チェコ好きの日記

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ちきりんにあえて煽られてみる、という思考実験

年明け早々の話ですが、人気ブロガーであるちきりんさんの「貯金」に関するエントリが、炎上気味だったようです。

全国の子供たちに告ぐ:お年玉はソッコーで使うべき! - Chikirinの日記

アルファブロガーのちきりん女史が若者の貯金志向を批判し、非難殺到 炎上状態に - NAVER まとめ

私はこのエントリに関する数々のツイートを「いろいろな意見があるなぁ」とぼんやり眺めていたんですが、自分の浅くてせまーい経験から考えると、ちきりんさんのいっていることはすごく納得というか、「あるある」だなぁ、と思ったんですね。

私の知っている、同世代の「将来稼ぎそうな人」って、あまりお金を貯めることに執着していない気がするんですよ。その人自身の言い訳かもしれないけれど、「自分への投資だから!」とかいって、けっこうガンガンお金を使い込んでいる印象があります。一方で、ヒマワリの種をほお袋いっぱいに詰め込むハムスターのごとく、ちまちまと貯金をしている人は、将来あまり大成しなさそうな印象をあたえます。

もちろん、どちらもあくまで“印象”でしかないので、投資家さんたちの将来がどうなるか、ハムスターさんたちの将来がどうなるか、それは10年後か20年後くらいになってみないとわかりません。また、私は「稼ぐのが善、経済的に成功するのが善」だとも思っていないので、ちょくちょく貯金をしてハムスターのように心穏やかに過ごせるならば、それに勝る幸せはないだろうとも考えます。


ちなみに、私は現在ハムスター型です。たいした額ではありませんが、ほっぺたパンパンに詰め込んでおります。

何もかも半信半疑

私はアタマがふわっとしているほうなので、ちきりんさんのような極論系エントリを読んでは「あー、そうだなぁ」と思い、それに対する反論エントリやツイートを読んでも「あー、そうだなぁ」と思い、それに対するさらなる反論を読んでもやっぱり「あー、そうだなぁ」と思います。そうして極論とその反論の間を行ったり来たりしつつ、自分にとって居心地が悪くなさそうな場所に着陸地を見つけ、ようやく「じゃ、私はこのへんで」と腰を落ち着けます。要は、何もかも半信半疑なのです。

なので、今回の「若いうちは老後の資金なんて貯めずに、投資だと思ってバーっと使え!」というちきりんさんの主張にも、半分は「そうなんだ、そうしてみよう」と思っているし、半分は「いやいや、それはダメでしょ」と思っています。

具体的にはどういうことかというと、2013年に私が貯めた額を100とすると、2014年は貯める額をその60%くらいにしてみて、残りの40%は騙されたと思って使ってみようかな、と思ったということです。「お年玉はソッコーで使え」といわれても、さすがに100すべてを使い切るには私の肝っ玉が小さすぎるので、たぶん無理です。

「騙されたと思って」というところが個人的なポイントで、1年間試しにやってみて「ダメだ、騙された!」と思ったら、2015年からはまた100を貯めればいいと思うのです。1度「使う体質」になってしまうと「貯める体質」にもどるのが大変なんじゃないかという懸念はありますが、そこはまぁ、うまくやります。私は今年で27歳になるのですが、27歳の1年間で失う“40%”なんて、確かにたいした額ではないです。そういう思考実験だと思えば。

とはいえ、物欲を極限までおさえてきたので……

しかし、使うことにした40%を「よーし、じゃあ思う存分バーっと使うぞ!ソレソレ!」という気持ちには、私はなれません。就職して以来、断捨離ブームの影響もあってか「モノを増やしたくない」という欲望が強く、服も化粧品も雑貨も極限まで買わないことに慣れてしまったんですよね。学生時代は「アレも欲しいコレも欲しい」状態だったんですが、慣れてしまうと今のほうが心地よく、またあのときのような物欲を復活させる気にはとてもなりません。本だけはたくさん買っていますが、ありがたいことに本自体はたいした値段ではないので、思う存分買ってもあまり家計にひびかないんですよね。

なので、「使おう!」と思っても、実際には何に使ったらいいのかわからないんです。ちきりんさんは“賢い消費”やら“自己投資”に限定する必要はないといっていますが、やっぱり頑張って稼いだお金なので、それなりのことに使いたいという気持ちがあります。

最もリターン率の高い自己投資とは?

「それなりのことに使いたい」とはつまり、その使った額から何らかのリターンを得たい、ということになります。そこで、あくまでも「私にとって」という話になりますが、私は最もリターンのある自己投資って、「旅行」じゃないかと思っているんですよ。

私は成人してから、主に海外旅行に総額100〜150万くらいつぎ込んでいます。上には上がいるので、たいした額ではないような気もするのですが、やはりそれなりの額を使ったなぁという気がします。

けれど、もし今、妖精とかに「150万返すから、海外旅行の記憶を全部返して」といわれたら、「無理、それだけは無理!」とソッコーで断ります。チェコに行かなかったら私のあの大事な研究は完成しなかったし、イタリアに行かなかったらルネサンスとバロックに衝撃を受けて西洋美術をもう1回最初から勉強して聖書も読み直そうとか、思わなかったでしょう。海外で見たいろいろなものが私の人生観、芸術観を支えていて、そこから始まったいろいろなものが私に「この世界って、本当に面白いんだな」と思わせてくれます。

よーく考えればもうちょっとおトクに旅する方法があったかもしれないとは思うけれど、今まで旅行につぎ込んだお金は一切返ってこなくてけっこうです。あのお金をチェコやイタリアに行かずに「貯金していたら」、と考えると、確かにおそろしいものがあります。私にとって海外旅行は、確実にリターンがある投資なんです。行ったら絶対に、何か持ち帰ってもどって来られる。“意識高い学生”風にいうならそれを「世界観が変わった」とか表現するのかもしれませんが、そう表現せざるを得ないくらい腰を抜かすようなことが、やっぱりあるんですよね。

ちなみに個人的な教訓として、海外旅行からのリターンを確実に得たいと思うなら、事前に5冊、事後に5冊、計10冊の旅行先に関する本を読むことをおすすめします。その国で生まれた文学、美術、音楽に関する本とか、その国の宗教、風俗、歴史、政治経済に関する本とか。私は旅先で、小説に出てきた地名に出くわすだけで大コーフンできる人間なので、本を読むことも含めて「1つの旅」だと思っています。

まとめ

私はちきりんさんのエントリを、「貯める以上に使うことに価値があるお金というのが、あるのかもしれないよ」という主旨の話だと受け取りました。でも、いろいろと不安要素の多い世の中なので、やっぱり貯めたくなっちゃいますよね。私がいう「投資」も、それによってスキルが上がるとかの“経済的なリターン”があるという話ではなくて、人生の充実度という抽象的な意味での“リターン”なので、そんな抽象的なモンはマイナスでしかない、という考え方も一理あると思います。

けれど、「そのお金を返す代わりに、その体験で得た記憶を返して」といわれたときに、「NO」と即答できるのならば、それは正しいお金の使い方だったのだと自己弁護のようですが思います*1。逆に、そこで「YES」と答えてしまうお金は、貯金しておくべきお金だったのです。額は比較にならないですが、ジャンクフードをついつい食べてしまったときとかですかね。私にも、そんな小さな「YES」はたくさんあります。


私の今回の着陸地はこの辺りだったのですが、みなさんはどうでしょうか。

*1:書いていて思いましたが、たぶん「お金」を「時間」に変えても同じことがいえそうですね。Time is Money!