チェコ好きの日記

もしかしたら木曜日の22時に更新されるかもしれないブログ

ほぼ日手帳の日記から

2014年版のほぼ日手帳を買ってから、約1カ月が経ちました。
ほぼ日手帳2014 ことしの手帳は、こんな感じだ! - チェコ好きの日記

2014年の手帳は12月始まりなので、今はまだまだ2013年の手帳をメインに使っています。

が、2014の手帳にもさっそく、巻末ページに毎年恒例の「やりたいことリスト100」を書きました。自分が死ぬまでにやってみたいことを100個、妄想たっぷりに延々とリストアップしていくという、楽しいような苦しいような作業です。
f:id:aniram-czech:20131005233213j:plain

実は、書いたそばから早速1個かなった!

この「やりたいことリスト100」を修行のように書き連ねた後は、これも毎年恒例なのですが、「5年後の自分の理想図」を書いています。こちらは「5年後」なので、先ほどのリストよりは少し現実的なラインで、5年後にどういう仕事をしていたいか、どこに住んでいたいか、1日をどう過ごしたいかなどを、考えていきます。

5年後も自分は変わらない?

「やりたいことリスト100」を作っているくらいなので、私には大きいものから小さいものまで、たくさんの夢があります。私の計画では、100のリストのうち全てとはいかずとも、5年後にはこのうちのいくつかが、実現している予定です。

でも、この楽しい作業を行ないながらときどき思うことがあるんです。

それは、「5年後も、10年後も、私はあんまり変わってないんだろうな」ということです。

これは、私の夢はかなわないんだろうなとか、私は成長できないんだろうなとか、そういうことをいっているわけではありません。私がどれくらい理想を実現できるか、成長していけるかは、未知数なので本人にも全くわかりません。ガンバリマス。

私が「たぶん変わらないんだろうな」と思っているのは、日常のテンションというか、日々の過ぎ去り方というか、精神状態のようなものです。

どういうことかというと、例えば、「恋人に振られ、仕事は失い、貯金も尽きて借金まみれ、どん底だった私の人生が……このクリスタルブレスレットを買ったおかげで、異性にはモッテモテ、宝くじには高額当選、今では3つの会社を経営しています。毎日がバラ色です!」みたいな方がいたとします。

この方の場合、「どん底」だった毎日がクリスタルブレスレットのおかげで「毎日がバラ色」に変わったわけですが、そんなことってありえるのかな? と私は思うんですね。


そんなこと、というのはもちろんブレスレットの効果のことではありません。何というか、人生の幸福度とか、生きるテンションみたいなものが、何かをきっかけに急激に変わったりすることってあるのかな? というのが個人的に疑問というか、不思議に思ってしまいます。他人になったことがないのでわかりませんが。

例えば、仮にこのブレスレットが本当に効果を持っていて、恋も仕事もお金も、自分の思うままになったとしましょう。

でも、外面的な要素がいくら変わっても、その人の根底にある「精神状態」みたいなものは、あまり変わらないのではないかと私は思うんです。この方でいえば、いくら異性にモッテモテでも、モッテモテなのはどうでもいい人たちにだけであって、本当に好きな人には振り向いてもらえないかもしれない。宝くじの高額当選によって人間関係が崩壊するかもしれないし、会社を3つも経営し始めれば常に倒産のリスクに怯えることになるかもしれない。

これはあくまで私の持論ですが、今が「どん底」なら、外面的な要素の何がどう変わっても「どん底」なんじゃないかと思うんですよね。

逆に、「毎日バラ色」だと思って過ごすことが多い人は、たとえ外面的な要素が「どん底」になっても、本人の中では変わらず「毎日バラ色」なんじゃないかと思うんです。恋人に振られたら、次はもっといい人をつかまえてやる! と思い切ればいいし、仕事や貯金がなくなっていろんなことがボロボロになってしまったら、実家や頼りになる友人の家に身を寄せて、しばらく料理や家事に専念しつつ心を休めればいい。たとえその生活が一見どんなに「どん底」でも、考えれば必ずどこかに心休まる場所はあるし、楽しみは見つけられる。

もちろん、災害や事件などに巻き込まれた場合などは例外で、、楽しかった日常がどうしようもなく崩壊してしまうことはあると思います。でも、普通の個人に降り掛かる不運程度なら、「気の持ちよう」でどうにでもなるんじゃないか、と私は考えているわけです。「どん底」なのも「毎日バラ色」なのも、外面的な要素によるものではなくて、その人の「気分」の問題だと。



……と、何でこんな話になったのかというと、5年前くらいからつけているほぼ日手帳の日記や、高校生のときに大学ノートに書いていた日記を読み返してみたら、私の「精神状態」みたいなものが、10年前くらいからあまり変わっていないことに気が付いたからです。

私の「精神状態」というか、「生きるテンション」っていうのは、10年前から一定して「毎日そこそこ楽しい」「まぁまぁ」みたいな感じです。そのときどきでいろいろな不安や不満はあるけれど、一晩寝たら忘れます。代わりに、ものすごく大きな幸福感を感じたり、毎日がバラ色に見えたりすることはほとんどありません。旅行に行っているときや、ブログで面白いエントリ(自己評価)を書けたときは多少バラ色になりますが、まぁその程度です。

三つ子の魂百まで」ってことわざがありますが、私はこの言葉、かなり的を得ていると思うんですよねー。要は、「三つ子」とまではいかないかもしれませんが、人間は中学校を卒業したくらいである程度の人格形成が完了してしまうというか、人生のポジションというか、生きるテンションみたいなものは、その後の人生でもうあんまり変わらないんじゃないかと。

私の場合、これは諦観でもあり、希望でもあります。

例えば、私がクリスタルブレスレットを手に入れて、人生が全て思うがままになったとしても、私はたぶん「毎日バラ色」にはなれません。相変わらず、「毎日そこそこ楽しい」程度のもんでしょう。代わりに、私がもし全てに失敗して「どん底」になってしまっても、精神状態は「どん底」ってほどにはならず、毎日をそこそこ楽しんでいそうです。
まぁ、多少は落ち込むでしょうが。

★★★

ほぼ日手帳やノートに書く日記でも、ブログでも、長く続ければ続けるほど、何かの法則や傾向が生まれてきます。そしてその法則や傾向は、少なくともそれを書いた本人にとっては、かなり興味深く面白いものです。

今回の話題はかなり抽象的になってしまいましたが、私の言いたいこと、伝わってますでしょうか……

日記やブログもそうですが、この「精神状態」や「テンション」みたいなものも、長くそれがこびりついていると習慣になってしまうというか、そこから脱することは禁酒とか禁煙以上に困難だ、と私は思います。

いや、やっぱりそんなことないのかなー。クリスタルブレスレットを手に入れたら人生変わるかな。

ほぼ日手帳に「5年後の理想図」を書き込みながら、そんなことを考えた私でした。おわり。

ほぼ日手帳公式ガイドブック2014 ことしのわたしは、たのしい。

ほぼ日手帳公式ガイドブック2014 ことしのわたしは、たのしい。