブラートに包むな! ドッカーンと書いたれ!」とかも思います、このへんのブログを読むと。昔のブログを読み返すと、「言いたいことはあるんだろうが弱腰だな! ちょっと怯んだなこいつ!」みたいなのが透けて見えるので、我ながら楽しいです。こういう振り返りができるのが、やっぱりブログのいちばん素敵なところなんじゃないかな。


最初の動機も書く内容も主張そのものも、ダサくてもカッコ悪くてもいいんだろうなと思います。というか、ダサいことを書いて半年で辞めちゃったら本当にただダサいけど、ダサいことでも10年続けるともうダサさを超えてしまう気がする。あとは、世の中って本当に変わるので、ダサいとダサいとバカにされていたことこそが10年後のスタンダードになることだってあるわけです。私も散々な9年間だったけど、「でも、まだ書いてる」という今によって、それらのダサさが全部チャラになってる気はするんですよね。「いやチャラになってないよ、今もお前ぜんぜん現役でダサいよ!」って思ってる人もいるだろうけど、まあ、あくまで私の中での話。今現役でダサいのも、あともう10年、また続けたらチャラになるかなーとか。というわけで、タイトルの「スタイルになる」はちょっとカッコつけましたすみません。正しくは「チャラになる」です。あとは、私もなんだけど、昔バカにされてたのがスタンダードになると「それ見たことか!」精神が働いて他者排除に向かうことがあるので、それはまあ気をつけたほうがいいと思います。


たくさん文章を書いてきてよかった。たくさん考えてきてよかった。「私がこういう私でよかった」と思えるのもまた、9年間ブログを続けたご褒美なのかもしれません。