チェコ好きの日記

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知ってる? ヴィンテージ絵本、というアナザーワールド

先日、『ボクらの時代』という、日曜朝7時からやっているフジテレビのトーク番組を見ていたとき。前後の文脈は割愛しますが、小説家の西加奈子さんが、こんな主旨のことをいっていました。

 「“世界はここだけじゃない”と知っていることは、救いになる」

(メモしていたわけではないので、言葉の微妙な表現はたぶんちょっとちがいます)

 これ、私もまったく同意見なんですよ。

西さんはイランのテヘラン生まれで、さらに幼少時代を、エジプトのカイロですごしています。

そんな西さんが日本の大阪府に転校してきたとき、女子独特の「みんなでトイレに行く」習慣とか、「あの嫌われてる子としゃべったらあなたも仲間はずれね!」とか、そういった習慣になじめず、すごく困惑したらしいのです。

 しかし幸い、西さんはけっこう器用な性格だったらしく、しばらくすると、そういった暗黙のルールにも慣れていきました。

 すぐに学校になじむことができた西さんは、いじめられたりはしなかったそうで、そこまで精神的に追いつめられたわけではありません。

でも、「“世界”は大阪だけじゃない。カイロもあるし、テヘランもある」と知っていたことが、ものすごく救いになった、とおっしゃっていたのです。

私が思うに、「自分の生きる“世界”はここだけ」と考えて生きるのは、とてもとても、つらいことです。貧しいことです。

別に、海外に移住しなければいけないとか、留学しなければダメだとか、そういうわけではありません。

ずっと同じ場所で生きていたっていいのです。ただ、「“世界”はここだけじゃない」ということを、知っていれば。

★★★

では、「“世界”はここだけじゃない」ということを知るには、具体的にはどうすればよいのか。

てっとり早く、しかもわかりやすい方法としては、やはり1度、日本をとび出してみることです。海外に移住する、留学する、海外に旅行に行く、などなど。

 それも、ハワイでショッピング!とか、卒業旅行で韓国!とかではなく、なるべく、「精神的な旅」をするよう心がけて。

(※「精神的な旅」って何だよ、という話ですが、これはまた別の機会に語らせていただきたい。)

 

そしてもう1つ、こちらは「海外に行く」よりもちょっとわかりづらいですが、「芸術にふれる」、という方法があります。

私が思うに、すぐれた芸術家や映画監督の作品には、世界中の、あらゆることが凝縮されています。

しかも、美術館に行ったり、本を読んだりすることは、海外に行くより断然、安い。

★★★

かなり前置きが長くなりましたが、みなさんは、「古い絵本」というのを、手にしたことはありますでしょうか。

私はというと、1800年代の、ヴィンテージの絵本を手に取って読んだことがあります。もちろん、そういう絵本は10〜30万くらいするので、購入して読んだわけではありません。

院生時代、大学の図書館のコレクションにふれる機会があったので、そこでページをめくってみた、というわけです。

ちなみに、うちの大学のコレクションも載っている、ヴィンテージ絵本はこちらの書籍のなかで見られます。

森と芸術

森と芸術

さて、これらの絵本を手に取ってじっくりとながめていると、私たちがふだん目にしている色彩が、非常に貧しいものである、と気が付いてしまいます。

たとえば、「黄色」ときくと、私たちがまっさきに思い浮かべるのは、この「黄色」です。

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 でも、古本のなかの「きいろ」は、同じ黄色であるはずなのに、まったく別の「きいろ」なのです。

インターネットにその「きいろ」を載せることは不可能ですし、書籍でもあの「きいろ」は、目に見えないと思います。

私は、これらの絵本の色付けが、どんな染料でされたものなのかは知りません。

しかし、予測できることとしては、現代の日本で一般には流通していない、何か別の染料を使っているはずです。

世界には、「黄色」だけじゃない、「きいろ」という色彩が存在するのだということ。私たちは日常生活の情報のほとんどを、視覚から取り入れています。なので、色彩認識の世界観が変わる、というのは、地味に大きい価値観の転換でした。

私はあの古い絵本の「きいろ」を見たとき、衝撃だったのです。

現代では、インターネットはもちろん、書籍だってそれほど高くない値段で、Amazonで数日のうちに届きます。

そんな社会で、わざわざ美術館や海外に出かけて、「本物」を見る意味は、あるのか。

答えは明白ですが、YESです。なぜなら、「本物」には、多くの場合、私たちが普段目にするものとは異なる染料、材料が使われており、それをインターネット上などで再現することは、少なくとも現代の技術では不可能だからです。

私たちが知っている「青」という色と、フェルメールの絵画で使われる、ラピスラズリの「あお」。

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 私たちが知っている「赤茶色」という色と、シエナの煉瓦の色、「あかちゃいろ」。

 

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インターネット上では同じに見えますが、これらはまったく別のものです。信号が緑色になったことを「青になった」といいますが、あれは昔の日本人が「緑」という色を、「青」といっしょくたにしていたことの名残りだ、という有名な話があります。
(※信号を「青」という理由は他にも諸説あるようです)
 
「緑」と「青」を同じ色だと思って生きる世界と、別の色だと思って生きる世界は、どちらが良い・悪いを別にして、まったく異なる世界で生きることになると思いませんか。
 
「“世界”はここだけじゃない」。
西さんがそういっていたように、それを知っていることは、私やあなたを、きっとどこかで救ってくれるのです。
 
映画化した西加奈子さんの本。

 

きいろいゾウ (小学館文庫)

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