夏も真っ盛り! です。
お盆休みも近付いてきたところで、長期の旅行に行く予定がある方などは、準備に追われているところかもしれません。
私も今回、実に2年半ぶりの長期旅行(といっても1週間)に出かける予定で、
行先は海外です。
さて、このブログでも度々「旅行」についてのエントリを書いている私。
が、その内実をちょっと見てもらうと、ほとんど(ていうか全部?)が旅行は旅行でも“海外”旅行のことについて書かれたものであることが、お分かりいただけるかと思います。
これは決して、私が国内旅行に興味がないわけでも、その話題を避けているわけでもありません。この国には、労働環境とか自由度の低さとか、いろいろな不満もあります。けれど、日本の治安の良さと、食べ物の美味しさと、清潔で安全な環境は、どこの国にも負けないすばらしいものだと思っています。もちろん、日本の文化も。
国内でも、行きたい場所は実はいろいろあります。沖縄、出雲、広島、直島(アートの島で有名)、徳島、金沢、青森、北海道!
けれど、私は今、国内のこれらの場所ではなくて、海外旅行へ行くことのほうを、優先させています。
本当は海外も国内も両方行きたいのですが、両方を実現するには、私には時間とお金が足りないのです。だから、20代の今は、行きたいところが複数あるならば、海外の旅先のほうを、優先的に選ぶようにしているのです。国内旅行も行きたいのは山々なのですが、それはもう少し年を取ってからでも遅くない、と考えています。
では、なぜ20代の私は、“海外”を選ぶのかって?
その理由を、3つほどあげてみましょう。
★★★
1 体力があるから
まず1つ目の理由は、とても単純です。若いうちは、「体力があるから」。
人間は、基本的に年を取るにつれて体が衰えていくもの。程度の差はあれ、老いや体の衰えを、免れられる人はいません。
海外旅行と国内旅行を比べると、海外旅行のほうが、何かと体力が必要ですよね。舗装されていない道や石畳の道を、重いスーツケースを引きずって歩かなければならなかったり、時差ボケや気候の変化に耐えないといけなかったり、飛行機も(国内に比べると)長時間乗らなくてはなりません。60歳になったことがないのでわかりませんが、もし60代の人と20代の人が、まったく同じルートで海外を旅行したとしたら、その疲れ方には、倍以上の開きがあるのではないでしょうか。
もちろん中には、60代だろうが70代だろうが関係なく、エネルギッシュに世界を旅されている方もいます。私はチェコの田舎町で、ご主人の定年退職を待って、ご夫婦で欧州を1周されているという、何とも素敵な60代のご夫妻に出会ったことがあります。
が、私がそうなれるかどうかはわかりません。
なので、とりあえず私は、体力のある若いうちに、海外にできるだけ行っておこうと考えています。そして年を取ってきたら、その後にゆっくりまったり国内の名所をまわってみたり、「若いときに行ったあの国、良かったからまた行こうかな~」なんていう“リピート旅行”をしようかと思っています。
2 筋力を鍛えたいから
2つ目の理由は、「筋力をきたえたいから」です。
「筋力」というのは譬えですが、人間のあらゆる能力って、語学力にしろ、運動神経にしろ、楽器を演奏する力にしろ、何かとこの「筋力」と、構造が似ていると思うのです。
どういうことかというと、「若いうちにたくさん鍛えてモノにしてしまったほうが、年を取ってからそれを身に付けようとするよりも、簡単だ」ということです。
海外旅行は別に「能力」ではないですが、若いうちにツアーではなく個人旅行に行く「筋力」を、異国でのトラブルにたった1人で対応する「筋力」を、まったく知らない場所の交通機関やホテルを調べる「筋力」を、若いうちに鍛えておいたほうが、年を取ってからそれらをこなそうとするよりも、はるかに簡単だと思うのです。
一定の年齢を過ぎてからだと、こういったあらゆることが面倒になってしまって、海外旅行に行きたいというモチベーション自体が下がってしまいそうです。また行ったとしても、団体でぞろぞろ移動する、スタンプラリーのような旅行に甘んじてしまうとか。若いうちにたくさん海外旅行へ行って「筋力」を鍛えておいたほうが、「海外に行きたい!」というモチベーション自体も、保ち続けることができると思うのです。
また「筋力」なので、ある程度、継続的にトレーニングしていくことも必要です。
私は20歳を過ぎてから、1年に1度は日本を出る機会を持とうと、けっこう意識しながら予定の調整を重ねてきました。(今回は間を2年半空けてしまったので、ちょっと失敗)
できるだけ間を空けずに、短い期間での海外旅行を重ねていると、「次はあの国、次はあの場所!」と、行きたい場所が次々に出てきますし、行きたい気持ちも、どんどん高まってきます。
でも、もし10年間日本を出ることをしなかったら、「海外旅行に行く」という感覚を忘れてしまい、「なんかもう、海外とかど~でもいいや」みたいな心境になってしまうでしょう。少なくとも、私は。
あの感動を、あのわくわく感を、「ど~でもいいや」なんて思うようになりたくないのです。
「After」を楽しみたいから
そしてこの3つ目が、20代の私が国内旅行よりも海外旅行を優先させる、最大の理由です。「Afterを楽しみたいから」!
「After」というのは、Before⇔Afterの「After」です。
多くの人は、海外旅行に行くと、たくさんのカルチャー・ショックを受けて、日本に帰ってくるはずです。
台湾の夜店で売っているグロテスクな食べ物にびっくりしたり(怖くて買えなかった)、
バチカンのカトリック総本山、サン・ピエトロ大聖堂の壮麗さに頭がくらくらしたり。
海外旅行に行くと、その土地の空気、食べ物、人々、文化、つまり自分を取り巻くもののすべてが、自分が常識だと思っていた普遍の「日常」を脅かします。自分が真理だと信じていたものが、音を立ててガラガラと崩れていく瞬間。私はその一瞬が、たまらなく好きなのです。
世界はやっぱり、「あの場所」だけじゃなかった。そんなふうに、世界を見る視点が1つから2つへ、2つから3つへ、より多く増えれば増えるほど、この世界は、彩り豊かに美しくなります。
もちろん国内旅行でも、カルチャー・ショックを受けることはありますし、世界を見る視点を増やすことはできます。でも、同じ日本語が通じ、根底に同じ文化を共通して持っている人々の間では、私はいまいち「異邦人」になりきれません。
カルチャー・ショックのインパクトは、やっぱり海外旅行のほうがデカイ、と言わざるを得ないと思うのです。
もし、その後の人生の価値観や方向性を変えてしまうほどのインパクトのある旅をすることができるのならば、それを60代で経験するのも素敵ですが、私はやっぱりできるだけ早く経験しておきたいと思ってしまいます。なぜならそのほうが、価値観や方向性が変わってしまった後の、「After」の人生を、より長く楽しめるからです。
あとは、海外に出て初めて気付く日本の良さや、日本の特性みたいなものもあります。
たとえば、3年前、私が2週間ヨーロッパを旅してきた後に成田空港に到着して、そこから電車に乗って家に帰るとき。
車内から見える窓の外の景色に、ものすごい違和感を感じたんですね。
ヨーロッパの街並みは、どこもかしこも美しく外観を整えるために統一されていて、古い建物も多いです。
一方、日本の建物は、新しいビルばっかりで、消費者金融やらゲームやらお酒やら、いろいろな看板が原色ハデハデに立ち並んでいます。
こうやって書くと、まるでヨーロッパが良くて日本はダメみたいに聞こえるかもしれませんが、そうではなくて、ただ単にそのときは、街づくりのコンセプトがヨーロッパと日本でまったく異なることに、純粋にすごくびっくりしたんです。何というか、日本ってやっぱりアジアだったんだ、と思いました。
美しく統一するために抑制のきいた街をつくるヨーロッパもすごいですが、生き残るためなら何でもあり、どこからともなく欲望が渦巻いているのが見える(ような気がする)日本の街も、同じくらいすげー! と思ったんです。日本にずっといたら、こんなことには絶対に気が付きませんでした。
海外に行くと、その土地で「異邦人」になれるだけでなく、自分が生活しているこの土地も、「異邦人」の目で見てしまうことができるのです。
小さなことかもしれませんが、そういったカルチャー・ショックの1つ1つが、今の私をつくっています。
それは、もしかしたらパラレル・ワールドにいるかもしれない「あのとき海外旅行に行かなかった私」とは、まったくちがう人物なのです。
★★★
今回のエントリは、「いつかは海外旅行にも行きたいんだけどねー」といっている、
私の身近な友人たちの顔を思い浮かべながら書きました。
いうまでもないことですが、これは海外旅行をこよなく愛す私の、超個人的な意見です。
海外に行くもよし、国内に行くもよし、どこにも行かないのもよし。
でもね、おせっかいかもしれないけれど、「こっち側」は、
こんなに楽しいよ!
ってことを言いたかった。
※最近、旅行関係のエントリが続いていますが、
「この人、久々に旅行に行くもんだからはしゃいでるんだな」と思って下さい。
思って下さい、というか、事実その通りなのですが……
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