ちきりんさんのブログで、最近俄かに話題になっている、
「Logic、Market and ART」。
研究者・勝負師・芸術家 - Chikirinの日記
Logic, Market and Art - Chikirinの日記
上記のエントリを要約すると、人やモノは「ロジック」「マーケット」「アート」の3要素から成り立っていて、それぞれがどれくらいの割合になっているかによって、物の見方や考え方が異なるよ、ということです。
「ロジック」は、論理。さまざまなデータを分析して、「○○だから△△」と、理路整然と結論を導く考え方です。
「マーケット」は、市場。世の中の動きに敏感で、何がどこで求められているかを察知し、「役に立つかどうか」「儲かるかどうか」などを基準に判断する考え方です。
「アート」は、芸術。データも、世の中の動きもどうでもよくて、とにかく美しさや精神性を重んじる考え方です。
それで、合計を100として、自分の価値観を「L○○ M△△ A□□」なんて表したりすると、面白いようです。
ちなみに私はというと、「L20 M10 A70」でしょうか。
このブログを読んでいただければわかる通り、私は「アート」的なものに価値を重くおく考え方をしています。
★★★
さて、ちきりんさんのブログを始め、最近いろいろなところで囁かれているなぁと感じるのは、「グローバルなビジネスパーソンとして生き残るには、“アート”が必要」「日本人や日本の企業には、“アート”が足りない」ということです。
ちなみに、こういった文脈で語られる「アート」とは、私がこのブログでよく語っている美術や映画などのいわゆる「芸術」のことではなく、「ロジックもマーケットも超越した何か」とか、「創造性、独創性」くらいの意味で使われているんだと思います。しかし、同じ「アート」という言葉である以上、両者がまったく無関係というわけではありません。
確かに、(外国がどうなのかよく知らないけれど)今の日本には、「アート」が足りない。
このことは、「A70」の私は、折にふれて感じてしまうことです。
でも、同時に、それは仕方のないことだよね、とも思うのです。
日本の教育システムでは、「アート」すなわち「創造性、独創性」を養うような環境が、あまり用意されていません。ほとんどが「ロジック」で固められた教育で、ときどきそれに少し「マーケット」がまじっているかな、という程度。なので、“自分で勝手に目覚める”しか、「アート」を開花させる方法がないのです。
また、「アート」がわからない人に、「アート」のことを説明するのは、すごくすごく難しい。
教育から「アート」を吸収することができず、また教育以外の場で「アート」を説明してもらい、理解するような機会も限られているので、世の中には「アート」を重んじる、という価値観が存在していることに気付いていない人すらいるように思います。
しかし、理由はよくわからないけど、やっぱり人間には、世の中には、「アート」がないと苦しいと思うんですよ。「グローバルなビジネスパーソン云々」とかは、ぶっちゃけどうでもいいと思うんですが、生きていく上で、苦しい。
(この論理性のなさがA70です!)
なので、前置きが長くなりましたが、本日はA70(※バストサイズではない)の私が、「ART」な部分のきたえかたを考えてみました。
これを活かしてグローバルなビジネスパーソンを目指していただいてもよし、脱サラに使っていただいてもよし、何にも使わなくてもよし。活用法は、自由です。
★★★
◆「アート」がほしい、と強く念じること
いきなり精神論かよ、という感じですが、まずはやっぱり、「自分には“アート”が足りない。よくわからないけど、“アート”の部分をきたえたほうが面白そうだし、役に立ちそうだから、“アート”がほしい!」と、強く念じることです。
強く念じさえすれば、頭の焦点が「アート」にカチッとはまるので、「アート的なるもの」がどんどん吸収できるようになるはずです。
というか、「よくわからないけど、“アート”がほしい」と思った時点で、十分アート的です。これだけで、目標の8割は達成したようなもの。
「アート的でない人」は、「“アート”がほしい」とは、おそらく考えません。
◆ロジックとマーケットを突き詰めること
逆説的なようですが、「アート」を得てその実力を発揮させるには、ロジックとマーケットを突き詰める必要があると、私は思っています。
いきなり「アート」にとぼうとすると、ふわふわして地に足のつかない“不思議ちゃん”状態になるだけです。
(自戒をこめて言っています……)
どういうことかというと、たとえば、美術鑑賞に関して例をあげてみましょう。
大半の日本人は、「芸術とは、感性で理解すればよい」と考えがちです。
なので、美術館に行ってルネサンスだ、印象派だ、シュルレアリスムだの絵画を見ても、「キレイ/キレイじゃない」「わかる/わからない」くらいの判断基準しか、持ち合わせることができません。
もちろん、美術鑑賞には“感性”も必要です。しかし、それだけでは目の前にある絵画の、20%くらいしか理解できません。無駄だとはいいませんが、非常にもったいないことであるのは確かです。
目の前にある芸術の「真の価値」に迫るには、美術史や世界史、その作品の評価、宗教についてなど、さまざまな背景知識が必要です。背景知識があることで、同じ絵画でも、見えるものがまったくちがってくるし、感じることもちがってくるのです。
◆そして、ロジックとマーケットを捨てること
そして、突き詰めたロジックとマーケットの感覚を、最終的には、捨てること。
捨てる勇気を持つことです。
おそらく、日本の企業は、そろそろこの段階に進まなければならないのでしょう。
突き詰めるだけ突き詰めたら、登り詰められるだけ登り詰めたら、捨てる。
で、「捨てる」ためにはどうすればいいのかというと、ロジックをマーケットの感覚を、一定期間、物理的に遮断することです。
たとえば、ヨーロッパに1か月間行って、ひたすら美術館だけまわるとか。アジアにヨガと瞑想の合宿に出かけるとか。半月くらい、山奥のペンションにこもって(※ネットは遮断)出てこないとか。
……何だかくだらない例しか思いつかないのですが、とにかく、ロジックやマーケットの感覚にふれられないような場所へ、自分を追い込むのです。
あとは、大恋愛をしてみるっていうのも有効だと思います。寝ても覚めても好きな人のことばかり考えて、仕事なんか手につかなくなって、勝手に涙が出てきて、ご飯が喉を通らなくて、みたいな体験。
かなり非論理的で、非効率的で、いいと思います。ダメかな? 笑
先ほどの美術鑑賞の例をここでもあげると、
美術史などの背景知識というのは、確かに身に付けるべきなんですが、それだけに頼って絵画を見ようとすると、今度はその知識が邪魔になることがあるんです。
美術館に入る前、絵画の目の前に来るまでは、背景知識を突き詰める。
そして、美術館に入った瞬間、絵画を目の前にした瞬間に、それらをイッキに手放すんです。
そうるすとですね、目の前の視界が、ぱーっと開けたようになるんです。
そして、実は「突き詰めた」と思った背景知識に、意外な穴があったことに気が付いたりもします。
「本にはこう書いてあったけれど、実はこれとこれがつながってるんじゃないか」とか、「これって、よく見ると、あれに見える。今度は、あれについても調べてみよう」とか。
そんな「穴」に気が付いたら、次回美術館に来るときまでに、その「穴」について、徹底的に調べ上げます。で、美術館に入ったら捨てる。「突き詰める→捨てる」の繰り返しで、「ART」はきたえられていくんだと思うのです。
★★★
「ロジック」も「マーケット」も「アート」も、3つとも同じくらいの比率だよ、という人。
2つが同じくらいで、1つだけ低い人、あるいは高い人。
人の数だけ「LMA比率」は存在すると思うのですが、それぞれの人に、その人の“役目”みたいなものがあると思うんです。
私は「アート」の比率が高いみたいなので、今回はこうして「アート」な考え方のきたえかたについて語ってみたわけですが、
私は「ロジック」の人が、「マーケット」の人が、世の中をどう見ているか知りたいし、もしそれぞれの部分の“きたえかた”のようなものがあるなら、ぜひ教えてほしいと思っています。
特に、私は「マーケット」の感覚が、ほとんど理解できません。
なので、自分は「マーケット」部分が突出している、と思う方がいたら、あなたが世の中をどう見ているのか、どういった価値観のもと行動しているのか、また「ロジック」や「アート」についてどう思っているのか、どうか教えてください。
そうやって、相互理解を深めていくことが、結局いちばんの近道なんですよね。
※A70の人間なので、9割以上、感覚でしゃべっています。細かい整合性については、ご容赦ください。笑