チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

正直、そんな余裕はないのだけれど、やっぱり小説は必要だという話

突然ですが、みなさんは、小説って、月に何冊くらい読んでいますか?

ちなみに私は、先月(5月)、12冊の本を読みましたが、うち、小説は3冊でした。

自分では、多いとも少ないともいえない冊数だと思うのですが、いわゆる「読書家」と呼ばれる方のなかには、小説はまったく(orほとんど)読まない、なんて方もいるようです。

私も昨年の一時期、小説をほとんど読まない期間があったので、小説を読まない理由、読む気にならない理由とかは、何となくですが、わかります。

小説って、一言でいうと、実益がないんですよね。

読んで得になったのかなっていないのか、読んで知見を得られたのか得られていないのか、読んだ直後はいまいちよくわからない。村上春樹なんかの有名小説であれば、読んだことそれ自体が話題になるので、それなりの実益はある気がしますが、特に新刊でもない、話題にもなっていない小説というのは、正直読んでも「何だかなぁ」という気がします。

しかし私個人としては、小説を読まない一時期を過ぎ、最近また、1か月に1冊でも2冊でも3冊でも小説を読む生活を再開して、やっぱりどんなに忙しくても、時間がなくても、余裕がなくても、最低でも2ヵ月に1冊は、小説を読んだ方がいいんじゃないかという結論に達しました。

よくいわれることですが、小説を読むことで、人はその物語の登場人物たちの体験を、“追体験”できます。

人間の一生なんて限りがあるので、日本人として生まれたら、途中でロシア人になったりフランス人になったりすることは、不可能ではないけれどなかなか困難です。また、昭和や平成に生まれた人間は、明治や大正の人々の生活を体験することはできません。でも、小説を読むことで、ロシア人やフランス人、明治や大正に生まれた人々の生活を、“追体験”することができるのです。

さまざまな“追体験”を積んでいくと、「現代の日本で生きる私」という存在が、非常に限定的なものであることがわかります。古今東西の“追体験”を積むことで、世の中には「1930年代のフランスで生きる私」もありうるし、「戦後の日本で生きる私」もありうるし、「16世紀のイタリアで生きる私」とかもありうる、ということに気が付きます。自分のなかに、さまざまな視点をもてるようになる、というわけです。


この“さまざまな視点”が、何の役に立つんだよ、という話ですが、ただ“追体験”をたくさんするだけでは、小説をどんなにたくさん読んでも、あまり意味がありません。

たくさんの“追体験”のなかから、「この“追体験”はサイコウだ!」と思えるような体験を見つけ出し、選ぶことがポイントなのです。

平たくいうと、「たくさんの小説のなかから、“好きな作品”を見つけなさい」ということです。

好きな作品を見つけてどうするのかというと、その作品のどこがどう好きで、どこがどうサイコウなのかを、自分だけの手帳にこっそり書いたり、ブログに書いて人に見せたり、友人・知人と語り合ったり、はたまた心のなかにじっと留めておくのです。

以前書いた文学部のエントリと話がつながってしまいますが、
続:いる?いらない? “文学部”ってどうなのよ? - (チェコ好き)の日記

あなたが多くのなかから選んだ“好きな作品”が、あなたがこの世界に下した「解釈」であり、あなたがこの世界を見つめる「フィルター」であり、あなたの「アイデンティティ」であり、あなたの目に映るこの世界の「偶像」なのです。

ややこしい言い方をしましたが、これも平たくいうと、「“好きな作品”を3つくらいあげてもらえば、その人がどんな人かわかるよね」っていう話です。“好きな作品”は、学歴より、職歴より、出身国より、性別より、ある意味ではより如実に、その人自身を表しています。

人生で3冊しか小説を読んだことのない人は、その3冊しか“好きな作品”にあげられないけれど、人生で1000冊小説を読んだことのある人は、1000冊のなかからもっとも好きな3冊選ぶことになるので、より正確に、自分の価値観に近い「解釈」や「フィルター」や「アイデンティティ」や「偶像」を選ぶことができます。

「現代の日本で生きる私」という限定的な存在をとび出して、より自由な、たくさんの選択肢のなかから、この世界に対する「解釈」が下せるのです。



なので、やっぱり小説は意識して読んだほうがいいよね、と最近の私は思っています。

自分がこの世界をどう見ているかを把握し、それを他人に伝えることで、道に迷いにくくなるというか、自分の足をしっかり地につけることができるようになります。


しかし!

それでも、現代人はやっぱり忙しい。『カラマーゾフの兄弟』なんて、市井のサラリーマンには、とてもじゃないけど読みこなせません。もちろん、忙しい合間を縫って『カラマーゾフの兄弟』を読むことができたら、それはとても価値ある行為だとは思うけれど、実践できる人は、なかなかいないでしょう。私も『カラマーゾフの兄弟』を学生時代に読んだきり、いつか再読しよう再読しようと思っているのですが、あの分厚い小説をふんふん言いながら読み進める余裕は、はっきりいって、今ないです。

そこで、忙しい現代人が小説を読むとしたら、1話1話ぶつ切りで読める短編集とか、(厚さ的に)ボリュームのうすい小説とか、サラッと読める純文学なんかがいいんじゃないかな? と思いまして、以下に、私のおすすめ小説をならべてみました。

前置きが長かったですね……

★★★

カフカ短篇集 (岩波文庫)

カフカ短篇集 (岩波文庫)

いわずと知れたフランツ・カフカの短編集。ドイツ語で小説を書いているので、カフカのことをドイツ人だと思っている方もいるかもしれませんが、実はれっきとしたチェコプラハの出身。プラハという街は、今も昔も人々の想像力を掻き立てる何かがあるのでしょう。

この岩波文庫のバージョンには、『掟の門』や『田舎医者』、『流刑地にて』などカフカファンにはお馴染みの短編が入っていますが、私がもっとも好きな物語は、3ページで終わる超短編『父の気がかり』。

オドラデクという謎の生き物(?)が、何の目的も用途もなく、ただ存在している。未来のことを考え、目的を持って生きている自分て、何なんだろうと頭を抱えてしまいます。


肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

肉体の悪魔 (光文社古典新訳文庫)

舞台は、第1次世界大戦下のフランス。パリの学校に通う15歳の「僕」が、19歳の美しい人妻マルトと出会い、不倫の恋に堕ちていく、という物語。じゅ、15歳で不倫……。ラディゲ自身、この小説を18歳のときに書いたということなので、早熟にも程があるやろ、って感じがします。

10代という若さが成せる業なのか、それとも恋というのは普遍的にこういうものなのかわかりませんけれど、『肉体の悪魔』で描かれるのは、とにかくそりゃあもう濃密な「恋」です。綴られる言葉の1つ1つがあまりにも重く、胸やけがするほど濃い。

物語そのものよりも、ここまで濃密な言葉で世界を語れる人物がいたということに、私は驚いてしまいます。


ポトスライムの舟 (講談社文庫)

ポトスライムの舟 (講談社文庫)

主人公のナガセが、職場の休憩所で「世界1周旅行 163万円」というポスターを目にし、その金額が自分の年収とほぼ同額であることに気付く、というところから、表題作『ポトスライムの舟』は始まります。現代の日本で働く30代以下の人には、身につまされる物語ですね。収入がない人にとってはもちろん、収入がある人にとっても、いつこういう状況に陥るかわかりません。

また表題作以外の『十二月の窓辺』は、パワハラに追い詰められる主人公のようすが描かれています。誰が見ても明らかなパワハラであればまだいいけれど、自分にだけ、自分にしかわからないように行われるパワハラというのは、本当にきついです。こちらも、現代の日本で働く30代以下の人には、多かれ少なかれ共感できる要素があるはず。

★★★

いずれ、「忙しい人のための小説ブックガイド」みたいな感じで、小説の紹介をシリーズ化しようかと勝手に考えています。

おすすめ小説がたまったら、またブログ書きます。