2008年、私が大学4年生のとき。
ヤン・シュヴァンクマイエルという、マニアックな映画監督を卒業論文で研究するため、
私はチェコに文献さがしの旅に出ます。
前編はこちら→プラハとウィーン(前編) - (チェコ好き)の日記
★★★
プラハをぐるっと1周した翌日、私は監督であるヤン・シュヴァンクマイエルの自宅兼アトリエを訪ねます。
運がいいと、不機嫌そうな顔をしながら犬の散歩をしている監督に、近くで会えたりするらしいのですが、
残念ながら、私は監督には会えませんでした……(泣)
シュヴァンクマイエルのアトリエは、プラハの中心地からトラム(※路面電車)で向かいます。
このトラム、乗り方が少しわかりにくいので、逆方向に乗ったりしないように注意が必要です。経験談。
そして着きました。シュヴァンクマイエルの自宅兼アトリエ、「ガンブラ・ギャラリー」。
アトリエの中の写真も撮ってあるのですが、ネットに載せないで、と言われているので公開はしません。
見たい方(いないですか?笑)は、プラハに行ってみてください。
ここで私は、つたないチェコ語で書いた監督への手紙を、受付の女性にわたします。完全に、ただのファンです。
またアトリエで、シュヴァンクマイエルの映画や、シュルレアリスム関連の文献、ポストカードなどを、大量に購入しました。
「卒論のため」とかいいながら、本当に卒論ぽいことをしたのは唯一ここだけで、あとはほとんどただの観光だったということは、秘密です。
この後もまだまだチェコの旅は続き、私たちは列車で、世界遺産にも指定されている、チェスキー・クルムロフという小さな街に向かいます。
クルムロフの美術館でシュヴァンクマイエルの回顧展が行われていたことがあったので、そのときのパンフレットの残りか何かがほしかったのですが、
結局ありませんでした。
およそ半日を列車での移動に費やし着いた街、チェスキー・クルムロフはこんなところ。
赤い屋根の家が特徴的な、おもちゃのような街です。
街の中心地には、おとぎ話に出てくるようなお城があります。
チェスキー・クルムロフで1日のんびりしたあと、私たちはついにチェコを後にし、オーストリアへ向かいます。
またも列車で。目指すは、ウィーンです。
霧がたちこめる朝のクルムロフ駅で、寒さにぶるぶる震えていたところ、
私たちしかいなかった駅に、60歳代と思われるアジア人のご夫婦がやってきました。
彼らの話している言語に聞き覚えがあったため、さらによーく聞いてみると、何と、日本語を話している!
何となく親近感がわいたため、「寒いですねー」と話しかけたところ、ウィーンへ向かう途中駅、リンツまで行先が一緒。
ご夫婦と、世間話をしながら道中をともにすることになりました。
聞けばご夫婦は、旦那さんが定年退職をしたあと、お二人で世界中をまわっているのだそうです。
ニュージーランドや、メキシコや、さまざまな国の旅の話をうかがいました。
もし今だったら、こんなふうにして出会ったご夫婦と、twitterやfacebookでつながれたりするのでしょうか。
でも、旅の間だけ、列車での移動の間だけ、という付き合いも、なかなかいいものです。
ご夫婦と乗った列車での会話は、今でも思い出すと胸がきゅっとなります。
★★★
ご夫婦と別れ、リンツから列車を乗り継ぎ、着いた街がウィーン。
一緒にいった友人が楽団に所属している音楽専攻の子だったため、ここからのガイドは完全に彼女任せです。
(ここからは本当にただの観光)
マリー・アントワネットが幼少時代を過ごしたシェーンブルン宮殿に行ってみたり、
食事はもう完全に日本食が恋しくなっていて、ウィーンのカフェでザッハトルテなんて食べるはずもなく、
日本料理屋でUDON食べてました。笑
今思うと、そこは我慢してザッハトルテを食べるべきだったかも……?
でも、気持ちの面ではまだまだヨーロッパにいたくて、
そして来年からはじまる大学院生活が不安で、
帰りの飛行機では爆睡する友人の横で、1人、泣いておりました。
なつかしい、思い出です。
★★★
2013年は、2度目のチェコに行くか、ガラリと趣向を変えてアジア方面を旅してみようか、考え中です。
世界には、どうやらまだまだ私の知らない美しいものがあるようで、
それらを見ずには、死ねません。
世界っておもちゃ箱みたいだと、思っています。
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